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桃屋の創作テキスト置き場
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■こんぺいとう 4  あくとあくたーず ■




「そう言えば、今度の十一月、三年ぶりの単独公演やるからね、みんな」


 珠子のその一言で、四日後幕開けの芝居の通し稽古の中休みだったアクションチームメンバーに、歓喜の表情が浮かび上がった。

 時は四月。
 四日後から、劇団いづちの公演に、メンバー殆ど総出演で参加するのだ。
 元々アクションチーム設立時にメンバーだった人間が、演出を手掛けるようになり、そこで立ち上げた劇団なので、旗揚げ当時から同じ舞台に立っている仲間である。
 観客の多くは、アクションチームの面々も劇団員と信じて疑わない程、毎回、劇団公演の際にはアクションチームが参加している。
 設立十三年目のアクションチームと、設立十二年目の劇団いづちの公演は、年を追う毎に人気が広がり、今では小劇場界でそこそこの位置にある。
 お互いトップの年齢は若い為、普通なら考えられないような突拍子も無い事を仕出かすのが受けたらしい。


「もう三年か、早いな」
 汗だくになった千影が、汗を拭き拭き珠子の横に並ぶ。
「年取る訳よね」
「もうババアだもんな、お前」
 本番さながらに動き回った二人の顔には、午後になったばかりだと言うのに、幾分の疲労が見て取れる。
「誰がババアよ」
「そんなん珠子に決まっ・・」
 千影が言い終わるより早く、珠子の蹴りが彼の脛を捕らえ、千影は身体を捻って痛みに耐えた。
 口は災い、もとい、人災の元、である。
「ちかちゃんも、もうすぐ三十路でしょ!」
「・・・」
 八月生まれの千影は、次の誕生日で見事三十路に御昇進なのである。
 珠子はババア呼ばわりされたのが余程気に食わなかったのか、普段以上に千影を苛める事に精を出す。
 紅龍は、そんな二人をまるで無視して、台本に何やら書き込んでいる真っ最中である。
 今更台本に用は無いだろ、と、半ば呆れた様に千影はその姿を、なんとはなしに眺めた。


「輝愛ちゃんがやっと十八歳でしょ?で、ちかちゃんは三十路でしょ?お目出度いわね~ぇ。色んな意味で」
「目出度く無いだろう、別に俺は」
「あーらららやだやだやだ、あたしが言ったのは、『頭の中がお目出度い』って事よ」
 レモンの蜂蜜漬けをぱくり、と口の中に放り込んで続ける。
「一回りも歳違うのよね~大変よね~」
 珠子の冷やかし目線が絡んで、一瞬二の句が継げられなくなる。
「・・それは、いや、違うぞ珠子。お前何か勘違いして・・」


「見ちゃったもんね」


 珠子の台詞に、後ろめたい事等無い筈なのに、ぎくりとするのが、男の悲しい性だろう。
「手、繋いでるの、見た」
 言われて、ようやっと思い当たる。
 輝愛が千影の家に居候、と言うか住み始めて軽く一年以上。彼女のチーム入団の日にせがまれて手を繋いで以来、相手は普通に引っ付いてくるし、二、三日もすると、それが普通になってしまっていた。
 最も、自分は、父親代わりで輝愛に接しているのだから、後ろめたい事等無い筈なのだ。
 しかし、言われて見れば、いい年した自分が、本来まだ高校生程の年齢の娘分に、ご執心と思われても、無理も無い。
「・・ふむ」
 千影は妙に神妙な顔で腕組みなんぞをしている。
 珠子は二口目のレモンを口に上手い事投げ込み、
「あたしですらそんなのしてもらった事ないのに~。ちかちゃんズルイ!!」


「・・・一瞬でも真剣に悩んだ俺が馬鹿だった・・・」
 何の事は無い。
 ただ単に珠子は千影が羨ましかっただけの様だ。
 それで、珠子曰く『良い思い』をしている千影に当たっただけに過ぎないらしかった。
 ここまで来ると、珠子も相当なご執心であると言えよう。


「で」
「まだ何かあんのかよ」
 興味津々の学生時代の様な目で千影ににじり寄り、
「まだ何もしてないの?」
 珠子の言葉の意味を量りかねて、眉間にしわを寄せた後、
「するかあ!」
 やっと意味を理解して、耳元で怒鳴った。
 お前はどこぞのオヤジか!
 黙ってれば美人なのになあ。
 何故か残念そうに再びレモンをぱくつく珠子に、千影は一人、頭をがしがし掻いたのだった。







「ちょっとお腹空いたかも」
「お前なあ、今更何も食えないぞ。せめて一時間半我慢しろ」
「分かってるよ、言ってみただけ」
 上手の袖にスタンバイしている千影と輝愛の会話である。
 現在、とうに衣装に身を包み、メイクも終え、あと五分もしないで緞帳が上がる。
 そう言った状態である。

 最早皆慣れ切ったもので、小声で台詞の練習をしていたり、殺陣の確認をしたりしており、緊張で震えている者等、皆無だった。

 勿論、役者としても殺陣要員としても日の浅い輝愛も、例外では無いらしい。
「幕間に珠子さんから貰ったマシュマロ食べよう♪」
 うにうにと足首回しながら呟く。

「そんなモンで足りるなら、終わるまで我慢出来ねえの?」
「そうはいかないモンなのよ」
「そうなんだ」
「そうなのよ、乙女心は複雑なの」
「乙女関係無えし」

 緊張の『き』の字も無いこの娘分を見て、千影は毎回の事ながらいささか呆れる。
 順応力のある娘だと思ってはいたが、ある意味馴染み過ぎではなかろうか、と言う疑問が頭を掠める事も、まあ、無くも無い。
 それもこいつの性質と言うか素質と言うものなんだろうが。
 でなければ、こんな自分の様な駄目な男と共に生活するなんて、出来なかっただろう。
 拾って助けたつもりが、逆に助けられている結果に、いい年の自分は、苦笑するしか無い。


「まあトーイよ、緊張感持て」
「持ってるよ、十分」
「どうだか」
 そう言う千影も、傍目には緊張感等皆無なのだが。
 しかし内実、毎日毎回、この瞬間は緊張しているのだ。
 でないと、殺陣はすぐさま事故に繋がる。

「何か久々にトーイって言われた」
 輝愛が千影を目線を合わせるために上目遣いになる。
「そうか・・?」
 彼女は首だけでこっくりと『Yes』と示す。
 確かに、最近はおい、とか、お前とかで、呼んでなかったかも知れない。


「もう開くよ。おしゃべりストップ。マイク電源確認して」
 同じく上手にスタンバイした劇団いづちの東盛が、声をかける。
 それとほぼ同時に、会場に幕開けを知らせる音楽が流れる。


 ――ぽん。


 千影は無言で彼女の背中を軽く叩く。
『行ってこい』と言う合図と、『しっかりやれ』と言う激励である。
 輝愛は他の数名と共に、板の上に飛び出して行く。
 袖の、観客にぎりぎり見えない位置で、板の上を伺い、若手の数名の動きをチェックする。


 ・・ま、ぼちぼち、ってとこか。


 千影は幕開けの一連を見守ると、奥に静かに引っ込んで行った。



 およそ三時間の舞台である。
 幕間のわずかな休憩を入れているとは言え、役者達を始め、スタッフ一同疲労困憊である。
 それを一日二公演、大阪、東京と続け、何とか千秋楽までこぎつけた。
 楽日独特の異様に長いカーテンコールに応え、やっと楽屋に戻り、千影はメイクを落としながら、同室の紅龍に話しかける。


「単独公演、マジ?」
「マジ」


 何とも簡潔な会話ではあるが、用件は伝わっている。
「何やるん」
「今嫁さんが考えてる」
「今から書き下ろしは無理だろう。柚木さんに殺される」
 柚木と言うのは、アクションチームの脚本を手掛けてくれている作家である。
 劇団いづちの脚本も主に担当しており、殆ど劇団付きの作家扱いなので、当然、チームとも仲が良い。
「再演だろう。どれやるかは知らんが」
「メンバーも変わってるしな」
「なあ」
 男二人は、仲良くシャワーに向かった。
 
 ・・・まあ、アレじゃなきゃ何でもいいや。

 タオル引っさげながら、千影は心の中でだけ、呟いた。



「・・・で、勇也は一応ココに置いて・・・誰をココに・・あ、茜ちゃんをここにして、で・・」
 着替えも終わり、メイクも落としてすっぴんになった珠子が、わざわざ輝愛達新米の居る控え室にやって来て、何やら紙をにらめっこしながら、ぶつぶつ呟いている。


「何してるんですか?」
 シャワーから帰って来た輝愛が、珠子にミネラルウォーターを差し出しながら、問いかける。
「んー、公演のキャスティング」
 珠子はボトルを受け取ると、唸った顔のまま、中身を喉の奥に流し込む。
「うち、メンバーかなり入れ替わってるからさ」
「再演ですか」
「そう。で、初演当初のメンバー、半分以上居ないから」
 それで、誰をどの位置にするか、考えあぐねている所なのだった。
 輝愛は、髪の毛を拭きながら珠子の横にちょこん、と座る。
「・・ねえ、輝愛ちゃん」
「はい?」
 珠子が例により、意地の悪い微笑を湛えながら。


「大ちゃんとアリス、どっちが女装似合うと思う?」
「は?」


 とんでも無い質問である。
 双方紛れも無い男性で、まあ、紅龍や千影と比べれば線の細い感はあるが、まるっきり男である。


 ちなみ、大ちゃんと言うのは、チーム入団五年、日本舞踊の名取で、幼少からバレエ、ピアノ、能、狂言、その他もろもろを嗜んでいると言う、正真正銘のお坊ちゃま、志井大輔である。
 対してアリスと言うのは、輝愛の一番近い先輩にあたる人物で、チーム在団歴は二年だが、それまでは別の劇団に所属していた。有住浩春の苗字から取って、『アリス』と呼ばれている。


「・・どっちも普通に男の人だと思うんですけど・・」
「そりゃあ、あたしだって分かってるわよ?」
 そこまで言って、珠子はペンを置きを置き、輝愛の方に向き直り、
「でも、紅龍やちかちゃんや、勇也や修太郎が女装したら、気持ち悪いでしょ?」
 輝愛はマジメに、今名前を挙げられたメンツが女装した姿を思い描いてしまい、にわかに顔を引きつらせる。
「ね?だったら一番まともであるだろう二人の、どっちかにしたほうが、無難でしょ。まあ、大ちゃんは女形やる人だから、意外性はないのよねぇ」
 珠子の、聞き様によっては鬼の様な言葉に、輝愛は頭をぶんぶん縦に振るのだった。
「・・・アミダでいっか」
 珠子は再び鬼の様な発言をして、紙にさらさらとアミダくじを書いていった。

「あ、アリスだ」

 ・・・頑張れ、アリスさん・・・
 輝愛は無言で、胸の中合掌したのだった。

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■こんぺいとう 4  あくとあくたーず2 ■




「おはようございまーす」
「はよーす」
 いつもの様に挨拶して、並べられたパイプ椅子に腰掛ける千影。
 その後一瞬遅れて、彼の隣の椅子にちょこんと座る輝愛。
 その二人の後にも、何人かが挨拶をしながら椅子についた。
 全員が着席したところで、演出担当である笹林から声がかかる。
 

 今日は、顔合わせなのである。


 劇団いづちの公演も無事に千秋楽を向かえ、アクションチームメンバーは、ほぼ休む間も無くこの日を迎えた。

「じゃ、配役は――」
 ろくすっぽ自己紹介しないまま進行する。
 まあ、全員が顔見知りなので、必要ないと言えば必要ないのだが、普通顔合わせでは、各自の紹介の様なものを行うのが通例である。
「その前に、今回の演目ですが」
 珠子がいたずらっぽく言う。

 今の今まで『言ってなかったわね』等と言って微笑んでいるが、『言わなかった』のは、この当の珠子である。
「再演になるんだけど、本は書き直してもらいました。演目は『月鬼』でーす」
 珠子が至極、彼女にしては真面目な口調で言う。
 

 瞬間、千影の眉間に、明らかに皺が寄り、肩がぴくりと震えた。


 珠子は千影のその動きを目だけで確認してから、しかし、彼女はそんなもの存在しないとでも言うかのように、順々に配役発表をして行く。
「結構前回の初演の時と、うちもメンバー換わってるから、再演色は薄くなると思うわよ」
 なんて付け加えながら。

「アヤメ役、有住浩春」
「蘇芳役、橋本勇也」
 と、順々に名前を呼んで行く。
「今回座長の月鬼役、前回同様、川橋千影」
 珠子の声に、未だ憮然としたまま、配られた台本に目を落としている千影。

 珠子はその姿を少し苦笑した様に眺めながら、最後に残った役名を口にした。


「ヒロインのつばめ役、高梨輝愛」


「は?」
「!?」
 輝愛が思わず声を上げる。
 千影は最早声も無く、身体を硬直させる。

 無理も無い。
 まだ入団してわずかばかりの輝愛に、ヒロイン、要するに主役級の役を与えたのだ。
 普通に考えれば、異常である。
 そして千影は千影で、別の意味で苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。
「・・・こいつとやるなんて・・冗談じゃねえ」
 千影が一人、そう毒づく。
 隣に座っていた輝愛が、千影の呟きを捕らえ、一瞬、身体を強張らせる。
 千影の反対隣に座っていた橋本勇也が、苦笑するような、何とも言い難い表情で珠子を見つめた。


 ・・珠子姐さん、なかなか酷な事をするよなあ・・


 その勇也の視線に気付いてか、珠子は目を伏せたまま、微かに微笑んだ。

 輝愛はそのまま、膝の上で手を握ったまま、視線を机の上の台本に落としていた。
 彼女は今まで、千影のこれ程までに不機嫌そうな顔は見た事は無かった。

 千影と出会って約一年、彼は口調や態度は冷たい事が多かったが、その視線は、いつも輝愛に向けられていたし、眼差しはいつも暖かかった。

 その彼が今、本気で、嫌悪している。
 その原因が、恐らく図らずも自分にあるのであろう事も、予測するに難くなかった。
 珠子は、発言権を演出の笹林に戻し、その二人の光景を眺めていた。


「もうそろそろ、抜け出しなさい・・」
 誰にも聞こえないような小さな声で、珠子は一人、呟いた。
 


 そしてそのまま別段特別な事も無く、そのまま本読みに入り、お開きとなった。
 本読みが終わり、挨拶が済んだ時点で、各自ぱらぱらと部屋を出て行く。
 珠子が千影に近付いて来て、苦笑した。
 千影は無言で彼女を威圧する様に睨み付け、煙草を口にくわえて、苦しそうに一つ息を吸うと、背中越しに振り向く気配すらなく、
「―遅くなる」
 そう一言輝愛に言い放って、彼女が返事をする間も無く、一人、歩き出してしまった。
 珠子も無言で輝愛の肩に触れ、まるで『大丈夫』とでも言うように微笑むと、くるりと踵を返して、千影の後を小走りで追った。

 一人残された輝愛は、しばらくそのまましばらく佇んだままでいた。







「どうしたのよちかちゃん」
「お前がそう聞くのか」
 さも不機嫌そうにグラスの中身をあおりながら、千影は眉間に寄せた皺を一層濃くして毒づいた。
 二人馴染みのバーのカウンターの席を陣取り、酒を飲んでいる。
 あくまでも、千影がそこそこのピッチであおっているだけで、珠子は自由なペースである。
 決して、『仲良く飲み交わしている』と言える様な雰囲気で無いのは、確かである。
 ぱっと見れば、寡黙な彼氏に付き添う美人な彼女、と言った様な見た目だ。


「なんで」
 千影がグラスを片手にぶら下げたまま、彼女の方を見もせずに言う。
「何で今更やるんだよ」
「今更って言うなら、やっても良いんじゃない」
「お前、以外と残酷なのな」
 千影は額に手を当てて、カウンターに突っ伏す様な形になる。
「ここまでちかちゃんが嫌がると思わなくて」
「相談してくれよ」
「相談したら嫌がるでしょ」
「確信犯じゃねえか・・」
 淡々と語る珠子に、千影はかつての子供時代の様に珠子を上目遣いに眺める。
「本当に、もう平気かと思ったのよ」
「・・どうだか」
「月鬼、やりがいあるし」
「・・それは否定はしない」
 珠子は空になったグラスを弄ぶ。
「輝愛ちゃんにつばめ、やらせたかった」
 ふて腐れた様に言う珠子だったが、目は真剣だ。
「・・・せめてお前がやってくれたら、有り難いんだけどなあ」
「あたしに15歳の役をやれと言うの?」
「無理?」
「無理でしょう」
 千影はそこでやっと苦笑して、カウンターに突っ伏すのを止めた。
「客演とか・・」
「誰に」
「・・・・」
 逆に問い掛けられて、言いよどむ。
 確かに、仲の良い劇団のメンバーは皆、年齢的に千影世代なのだ。
「仕事だから、何とかしてもらえると有り難いけど、無理?」
 珠子が千影の姉の顔で聞いてくる。
 その表情が、何だか無性に懐かしくて、珍しく久々に可愛らしく見えて、千影は再び苦笑する。
「仕方ねえか」
 そう言って、グラスに僅かばかり残った液体を、一気に喉の奥に流し込んだ。
「・・吹っ切れてないのね・・」
「一生無理かもよ?」
 千影は珠子に向かって首を傾げたような格好になる。
「可愛い仕草で誤魔化そうたって、駄目よ」
 珠子は微笑んで彼の額を、指の腹でとん、と優しく突付いた。

「・・・お前と結婚しときゃ良かったなあ~」
 頬杖をついたまま、目の前の姉貴分を見やって、笑う。
「今更何言い出すのよこの子は」
 そう言う珠子も、笑っていた。
「輝愛ちゃんがいるじゃない。あんな純粋でいい子、そうそう落っこちてないわよ」
「あんなガキ相手じゃ、何もする気になれん」
 千影がいささかふて腐れた様に眉を寄せる。
「男も女もいっしょくただぞ?俺の布団に潜り込んで来る様な奴だぞ?手繋ごうが、抱き締めようが、何の反応も無いようなガキだぞ?あんなの相手になにしろってんだ」
「・・・・・・・そんな事してたんだ」
 愚痴った千影の言葉に、輝愛をこよなく愛している珠子の視線が凍る。
「・・・・・・・・・・・・例えだ、例え」
 千影はするりと目線を避けるように、弁解ともつかない弁解を、小声で告げた。
「まあ、良いのかしら。そんな事言ってると、誰かにすぐにでも娘、かっさらわれちゃうわよ?」
「それは嫌」
「わがままだこと」
「男は皆わがままなんだよ」
 千影は三度、苦笑する。
 どうあっても、珠子に勝つ事は、一生涯無さそうだな、等と考えながら。



 会計を終えて、店を出て、駅に向かう。
 珍しく、まだ終電に間に合う時間である。
 珠子は何の躊躇いも無く。千影の腕に自分の腕を絡ませる。
 彼女の癖である。
 この彼女の癖のおかげで、学生時代は何度と無く緊張を強いられたが、今となってはこれも当たり前になってしまったいる。
 亭主である紅龍でさえも、千影と珠子のこの光景を見ても、あまりに馴染み過ぎていて『いつも通り』としか認識しないくらいだ。


「嫌なら、役変えようか?」
「やるよ」


 いつになくはっきりした口調で答えた弟分に、一瞬歩みを止める。
「――どうした?」
 千影も立ち止まって、珠子の顔を覗き込む。
「――何でもないわ」


 いつの間にか、大きくなっちゃったのよね。あたしなんかより、ずっと。


 珠子は微笑みを作ると、再び先程と同じペースで歩き出す。
「酔ったのか?」
「んーん」
 頭を振り、もう随分前に抜かされてしまった身長分、目線を上げ、
「どっちが年上だか、わかんないわね」
「お前美人だからなあ」
 言って、煙草に火をつける。
「何よそれ」
「美人は年齢不詳って事さ」
 千影の台詞が終わるや否や、彼女は真正面から千影に抱きつく。
「どうした」
 一瞬動揺したようだったが、すぐにいつもの彼の口調に、いや、幾分楽しげに彼女を抱き締め返す。


「おんぶして!」
「は?」
「おんぶ!」
 いきなり腕の中で駄々をこね始めた珠子に、一瞬目を見開いて、しかしすぐに瞼を閉じて苦笑して、『仕方ねえ』と小さく言うと、軽々と彼女を背負い上げた。
「ほらほら、とっとと帰るよ!」
「うるせえな~」
 背中でじたばたする珠子に文句を零しながら、しかし、彼の表情は明るかった。
 珠子は、ひとしきり暴れると、千影の首に腕をしっかり巻き付け、瞼を閉じて、彼の背中にくっ付いた。



 本当に、すっかり大きくなっちゃったね。千影。 



 心の中だけでそう呟くと、珠子は愛しそうに千影の髪の毛に頬を寄せた。

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■こんぺいとう 4  あくとあくたーず3 ■




「うん、そこ、もっとこういう感じでやって」
「――はい」
「じゃあ次のシーン先に行こうか。紅龍と橋本入って――」


 稽古場である。
 皆いつものジャージ姿で、しかしいつもの雰囲気とは打って変わって、真剣な表情で稽古に励んでいる。

 結局、千影が役を降りる事も無く、キャスティングに変更のないままの稽古入りである。

 輝愛は稽古場に作られた簡易舞台から降り、他のメンバー達が居る場所まで戻って来た。
 千影は前回同じ役を演じていた事もあり、台詞も前回と同様の箇所も少なくなかったので、すぐさま役に入り込み、座長としてカンパニーを良い雰囲気にしている。
 他のメンバー達も、久々のチーム単独公演で気合が入っており、稽古の進みは順調である。
 殺陣に関しては文句をつける場所を探すのが難しいくらいだが、それでも殺陣返しでは社長・紅龍の厳しい注文が飛ぶ。
  
 全てにおいてただ一人、輝愛を除いてはの話だが。

 どうやっても、『ダメ』、『違う』と言われてしまい、少々――いや、かなりか――へこんでいるのだが、これは仕事であって、学生の部活動やらお遊びの趣味では無いのだ。
 へこんでいる余裕も、実際のところは無い。

「じゃあ輝愛ちゃんと川ちゃん、大輔の三人、抜きで行こうか」
 演出に呼ばれて、板の上に立つ。
 当然ながら、台本を手にしている者は皆無であるが、それでも皆現場に台本を持参しているのは、演出からの細かい指示やら、きっかけ、立ち位置を記入する為である。


 板の上に立った輝愛は、一つすうっ、と小さく生きを吸い込み、流れて来た音に合わせて芝居を始める。


『私は、あんたが恐いなんて思ってないよ』
『―――馬鹿な女だ。死にたいのか』
『つばめ殿、無茶な真似はお止しなさい』


 板の上で三人が芝居を始める。 
 しかし、演出担当の笹林の顔は、終止厳しいままである。
 それは、今回演出助手の位置に居る珠子も同様だった。


 一通りシーンの通しが終わり、笹林からダメ出しが入る。
 個人個人に対して丁寧なダメ出しが入り、日もとっくに沈み切った今日は、これにてお開きになった。

 最も、殺陣担当の千影、紅龍、勇也、珠子は、この後、今日固まったシーンに殺陣をつける為、毎度お馴染み居残りである。
 着替えを済ませ、カバンに荷物を詰め込んで、輝愛は一人、稽古場を後にした。
 千影を待とうかとも考えたが、見るからにそうそう簡単には終わらないだろう雰囲気が流れていて、諦めてそのまま帰路につく事にしたのだ。

「――はあ」
 意識せずとも、溜息が漏れてしまう始末だ。
 帰りの最寄駅までのみ地の利を、一人でてくてくと歩く。
 脳裏に、演出の笹林の言葉が蘇る。


 ――輝愛ちゃん、もっと感情込めて。

 ――もっと表情出して、

 ――しっかり立って、つばめになりきって。

 ――やる気、ある?


 正直、しんどかった。
 やる気はある。当然だ、
 しかし、どうして良いか分からない。
 いつもの様に、他のメンバーと一緒に、名も無いような役で舞台に立っている分には、何も感じなかった。
 いままで、どれだけ自分が他のメンバーに助けられ、支えてもらっていたのか、改めて痛感した。
「とにかく、明日までに今日言われた所は何とかしなきゃ」
 自分で自分を奮い立たせる様に言う。
 それでもこの娘は、後ろ向きに『やりたくない』等と口にするは愚か
、考えもしない所がすごいのだろう。
 とにかく求められるレベルに達しようと、夢中でもがいているのだ。 
 そしてそれが出来なかった場合、プロの世界では通用しないという事も、理解しているのだ。
「頑張るぞっ」
 自分に言ってやって、輝愛は家路を急いだ。







「ん?これって・・」
 帰宅して掃除をしていた彼女の目に、一本のビデオテープが留まった。
 何気なく手に取り、ラベルを見て一瞬息を飲む。


 ――『月鬼』


 確かに、そう書いてある。
 もしかしたら、これが初演の時のテープだろうか。
 だとしたら、何か役に関するヒントが得られるかも知れない。
 はやる気持ちを抑えつつ、彼女はデッキにテープを入れ、食い入るように画面を見つめた。

 案の定、それは初演の時のテープで、恐らく10年前後前のものだから、当然かすれや映像に若干の乱れは見られたものの、鑑賞する分には差し支えは無かった。

 ―――出て来た!

 輝愛はごくりと唾を飲み込む。
 つばめ役、輝愛が今回やるべき役の人間が、画面に映し出されたのだ。
 快活に走り回り、ころころ変わる表情。
 微妙なニュアンスでの芝居。
 内面と外面を一気に感じさせる繊細な大胆さ。 
 ラストで千影を前に涙する彼女の、真に迫った演技。

 どれをとっても、何一つ適わないと思った。
 いや、そう考えるのも、おこがましい。

「あは、カワハシが若い」
 アップになった千影に思わず笑みがこぼれる。
 初演が公開されたのは10年前後も前だから、若くて当然と言えば当然なのだが。
 22、23の千影を知らない輝愛は、不思議な感覚だった。
「それにしても、この人、すごいな」
 思わず呟く程、初演のつばめ役の彼女は、まさしく『つばめ』であった。


 ―――この人みたいにやりたい。


 いつの間にか、目は彼女だけを追っていて、あっと言う間にビデオは終わってしまった。
 時計を見ると、既に2時間半以上経過していたが、居残り組の千影の帰宅は、まだなようである。
「・・・すごかった」

 今度は私が、アレをやるんだ。

 彼女にならなくちゃ。

 輝愛はビデオを元あった棚に戻すと、かばんから台本を引っ張り出し、とりつかれたように読みふけった。







「輝愛ちゃん、良くなったと思わん?」
「な、昨日と別格」
 翌日の稽古場で、若いメンバー達が集まって、口々にささやいている。
 輝愛と一緒に板に立っている人間も、やりやすそうな空気で、稽古が進んで行く。
 千影との絡みも、何事も無く進んで行く。
 最も千影は、連日の殺陣作成の居残りで、少々疲労気味のため、板の上以外での表情は、多少重たかったのだが。


「どうしたの輝愛ちゃん、何があったの?」
 珠子が出番を終えて簡易舞台から降りた輝愛に声をかける。
「昨日と全然違うけど?」
 そう言って、輝愛を覗き込む様に見つめる。
「ビデオ、見たんです」
「ビデオ?」
「初演の時の、ビデオ」
 そう輝愛が彼女に告げた瞬間、珠子の表情が一瞬曇る。
「・・・え、まずかったですか?初演のビデオ見ちゃったの・・」
 一気に不安になった輝愛が、珠子を恐る恐る眺める。
 輝愛の問い掛けに、珠子は一瞬見せた表情を消し、いつもの口調で、
「いや~、出来れば見ないで欲しかったのよねぇ。前回の初演の『なぞり』にはしたくなくって」
「・・すいません」
 珠子の言葉に、しゅんとうな垂れる輝愛。
 珠子はぱたぱた手を振って、
「いやいや、輝愛ちゃんが可奈子の真似にならなきゃ良いだけで」
「かなこ?」
 輝愛の再びの問いかけに、珠子は再び『しまった』と言う表情を作ったが、あまりに短い時間だったので、輝愛に感づかれる事は無かった。
「・・・そう、初演のつばめは可奈子ちゃんって人が演ってたのよ」
 そう言って、いつもの小悪魔プラス女神な笑顔で輝愛に微笑む。
「可奈子、さんかぁ」
 そう呟いて、何やら考え込む輝愛に、
「・・・何か、学んじゃったりした?」
「はい。すごかったです。彼女は、とても『つばめ』でした」
 その輝愛の言葉に、珠子はそれこそ嬉しそうに、
「そりゃ、『つばめ』は『可奈子』だもの」
「は?」
 言葉が少なすぎて輝愛に伝わらなかった事に苦笑し、彼女は言い直す。
「そう、『つばめ』は、可奈子がモデルなのよ」
「そうなんですか」
 輝愛は納得したように声を漏らし、脳裏に焼きついた映像を思い出す。


「すごく、素敵でした。可奈子さんのつばめ。今回、私が演ってイメージ壊しちゃったらどうしようとか、昨日実は悩みました」
 そう言って、『なんか偉そうですよね私』と言って、へへ、と恥ずかしそうに頬を染める。
「どうしたら可奈子さんみたいに出来るか、可奈子さんのつばめになれるか、すごい悩んでます」
 真剣な表情の輝愛に、珠子はいつもの口調で、
「可奈子になる必要は無いわ。輝愛ちゃんは輝愛ちゃんだもの」
「でも、つばめは可奈子さんでしょ?」
「今回のつばめは、輝愛ちゃんなのよ」
 珠子の微笑みに、輝愛は難しそうに眉を寄せる。
「わかんないかな?」
「・・・微妙です」
 素直に答える輝愛に、珠子は声を出して笑って、
「輝愛ちゃんが輝愛ちゃんなりに『つばめ』を演ればいいのよ。可奈子の真似なんかしないで」
「でも・・」


「可奈子の真似なら、輝愛ちゃんがやる必要無い。可奈子にやらせるから」


 その台詞に、輝愛の中の何かがはじけた。
「・・・・・・・私の、つばめ・・・」
「そう、あなたのつばめよ」
「私の・・・」
 珠子は輝愛の肩に優しく手を置くと、舞台監督の呼び声に振り向き、そのまま小走りに走って行った。
 輝愛は、その場で手を無意識のうちに握り締めていた―――

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■こんぺいとう 4  あくとあくたーず4 ■




 演出の笹林は、紙コップを握り、口に煙草をくわえながら、何やら渋い顔で思案している。


 稽古場の、休憩中の風景である。
 稽古も進み、例の輝愛もそこそこ及第点を与えられる形になり、演出担当としては、いくらか気分が楽になって来た頃合である。

 が、彼の眉間には、深い溝が浮かんでいる。
 辺りには、一緒になって待ってましたとばかりに煙草をふかす同志が数名。
 休憩中とは言えど、いまだに自分の台詞や動きを確認している者もいれば、音響担当と照明担当は、お互いに数え切れない切っ掛けの確認や、音出し等の打ち合わせを、カップ片手に行っていたりする。


「あ、勇也悪ぃ、火貸して」
 自らのポケットをまさぐってはみたが、お目当ての物が無いと分かり、隣に居た橋本勇也に声をかける千影。
「ほいほい、点けますよ」
 勇也は言いつつジッポーを取り出し、千影がくわえた煙草の前で二度三度指を滑らせる。が、


「ガス切れちゃったかな?」
「あらら、じゃあお前の火でいいや、頂戴」
「ほいほい」
 千影は既に勇也が既にふかしていた煙草に、自らがくわえた新しい煙草を近付け、上手い事火をつける。


「サンクス」
「・・・川ちゃんのどアップって、あんまり気持ち良いもんじゃねえっすわ・・」
 煙草に火をつけるためには、どうしたって口にくわえて吸っていなければならないのだから、千影が煙草をくわえたまま勇也に近付くのは、道理である。
「お前は手に持つなりすりゃいいじゃん。くわえてる必要無ぇじゃん。良く考えたら」
 文句をたれた後輩に、今更ながらもっともらしい意見を述べる先輩。


「大丈夫よ二人とも。はたから見てたら、キスしようとしてたただのホモカップルだったから」
 横から割り込んで灰皿に灰を落とす珠子。
 千影を勇也が、お互いにそれこそ嫌そうな顔を見合わせたが、屈強な精神の持ち主の珠子には、知った事ではない。


「で、何悩んでるの?笹林さんてば」
 珠子は猫のようにするりと笹林の横に入り込み、思案顔の演出に声をかける。
 しかし、当の笹林は、先程から目の前で繰り広げられている千影と勇也の一連の行動を目で追ったまま、口元に手を置いてぶつぶつ唸っている。
 彼の熟考する時の癖である。
 この体勢になると、そうそう他のもの等目にも耳にも入らなくなってしまうのだ。


 ・・・あらら、何か思いついたのかな?


 もはや見慣れた風景に、千影は呑気に残りの煙草を吸い込んだ。
 ちらりと横目で視線を走らせると、娘分の輝愛は簡易舞台の上で、大輔から女形の動きを教わっているアリスと共に、ちゃっかり自分も一緒になって教わっていたりする。
 そう言えば、彼女が休憩時間に実際に『休憩』してる姿を、殆ど見た事が無いな、と思った。
 別にずっと一人最後まで板の上で通し稽古をしている、とか言うのでは無いが。
 誰かが何か教わっていたりすると、今回の様に首を突っ込んで、ちゃっかり自分も一緒になって教えてもらい、
 殺陣担当が殺陣を作っていれば、そこにものこのこ現れて、まんまと練習台にさせられていたり、
 誰も何もやっていない時でも、話などをしながらストレッチをしたり、良く分からない不気味な踊り(千影談)を踊っていたり。
 とにかく、何だかんだで首をつっこみ、いつの間にか身に着けている。
 もっとも、彼女はこの中で一番の新参者で、殺陣も芝居も経験が浅いのだし、誰にでも言える事だが、いくらやっても足りて余ると言う事は無い世界なのだから、良い事だとは思っている。

「ホモ・・キス・・」
「・・・・・・・・・・・何の話してんの、笹林さんてば・・・」
 未だに目の前でぶつくさ言ってる笹林の台詞に、千影は苦笑しつつも引き攣った。

 そして突然、
「あ、そっか。そうしよ。菊ちゃーん!」
 笹林は一人勝手に思いつき納得し、演出助手の元に小走りにかけて行った。
「何か思いついちゃったな」
「芝居またちょこっと変更だわね」
「まあ、いつもの事だし」
 慣れきったお局組は、顔を見合わせて笑った。







「ありすが、ここの台詞言いながらさっきマミッたとこ・・そうそう、そこまで歩いて来て、次の台詞で音が入る、そこに輝愛ちゃんが追いついて来て、この位置で止まって――」


 笹林が早速先程思いついた演出プランを、役者に伝えている。
 どうやら、アリスと輝愛のシーンに直しが入る様だ。
「ここは『あやめ』と『つばめ』の重要なシーンだから、ちょっとかっこつけちゃおうって事で」
 笹林は自分自身が舞台の上に立ちながら、立ち位置やら動きの指定をして行く。
 どうにもこうにも、自分で動かないと気が済まない性質らしい。


「で、二人がセンターに入ったらバックの音が上がるから、そこであやめの台詞が入って――」
 当の役者本人達は、ふんふん頷きながら確認をしており、『分かった?』と言う演出の言葉に、笑みで答えている。
「あ、そう言えば輝愛ちゃん」
「はい?」
 そこで笹林が輝愛に近付き、まるで毎朝の挨拶の様な軽い口調で、とんでもない事を聞いた。


「キスしたことある?」
「は?」


 一瞬輝愛が凍りついた様に動かなくなり、彼の台詞が聞こえた数名は、何のこっちゃと言わんばかりに視線を這わせた。
「セクハラで訴えられちゃいますよ」
 有住が苦笑しながら笹林に言うが、彼は『いやいや』と首を振り、
「ここのシーンでアリスとキスして貰おうと思ったんだけど、若いでしょ?駄目だったら悪いと思って」
「はあ」
「でもまあ、このシーンは重要だし、それで行くから、どの道やってもらうけど。宜しく」
「はあ」
 全く持って、質問した意味を成さない会話である。
 輝愛は話について行ってないのか、良く分かっていないのか、口を開けっ放しにしている。
 隣に立つ有住が、
「・・・・輝愛ちゃん、意味分かってる?」
 と不安げに聞くと、
「一応」
 と、曖昧で頼りない返事が返って来た。
「嫌だったらダメモトでも言いな?僕からも頼んでみるし・・さすがに女の子のファーストキス奪うのは、仕事でも気が引けるし・・」
 有住は照れた様に頬をぽりぽりとかきながら、輝愛の顔を覗き込む。
「いや、それはお仕事だし、お芝居だから良いんだけど、一個気になってて」
「何?」
 覗き込んで問い掛ける有住に、輝愛はごくごくいつも通り普通に問い掛ける。



「鼻がぶつかるでしょ?」



「・・・・・・・・・・・・は?」
 かなり遅れて、やっとこさ有住が絞り出した声に対し、輝愛は再び同じ言葉で問い掛ける。
「鼻と鼻がぶつかっちゃうでしょ?どうすれば良いの?」
 きょとんとしたままの輝愛に、有住は脱力して彼女の足元にしゃがみ込み、
「・・・・・・それ・・・本気だよね・・・ギャグじゃなくて・・」
「残念ながら、あたしはいつでも大真面目ですよ」
 有住はしゃがみ込んだままの姿勢で、『はああ』と大きくため息をつき、後ろ手に頭をぐしゃぐしゃに掻きむしった。
「どしたの?ありすさん」
「・・・・・・・・荷が重いだけです・・」
「?」
 未だにきょろんとしている彼女に、ささやかな殺意さえ抱きつつ、有住は立ち上がって笹林に怒鳴る。


「僕の方が嫌ですよー!なんかすごい責任重大じゃないですかー!」


「ん、まあ頑張れ、若人よ」
 気持ちのこもっていない笹林のエールで、有住は再び赤くなった顔を隠す様に頭を抱えた。
 
 ・・・ちかちゃんがキレそうね、こりゃ・・

 ちゃっかり演出助手の椅子に腰掛けた珠子は、半眼になって頬杖をついた。
 ふと目の合った橋本が、珠子よりも複雑そうな顔で、大げさに肩をすくませた。


 ・・・個人的には、面白そうだけどね・・
 魔王珠子は、例の魔王使用の微笑みで、一人ほくそえんだ。
 

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■こんぺいとう 4  あくとあくたーず5 ■




 千影は少々、いや、大分ぐったりしていた。


 別に稽古が物凄くハードで寝る時間が無いとか、殺陣練習で満身創痍とか、そう言った類では無いのだが。
 ようやく帰宅し、愛しいソファーベッドに身を預けたまま、煙草を咥えたままで、例の台本をめくる。
 立ち稽古に入ったのに、台詞を未だに覚えていない訳では無い。
 勿論自身の台詞など、とっくの昔に完璧に頭に入っているし、数多くの切っ掛けは、自分自身が出ていないシーンのものですら記憶している程だ。
 しかし、全部のシーンの台詞を暗記して、その各役者の動きまでマスターしたかと言われれば、それは否、だ。
 最も、そんな事は必要ないのだから、本来気にする必要は無いのだが。


「今日は・・・ここか」
 胡座をかいた膝の上に台本を置き、最近邪魔になって来た髪の毛を適当に一つに束ねる。
 一回二つに束ねたことがあったのだが、何故か輝愛の猛反対にあったのだ。
 自分的には、なかなか上手く結べたと思っていたのだが、彼女の反対の理由は、そんな事では無かったらしい。
 千影は風呂上りで火照った頭を冷やすかのように、冷蔵庫にあったビールを流し込んだ。

「かーわーはーすぃー」
 パタパタとスリッパの音が聞こえ、すぐに娘分の輝愛の姿が現れる。
 髪の毛を乾かすのもそこそこに、手首をうにうに回しながら、千影の横に座り込む。
「宜しくお願い致す」
 言って、ぺこりと頭を下げるその仕草が、可愛らしいのだが、それが逆に無償に癇に障る。
 千影はタオルを輝愛の頭に乗せ、わしわしと荒っぽく水気を拭くと、そのまま彼女の肩に腕を置いて台本をめくった。


 そう、彼はこの娘の台詞合わせに、この所毎晩付き合わされているのである。


 最も、輝愛と千影は絡みも多いから、自分と彼女のシーンの芝居を練習する分には、ある意味願ったりなのだが、全く関係無い役の芝居までやらねばならず、ここのところは少々お疲れ気味な千影なのであった。
 その上、輝愛の芝居がどうやっても初演の可奈子とダブって見えてしまい、それだまた千影の気に障るのだ。
 輝愛は可奈子では無いのだから、どうと言う事は無いのだろうが、頭では分かっていても、そうそう簡単には行かないらしい。
 千影は、人肌が恋しい子供の様に輝愛の頭に自分の頭をくっ付け、台詞を読み始める。
 輝愛は一瞬少し驚いた様に目だけで彼を眺めたが、すぐに自分の台詞になり、慌てて続けた。
 一回軽く台詞を合わせ、今日稽古で付けられた動きの確認の為、立ち稽古に移る。
 最も、二人とも風呂上りで、千影はTシャツにジャージ、輝愛はキャミソールにセットのパンツ、仲良く首にはタオルと言うスタイルなので、ちっとも様にはなっていないが。


『何だ・・・お前』
『私は、あやめ』
『あやめ・・・?』
 

 今日演出から指示された動きを再現する輝愛。
 対して他人に付けられた演出であるはずなのに、それこそそのままに体現してみせる千影。
 この自宅稽古を始めて分かった事だが、千影は他の役者のコピーが恐ろしく天才的であると言う事だ。
 輝愛にとっても、勿論現場での代役やコピー役としても、文句の付け様が無かった。
 だからと言って、彼自身の芝居が誰かの模倣か、と言うと、そうでもない。


 芝居をする為にいる人間のようだ、輝愛は思ったが、本人がそれについては何故か照れがあるらしく、言葉にして伝えてもはぐらかされるだけだった。


『あやめが、何の用だ』
『お前に、私の記憶を』
『は?』
『私の記憶を、渡そう』


 ここは有住と輝愛の二人だけのシーンである。
 当然千影が演じているのは有住の役だから、女役である。
 このまさに、それこそ男臭い男が、女形の動きをしていると考えると、空恐ろしいものがあるが、その違和感すら感じさせない位、千影は女形の、有住の役をこなす。当の相手役の輝愛も、千影がこの役だったのかと錯覚しそうになる程、彼の芝居は完璧に有住だった。


『さあ、この雫をお飲み。さすれば――』


 千影が輝愛に近付き、彼女の顎に手をかけた瞬間、彼女はつばめから輝愛に立ち戻り、きょろんとした瞳で彼を揺さぶる。


「ここ!ここ、演出変わったの。えっと・・・コレ!」
 輝愛は慌てて自分の台本をめくり、書き込みを千影に指し示す。
「どれどれ」
 輝愛から台本を受け取って、書き込みを読み進める。
 最初は『ふんふん』頷いていたが、やがて表情が厳しくなり、眉間に明らかに皺が寄る。
「・・・どしたの?」
 おずおずと声をかける輝愛に、しかし千影は答えない。
 その台本の一点を、睨み付けたままである。
「おーいカワハシ?かわちゃん?にーちゃん、アニキ、ちかちゃん?」
 無言のままの千影に、ありとあらゆる呼び方で呼びかける輝愛。
 最後の『ちかちゃん』に僅かに反応し、やっとこさ顔を上げた彼は、例の厳しい表情のままで、
「お前、これ、やるの・・・」
 と、疲れたように声を絞り出した。
「これって、どれ」
 輝愛は千影の腕の下から首を突っ込み、自分の台本に目を落とす。
「どれ」
 ちょうどヘッドロックされているような体勢のまま、上目遣いに問い掛ける。
 千影はわざと視線を外して、
「・・だから、キスシーン」
「あ、それか」
 ようやく我が的を射たり、と輝愛はにこっ、と笑って、そのまま普通に『やるよー』と答えた。
「そう、それでね、聞きたい事があるですよ」
「・・・何ですよ」
 壁際に置いてある、腰の高さ位までのチェストに腰掛けると、彼女は足をぷらぷらさせて、


「鼻はどうしたら良いの?」
「は?」


「鼻がキスするとぶつかると思うんだけど、どうやってへこますの?アリスさんに聞いたら、なんか頭抱えて次に笹林さんに怒鳴ってただけで、結局わかんない」


 彼女の質問に、千影が固まる。
 ぎこちない動きで残りのビールを飲み込むと、本気で悩んだ結果、ようやく口を開く。


「・・・・キスシーンが、あるんだよな?」
「そうです」


 チェストの上でこっくり頷く輝愛。


「で、お前は鼻がぶつかると思ってる訳だな?」
「イエスマスター」


 千影は痛むこめかみ押さえつつ、


「で、ぶつからないように、鼻をへこませたいと、そー言ってるんだな?お前は」
「そーっすよ?」


 彼女の質問の意味を把握して、と言うより確認して、脱力したように膝に手を置き、うな垂れてため息を吐く。
「・・お前、人からかわいそうとか、天然とか、馬鹿とかアホとか言われるだろ」
「何故それを!カワハシってマジシャン?」
 図星を突かれたのか、僅かに赤くなる輝愛。
 しかしその返答はさっきの質問以上に意味不明である。


 ――マジシャンは無関係だろう・・


 千影は娘分の本気のボケっぷりに、心の中で長い合掌をした。


「――とにかく、どう頑張っても鼻はへこまねーだろ。フツー。考えりゃ分かるだろーが」
「じゃあどーすんのさ」


 微妙に機嫌を悪くしたらしい彼女が、何故かべらんめえ口調で聞いてくる。
「どーするって、だからこーやって」
 言いつつ何気なく輝愛に顔を寄せ、そこで我に返り動きを止める。
 輝愛は何故か欠片も動じずに、千影を眺めている。
「で?」
「で?・・・って・・・」
「続きは?」
 問い詰められて、本気で不思議な汗が頬を伝う感触を覚えた。
 ぐるぐるとその場で色んな事を考えて、結局輝愛の唇に自分の手を被せて、その上から軽く、ちゅっ、とキスを落とした。

「おわり?」
「へ?」

 思いもよらぬ娘分の台詞に、千影は腰が砕けそうになる。
「何だよ・・・」
 普通に見詰められているだけなのに、背中に嫌な汗をたくさんかいている。
 と言う事は、自分は何か後ろ暗い事があるのだろうか。
 しばし、いや、実際はほんの僅かな間の見詰め合いが続いた後、
「まいっか。ありがとうです」
 言ってぴょこんとチェストから降りる彼女。
 千影は、何に対しての礼なのか分からなかったが、『おう』とだけ答えた。
 そして後ろ手で頭をばりばりと掻きむしった。

 ――中学生か、俺は。

 テーブルの上にあったビールの缶を持ち上げると、どうやら空のようだった。
 千影はビールを諦め、洗面所に足を向ける。
 一寸先に辿りついていたらしい輝愛が、口に歯ブラシを咥えている。

 ――この鈍さが、今はとても憎たらしい。

 口には出さず、自分も歯ブラシを咥えると、並んで仲良く・・かどうかは分からないが、歯を磨く。
「初めてのキスくらいさ、好きな奴とした方が良いと思うぞ、おとーさんとしては」
 器用に喋る千影に対し、輝愛は必死に答えようとするのだが、
「らひよふふやよあはひひふむげぐっ!」
 必死に何かを訴えているらしい輝愛だったが、人間語しか理解出来ない千影には伝わらない。
「・・・・・・取り合えず、口すすげ」
 千影は呆れたように目を細めた。


「だからね!」
 ものすごい勢いで口をゆすいだ愛娘が、ものすごい勢いで話し始める。

「ちゃんとすきだから平気よ」
 にっこりして言う輝愛に、千影はやや間を置いて、
「好きって・・・浩春を?」
「そう」
 にっこにっこして言う輝愛に、彼の身体が一瞬強張る。
「そっか、なら、平気だな」

 ――浩春がどう思ってるかはともかくとして・・輝愛を泣かせたらぶっ殺す!!

 不器用な自称父親分は、何も悪くない後輩を呪いながら、勢い良くうがいをかます。
「珠子さんも、社長も、大輔お兄ちゃんも、勇也さんも、みんなみーんな好き」
 一人殺意を抱いている千影に気付かずに、嬉しそうに言葉を続ける輝愛。


「カワハシも、ちゃんと大好き」
「――は?」


 思わず間の抜けた声で、顔を上げて問い返す。
 そこには、いつも通りの彼女の笑顔。
「だから、みんなみんな好き。カワハシ、大好き」

 正直、動けなかった。
 どうして良いか分からなくて、すぐに身体が反応しなかった。
 それでも、硬直状態から立ち直った彼は、彼にとってのなかなか大胆な告白をかましてくれた彼女を抱え上げ、そのままベッドに突っ込んだ。

「俺は案外若いらしいぞ」
「なにそれ、一回り違うんじゃなかったっけ?」
 千影に抱き締められるのが心地良いのか、ごろごろと猫みたいに懐く輝愛。


「やばいぞ」
「何が」
「色々だ」


 彼女にこの恐らく緩んだ顔を見せる訳には行かなくて、千影は大慌てでリモコンを探し当て、電気を消す。

「おやすみなさい」
「ん」

 自分の胸に擦り寄る様にくっつく彼女を抱き締めて、千影はぽふっ、と身体の力を抜いた。
 顔が緩んでる。多分本気で緩んでる。

 ・・・なっさけなー・・・

 自分だけ、自分の時だけ彼女が『大好き』と言っただけで、こんな状態なのだ。
 他の連中は、『好き』止まりだったからな。ちょっとは、上って事なのかな。


 これは、やっぱり裏切りになるんだろうか。
 だとしたら俺はどうすべきだろう。やっぱり、今まで通りにすべきだろう。

 それは分かっている。
 そうしなきゃいけないのも、そうすべきなのも、分かってるよ。
 だけどせめて、今彼女を抱き締める位、許してくれ。
 頼むよ、なあ――

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