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桃屋の創作テキスト置き場
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■こんぺいとう 4  あくとあくたーず2 ■




「おはようございまーす」
「はよーす」
 いつもの様に挨拶して、並べられたパイプ椅子に腰掛ける千影。
 その後一瞬遅れて、彼の隣の椅子にちょこんと座る輝愛。
 その二人の後にも、何人かが挨拶をしながら椅子についた。
 全員が着席したところで、演出担当である笹林から声がかかる。
 

 今日は、顔合わせなのである。


 劇団いづちの公演も無事に千秋楽を向かえ、アクションチームメンバーは、ほぼ休む間も無くこの日を迎えた。

「じゃ、配役は――」
 ろくすっぽ自己紹介しないまま進行する。
 まあ、全員が顔見知りなので、必要ないと言えば必要ないのだが、普通顔合わせでは、各自の紹介の様なものを行うのが通例である。
「その前に、今回の演目ですが」
 珠子がいたずらっぽく言う。

 今の今まで『言ってなかったわね』等と言って微笑んでいるが、『言わなかった』のは、この当の珠子である。
「再演になるんだけど、本は書き直してもらいました。演目は『月鬼』でーす」
 珠子が至極、彼女にしては真面目な口調で言う。
 

 瞬間、千影の眉間に、明らかに皺が寄り、肩がぴくりと震えた。


 珠子は千影のその動きを目だけで確認してから、しかし、彼女はそんなもの存在しないとでも言うかのように、順々に配役発表をして行く。
「結構前回の初演の時と、うちもメンバー換わってるから、再演色は薄くなると思うわよ」
 なんて付け加えながら。

「アヤメ役、有住浩春」
「蘇芳役、橋本勇也」
 と、順々に名前を呼んで行く。
「今回座長の月鬼役、前回同様、川橋千影」
 珠子の声に、未だ憮然としたまま、配られた台本に目を落としている千影。

 珠子はその姿を少し苦笑した様に眺めながら、最後に残った役名を口にした。


「ヒロインのつばめ役、高梨輝愛」


「は?」
「!?」
 輝愛が思わず声を上げる。
 千影は最早声も無く、身体を硬直させる。

 無理も無い。
 まだ入団してわずかばかりの輝愛に、ヒロイン、要するに主役級の役を与えたのだ。
 普通に考えれば、異常である。
 そして千影は千影で、別の意味で苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。
「・・・こいつとやるなんて・・冗談じゃねえ」
 千影が一人、そう毒づく。
 隣に座っていた輝愛が、千影の呟きを捕らえ、一瞬、身体を強張らせる。
 千影の反対隣に座っていた橋本勇也が、苦笑するような、何とも言い難い表情で珠子を見つめた。


 ・・珠子姐さん、なかなか酷な事をするよなあ・・


 その勇也の視線に気付いてか、珠子は目を伏せたまま、微かに微笑んだ。

 輝愛はそのまま、膝の上で手を握ったまま、視線を机の上の台本に落としていた。
 彼女は今まで、千影のこれ程までに不機嫌そうな顔は見た事は無かった。

 千影と出会って約一年、彼は口調や態度は冷たい事が多かったが、その視線は、いつも輝愛に向けられていたし、眼差しはいつも暖かかった。

 その彼が今、本気で、嫌悪している。
 その原因が、恐らく図らずも自分にあるのであろう事も、予測するに難くなかった。
 珠子は、発言権を演出の笹林に戻し、その二人の光景を眺めていた。


「もうそろそろ、抜け出しなさい・・」
 誰にも聞こえないような小さな声で、珠子は一人、呟いた。
 


 そしてそのまま別段特別な事も無く、そのまま本読みに入り、お開きとなった。
 本読みが終わり、挨拶が済んだ時点で、各自ぱらぱらと部屋を出て行く。
 珠子が千影に近付いて来て、苦笑した。
 千影は無言で彼女を威圧する様に睨み付け、煙草を口にくわえて、苦しそうに一つ息を吸うと、背中越しに振り向く気配すらなく、
「―遅くなる」
 そう一言輝愛に言い放って、彼女が返事をする間も無く、一人、歩き出してしまった。
 珠子も無言で輝愛の肩に触れ、まるで『大丈夫』とでも言うように微笑むと、くるりと踵を返して、千影の後を小走りで追った。

 一人残された輝愛は、しばらくそのまましばらく佇んだままでいた。







「どうしたのよちかちゃん」
「お前がそう聞くのか」
 さも不機嫌そうにグラスの中身をあおりながら、千影は眉間に寄せた皺を一層濃くして毒づいた。
 二人馴染みのバーのカウンターの席を陣取り、酒を飲んでいる。
 あくまでも、千影がそこそこのピッチであおっているだけで、珠子は自由なペースである。
 決して、『仲良く飲み交わしている』と言える様な雰囲気で無いのは、確かである。
 ぱっと見れば、寡黙な彼氏に付き添う美人な彼女、と言った様な見た目だ。


「なんで」
 千影がグラスを片手にぶら下げたまま、彼女の方を見もせずに言う。
「何で今更やるんだよ」
「今更って言うなら、やっても良いんじゃない」
「お前、以外と残酷なのな」
 千影は額に手を当てて、カウンターに突っ伏す様な形になる。
「ここまでちかちゃんが嫌がると思わなくて」
「相談してくれよ」
「相談したら嫌がるでしょ」
「確信犯じゃねえか・・」
 淡々と語る珠子に、千影はかつての子供時代の様に珠子を上目遣いに眺める。
「本当に、もう平気かと思ったのよ」
「・・どうだか」
「月鬼、やりがいあるし」
「・・それは否定はしない」
 珠子は空になったグラスを弄ぶ。
「輝愛ちゃんにつばめ、やらせたかった」
 ふて腐れた様に言う珠子だったが、目は真剣だ。
「・・・せめてお前がやってくれたら、有り難いんだけどなあ」
「あたしに15歳の役をやれと言うの?」
「無理?」
「無理でしょう」
 千影はそこでやっと苦笑して、カウンターに突っ伏すのを止めた。
「客演とか・・」
「誰に」
「・・・・」
 逆に問い掛けられて、言いよどむ。
 確かに、仲の良い劇団のメンバーは皆、年齢的に千影世代なのだ。
「仕事だから、何とかしてもらえると有り難いけど、無理?」
 珠子が千影の姉の顔で聞いてくる。
 その表情が、何だか無性に懐かしくて、珍しく久々に可愛らしく見えて、千影は再び苦笑する。
「仕方ねえか」
 そう言って、グラスに僅かばかり残った液体を、一気に喉の奥に流し込んだ。
「・・吹っ切れてないのね・・」
「一生無理かもよ?」
 千影は珠子に向かって首を傾げたような格好になる。
「可愛い仕草で誤魔化そうたって、駄目よ」
 珠子は微笑んで彼の額を、指の腹でとん、と優しく突付いた。

「・・・お前と結婚しときゃ良かったなあ~」
 頬杖をついたまま、目の前の姉貴分を見やって、笑う。
「今更何言い出すのよこの子は」
 そう言う珠子も、笑っていた。
「輝愛ちゃんがいるじゃない。あんな純粋でいい子、そうそう落っこちてないわよ」
「あんなガキ相手じゃ、何もする気になれん」
 千影がいささかふて腐れた様に眉を寄せる。
「男も女もいっしょくただぞ?俺の布団に潜り込んで来る様な奴だぞ?手繋ごうが、抱き締めようが、何の反応も無いようなガキだぞ?あんなの相手になにしろってんだ」
「・・・・・・・そんな事してたんだ」
 愚痴った千影の言葉に、輝愛をこよなく愛している珠子の視線が凍る。
「・・・・・・・・・・・・例えだ、例え」
 千影はするりと目線を避けるように、弁解ともつかない弁解を、小声で告げた。
「まあ、良いのかしら。そんな事言ってると、誰かにすぐにでも娘、かっさらわれちゃうわよ?」
「それは嫌」
「わがままだこと」
「男は皆わがままなんだよ」
 千影は三度、苦笑する。
 どうあっても、珠子に勝つ事は、一生涯無さそうだな、等と考えながら。



 会計を終えて、店を出て、駅に向かう。
 珍しく、まだ終電に間に合う時間である。
 珠子は何の躊躇いも無く。千影の腕に自分の腕を絡ませる。
 彼女の癖である。
 この彼女の癖のおかげで、学生時代は何度と無く緊張を強いられたが、今となってはこれも当たり前になってしまったいる。
 亭主である紅龍でさえも、千影と珠子のこの光景を見ても、あまりに馴染み過ぎていて『いつも通り』としか認識しないくらいだ。


「嫌なら、役変えようか?」
「やるよ」


 いつになくはっきりした口調で答えた弟分に、一瞬歩みを止める。
「――どうした?」
 千影も立ち止まって、珠子の顔を覗き込む。
「――何でもないわ」


 いつの間にか、大きくなっちゃったのよね。あたしなんかより、ずっと。


 珠子は微笑みを作ると、再び先程と同じペースで歩き出す。
「酔ったのか?」
「んーん」
 頭を振り、もう随分前に抜かされてしまった身長分、目線を上げ、
「どっちが年上だか、わかんないわね」
「お前美人だからなあ」
 言って、煙草に火をつける。
「何よそれ」
「美人は年齢不詳って事さ」
 千影の台詞が終わるや否や、彼女は真正面から千影に抱きつく。
「どうした」
 一瞬動揺したようだったが、すぐにいつもの彼の口調に、いや、幾分楽しげに彼女を抱き締め返す。


「おんぶして!」
「は?」
「おんぶ!」
 いきなり腕の中で駄々をこね始めた珠子に、一瞬目を見開いて、しかしすぐに瞼を閉じて苦笑して、『仕方ねえ』と小さく言うと、軽々と彼女を背負い上げた。
「ほらほら、とっとと帰るよ!」
「うるせえな~」
 背中でじたばたする珠子に文句を零しながら、しかし、彼の表情は明るかった。
 珠子は、ひとしきり暴れると、千影の首に腕をしっかり巻き付け、瞼を閉じて、彼の背中にくっ付いた。



 本当に、すっかり大きくなっちゃったね。千影。 



 心の中だけでそう呟くと、珠子は愛しそうに千影の髪の毛に頬を寄せた。

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