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桃屋の創作テキスト置き場
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■innocence  ―始動―  ■



 それは、丁度あたしが食堂で軽いおやつをしている時だった。

「あの、ちょっとすいませーん」

 食堂の入り口付近で、頼りなさげな声が小さく響いた。
 しかし、店内の喧騒に掻き消され、その声に振り向く者は皆無である。
 当のあたしですら、比較的陣取った席がドアに近かったのと、このエルフ並に出来のよろしい耳のおかげで、その声を拾う事が出来ただけの事である。

「あの~」

 尚も呼びかけを続けている様子である。
 背は若干高めだろうか。目深にかぶったフードが、怪しさを素敵にかもしだしている。
 声からして、まだ若い男だろう事は容易に想像出来た。
 腰に差した長剣が、その本人の不安げな態度とはあまりに不釣合いで、何とも滑稽に映る。
 あたしは呆れながら、クリームチーズサンドの最後の一カケを口に放り込んだ。

「仕方ない」
 しばらくそうして突っ立っていた怪しいフードの男は、肩をすくめる様にして呟いた後、いきなり腰の剣をすらりと抜き放ち、あたしの方につかつかと歩み寄り、
「あの、ちょっと手伝って下さい」
「は?」
「宜しくお願いしますね」
 返事も聞かずに、あたしは腕を掴まれ、椅子から無理やり立ち上がらせられる。
「ちょっと!」
「黙って」
 いきなりフードの奥から鋭い眼光で睨まれ、一瞬言葉を失う。
 その瞬間を見計らってか、はたまたただの偶然なのか、男は抜き放った剣を手近にいたウエイトレスに向け、口を開く。



「あー、この女の子殺しますよ」



 ―――ざわっ。

 店内が一瞬にして緊迫した空気になる。
 まあ、その割りにこの男の口調に、緊張感や気迫と言った類の言葉は当てはまらないが。
「ひっ・・・」
 剣を首筋にぴたりとあてがわれた可愛そうなウエイトレスは、小刻みに震えながら立ち尽くす。
「あの、このお嬢さん助けたかったら、お金下さい」
 妙に間の抜けたにこにこ顔で店内を見回す。
 この状況でこんな態度と言うのは、逆に気味が悪いもんである。


「言う事聞いて下さいね~。じゃないと・・」
 耳元で男がまだ何やら話している。
 店内に居た剣士風の男や、魔道士風のおっさんらが、静かに臨戦態勢に入る中、
 あろう事か、男はあたしをびしっ!と指差し、
「皆さんも聞いた事あるでしょ?『狂戦士・焔』の話は。この人がその『焔』ですよ。逆らうと、皆殺しになっちゃいますよ」
 などとのたまいやがった。
「あんた!何ふざけた事言ってんのよ!?」
 食って掛かるあたしを尻目に、男は相も変わらずやる気があるんだか無いんだか分からない声音で、
「どうします?店内の皆さん。この人、強いですよ?」
 そう言って、フードの奥から覗く瞳を、ぬらりと光らせた。

 きーさーまあああ!!
 
 あたしが怒りに震えているのをよそに、店内は先ほどの喧騒とは違った意味で騒がしくなる。


「おいおいおい、本当にあんな小娘が『焔』なのか?」
 待てコラ。誰が小娘だ。
「しかし、緋色の髪の奴なんて、そうそう見た事ねえ!」
 今見てるだろ、くそったれ。
「焔って言えば、あの『白銀』に次いで邪悪だって話じゃねーか!」
 誰が邪悪だ誰が!!
「もしもあの女が本当に『焔』なら・・・」
 だとしたら、何だってーのよ?ああ?


 ―――むかむかむかむかむか。


「いやー、口から出任せ、嘘も方便。素敵に皆動揺してくれるもんだ」
 のほほんとあたしの耳元で、恐らくあたしには聞こえない様なボリュームで呟いたのだろうが。
 しっかあああし。
 あたしの耳の出来の良さは半端ではない。


 ―――ぷち。

 我慢していた何かが、音を立てて切れた。

 ―ふっ。

 あたしは一人額に血管浮かび上がらせながら、うつむき加減で手を微かに動かす。
 そして、店内の無駄な喧騒をよそに、そのまま小さくぷつぷつと、普通の人間が聞いたら意味不明な言葉を呟いていた。
 早い話が、攻撃呪文を。


「炸裂噴陣(ブラド・ディスガッシュ)!」


 きゅどどどごどどどどごごご!!

 派手な音を立てて、店内が吹っ飛ぶ。
 最もこの術、見た目と音は派手だが、人間本体にはそんなに影響は無い。
 ないったらない。
 きっと平気。
 だって皆現に生きてるし。

 店内を見回すと、もうもうと立ち込める煙の中、
「ううう」
 だの、
「さすが、噂に名高い焔」
 だの、
「コイツが本気を出したらひとたまりも・・」
 だの、何だかんだ呻いている声が聞こえなくも無いが、それはきっと風の精霊さんのいたずらに違いない。


「さっきから黙って聞いてりゃ、人を極悪非道呼ばわりとは失礼千万ね!悪いのはこの男でしょ!?」
 
 腰に手を当てて、自慢の良く通る声で、何故かズタクソになった店内に向かって怒鳴り倒す。
「どうにかするってんなら、この男を・・・」
 言って例の怪しいフード男を指差そうと振り向くと、あろう事か、今のあたしの呪文で吹っ飛んで、綺麗に意識を失っている。

「うそーーー!」

 あたしは頭を抱えて叫んだ。
 悪事の張本人が気絶してて、今元気にぴんぴんしてるのはあたしだけで、しかもあたしも呪文で店は崩壊寸前で、皆あたしを睨んでて―――

「あああ、あたしが悪いんじゃないわよ!?」
 叫びつつ気絶してる男の頬をばっちんばっちん叩いて起こす。
「・・ん・・・・ぎゃーーーーー!」
 意識の戻った男は、あたしの顔を見るなり顔面蒼白になって絶叫し、
「あああ!やはり本物の『焔』!呪文も印も無いまま術を発動させるなんて!」
 なーんて、ものすごい大声で怯えまくってたりする。
 いやいや、呪文も唱えたし、印も結んでたよ。密かにやってたから気付かなかっただけで。
 なんて、どうでもいい突っ込みを内心入れてみたりする。
 しかしこの男、動揺しているのか、頭打っておかしくなっちゃたのか、或いは――


「皆さん!」
 あたしと男を遠巻きに、恐怖の色をたたえた瞳で眺めていた人たちに、いきなり振り向き、
「僕はこの焔に脅されてやったんです!」
 そう言って、男はフードを取らずとも分かるくらいだばだばと涙を流してひざまずいた。


「何!?」
「やっぱりその女が!?」
「見るからに悪人っぽいしな」
「その女の差し金か!」
 口々に好き勝手言いたい事言ってくれる人たち。ついでに言うと、さっきよりも恐怖の色が濃くなっている。

 ―――まてまてまて!一体どうしろってのよ!

「焔はお怒りです!死にたくなければ、金品を差し出すべきです!」
 蒼白になりながら、何故か皆を説得し始める男。
 それを聞き、やはり殺されるよりは、と、あたしの足元に金目の物が積まれて行く。
 しっかし、冷静になって聞いてみると、この男の言葉、支離滅裂もいい所である。理論破綻してるし。
 が、混乱した人間にはそれは伝わらない。

「い・・命ばかりは・・」
 そう言って、最後の金貨がじゃら、と足元に落とされた瞬間、


「眠誘術(スリルスピア)」

 いつの間に印を結んだのか、男が術を開放する。
 途端に、目の前に居た人々がばたばたと倒れ伏し、寝息を立て始める。

「これでよし、と」
 呟いてあたしの足元に積まれた金貨やらを、どこから取り出したのか、麻の裏打ち布の袋に無造作に突っ込んでいく。
 そしてそのまま店内を出て行く。

「ちょ・・ちょっと!」
 呆気に取られていたあたしは、一歩遅れて男の後を追った。











「待てって言ってるのが分かんないの!?」
 すたすたと勝手に歩いていってしまう男の後を、走って追いかける。
「あんた、一体どーゆーつもりよ!?」
「つもりとは?」
 別段歩を緩めるでもなく、男は自分のペースで歩きながら、フードの奥の瞳をこちらに向ける。
「あたしを焔呼ばわりして、悪事の片棒担がせて、挙句の果てにお宝は全部あんたが持って行っちゃうっての!?」
 あたしより20cm位高い男の足に合わせるには、どうしてもあたしが早足にならねばならない。
 ちなみに、文句があるうちの最後が本音だって言うのは秘密。
「あ、お金欲しかった?」
「それもあるけどそうじゃなくて!」
 あたしは素直に認めつつ食って掛かる。
 あくまでのほほんとはぐらかそうとする男の袖を掴んで、無理やり立ち止まらせる。
 気付くと、いつの間にやら繁華街から離れ、裏道のそのまた奥にある原っぱまでやって来ていた。


 あたしは男を見上げて、険しい表情で言う。
「あたしが焔だって、何でそんな事言ったの」
「まずかったですか」
「当たり前でしょう?」
 苦笑して頬をかく男に、あたしは改めて眉間にしわを寄せる。

「『焔』ですなんて言われて喜ぶ奴なんて、そうそういないわよ」
「すいません。でも、もしかしたら本物かも、と思って」
 その髪の毛と瞳の色が。
 男はちっとも申し訳ないと思ってない様な口調で言った。

 しかし―――


「・・・あたしが、本物の焔だったら、どうしてたって言うのよ?」
 あたしの問いに、男はやはり僅かに覗く唇に薄い笑みをたたえたまま、
「それはあなたには関係の無い事」
 そう言って、唇だけでにこりと笑った。


「とにかく!」
 あたしは再びいつもの調子に戻って、男に向かって手を差し出す。


「分け前、よこしなさい」


 くっきりすっぱり言ってのけたあたしに、フードの奥の瞳が、明らかに苦笑した。

 そして、「仕方ない」と言う様に肩をすくめ、例の袋を開けるためにしゃがみこむ。
 それに習って、あたしも一緒に男の向かいに座り込んだ。
 きらり、と、太陽に反射して一瞬何かが光った気がした。

「――?」

 男は下を向いて、戦利品の仕分けをしている。
 あたしは何故か、
 何故か男のフードに手を伸ばし――

 許可も得ずに、男のフードを剥ぎ取った。


「――あっ!」
 
 男が驚きの声を上げてフードを押さえようとするが、時既に遅し、である。
 あたしが剥ぎ取ったフードは、手の中で風にはためき、男の頭髪が風に攫われる。



 一瞬、目を疑った。




 風にたなびく、真白い頭髪。




 初めて見る色だった。

 男の色素の薄い瞳が、初めて目にするその整った顔立ちが、一瞬にして歪む。
 そう、まるで、見られてはいけない禁忌が解き放たれてしまったかの様に。


「・・・・あたしの緋色の髪と目も珍しいらしいけど、あんたのは別格ね」
 男の動揺をよそに、あたしはまじまじとその髪の毛と瞳に見入る。

「・・・驚かないね」
「十分驚いてるわよ。こんな珍しい色」
「そうじゃなくて・・」

 ―――分かってる。
 男が何を言おうとしているのか。
 
 この色は、「魔に魅入られた者」への称号とも言うべき色。
 皆に忌み嫌われる、色。
 それは、この色を持つ者が、強大な魔力を誇る事と、もう一つ。
 その力が、世界すら滅ぼしうる力であると言う事。
 それは、その強大な魔力の暴走により、実現されてしまう悪夢。

 それ故に、「魔に魅入られた者」は、生れ落ちたその瞬間に、闇に葬り去られるのがこの世界の「絶対」である
 この色を保持したまま、生きている人間など、いるはずがないのだ。

「あなた、強いでしょ」
「・・・・・どうかな」
 最早口調すら変わっている。
 最も、こちらが本来のこの男なのだろうが。
 悲痛な面持ちである。どこか、寂しささえ見えそうな瞳で。
「焔を探しているの?」
「・・・・」
「焔を見つけたらどうするの?」
「・・・・」

 はぐらかされてる。
 でも、それも最初から分かっていた事だ。

 生れ落ちた瞬間に消されるはずの「白」の保持者が、生きて目の前にいる。
 と言う事は―――


 あたしは静かに苦笑して、唾を飲み込み、口を開く。


「あなたには焔が必要なのね」

 男が目を見開いた。
 何も答えなかったが、あたしにはその男の反応だけで十分だった。

 男が何を目的にしているか、分かってしまったから。
 しかし――



「一緒に行ってあげるわ」

 男の顔を無理やり持ち上げて、同じ目線にしてその視線を絡め取る。

「あたしが一緒に行ってあげるわ」

 微笑んでやったりとか、慰めてやったりとか、そんな事は一切せずに。
 ただ、真っ直ぐに男の目を見て。

「でも・・」
 男が口を開きかけるが、それを制して言う。
「分け前、もらったしね。それに」
「・・・それに?」
 問いかける男に、今度はあたしが口をつぐんだ。
 男もそれ以上聞こうとはしなかった。



 あたしの運命。
 あたしの使命。
 信じていなかった。
 信じなかった。
 でも、目の前にこの男が存在するならば―――


 あたしはもう一度、駄目押しの様に男に向かって言う。



「このあたしが、一緒に居てあげるわ」



 睨む位の目つきだったかも知れない。
 ただ、あたしはこいつを見つけてしまった。
 離れる訳には、行かない。

「君は一体・・・」
「返事は?」
 何か言いたげな男の言葉を遮って。

「へ・ん・じ・は?」
 畳み掛ける様に、含み聞かせる様に、しっかりと。




「――――――はい」
 力にごり押しされて、訳が分からぬまま返事をする男。
「よし」
 言ってあたしは右腕の甲部分を、男の胸にとん、と軽く当てて、



「ローディアよ」
「シリウスだ」


 ――天空に輝く白刃の、シリウス、ね。
 何とも皮肉な名前だ。

 そんな事を思いながら、あたしは立ち上がった。

「動き出した・・・かしら?」
 誰にも聞こえないように、小さく呟いた。





 これがあたし達の出会いだった―――

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■innocence  ―序章―  ■




 風が吹き荒れていた。
 草原である。
 言い方を変えれば、荒野、と呼べなくも無い。


 そう、これは必然。
 どんなに偶然と思える事も、今このあたしが置かれている状況の中では、全て必然なのだ。


 この吹きすさぶ風も、
 怪しくなって行く雲行きも、
 眼前に広がる草原も、
 そこに現れた下級魔族の群れも。


 そして、それに立ちはだかる彼も。


 全ては仕組まれた必然。
 逃れられないカイロス。
 動き出したのだ。
 全てが。
 世界が。
 音を立てて。
 人知れず。


 破滅への道標と共に――







「黒龍炎(ブラド・ラグア)!」
 あたしの放った一撃が、一匹の下級魔族(ヴァルジャ・デーモン)に直撃、肉薄する。
 咆哮を上げる下級魔族。
 しかし、まだ致命傷には至らない。

「水崩覇(アクア・ブラス)!」
 シリウスが広範囲攻撃型の水系列の呪文を解き放つ。
 槍状の放たれた水が、目標物全てを目指し、風を切る。


 ざしゅざしゅずしゅ!

 彼の放った一撃を、まともに食らう下級魔族達。
 さすがに広範囲呪文を避ける術は持っていないようである。
 しかし、下級と言えども魔族は魔族である。
 その厚く覆われた皮膚は、普通の物理攻撃は受け付けないようになっている。
 精霊媒体の物理呪文では、ダメージはほぼ皆無。

 しかし、内側には物理攻撃でも効く!


「重雷轟陣(アレク・ヴォルド)!」

 腰に仕込んだ短剣を抜き放ち、その剣に雷系列の術をかけ、地面に突き立てる。

「グシャアア!」
「ゴルギャアア!」
「シギャア!」

 思い思いの断末魔の声を上げ、内側から四散していく下級魔族達。
 
 水の呪文によって濡れ鼠になっていた状態に、電気が走ったとしたら・・
 感電するのは、目に見えている。

 勿論、普通の威力の術では力量不足。
 あたしはちゃんと術を増幅させておき、尚且つアレンジを加えて剣を媒体に、奴らの体内に術が入り込むようにしたのだ。
 それで、この様な見事な圧勝となった訳である。


 ――キンッ。

 小さな音を立てて短剣を鞘にしまう。
 前髪をかきあげて彼を振り返ると、やっと安堵したように小さく笑った。

「ナイスフォロー、ね。助かったわ。ありがとう」
「か弱い女の子一人で戦わせる訳に行かないでしょう。男として」
 雲行きが本気で危うくなってきている。
 そろそろ、一雨来るかもしれない。
「か弱い自覚はないんだけど?」
「そりゃそうだ。君は僕なんかより全然強い」
 あたしは軽く眉をひそめて、右手の拳を彼に向かって放つ。
 彼はひらりと身を翻して、片手でその拳を受け止める。

 ―パシ。

 拳が掌にすっぽり包まれた瞬間、乾いた音がした。


 ――ぱた。

 まぶたに冷たい物を感じて空を見上げる。
 本格的に暗くなった空は、まだ日が昇っている筈の時間なのに、夜のような色をしていた。
 その黒い雲から、ぽつりぽつりと大粒の雫が落ちて来る。

「――急ごう」
 彼はそう言うと、間近に迫った待ち目掛けて走り出した。
 あたしも無言でその後を追い、すぐに彼の右隣に並ぶ。
 ぱたぱたと身体に落ちていた雨粒が、彼の横まで来た頃には感じなくなっていた。
「―?」
 不審に思って瞳だけを動かして上を見てみると、無言でマントであたしの頭上を覆っていてくれた。
 彼に視線を移しても、真っ直ぐ前を見ているだけである。
「・・か弱くないって、言ってるのに」
 彼にも聞こえないくらい小さく呟いた。
 まだ誰も気付く事の無い、複雑な想いを抱えながら。
 恐らくその時のあたしの表情は、かなり険しかったに違いない――







「取り合えず、『焔』に関する情報を集めた方がいいわね」
 街まで走り付いて、商店街の軒先の屋根の下。
 恐らく夕立だろう雨は、今が最盛期とばかりに勢いを増している。
「君は、どうして・・・」
 彼が浮かない口調で、降りしきる雨を見つめながら言った。
「だって、焔に会いたいんでしょ?あなた」
 ショルダーガードについた水滴を、無駄な抵抗と分かってはいても手で払った。
「それがどういう意味か、君は分かってるの?」
 濡れたフードが煩わしいのか、ちょっとしかめっ面をして目深にかぶり直す。
 いっそ、堂々と顔を出していた方が目立たないんじゃないだろうか、なんて無責任な考えが頭をよぎる。
 まあ、禁忌をひけらかして歩くのは、どう考えても好まないらしい事は確かだった。
 最も、堂々としていた所で虐げられているのは目に見えているのだから、懸命な措置、と言えるだろうが。
「意味なんかどうでもいいのよ。あなたが焔に会いたいなら、あたしはそれを実現させるまでよ」
 
 白んできた空に、いい加減雨粒を落とすのは止めなさい。
 なんて、心の中で思ってみたりして。


 肩と肩とが触れ合っている距離。
 これは、あたしと彼にとってはお互い近すぎる距離。


 早く雨よあがって。
 あたしをここから抜け出させて。


「君は、どうしてそんな事をするの?」
 いつの間にか、フードの中の瞳があたしを捕らえていた。
「君にとっては、全く関係の無い事なのに、何故・・?」
 あたしは一瞬彼の視線を捕らえ、すぐにまた空に目を移す。
 そしてそのまま、彼の顔を見ないように言った。
「それが、あたしの仕事だから」
「・・・仕事?」
 彼が眉をひそめ尋ねる。
「そう、仕事」
「それは一体・・・」
 明確な答えを避けるあたしを、不審がる様な、訝しがるような雰囲気で眺める。
「やらなきゃいけないの」
 あたしはわざと明るい声で言った。暗く、落ち込んでいたってどうしようもない話なのだ。
「それが決まりなの」
「決まり?決められているから僕と一緒に?」
「そうよ」
「じゃあ、君の意思は?」
 こんな状況でも、あたしみたいな人間の心配すらしてしまう。
 彼が、哀れに思えた。
 あたしはわざとふふん、と鼻で笑って、
「あたしが人の指図だけで動くと思う?あなたに手を貸す、それがあたしには妥当に思えた。だから今、こうしてここにいるの」
「でも、君の自由は・・・」
「ローディア」
「え・・」
 彼の言葉を遮って、あたしはあたしの名前を、声を張って口に出す。
「君、じゃなくてローディアよ。呼びにくかったら、ロードでもいいわ」
 光が天かこぼれて来る。見上げると、いつ止んだのか、もう雨は残ってはいなかった。
「ね、シリウス」
 あたしは彼の方を振り返り、にっこり笑って見せた。
 髪の毛を濡らしていた雫が、振り返った瞬間宙に舞う。
 その雫が太陽に反射してきらきら輝いていた。


 ――綺麗――


 なんて、ガラにもなく思ったりして。
「これからはあたしがあなたの名前を呼んであげる。だから、あなたもあたしを名前で呼んで」
 フードの中の真白い髪の毛を、さらり、と指でなぞる。
 頼りなさげな瞳が、今にも泣き出しそうな色をたたえているような気がした。
 あたしは彼の頬を両手で挟んで、
「ね、シリウス」
 そう言って笑った。
 彼は、そろそろと何か壊れ物にでも触るかのように、ゆっくりゆっくりと、あたしの手に触れて微かに微笑した。
「・・・ローディア・・・」
 フードの中の瞳に、心配ないよ、と微笑んであげる。
 それで彼が安心するのなら、あたしは何度だってこうして笑ってあげよう。



 あたしは遥か地平線を眺めた。
 さあ、悪夢の始まりだ―――

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■innocence  ―唯一無二―  ■




 暗闇の中で声がする。

「来い、早くこちらへ」と。

 誰の声なのか分からないし、知りたいとも思わなかった。でも、その声は執拗に僕を呼ぶ。

「来い、早くこちらへ来い」

 言い知れぬ不安が胸中に拡がる。
 逃げても逃げてもその声からも、この暗闇からも逃れる術は無い。
 それは分かりきった事だ。

 でも、逃げ出したかった。

 ここから。
 この場から。
 この運命から。

 生きたい、と、願ってしまったから。
 だから、抜け出したかった。この絶望の地から。


 僕は見つけてしまった。唯一無二の光を。


 彼女こそ、僕を照らし出す光。
 暗闇に伸びる一条の光。
 彼女は気付いてはいないだろう。

 僕が君と出会って、どれだけ救われたか。
 僕が君と出会って、どれだけ満たされたか。
 僕が君と出会って、どれだけ絶望したか。


 君は、知らない―――


 願わくば、少しでも、少しでも永く、このままで―――


 僕自身が、破滅の音を立てて『覚醒』する、その時まで―――







「シリウス?」
 名前を呼ばれ、意識が瞬時に覚醒する。額には汗の雫が浮いている。
 別段寒気を感じた訳ではないのに、一瞬身体が震えるような感覚に襲われる。
「白昼夢でも見たの?」
 あまり表情を変えずに彼女は、僕の顔を覗き込む。
 緋色の髪の毛が、ぱさり、と一房なびいた。
「――大丈夫、寝ぼけただけみたいだ」
 極力平静を装って、笑ってみた。フードをかぶり直そうとして、彼女と二人きりの時はフードを外している事に気付き、手が宙を彷徨う。
 一瞬、彼女の目つきが鋭く眇められる。
 そしてそのまま、僕はあっという間も無く組み倒されてしまった。
 有無を言わせぬ鮮やかな手つきは、流石、「あたしは強いわよ」と自負するだけの事はある。
 街道沿いの草原。誰も居ない、二人だけのこの場所で、僕は抵抗する間もなく、仰向けに倒されている。

「うそつきね」

 鋭い瞳のまま、彼女が言う。僕の隠蔽した言葉や態度を透かし見る様だ。
「・・・男の上に馬乗りってのは、僕に犯して欲しいって事?それとも、君は主導権握りたいタイプ?」
 いつもの軽口。
 真意を見せないように、見せなくて済むようにする為の、どうでも良いような台詞。
 しかし、彼女にはあまり効果は無いらしい。

「あなた、うそつきね」
「・・・そうかもしれないな」

 馬乗りになったまま、彼女の細い指が額の汗を拭う。
 あまりに自然に、しかも唐突に触れられて、思わず目を見開いた。
「汗だくよ」
「うん」
 何とも間抜けな返事だ、と、少し経ってから気付いた。
 彼女はそのまま、僕の髪の毛をかきあげ、額に一つキスを落とした。
「怖かったのね」
「何を・・・」
「怖かったのね、シリウス」
 憐れむでもなく、慰めるでもなく。
 ただそこに在る、君。


 ―――敵わないな―――


 僕のどんな虚勢も、君の前では無駄な足掻きだ。
 彼女はとて誠実で、自分に正直で、まるで僕とは正反対だ。

 真っ直ぐ、前だけを見ている―――

 未だに僕の上に乗ったままの、小さな彼女を抱き寄せる。
 大して重さも感じない様な小さな彼女が、こんなにも僕を掻き乱すのかと思うと、悔しくすらなる。

 僕はそのまま、ぼやけそうになった自らの視界を塞ぐ様に、或いは彼女にそうと知られない様に、彼女の桜色の唇を、半ば強引に塞いだ。
 一瞬目を見開いた彼女は、徐々にその体躯から力を抜き、瞼を落として、その長い睫毛を微かに震わせた。


 何故―――


「何故、拒まない・・?」
 唇を離し、頬を僅かに紅潮させる彼女に問う。
「逃げて欲しかったの?」
「いや」
「じゃあ良いじゃない」 
 僕は彼女を解放しようとはせず、もう一度同じ台詞を口にする。
「何故、拒まなかった?」
「拒む理由が無いからよ」


 あたしは白銀の巫女だから。


 そう言って、彼女は微笑んだ。
 何故か、何故か僕は怒りの様な物が込み上げて来て、乱暴に彼女を押し倒し、貪る様にその首筋に紅い跡を付ける。
「ちょっ・・・シリウス」
「ならば」
 彼女の言葉を遮って、低い声で呻く様に。
「今ここで僕が君を抱いても、君は拒まないとでも言うのか」
 何に対しての怒りなのか、憤りなのか、自分でも明確には表現出来なかった。


 ただ、目の前の彼女に、ひどく苛立っていた。


「何故、そんな無防備でいられる?何故、そんなに僕を信用する?何故、僕に手を差し伸べる?何故、何故・・・」
 すっ、と伸びて来た彼女の手によって、僕の言葉は途切れる。
 そのままその白い手は、僕の頬を引き寄せ、いつの間にか涙を溢れさせていた両の瞼に優しく唇を落としてくれる。

「汚い顔ね、美人が台無しよ」
 そう言って、笑う。
「全く、大の大人が女組み倒す時にちょっと抵抗された位で、わんわん泣かないでくれる?こっちが恥ずかしいわ」
 そう言って、笑う。
「あたしを抱きたかったら抱いていいのよ。それであなたの気が楽になるなら。でもね、こーんな色気もムードもへったくれもない所でなんて、あたしはごめんだわ!」
 そう言って、笑う。
 満面の笑みで、僕を見つめる。
 あまりの彼女の眩しさに、瞼を閉じ、顔を俯ける。
「なあに?立ち上がらせてもらえないと起き上がれないっての?涙も拭いてもらわなきゃダメだっての?全く、とーんだ甘えん坊さんだこと」
 口調は荒いが、優しい声だ。

「――ねえ、シリウス」
 彼女が、座り込む僕の正面にしゃがみ込む。
 背けた僕の顔をぐいっ、と自分の方に向かせると、両手で涙を荒っぽく拭ってくれる。
「嘘をつくと、ついた本人が一番苦しいのよ。でもね、あなたが苦しまない嘘なら、いくらついても構わない。だって」
 そう言って彼女は一端言葉を切り、僕の目をじとーっと覗き込み、にやりと笑う。


「だって、あたしにはあなたの嘘なんて、ぜーんぶお見通しだもの。ね」


 ―――敵わない―――


 多分君には、一生敵わない。
 声を上げて笑いながら、僕を引っ張って立ち上がらせる。
「手のかかるおぼっちゃんだこと」なんて、皮肉もちゃんと忘れずに。


 憎たらしい位に。


「僕は君なんか大嫌いだ」
 俯いて言った僕に、彼女は満面の笑みで、
「うそつき」


 憎らしい位に、愛しい。


「本当に、大嫌いだ」
「嘘ね」
「本当に嫌いだ」
「ほら、またうそ――」
 言いかけた彼女の唇を、再び容赦なく塞ぐ。
 彼女は目を閉じ、片手で僕の袖を掴んだ。
 目を開けると、ふて腐れた様な彼女の顔。
「何怒ってんの」
「ムードが無い」
「そりゃ申し訳ない」
 上目遣いで睨んだまま、彼女は憮然として続ける。
「さっきのファーストキスと言い、今のセカンドキスと言い、全然ムード無い。シリウス最低」
「あら、初ちゅ―だった?」
「残念ながらそうよ」
 不満げに顔をちょっと赤らめたまま、唇をとんがらせる仕草をする。
「そりゃ申し訳ない」
「そう思うんなら、どうにかしてよ、このあたしの不満を」
 言われてしばし思案する。
 そしてぽん、と小気味のいい音で手を打って、
「じゃあ、お詫びに毎日ロマンチックに素敵なキスをしてあげよう」
「は?」
「毎日毎日、数え切れないくらい」
「え?」
 にやついて言った僕の言葉を本気と気付いたのか、強張った笑顔のまま、数歩後退る。
「う・・うそよね?今の」
「おや、僕の嘘が見抜けるんなら、今のが本気だって分かるでしょ?」
 にっこにこしながら、彼女に近付く。
「う・・うそってことに、しといていい?」
「ダメ」
 引きつる彼女。
 微笑む僕。
 逃げ出そうとする彼女を片手で制し、顎に手を添えて三度唇を奪う。
 何だか「んーんー」だのと抗議の呻き声を上げているが、敢えて気にしていないかのように振舞った。
 彼女が本気を出して抵抗すれば、それそこ一瞬で勝負なんてついてしまうのだから。

「っぷは!」
 呼吸を忘れていたのか、唇を離した瞬間に一気に息を吐く。
「ヘンタイ」
 真っ赤な顔のまま、僕を睨みつける彼女。
 でも残念。そんな顔は逆効果。
「あれ?知らなかったの?変態ついでに鬼畜デビューもしてみようかな」
「ちょちょちょちょ待ってシリウ・・・んむー!!」
 三度ある事は四度ある。
 くつくつと笑いを喉の奥で飲み込む。


 何て愛らしい。
 何て愛しい。


 愛してるなんて、言えない。言える訳が無い。
 君がこの先生きて行く上での足枷にしかならないから。

 だから、君に愛してるとは告げない。

 その代わり、毎日君にキスをしよう。
 君が受け入れてくれる限り、毎日君を抱き締めよう。


 後ごく僅かの時間しか、残されていなかったとしても。



 毎日、君を想おう―――



 君と出会って、僕は救われた。
 君と出会って、僕は満たされた。
 君と出会って、僕は絶望した。



 それこそが罪。
 僕こそが罪人。



 ならば、この想いを永久に、君へ。





 ローディア。
 唯一無二の、君へ。

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■innocence  ―癸―  ■




 ぶっちゃけます。
 昨日、シリウスが暴走しやがりました。
 一応止めてあげようと思って、どたまを一発ゲンコでぼこ殴ったら、あっさり気絶しちゃいました。
 全く、迷惑な話よね。
 以上、報告終了。

 ってな訳で、あれからしばらく経過しても、あたし達は平和で平平凡凡な日常を送っているのだ。
 それが良い悪いに関わらず、ね。



「・・・・・後ろ頭がズキズキするんですけど」
「あらやだ偏頭痛?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 青い顔したシリウスが、あたしの必殺技『全部無かった事にしよう』作戦に負け、不満そうに口をつぐむ。
 そしてそのまま、普通ならあたしの耳には届かないような小さな声でポツリと呟く。
「狂暴凶悪ドドンパ娘」
「なあんですってえ!?」
 常人には聞こえないだろうボリュームでも、いかんせんエルフ並に耳の出来が宜しいあたしには聞こえてしまう。
 しかも最後のドドンパ娘って何よ、ドドンパ娘って!
 叫びついでに軽く本気で張り手をかましておく。
 軽くなのに本気とゆーとこに突っ込みとか入れないでね。あたし機嫌悪いから。
 それでシリウスはぶっさいくな顔ながらも、今度こそ本当に口をつぐんだ。
 全く、どっちにしろ世話のかかる。
「その程度で済んだんだから、むしろ感謝して然るべきだとあたしは思う訳よ」
 あたしは偉そうに両手を腰にやって、『ふふん』とやってみせるが、タッパのある彼の横ではどうも様にならない。
「そりゃそうかも知れないけど、もう少し愛があっても…」
「愛なんて無い」
 はっきりきっぱり気持良いくらい言い切ったあたしの台詞に、シリウスは本気でちょっと涙目になる。
 でも放置。
 いちいち付き合ってらんないわよ、全く。





 昨日の事だ。
 彼の風貌もあって、あたし達は人目につきにくい山道を進んでいた。
 行き先は、魔導に関する資料で揃わない物は無いと言われているくらい魔導関係のもろもろが充実している国、このイエスティア大陸の南に大きな領地を抱えるトルメディナ帝国。
 で、そのトルメディナ帝国を目指しながら、不本意ながら山道を。
 まっすぐ街道を行けば楽チンなのだが、そこはそれ、事情が事情なので致し方ない。
 夜になり、より一層深さを増した様に感じられる森の中で、あたしは火の番をしていた。

 そこで事もあろうに、いきなり襲われたのだ。

 人の手の入っていない森の中で、野良デーモンに遭遇する確率はそう低くはない。
 だが、明らかに自分を標的とした暗殺者集団に襲われる確率は、全うに生きていればそれこそ皆無である。
 なのに、あたしは襲われた。
 自慢じゃないがあたしは人の道に外れる様な事はしていない。
 一回もない。
 ないったらない。
 あたしはあたしなりに全て合理的かつ人道的に生きているつもりなのだ。
 ・・・・・・異論はさておき。
 暗殺者集団はなかなかの使い手だったらしく、あたしは追い詰められていた。
 普段なら大技一発でジ・エンドなのだが、木だらけのこんな場所で大技なんぞ出したら、一緒にあたしもオダブツである。
 そんなこんなで苦戦していると、彼が―――



「ローディア?」
 一気に思考の波から引き戻される。
「どうした?」
 見上げると、もはや見慣れてしまった彼の顔があった。
「なんでもないわ」
 あたしは笑みを作りながら答える。
 一つ伸びをして、山中の清々しい空気で肺をいっぱいにする。
 今夜も星が綺麗に見えるだろうか。
 昨日の晩の様に―――。



 昨日、彼は。
 彼は。
 暗殺者に襲われて危険な状態のあたしを見て。


 ―――自我を失った―――


 少なくとも、あたしには、あたしの目にはそう映ったのは間違いなかった。
 狂った様に奴らに襲いかかって行き、あっと言う間、本当にあっと言う間で、
 敵は全滅した。
 文字通りの全滅である。
 息のある者は、誰一人としていなかったのだから―――





「僕はさ」
 彼が黙りこくったあたしを気にする様に声をかける。
「何故この『白』が良くないモノとされているのか、実際は良く知らないんだ」
 人気の無い山中、彼はずっとフードを外したまま、その長く綺麗な真白い頭髪を風にたなびかせている。
「誰も理由を教えてくれなかった。父であった人も、母であった人も」
 一房髪の毛を掴んで眺め、
「一体何がいけないのかな?どう思う?ローディア」
 苦笑した様に問掛けてくる。
 あたしにはそれが、『どうして生きていてはいけないんだと思う?』と聞かれた様な気がして、言葉をつかえさせてしまった。
「僕の存在そのものが、僕以外の人間の脅威になるんだよね。だったらいっそ」
 哀しそうに、でもどこか安心したように目をすがめて、
「消えてしまえば良いのかな?どうなんだろう」
 一向に言葉を返さなかったあたしを責めるでもなく、自分の考えを唇に乗せるかの様にとつとつと語る。
 しかし、
「消えるなんて出来ないわよ。出来るのは、せいぜい死ぬ事くらい」
「…え?」
 唐突に話に参加したあたしに対してではなく、恐らく言葉の意味を図りかねてだろう。
 一瞬歩みを止めて振り返る。
「消えるってのは、存在そのものが無かった事になるって事じゃない?あたしの中のあなたも、消えてしまうって事でしょう?そんなの無理よ」
彼は黙ってあたしの次の台詞を待っている。
「人間に出来るのは、せいぜい自分から『死ぬ』事くらいなもんよ。『消える』なんて芸当、出来っこないんだから。だって、今現在此処に貴方と言う存在は『在る』でしょう?だから、よ」

「そんなもんかな、人間なんて」
「そんなもんよ、人間なんて」

「ローディアがそう言うなら、そうなのかも知れないな」
 何故か少し満足そうに言う。あたしはわざと眉を跳ね上げて、
「あんたちょっとは自分の意見とか無い訳?そんなんだとそのうちどっかに売り飛ばされちゃうかもよ?」
「あはは」
「あははじゃないっつーの」
 努めて明るく返すあたしに、本気で笑っている彼。
 ああ、出来れば彼に時間がありますように。
 少しでも長く、彼に平和がありますようにと、密かに願った。

 刹那―

 辺り一帯に言い知れぬ「気」が充満した。
「・・・何よ、これ・・・」
「さあ・・敵意がある様には、感じられないけど・・」
 あたし達は打ち合わせも無いままに、自然と背中合わせになる。
 そしてそのまま神経を張り巡らせ、この如何とも言い難い気配を探る。
 シリウスが「敵ではない」と言ったのは、こんなあからさまに気配を駄々漏れさせているからである。
 こんな森の中、敵であるならば気配を殺して近づくのが得策だからだ。
 しかし――
「シリウス、あんた一体何したの?」
「僕のせいな訳?どっちかって言うと普段の素行からして君のせいじゃ・・」
「うっさいわね!あたしは自分自身に対しては清く正しく誠実に生きているつもりよ!」
「んな無茶苦茶な・・」
「しいっ!」
 いつもの様に始まってしまった漫才を無理矢理遮断する。
 あたしは静かに腰に差したロングソードを抜き放ち、右手に力を籠める。
 ――かちゃり
 と、ロングソードが僅かに鍔鳴りした瞬間――


「みっつけた!」


 聞き覚えの無い男の声と共に、疾風が吹き荒ぶ。
 地面に散っていた落ち葉が舞い上がり、丁度煙幕の様な状態になる。
「何!?」
「!?」
 シリウスが無言のままマントであたしを庇う。
 尋常ではない風である。
 彼のマントは、風の刃でさっくりと切れてしまっていた。
 なるほど。カマイタチみたいなもんである。
「――一体何の用よ!?」
 諸悪の根源、迷惑の源。
 あたしは目の前に姿を丸出しにしたまま、こちらを見つめる一人の男に声をかける。
「いきなり随分な歓迎じゃない?一体このあたしの何の用?それともこの横の男に用があるの?だとしたらコイツは差し上げるから。あたしは関係ないでしょ。さよーならー」
 捲くし立てる様に一気に言い放ち、生贄羊に見事就任なさったシリウスが唖然と、例の迷惑男が理解に苦しんでいる隙に、とっととトンズラここうと走り出そうとして、


 ざしゅ!


「――待ってもらえると嬉しいなぁ、彼女」
 例のカマイタチで、再び地面にさっくりと見事な切れ口を作って、あたしの足を食い止める。
「君、名前は?」
 あたしは目の前の男から目を離さずに、気を膨れ上がらせたままで。
「レディに名前を尋ねる時は、自分が先に名乗るモンよ。それとも、名乗れないようなお名前なのかしら!?」
「これは失礼」
 あたしはその男を始めてまじまじと眺める。
 年の頃なら十代後半から二十代前半にかけて、と言った所だろうか。
 やや細身で、背もそこそこと言った所である。恐らく、シリウスよりいくらか小さい位だろう。
 水色がかった短髪に、あまり見ることの無い形の鎧の様な物。腰にはこれまた見慣れぬ形の剣が一振り。
 腰に巻いた布をたなびかせて、いたずら小僧の様な顔でこちらを眺めている。
 男はぽきっ、と指を鳴らして、
「申し遅れまして、私、流れの無宿者にございます。ケイニード・ヴォルフェウスと申します」
 ぴっ、と姿勢を正し、素人目にも分かる様な優雅な仕草で、紳士が淑女にそうするように礼をする。
 あらあら、がきんちょっぽいのは見た目だけかしらと思った瞬間、
「ケインって呼んでね♪」
 などとのたまい、おまけに不器用なウィンクまでくれる始末である。
 ・・・・・前言撤回・・・・・
 あたしは仕草とキャラのギャップに、どうしたもんかと頭をかいたのだった。

 そこで彼、ケインが一足飛びであたしに近づき、
「な!?」
「それと」
 抗議の声を上げる暇も有らばこそ。
 あたしはケインに無理矢理腰を抱かれ、至近距離で顔と顔を対峙させるハメになる。
 彼はつり目気味の瞳を細め、真剣な色を含んで、あたしの耳元で囁いた。


「あの彼は、『白銀』でしょ?」


 あたしは目を見開いて、彼を見つめ返した。
 急ぎ印を結ぼうとしたが、口を押さえつけられてしまいそれもまま。ならない
「心配しないで」
 にっこりと笑って、あたしの口を開放する。
 ケインはあたしとシリウスの間で、双方の顔を眺めた後、さも偉そうに言い放った。

「お初に目にかかります。ケイニード・ヴォルフェウス、又の名を『癸』」

 あたしとシリウスの視線が、一気に彼に注がれる。
「流れ行く者を見届ける者、とか言い方は色々あるらしいけどね。ま、そーゆー事です。宜しく、『白銀』、そして――」
 そこで一回言葉を切り、あたしをひたと見つめ、


「白銀の巫女」


 そう言って、また笑った。
 あたしは、軽い眩暈を覚えた。


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■innocence  ―水―  ■




「ま、そーゆー訳で、俺も同行させて貰っちゃうから。宜しく」
 言ってにっこりと笑う。
 屈託の無い笑みである。
 ケイニード・ヴォルフェウス。
 自らを、『癸』と名乗った男。







 あたし達三人は、取り敢えず車座になって座れる場所を確保し、昼間と言えども少々肌寒い山中で、あたしが魔術で起した焚き火を囲みながら座っていた。
「ふんふん、白銀の巫女の彼女が、ローディアちゃん、で」
 つり目を細めて笑いながら、座っているにも関わらず、あたしの肩や腰に執拗に腕を回してくるケイン。
 最初のうちは毎回振り解いていたのだが、それすらも面倒臭くなる程しつこいので、最早放置したまま。あたしは成されるがままである。
 ケインは指さし確認の如く、あたしを指差して名前を確認し、次にシリウスに目線を向けて、
「で、そっちの何か異様に怖い目付きで俺を睨んでるのが、白銀って訳ね」
 と言って、にやりと笑いながら、あたしにべったりとくっ付いた。
「シリウスだ」
 つっけんどんにシリウスが、まともにケインの目を見ずに言う。
 ケインの言う通り、何やら機嫌が悪そうである。
「怖ええ怖ええ」
 ケインはまた目を細めてシリウスを笑いながら、こちらに向かっていきなり身体ごと向き直り、
「なーローディアちゃん、あんな辛気臭いのと一緒に居たらカビ生えちゃうよ?可愛いんだし、すげー俺好みだし、どう?俺の事好きになる気無い?」
 と、一気に捲し立てつつ、しかもどんどん顔が近付いて来て。
「ちょ!待ちなさいケイン!」
「ん~、怒った顔も美人じゃ~ん、そそるかも~」
 ずりずりと下がって行くあたしに、どんどん近寄ってくるケイン。
「待ってってば!ケイン、いい加減に・・」



「いい加減にしろ」



 あたしが皆まで言い終わるより早く、重低音で一喝する声。
 今まで聞いた事の無いその声に、あたしは驚いて動きを止め、シリウスを見る。
 彼は別段何をするでもなく、ただ手を組んだまま座っているだけだった。
 しかし、色素の薄いその瞳が、明らかに怒りを含んでいた。
 その彼の気迫に気圧されて、しばらくケインも大人しくなるだろうと思ったのだが、
「何であんたに指図されなきゃいけない訳?これは俺と彼女の問題でしょ?君関係ないでしょ?折角本気で口説こうと思ってるんだから、邪魔しないでくれる?」
 そう言うと、言うが早いか、あたしの頬に軽くちゅっ、とキスを落とした。
「あ」
「そーれーとーもー」
 あまりに素早く、しかも自然にやられたので、怒るとかびっくりするを通り越して、「あ」の一言で終わってしまった。
 ケインがシリウスに続ける。
「それとも、あんたはローディアちゃんの恋人かなんかな訳?」
「それは・・」
 言い寄られて口ごもるシリウス。
 ケインはざまあみろとばかりに、
「だったら、関係ないでしょ?なあ、ローディアちゃん♪」
 と、こっちを見つめてまた、笑った。
 

 ・・・・・疲れる奴らである。


 と、風が皆無だった筈なのに、中央にくべられた焚き火が、一瞬、揺らいだ。
「――何?」
「へえ、ローディアちゃんもう気付いたんだ。さすがだね」
 瞬時にあたしとシリウスに緊張が走る中、ケインだけが未だに飄々としている。
「昨日の奴らの仲間かしら」
「・・?良く分かんないけど、俺の追っ手だと思うよ」
 言うなりケインは立ち上がり、焚き火の炎を踏み消す。
「面倒に巻き込んじゃったみたいでごめんね。でも安心して。すぐ片付けちゃうから」
 そこまで言うと、背中越しに振り返って、

「大丈夫」

 そうきっぱりと言い放って、すぐに、また前を向いた。
「ローディア」
 呼ばれてあたしは急いでシリウスの元まで走り、戦闘態勢に入る。
「・・・・戦う気?」
「あったりまえでしょ。ケイン一人にやらせる気?」
「・・ま、そー言うとは思ってたけど。釈然とはしないけどね」
 不満そうなシリウスと小声で会話している隙に、ケインは小さく印を結び、放つ。

「氷槍(アイス・ランス)!」

 印の発動と共に、数十本の氷の槍が現れ、ケインが手を広げた半径全体に向かって飛ぶ。
 先手必勝、先制攻撃である。
 気配を殺して潜む敵に、「お前達の存在は分かっているよ」と言う合図でもある。
 次の瞬間、今まで殺していたのだろう気配を解き放ち、一気に飛び出してくる面々、その数おおよそ1ダース。
 その数を確認し、ケインは実につまらなそうに、
「なんだ、こんだけ?甘く見られたモンだね、俺も」
 言うなり、敵陣の真っ只中に向かって走り出した。

「シリウス、援護するわよ!」
「―了解」
 言うが早いか、あたし達も走り出す。

「一人あたり四人でOKね!」
「あーらら、ローディアちゃん、見てるだけでいいのに。危ないよ」
 敵と刃を交えながら、鍔迫り合いの最中にも呑気な口調で答える。
「見てるだけは性に合わなくってね!黒化塵(デスド・ヴァッシュ)!」
 あたしの放った術で、一人目。
「やっぱり優しいんだなあ、ローディアちゃん、でも危ないから退いてていいよ!っと!」
 何とも緊張感の無い、しかし切れ味と太刀捌きは絶妙なケインの逆袈裟で二人目。

「水崩陣(アクア・ブラス)!」

 ちょっと離れた所で、中範囲有効射程の術を解き放つシリウス。
 ひーの、ふーの、これで五人目。
「!!」
 印を結ぶ最中に背後に迫った一人に、ケインの援護の横薙ぎ一閃。
 六人目。

 よっし、これで半分!と思った瞬間、


 ひゃうっ!!


 いかんせん、言葉では形容し難い音が空を斬る。
「ぐっ!」
 あたしは右腕を押さえてたたらを踏む。

「ローディア!」
「ローディアちゃん!」

 同時にシリウスとケインが叫ぶ。
「――大丈夫、このくらい・・」
 言い掛けて膝から崩れ落ちる。
 がくがくと身体が震えて、嫌な汗が全身から噴き出すのがはっきりと分かる。
 あたしは未だ血が噴出している右腕に突き刺さった針を見つけて、一瞬頭の中が真っ白になる。


 ――毒針だ――


 一瞬気を抜いたのがいけなかったのだ。
 あたしは茂みに隠れていた一人に気付かず、まんまとそいつの射程内に入ってしまったのだ。
「くそっ・・」
 呻いて身体を起そうにも、力が入らずただ、もがくだけである。
「貴様らあ!!」
 ケインが物凄い声で叫び、その四肢の速度が増す。
 シリウスが離れた場所で囲まれ、動くに動けないでいる。
「くそ!」
 二人の焦った気配が伝わってくる。
 あたしが悪いのだ。
 あたしが戦力にならなくbなってしまったから、二人に負担が・・・
 ああ、意識が・・
 もう駄目かも知れない・・
 視界が揺らぐ。
 意識が遠のく。
 全てが消える。
 ごめん、婆様。
 婆様―――


 あたしはそこから、真っ白な世界に落ちて行った。
 二人の、あたしを呼ぶ声が、妙に耳に残ったまま。







「ローディアちゃん!」
 まず目に飛び込んで来たのは、ケインのどアップだった。
「・・・・・・・・・うん・・・・・・・・」
 状況が飲み込めないまま、あたしは何とも間抜けな返事を返す。
 どうやらベッドに横たえられているらしかった。
 起き上がるのは億劫で、そのまま視線だけで辺りを窺って見る。
 どこかの宿の一室の様だ。
 あたしが寝ているベッドの他に、ベッドが一つ。
 二つのベッドの間に、小さなナイトテーブルが一つ。
 少し離れた所に、小さめのデスクと椅子がワンセット。
 そのデスクの上に、ランプが一つ。
 それだけしか無い、ごく有り触れた宿屋。
 やっと意識が覚醒して来て、あの時の事に思い当たる。
 無言で右腕に触れると、包帯が綺麗に巻かれていた。
「二人ともごめん。足、引っ張っちゃった」
 ようやく上体だけをベッドの上に起こし、二人に向かって頭を下げた。
「ローディアちゃんは謝る事無いよ。俺が裁き切れなかったのが悪いんだ。申し訳ない」
 そう言うと、ケインは床に手をついて謝った。
 例の飄々とした態度では無い、本気の声で。
「これ、誰が?」
 あたしは右腕の包帯を見つめながら言った。
 ケインは顔を上げると、いささか決まりが悪そうに、
「俺が」
 とだけ小さく答えた。
 傷口も大方塞がっているし、何より、体内に残っている筈の毒気も抜け切っている様だった。
「かなり高度な回復呪文ね。使えるの?ケイン」
「まあ、一応白魔術は一通り。精霊魔術も、一通り」
 あたしの体調がそこそこ良いのを知ってか、二人の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「この際全部言っちゃうけど。黒魔術はそれ程得意じゃない。まあ、ストックはいくつかあるけどね。一番得意なのは白と精霊。ちなみに精霊魔術でのステイタスは」
「水、だろ?」
 ケインの言葉を引き継いだのは、シリウスだった。
 ケインはいささか面白く無い、と言った表情を作り、肩をすくめるポーズをして、
「ご名答」
 と言って、唇を吊り上げた。
「見れば分かる。僕のステイタスも水だ」
「げ、お揃いかよ、やだなぁ」
 あからさまに嫌そうな顔してリアクションするケインに、片方の眉毛を上げて苦笑するシリウス。
「僕だってごめんだけどね」
 そう言うと、二人は可笑しそうに小さく息を吹き出した。
「なんか、あたしがしばらく眠ってる間に、仲良くなったみたいね」
 二人を見比べてそう言うと、二人は口を揃えて一気に、

『そんな事はない!』

 と、見事にハモってくれたのだった。

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