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桃屋の創作テキスト置き場
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■innocence  ―序章―  ■




 風が吹き荒れていた。
 草原である。
 言い方を変えれば、荒野、と呼べなくも無い。


 そう、これは必然。
 どんなに偶然と思える事も、今このあたしが置かれている状況の中では、全て必然なのだ。


 この吹きすさぶ風も、
 怪しくなって行く雲行きも、
 眼前に広がる草原も、
 そこに現れた下級魔族の群れも。


 そして、それに立ちはだかる彼も。


 全ては仕組まれた必然。
 逃れられないカイロス。
 動き出したのだ。
 全てが。
 世界が。
 音を立てて。
 人知れず。


 破滅への道標と共に――







「黒龍炎(ブラド・ラグア)!」
 あたしの放った一撃が、一匹の下級魔族(ヴァルジャ・デーモン)に直撃、肉薄する。
 咆哮を上げる下級魔族。
 しかし、まだ致命傷には至らない。

「水崩覇(アクア・ブラス)!」
 シリウスが広範囲攻撃型の水系列の呪文を解き放つ。
 槍状の放たれた水が、目標物全てを目指し、風を切る。


 ざしゅざしゅずしゅ!

 彼の放った一撃を、まともに食らう下級魔族達。
 さすがに広範囲呪文を避ける術は持っていないようである。
 しかし、下級と言えども魔族は魔族である。
 その厚く覆われた皮膚は、普通の物理攻撃は受け付けないようになっている。
 精霊媒体の物理呪文では、ダメージはほぼ皆無。

 しかし、内側には物理攻撃でも効く!


「重雷轟陣(アレク・ヴォルド)!」

 腰に仕込んだ短剣を抜き放ち、その剣に雷系列の術をかけ、地面に突き立てる。

「グシャアア!」
「ゴルギャアア!」
「シギャア!」

 思い思いの断末魔の声を上げ、内側から四散していく下級魔族達。
 
 水の呪文によって濡れ鼠になっていた状態に、電気が走ったとしたら・・
 感電するのは、目に見えている。

 勿論、普通の威力の術では力量不足。
 あたしはちゃんと術を増幅させておき、尚且つアレンジを加えて剣を媒体に、奴らの体内に術が入り込むようにしたのだ。
 それで、この様な見事な圧勝となった訳である。


 ――キンッ。

 小さな音を立てて短剣を鞘にしまう。
 前髪をかきあげて彼を振り返ると、やっと安堵したように小さく笑った。

「ナイスフォロー、ね。助かったわ。ありがとう」
「か弱い女の子一人で戦わせる訳に行かないでしょう。男として」
 雲行きが本気で危うくなってきている。
 そろそろ、一雨来るかもしれない。
「か弱い自覚はないんだけど?」
「そりゃそうだ。君は僕なんかより全然強い」
 あたしは軽く眉をひそめて、右手の拳を彼に向かって放つ。
 彼はひらりと身を翻して、片手でその拳を受け止める。

 ―パシ。

 拳が掌にすっぽり包まれた瞬間、乾いた音がした。


 ――ぱた。

 まぶたに冷たい物を感じて空を見上げる。
 本格的に暗くなった空は、まだ日が昇っている筈の時間なのに、夜のような色をしていた。
 その黒い雲から、ぽつりぽつりと大粒の雫が落ちて来る。

「――急ごう」
 彼はそう言うと、間近に迫った待ち目掛けて走り出した。
 あたしも無言でその後を追い、すぐに彼の右隣に並ぶ。
 ぱたぱたと身体に落ちていた雨粒が、彼の横まで来た頃には感じなくなっていた。
「―?」
 不審に思って瞳だけを動かして上を見てみると、無言でマントであたしの頭上を覆っていてくれた。
 彼に視線を移しても、真っ直ぐ前を見ているだけである。
「・・か弱くないって、言ってるのに」
 彼にも聞こえないくらい小さく呟いた。
 まだ誰も気付く事の無い、複雑な想いを抱えながら。
 恐らくその時のあたしの表情は、かなり険しかったに違いない――







「取り合えず、『焔』に関する情報を集めた方がいいわね」
 街まで走り付いて、商店街の軒先の屋根の下。
 恐らく夕立だろう雨は、今が最盛期とばかりに勢いを増している。
「君は、どうして・・・」
 彼が浮かない口調で、降りしきる雨を見つめながら言った。
「だって、焔に会いたいんでしょ?あなた」
 ショルダーガードについた水滴を、無駄な抵抗と分かってはいても手で払った。
「それがどういう意味か、君は分かってるの?」
 濡れたフードが煩わしいのか、ちょっとしかめっ面をして目深にかぶり直す。
 いっそ、堂々と顔を出していた方が目立たないんじゃないだろうか、なんて無責任な考えが頭をよぎる。
 まあ、禁忌をひけらかして歩くのは、どう考えても好まないらしい事は確かだった。
 最も、堂々としていた所で虐げられているのは目に見えているのだから、懸命な措置、と言えるだろうが。
「意味なんかどうでもいいのよ。あなたが焔に会いたいなら、あたしはそれを実現させるまでよ」
 
 白んできた空に、いい加減雨粒を落とすのは止めなさい。
 なんて、心の中で思ってみたりして。


 肩と肩とが触れ合っている距離。
 これは、あたしと彼にとってはお互い近すぎる距離。


 早く雨よあがって。
 あたしをここから抜け出させて。


「君は、どうしてそんな事をするの?」
 いつの間にか、フードの中の瞳があたしを捕らえていた。
「君にとっては、全く関係の無い事なのに、何故・・?」
 あたしは一瞬彼の視線を捕らえ、すぐにまた空に目を移す。
 そしてそのまま、彼の顔を見ないように言った。
「それが、あたしの仕事だから」
「・・・仕事?」
 彼が眉をひそめ尋ねる。
「そう、仕事」
「それは一体・・・」
 明確な答えを避けるあたしを、不審がる様な、訝しがるような雰囲気で眺める。
「やらなきゃいけないの」
 あたしはわざと明るい声で言った。暗く、落ち込んでいたってどうしようもない話なのだ。
「それが決まりなの」
「決まり?決められているから僕と一緒に?」
「そうよ」
「じゃあ、君の意思は?」
 こんな状況でも、あたしみたいな人間の心配すらしてしまう。
 彼が、哀れに思えた。
 あたしはわざとふふん、と鼻で笑って、
「あたしが人の指図だけで動くと思う?あなたに手を貸す、それがあたしには妥当に思えた。だから今、こうしてここにいるの」
「でも、君の自由は・・・」
「ローディア」
「え・・」
 彼の言葉を遮って、あたしはあたしの名前を、声を張って口に出す。
「君、じゃなくてローディアよ。呼びにくかったら、ロードでもいいわ」
 光が天かこぼれて来る。見上げると、いつ止んだのか、もう雨は残ってはいなかった。
「ね、シリウス」
 あたしは彼の方を振り返り、にっこり笑って見せた。
 髪の毛を濡らしていた雫が、振り返った瞬間宙に舞う。
 その雫が太陽に反射してきらきら輝いていた。


 ――綺麗――


 なんて、ガラにもなく思ったりして。
「これからはあたしがあなたの名前を呼んであげる。だから、あなたもあたしを名前で呼んで」
 フードの中の真白い髪の毛を、さらり、と指でなぞる。
 頼りなさげな瞳が、今にも泣き出しそうな色をたたえているような気がした。
 あたしは彼の頬を両手で挟んで、
「ね、シリウス」
 そう言って笑った。
 彼は、そろそろと何か壊れ物にでも触るかのように、ゆっくりゆっくりと、あたしの手に触れて微かに微笑した。
「・・・ローディア・・・」
 フードの中の瞳に、心配ないよ、と微笑んであげる。
 それで彼が安心するのなら、あたしは何度だってこうして笑ってあげよう。



 あたしは遥か地平線を眺めた。
 さあ、悪夢の始まりだ―――

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