忍者ブログ
桃屋の創作テキスト置き場
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

■髑髏城の七人-アオドクロ-  血潮の唄■





 ―――嗚呼、燃えて行く。


 轟轟と音を立てて、柱が、屋根が、全てが燃えて行く。
 私は、
 私達は、あの御方の寝室に入り、
 そして。

 其処で舞うあの御方を、
 地獄の業火の中、一振りの舞を、優雅に舞われるあの御方を見付ける。











 爆ぜる火の粉の中、静寂が、その場を支配して居た。
「光秀様に因る、御謀反(ごむほん)で御座います」
 蘭丸が、苦し気に、苦々しく告げた。
「此れが」


 ――嗚呼、あの御方の声が聞こえる――


「此れが、天を目指した者への最後の仕打ちか」

 雄雄(しく、凛凛しく。

 拡がった静寂の中、水面に一滴の雫が落とされる様に。


「光秀め」


そう言うと、口を結び、何処か不思議な表情に成る。
 自嘲的とか、そう言った類の物では、少なくとも、無い。と、思う。
 私には、其れが全く理解出来無かった。


「殿!」
 蘭丸の痛々しい叫び声が耳を突く。
「どうか、どうかこの蘭丸も共に!殿と共に!」
 泣き叫ぶ、未だ幼さの抜け切らぬ細い体躯の人斬りに、あの御方は静かに一喝する。
「成らぬ」
「何故です!?」
「分からぬか」
「分かりませぬ!」

 細い身体を震わせて、半狂乱の様に、子供の様に泣き叫ぶ。
 今にも、あの御方に飛び掛りそうな勢いで。
 其れを横に立つ“地”が、必死に抱えて止めて居る。

大粒の涙を止め処無く溢れさせて居る蘭丸に、あの御方は僅かに優しげに目を細め、


「蘭」


 と一度だけ名を呼び、其の紅潮した頬に微かに触れ、“地”に視線を移す。



「“地”よ、やれ」
「―――は」



 あの御方の言葉に、僅か一瞬躊躇(ためら)い、しかし直ぐに蘭丸の鳩尾に拳打を入れ、気絶させる。



 “地”――、私と同じ、あの御方の、“影”―――。



「俺にも解かりかねます。何故、殿も御寵愛深きこの蘭丸、殿の道行きにお連れに成りませぬ」
 “地”が、眉を顰めて。
 苦痛の表情で。


「痴れ者が」
 あの御方は、場にそぐわない様に、実に愉快そうに笑った。


「私を誰と心得る。私は織田信長ぞ」
「しかし!」
「地獄への」
 “地”の言葉を、あの御方が遮る。
「地獄へ道行きなぞ一人で事足りる。供の者等要らぬ。地獄の鬼共に哂われようぞ」
 そう言って、笑う。
 蘭丸をその腕に抱いた“地”の表情には、絶望の色が濃い。


「わたくしが参りましょうぞ、殿」


 初めて凍り付いて居た自らの四肢を解き放ち、唇に言葉を乗せる。
「わたくしが参りましょうぞ。その為の“影”で御座います」
 跪き、頭を垂れて。
「この“人”が、殿の代わりに地獄へ、一足先に参ります」

 “地”が、私を見る。
 あの御方が、私を見る。

「この“人”が」



 ――貴方が存在しない世等、意味が無いから――



「ふふふはははははは」
 あの御方が、“地”を、私を見遣って、矢張り愉快そうに笑う。
 そして、

「愚かな――」

 びくり、と身体が跳ねるのが、空気の振動で伝わって仕舞っただろうか。

「これが“時”なのだよ」
「―――は?」
「これが“時”と言うものなのだ」
「殿・・・?」
 あの御方の言葉の真意が理解出来ぬのに、あの御方は其れすら可笑しそうに笑って居る。




「“地”よ、“人”よ、主等は私では無い」
 慈愛に満ちた様な表情で。
 しかしその言葉は私に突き刺さる。
 あの御方の“影”である私に酷く突き刺さる。


「私は、織田信長は、私一人だ」


 “地”は唇を噛んで、あの御方を見詰めていた。
 私は、私はただ目を見開いて――



「見るが良い。織田信長最後の瞬間を。
 しっかとその眼に焼き付けるが良い。
 天は死なぬ。天は滅びぬ。我は天だ。
 再びこの地に舞い戻ろう」



 あの御方はそう言うと、
 自らの腹を自らで、
 天の字に、切り裂いた。



「殿!」
「殿!」



 私と、“地”の声が重なる。
 刹那――

 あの御方の首が、
 あの御方自らの手に縁って、


 飛んだ。




 轟轟と焔が勢いを増す。
 柱が、全てが崩れて行く音が聞こえる。
 燃えて居る。
 本能寺が燃えて居る。
 あの御方が
 あの御方が燃えて仕舞(しま)う。


「あ・・ああ・・」
 知らずに喉の奥から空気が漏れる。
 もう私は瞬きすら忘れて仕舞った。
「あああああああああああ!!」
 私は、天を突く様に絶叫した。
「殿!殿!嘘で御座いましょう殿!起きて下さいませ殿!殿!!」

 あの御方に縋り付き、あの御方の血を全身で吸い、あの御方を緊く緊く抱いて。

「殿!」


 轟轟と本能寺が燃えて行く。
 あの御方が燃えて行く。


「“人”!此処も崩れる!早く!」
 “地”が私の弛緩仕切った腕を掴む。
 私とあの御方が引き離されて仕舞う。
「離せ・・・離せええええ!」
「馬鹿野郎!殿の想いを無碍にする気か!」
 “地”が、私と蘭丸を抱えて、無理矢理に疾り出す。




 轟轟と燃える。燃える。
 燃え盛る焔の中、私は、確かにあの御方を見た気がした。
 殿だ。
 舞い戻って来て下さったのだ。
 殿の御言葉通り、この地に舞い戻って来て下さったのだ。


 其処で、私は意識を手放した――











 気付くと、其処は最早私の知る本能寺では無かった。
 上体を起こし視線を横に落とすと、“地”と蘭丸が折り重なる様にして気を失って居た。

「・・・生き延びて仕舞ったと言うのか・・おめおめと、この私だけ・・」



 ――貴方の存在しないこの世等、生きて居ても仕方が無いのに――



「“人”」
 何時の間に起き上がったのか、膝に蘭丸を抱えたまま、“地”が口を開く。


 私と同じ、あの御方の顔で、私に話し掛ける。


「殿は俺達に『生きろ』と言ったのだよ」
「――馬鹿馬鹿しい」




 同じ“影”で在りながら、“地”と相容れる事は無いのだろう、と思う。
 “地”は既に、生きる意志を持った瞳で私を見て居る。
 自らで自らを生きて行こうとして居る。
 私は、
 私は、“地”の様には成れぬ。成らぬ。
 そして其のまま、私は歩き出した。
 あの御方の血で深紅に染まった着物のまま、歩いた。
 本能寺を、
 殿を探して、歩いた。



「――殿――」



 貴方の存在しないこの世で、私が生きて行く事に、一体何の意味が在るのか。



「――殿――」



 貴方の其の雄雄しき声。



「――殿――」



 貴方の其の精悍な面差し。



「――殿――」



 貴方の其の気高き魄。




 貴方が存在しないのなら、この世に最早意味等無い。




「殿――っ」


 貴方以外に欲する物等、何一つ無いと言うのに。
 貴方を失ってすら生きる事こそが、地獄であると言う事もあると言うのに。

 どれ位、歩いたのだろうか。
 そう言えば、何時からかずっと裸足だった様だ。
 足は血みどろに成っている。
 だが、其れすらも如何でも良い事でしか無い。

 空に黒雲が拡がり、大粒の雫を落として泣き出す。
 あっと言う間に其処彼処に水が溜まる。
 ふっと其処に、殿の姿を見た気がした。



 ――嗚呼そうだ。殿はこの地におわせられるのだ――



 ふらふらと覚束無い足取りで進む。
 殿の元へ。
 泥濘に足を捕られ、其のまま転倒する。



 ――殿はこの地におわせられるのだ――



 そう想うだけで、頭の芯が蕩けて行く。
 雨はもう、止んでいた。
 倒れ伏して居たままであった私は、身を起こし、小さな水溜りを覗き込む。



 其の中に在るのは、焼かれた一つのされこうべ。

 見紛う筈が無い。あの御方の―――



 私は眼が落ちる程にも目を見開いたまま、視線を泳がせた。
 まさか。
 あの御方の筈が無い。
 あの御方はこの地に未だおわせられるのだ。


 ――では?


 頭の中だけで問い掛けられる疑問符。


 ――では、あの御方は何処に?


 震える手で土を掴む。
 されこうべの水溜りを再び覗き込む。

 水面に映し出されたのは、私の、


 あの御方の、顔。


「―――其方に―――」


 声が震え、手が震え、四肢が震える。
 一度も流した事の無い涙が頬を伝う。
 水面のあの御方の顔を見詰めて。


「其方におわせられましたか―――」


 私は両手であの御方のされこうべを抱き、
 両の眼で水面のあの御方の顔を見る。
 
 何と素晴らしい。
 今此処には確かにあの御方が居る――

 私はされこうべを抱き、水面に手を差し伸べて、



「其方におわせられましたか、殿―――」









  髑髏城の七人-アオドクロ-  血潮の唄  終わり

拍手[0回]

PR
■阿修羅城の瞳  美しき紅 ■





 私は、今、目覚めた。

 恐らく、今、目覚めたのだ。

 辺りは紅に染まって居る。
 其処彼処で蠢き、交わり、のた打ち回って居る。

 鬼だ。
 妖だ。


 その中で、恐らく、私は今、目覚めた。
 あちらこちらが血に染みて行く。
 人共が、妖共を血塗れに染め上げて行く。 

 私は自分の両の掌を、じっと眺め、
 五本ずつ揃って居る指を、開いたり閉じたりして見る。

 どうやら、きちんと動く様だ。


 私はゆっくり立ち上がる。
 足元は紅に染まって居る。
 妖共が人共から、逃げ惑って居る。
 私は一人、本尊の前に佇んで居る。


 人共が妖共を屠る。
 妖共が人共を屠る。
 人共が妖共を屠る。
 此処は朱に染まって居る。



 何と見事な紅であろう。
 一点の曇も無い、見事なまでの朱である。



 ぞくぞくとする。



 妖共が人共から逃げ惑う。
 妖共が脅えて助けを請う。
 誰に?
 私に?

 妖共は私に縋って居る。
 私に助けを求めて居る。
 ああ、妖共は死にたくないのだな、と私は思う。
 しかし私は死とは何なのか、善く理解しては居ないので、妖共の気持ちも又、理解出来ぬ。

 妖共が人共に屠られて行く。
 妖共の悲鳴が耳に届く。
 ああ、死んで仕舞ったのだな、と私は思う。
 しかし、死とは何なのか、善く理解していない私は、それがどんな物であるか、善く解らぬし、理解も出来のだ。



 男が居た。



 目の前に、男が居た。
 体躯を深紅に染め、朱色の瞳で此方を見詰めて居る。
 右手に黒太刀、弓手に緋の数珠。
 黒髪、黒衣、黒太刀、その全てを朱に、紅に染めて居る。


 何と美しき者よ
 と、私は思う。


 一点の曇も無い、紅一色の男は美しい、と私は思う。


 妖共は私に縋って居る。
 男は太刀を構えて居る。



 この男だ。
 この男は私の物だ。
 私はそう思う。
 紅に染まった美しいこの男こそが、私を目覚めさせたのだ。
 この男ならば、この紅に染まった美しい男ならば、きっと。



「殺せ」

 私は言った。紅色の男に。

「殺せ」

 私は言った。緋色の美しき男に。

「殺せるものならば」


 私は微笑んだ。私を殺してくれる男に。
 男は震えて居た。
 妖共は私に縋って居た。

 男が動く。
 太刀が、緋色に紅に朱に染まった黒太刀が、振り下ろされる。
 男の目には、
 美しき男の其の瞳には、


 ―――涙―――?


 そうして、私の目の前は、緋に染まった。











  阿修羅城の瞳  美しき紅  終わり

拍手[0回]

■SHIROH  希わくば■




「お前は何故、歌う?」

「―――え?」


 唐突に口を開いた私の台詞に、面食らった様な声で、弾かれた様にこちらを振り返る。


 私と同じ名を持つ少年。


 ――少年と言うには御幣があるかも知れない。見た所、年の頃なら十五は超えている様だったし、腕も足もすらりと伸びている。しかし、青年と呼ぶのも、何かしっくり来ないのも事実だ。

 屈託無く笑うその純粋さや、澱みの無い瞳、歌声。
 どれを取っても、不思議な男なのだ。
 この眼前で私を見上げる彼は。
 私はもう一度、同じ台詞を吐く。


「お前は、何故、歌う?」


 海からの湿気を含んだ風が、私と彼の髪の毛をすらりとなぞる。
 彼は答えない。ただ、目の前の私の瞳を、その大きな瞳で見つめ返すだけである。


「シロー、お前は何故、歌うんだ?」


 見詰め続けられるのは元来苦手だが、彼が相手ならば、別段不愉快では無かったから、そのまま私は彼に背を向け掛けた姿勢で佇み、首だけを回して彼が動くのを待つ。

 シローが少し、困った様に笑った。

「良く、解らないんだ」

 風がひらひらと流れる。
 陽が水平線と交わり掛けている。
 とても静かだ。
 この場には、彼と私、二人しか居ない。


 とても静かで、心地良かった。


 私は思わずぽつりと言葉を唇に乗せる。

「昼間の喧騒が、嘘の様だな」
「四郎さん、どうしたの?」
 シローが顔を覗きこんで来る。
 どうやっても彼のほうが背丈が低いので、何かにつけて下から見上げられる。
 最近はそれも慣れてしまった。
「どうしたって―――何が?」
 私は、自分の顔に何か着いてでも居るのかと、手のひらで顔を拭いながら。


「何だか寂しそう。今の四郎さん」


 鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔、と言うものを、今実際に自分がしているらしい事に気付き、苦笑する。

 私は元来笑う事が苦手だが、彼の前では随分と笑顔を出している事に気付き、不思議な気持ちになる。


 シローは、本当に不思議な男なのだ。


 でなければ、捻じ曲がり、卑屈になった私の心の中に、こうも易々と入り込み、そのまま居付いてしまうなんて芸当が、出来る筈は無い。


「お前は何だか楽しそうだな」
 片方の眉をわざと吊り上げて言った私に、彼は無邪気に声を出して笑った。
「楽しいんじゃないよ。嬉しいんだ」
「――嬉しい――?何故・・・」
 今度は芝居では無く、本当に眉を顰めて問い返す。
 彼はひらりと、まるで舞い散る花弁の様に私に近付き、

「四郎さんが弱味を見せてくれたみたいで、嬉しいんだよ」



 ざざ、ざざと波がこだましている。
 陽はもう半分程海に溶けてしまっている。

「弱味を見せたつもりは無いが――愚痴めいてはいたかも知れん」
「それでも同じ事なの!」

 彼は私の片手を取り、それを軸にこちょこちょと私の周りを駆け回る。
 全く、子供と言うのは何故こんなにも無駄に元気が良いのかと、苦笑する。
「俺に、四郎さんの重荷の、ほんの何分の一かでも分けてもらったみたいだから」
 彼は動くのを止め、いつしか私の真正面の立ち、

「だから、嬉しいんだ」

 そう言って、暗くなりつつある海岸で、目を細めんばかりに眩しく笑った。
 私にも、こんな純真な時期があったのだろうかと、年寄りじみた想いが過ぎる。
 彼はくるりと身を翻して、私の背中に自分の背中をぴったりとくっ付ける。
「何やる気だ」
「よっと!」
 シローはそのまま、背中合わせのまま、私の両腕に自分の両腕を絡ませ、前屈の要領で、私を持ち上げる。
「馬鹿、降ろせ!」
「う~・・」
 いきなり足が地面から離れ、一瞬慌てたが、直ぐに又、地面に降ろされた。
「せめて一言言ってからにしろ」
「四郎さん、案外重い」
 顔を真っ赤にしたシローが、一寸疲れた声で言う。
「当たり前だろう。私の方がお前より背丈も、身幅もあるんだ」
「いいなぁ」
 呆れて息を吐く私に、シローは口をとんがらせて、ふて腐れる真似をしてみせる。
「俺も、四郎さんみたいに強ければ良かったのになぁ」
 両手を握ったり開いたりしながらぼやく。
 私は三度苦笑して、彼の頭に自分の無骨な手を乗せる。


「――ありがとう」


 彼は上目遣いで、私の次の言葉を待つ様に、ただ黙っている。


「ありがとう、シロー」


 彼の一連の行動が、私を気遣っている為だと気付いた。
 正直、面食らったが、嬉しかった。
 彼なりの私へのいじらしい様な気遣いが、気恥ずかしさと同時に、心底滲み込んだ。


「保護者の私が、こんなでは、駄目だな」
 彼の頭で手をわしわし動かしながら、笑う。
 彼も、私の笑みを確認すると、上目遣いのまま、笑った。
「保護者の立場逆転だね」
「今、この一瞬だけな」
 私がやや憮然と答えると、彼は流れる様に歌い出した。


 聞き覚えの無い、異国の歌だった。
 恐らく、彼の父親が彼に伝えた歌だろう。そう、思った。
 異国語の意味は皆目解らなかったが、美しい旋律だった。

 私は彼の歌声に酔いしれ、呆けた様に立ち尽くしていた。
 彼は、シローは、歌い終わると、こちらに向き直り、今日何度目か解らない笑顔を零して、再び私の手を取った。



「帰ろう、四郎さん」
「ああ、帰ろう、シロー」



 彼が居れば、救われる。
 彼さえ居てくれれば、私は永遠に救われる。

 本気で、そう、思った。


 陽はもう、とうの昔に沈み切っていた。
 彼は私の手を引いて歩き出した。



 神よ、願わくば、彼の歌がいつまでも聴けますように、と。



 願わくば、彼を、彼の歌を、彼の全てを守れますように、と。




 希わくば、彼が私と同じ道を、歩む事の無い様に、と。






 SHIROH  希わくば  終わり

拍手[0回]

■innocence  ―始動―  ■



 それは、丁度あたしが食堂で軽いおやつをしている時だった。

「あの、ちょっとすいませーん」

 食堂の入り口付近で、頼りなさげな声が小さく響いた。
 しかし、店内の喧騒に掻き消され、その声に振り向く者は皆無である。
 当のあたしですら、比較的陣取った席がドアに近かったのと、このエルフ並に出来のよろしい耳のおかげで、その声を拾う事が出来ただけの事である。

「あの~」

 尚も呼びかけを続けている様子である。
 背は若干高めだろうか。目深にかぶったフードが、怪しさを素敵にかもしだしている。
 声からして、まだ若い男だろう事は容易に想像出来た。
 腰に差した長剣が、その本人の不安げな態度とはあまりに不釣合いで、何とも滑稽に映る。
 あたしは呆れながら、クリームチーズサンドの最後の一カケを口に放り込んだ。

「仕方ない」
 しばらくそうして突っ立っていた怪しいフードの男は、肩をすくめる様にして呟いた後、いきなり腰の剣をすらりと抜き放ち、あたしの方につかつかと歩み寄り、
「あの、ちょっと手伝って下さい」
「は?」
「宜しくお願いしますね」
 返事も聞かずに、あたしは腕を掴まれ、椅子から無理やり立ち上がらせられる。
「ちょっと!」
「黙って」
 いきなりフードの奥から鋭い眼光で睨まれ、一瞬言葉を失う。
 その瞬間を見計らってか、はたまたただの偶然なのか、男は抜き放った剣を手近にいたウエイトレスに向け、口を開く。



「あー、この女の子殺しますよ」



 ―――ざわっ。

 店内が一瞬にして緊迫した空気になる。
 まあ、その割りにこの男の口調に、緊張感や気迫と言った類の言葉は当てはまらないが。
「ひっ・・・」
 剣を首筋にぴたりとあてがわれた可愛そうなウエイトレスは、小刻みに震えながら立ち尽くす。
「あの、このお嬢さん助けたかったら、お金下さい」
 妙に間の抜けたにこにこ顔で店内を見回す。
 この状況でこんな態度と言うのは、逆に気味が悪いもんである。


「言う事聞いて下さいね~。じゃないと・・」
 耳元で男がまだ何やら話している。
 店内に居た剣士風の男や、魔道士風のおっさんらが、静かに臨戦態勢に入る中、
 あろう事か、男はあたしをびしっ!と指差し、
「皆さんも聞いた事あるでしょ?『狂戦士・焔』の話は。この人がその『焔』ですよ。逆らうと、皆殺しになっちゃいますよ」
 などとのたまいやがった。
「あんた!何ふざけた事言ってんのよ!?」
 食って掛かるあたしを尻目に、男は相も変わらずやる気があるんだか無いんだか分からない声音で、
「どうします?店内の皆さん。この人、強いですよ?」
 そう言って、フードの奥から覗く瞳を、ぬらりと光らせた。

 きーさーまあああ!!
 
 あたしが怒りに震えているのをよそに、店内は先ほどの喧騒とは違った意味で騒がしくなる。


「おいおいおい、本当にあんな小娘が『焔』なのか?」
 待てコラ。誰が小娘だ。
「しかし、緋色の髪の奴なんて、そうそう見た事ねえ!」
 今見てるだろ、くそったれ。
「焔って言えば、あの『白銀』に次いで邪悪だって話じゃねーか!」
 誰が邪悪だ誰が!!
「もしもあの女が本当に『焔』なら・・・」
 だとしたら、何だってーのよ?ああ?


 ―――むかむかむかむかむか。


「いやー、口から出任せ、嘘も方便。素敵に皆動揺してくれるもんだ」
 のほほんとあたしの耳元で、恐らくあたしには聞こえない様なボリュームで呟いたのだろうが。
 しっかあああし。
 あたしの耳の出来の良さは半端ではない。


 ―――ぷち。

 我慢していた何かが、音を立てて切れた。

 ―ふっ。

 あたしは一人額に血管浮かび上がらせながら、うつむき加減で手を微かに動かす。
 そして、店内の無駄な喧騒をよそに、そのまま小さくぷつぷつと、普通の人間が聞いたら意味不明な言葉を呟いていた。
 早い話が、攻撃呪文を。


「炸裂噴陣(ブラド・ディスガッシュ)!」


 きゅどどどごどどどどごごご!!

 派手な音を立てて、店内が吹っ飛ぶ。
 最もこの術、見た目と音は派手だが、人間本体にはそんなに影響は無い。
 ないったらない。
 きっと平気。
 だって皆現に生きてるし。

 店内を見回すと、もうもうと立ち込める煙の中、
「ううう」
 だの、
「さすが、噂に名高い焔」
 だの、
「コイツが本気を出したらひとたまりも・・」
 だの、何だかんだ呻いている声が聞こえなくも無いが、それはきっと風の精霊さんのいたずらに違いない。


「さっきから黙って聞いてりゃ、人を極悪非道呼ばわりとは失礼千万ね!悪いのはこの男でしょ!?」
 
 腰に手を当てて、自慢の良く通る声で、何故かズタクソになった店内に向かって怒鳴り倒す。
「どうにかするってんなら、この男を・・・」
 言って例の怪しいフード男を指差そうと振り向くと、あろう事か、今のあたしの呪文で吹っ飛んで、綺麗に意識を失っている。

「うそーーー!」

 あたしは頭を抱えて叫んだ。
 悪事の張本人が気絶してて、今元気にぴんぴんしてるのはあたしだけで、しかもあたしも呪文で店は崩壊寸前で、皆あたしを睨んでて―――

「あああ、あたしが悪いんじゃないわよ!?」
 叫びつつ気絶してる男の頬をばっちんばっちん叩いて起こす。
「・・ん・・・・ぎゃーーーーー!」
 意識の戻った男は、あたしの顔を見るなり顔面蒼白になって絶叫し、
「あああ!やはり本物の『焔』!呪文も印も無いまま術を発動させるなんて!」
 なーんて、ものすごい大声で怯えまくってたりする。
 いやいや、呪文も唱えたし、印も結んでたよ。密かにやってたから気付かなかっただけで。
 なんて、どうでもいい突っ込みを内心入れてみたりする。
 しかしこの男、動揺しているのか、頭打っておかしくなっちゃたのか、或いは――


「皆さん!」
 あたしと男を遠巻きに、恐怖の色をたたえた瞳で眺めていた人たちに、いきなり振り向き、
「僕はこの焔に脅されてやったんです!」
 そう言って、男はフードを取らずとも分かるくらいだばだばと涙を流してひざまずいた。


「何!?」
「やっぱりその女が!?」
「見るからに悪人っぽいしな」
「その女の差し金か!」
 口々に好き勝手言いたい事言ってくれる人たち。ついでに言うと、さっきよりも恐怖の色が濃くなっている。

 ―――まてまてまて!一体どうしろってのよ!

「焔はお怒りです!死にたくなければ、金品を差し出すべきです!」
 蒼白になりながら、何故か皆を説得し始める男。
 それを聞き、やはり殺されるよりは、と、あたしの足元に金目の物が積まれて行く。
 しっかし、冷静になって聞いてみると、この男の言葉、支離滅裂もいい所である。理論破綻してるし。
 が、混乱した人間にはそれは伝わらない。

「い・・命ばかりは・・」
 そう言って、最後の金貨がじゃら、と足元に落とされた瞬間、


「眠誘術(スリルスピア)」

 いつの間に印を結んだのか、男が術を開放する。
 途端に、目の前に居た人々がばたばたと倒れ伏し、寝息を立て始める。

「これでよし、と」
 呟いてあたしの足元に積まれた金貨やらを、どこから取り出したのか、麻の裏打ち布の袋に無造作に突っ込んでいく。
 そしてそのまま店内を出て行く。

「ちょ・・ちょっと!」
 呆気に取られていたあたしは、一歩遅れて男の後を追った。











「待てって言ってるのが分かんないの!?」
 すたすたと勝手に歩いていってしまう男の後を、走って追いかける。
「あんた、一体どーゆーつもりよ!?」
「つもりとは?」
 別段歩を緩めるでもなく、男は自分のペースで歩きながら、フードの奥の瞳をこちらに向ける。
「あたしを焔呼ばわりして、悪事の片棒担がせて、挙句の果てにお宝は全部あんたが持って行っちゃうっての!?」
 あたしより20cm位高い男の足に合わせるには、どうしてもあたしが早足にならねばならない。
 ちなみに、文句があるうちの最後が本音だって言うのは秘密。
「あ、お金欲しかった?」
「それもあるけどそうじゃなくて!」
 あたしは素直に認めつつ食って掛かる。
 あくまでのほほんとはぐらかそうとする男の袖を掴んで、無理やり立ち止まらせる。
 気付くと、いつの間にやら繁華街から離れ、裏道のそのまた奥にある原っぱまでやって来ていた。


 あたしは男を見上げて、険しい表情で言う。
「あたしが焔だって、何でそんな事言ったの」
「まずかったですか」
「当たり前でしょう?」
 苦笑して頬をかく男に、あたしは改めて眉間にしわを寄せる。

「『焔』ですなんて言われて喜ぶ奴なんて、そうそういないわよ」
「すいません。でも、もしかしたら本物かも、と思って」
 その髪の毛と瞳の色が。
 男はちっとも申し訳ないと思ってない様な口調で言った。

 しかし―――


「・・・あたしが、本物の焔だったら、どうしてたって言うのよ?」
 あたしの問いに、男はやはり僅かに覗く唇に薄い笑みをたたえたまま、
「それはあなたには関係の無い事」
 そう言って、唇だけでにこりと笑った。


「とにかく!」
 あたしは再びいつもの調子に戻って、男に向かって手を差し出す。


「分け前、よこしなさい」


 くっきりすっぱり言ってのけたあたしに、フードの奥の瞳が、明らかに苦笑した。

 そして、「仕方ない」と言う様に肩をすくめ、例の袋を開けるためにしゃがみこむ。
 それに習って、あたしも一緒に男の向かいに座り込んだ。
 きらり、と、太陽に反射して一瞬何かが光った気がした。

「――?」

 男は下を向いて、戦利品の仕分けをしている。
 あたしは何故か、
 何故か男のフードに手を伸ばし――

 許可も得ずに、男のフードを剥ぎ取った。


「――あっ!」
 
 男が驚きの声を上げてフードを押さえようとするが、時既に遅し、である。
 あたしが剥ぎ取ったフードは、手の中で風にはためき、男の頭髪が風に攫われる。



 一瞬、目を疑った。




 風にたなびく、真白い頭髪。




 初めて見る色だった。

 男の色素の薄い瞳が、初めて目にするその整った顔立ちが、一瞬にして歪む。
 そう、まるで、見られてはいけない禁忌が解き放たれてしまったかの様に。


「・・・・あたしの緋色の髪と目も珍しいらしいけど、あんたのは別格ね」
 男の動揺をよそに、あたしはまじまじとその髪の毛と瞳に見入る。

「・・・驚かないね」
「十分驚いてるわよ。こんな珍しい色」
「そうじゃなくて・・」

 ―――分かってる。
 男が何を言おうとしているのか。
 
 この色は、「魔に魅入られた者」への称号とも言うべき色。
 皆に忌み嫌われる、色。
 それは、この色を持つ者が、強大な魔力を誇る事と、もう一つ。
 その力が、世界すら滅ぼしうる力であると言う事。
 それは、その強大な魔力の暴走により、実現されてしまう悪夢。

 それ故に、「魔に魅入られた者」は、生れ落ちたその瞬間に、闇に葬り去られるのがこの世界の「絶対」である
 この色を保持したまま、生きている人間など、いるはずがないのだ。

「あなた、強いでしょ」
「・・・・・どうかな」
 最早口調すら変わっている。
 最も、こちらが本来のこの男なのだろうが。
 悲痛な面持ちである。どこか、寂しささえ見えそうな瞳で。
「焔を探しているの?」
「・・・・」
「焔を見つけたらどうするの?」
「・・・・」

 はぐらかされてる。
 でも、それも最初から分かっていた事だ。

 生れ落ちた瞬間に消されるはずの「白」の保持者が、生きて目の前にいる。
 と言う事は―――


 あたしは静かに苦笑して、唾を飲み込み、口を開く。


「あなたには焔が必要なのね」

 男が目を見開いた。
 何も答えなかったが、あたしにはその男の反応だけで十分だった。

 男が何を目的にしているか、分かってしまったから。
 しかし――



「一緒に行ってあげるわ」

 男の顔を無理やり持ち上げて、同じ目線にしてその視線を絡め取る。

「あたしが一緒に行ってあげるわ」

 微笑んでやったりとか、慰めてやったりとか、そんな事は一切せずに。
 ただ、真っ直ぐに男の目を見て。

「でも・・」
 男が口を開きかけるが、それを制して言う。
「分け前、もらったしね。それに」
「・・・それに?」
 問いかける男に、今度はあたしが口をつぐんだ。
 男もそれ以上聞こうとはしなかった。



 あたしの運命。
 あたしの使命。
 信じていなかった。
 信じなかった。
 でも、目の前にこの男が存在するならば―――


 あたしはもう一度、駄目押しの様に男に向かって言う。



「このあたしが、一緒に居てあげるわ」



 睨む位の目つきだったかも知れない。
 ただ、あたしはこいつを見つけてしまった。
 離れる訳には、行かない。

「君は一体・・・」
「返事は?」
 何か言いたげな男の言葉を遮って。

「へ・ん・じ・は?」
 畳み掛ける様に、含み聞かせる様に、しっかりと。




「――――――はい」
 力にごり押しされて、訳が分からぬまま返事をする男。
「よし」
 言ってあたしは右腕の甲部分を、男の胸にとん、と軽く当てて、



「ローディアよ」
「シリウスだ」


 ――天空に輝く白刃の、シリウス、ね。
 何とも皮肉な名前だ。

 そんな事を思いながら、あたしは立ち上がった。

「動き出した・・・かしら?」
 誰にも聞こえないように、小さく呟いた。





 これがあたし達の出会いだった―――

拍手[0回]

■innocence  ―序章―  ■




 風が吹き荒れていた。
 草原である。
 言い方を変えれば、荒野、と呼べなくも無い。


 そう、これは必然。
 どんなに偶然と思える事も、今このあたしが置かれている状況の中では、全て必然なのだ。


 この吹きすさぶ風も、
 怪しくなって行く雲行きも、
 眼前に広がる草原も、
 そこに現れた下級魔族の群れも。


 そして、それに立ちはだかる彼も。


 全ては仕組まれた必然。
 逃れられないカイロス。
 動き出したのだ。
 全てが。
 世界が。
 音を立てて。
 人知れず。


 破滅への道標と共に――







「黒龍炎(ブラド・ラグア)!」
 あたしの放った一撃が、一匹の下級魔族(ヴァルジャ・デーモン)に直撃、肉薄する。
 咆哮を上げる下級魔族。
 しかし、まだ致命傷には至らない。

「水崩覇(アクア・ブラス)!」
 シリウスが広範囲攻撃型の水系列の呪文を解き放つ。
 槍状の放たれた水が、目標物全てを目指し、風を切る。


 ざしゅざしゅずしゅ!

 彼の放った一撃を、まともに食らう下級魔族達。
 さすがに広範囲呪文を避ける術は持っていないようである。
 しかし、下級と言えども魔族は魔族である。
 その厚く覆われた皮膚は、普通の物理攻撃は受け付けないようになっている。
 精霊媒体の物理呪文では、ダメージはほぼ皆無。

 しかし、内側には物理攻撃でも効く!


「重雷轟陣(アレク・ヴォルド)!」

 腰に仕込んだ短剣を抜き放ち、その剣に雷系列の術をかけ、地面に突き立てる。

「グシャアア!」
「ゴルギャアア!」
「シギャア!」

 思い思いの断末魔の声を上げ、内側から四散していく下級魔族達。
 
 水の呪文によって濡れ鼠になっていた状態に、電気が走ったとしたら・・
 感電するのは、目に見えている。

 勿論、普通の威力の術では力量不足。
 あたしはちゃんと術を増幅させておき、尚且つアレンジを加えて剣を媒体に、奴らの体内に術が入り込むようにしたのだ。
 それで、この様な見事な圧勝となった訳である。


 ――キンッ。

 小さな音を立てて短剣を鞘にしまう。
 前髪をかきあげて彼を振り返ると、やっと安堵したように小さく笑った。

「ナイスフォロー、ね。助かったわ。ありがとう」
「か弱い女の子一人で戦わせる訳に行かないでしょう。男として」
 雲行きが本気で危うくなってきている。
 そろそろ、一雨来るかもしれない。
「か弱い自覚はないんだけど?」
「そりゃそうだ。君は僕なんかより全然強い」
 あたしは軽く眉をひそめて、右手の拳を彼に向かって放つ。
 彼はひらりと身を翻して、片手でその拳を受け止める。

 ―パシ。

 拳が掌にすっぽり包まれた瞬間、乾いた音がした。


 ――ぱた。

 まぶたに冷たい物を感じて空を見上げる。
 本格的に暗くなった空は、まだ日が昇っている筈の時間なのに、夜のような色をしていた。
 その黒い雲から、ぽつりぽつりと大粒の雫が落ちて来る。

「――急ごう」
 彼はそう言うと、間近に迫った待ち目掛けて走り出した。
 あたしも無言でその後を追い、すぐに彼の右隣に並ぶ。
 ぱたぱたと身体に落ちていた雨粒が、彼の横まで来た頃には感じなくなっていた。
「―?」
 不審に思って瞳だけを動かして上を見てみると、無言でマントであたしの頭上を覆っていてくれた。
 彼に視線を移しても、真っ直ぐ前を見ているだけである。
「・・か弱くないって、言ってるのに」
 彼にも聞こえないくらい小さく呟いた。
 まだ誰も気付く事の無い、複雑な想いを抱えながら。
 恐らくその時のあたしの表情は、かなり険しかったに違いない――







「取り合えず、『焔』に関する情報を集めた方がいいわね」
 街まで走り付いて、商店街の軒先の屋根の下。
 恐らく夕立だろう雨は、今が最盛期とばかりに勢いを増している。
「君は、どうして・・・」
 彼が浮かない口調で、降りしきる雨を見つめながら言った。
「だって、焔に会いたいんでしょ?あなた」
 ショルダーガードについた水滴を、無駄な抵抗と分かってはいても手で払った。
「それがどういう意味か、君は分かってるの?」
 濡れたフードが煩わしいのか、ちょっとしかめっ面をして目深にかぶり直す。
 いっそ、堂々と顔を出していた方が目立たないんじゃないだろうか、なんて無責任な考えが頭をよぎる。
 まあ、禁忌をひけらかして歩くのは、どう考えても好まないらしい事は確かだった。
 最も、堂々としていた所で虐げられているのは目に見えているのだから、懸命な措置、と言えるだろうが。
「意味なんかどうでもいいのよ。あなたが焔に会いたいなら、あたしはそれを実現させるまでよ」
 
 白んできた空に、いい加減雨粒を落とすのは止めなさい。
 なんて、心の中で思ってみたりして。


 肩と肩とが触れ合っている距離。
 これは、あたしと彼にとってはお互い近すぎる距離。


 早く雨よあがって。
 あたしをここから抜け出させて。


「君は、どうしてそんな事をするの?」
 いつの間にか、フードの中の瞳があたしを捕らえていた。
「君にとっては、全く関係の無い事なのに、何故・・?」
 あたしは一瞬彼の視線を捕らえ、すぐにまた空に目を移す。
 そしてそのまま、彼の顔を見ないように言った。
「それが、あたしの仕事だから」
「・・・仕事?」
 彼が眉をひそめ尋ねる。
「そう、仕事」
「それは一体・・・」
 明確な答えを避けるあたしを、不審がる様な、訝しがるような雰囲気で眺める。
「やらなきゃいけないの」
 あたしはわざと明るい声で言った。暗く、落ち込んでいたってどうしようもない話なのだ。
「それが決まりなの」
「決まり?決められているから僕と一緒に?」
「そうよ」
「じゃあ、君の意思は?」
 こんな状況でも、あたしみたいな人間の心配すらしてしまう。
 彼が、哀れに思えた。
 あたしはわざとふふん、と鼻で笑って、
「あたしが人の指図だけで動くと思う?あなたに手を貸す、それがあたしには妥当に思えた。だから今、こうしてここにいるの」
「でも、君の自由は・・・」
「ローディア」
「え・・」
 彼の言葉を遮って、あたしはあたしの名前を、声を張って口に出す。
「君、じゃなくてローディアよ。呼びにくかったら、ロードでもいいわ」
 光が天かこぼれて来る。見上げると、いつ止んだのか、もう雨は残ってはいなかった。
「ね、シリウス」
 あたしは彼の方を振り返り、にっこり笑って見せた。
 髪の毛を濡らしていた雫が、振り返った瞬間宙に舞う。
 その雫が太陽に反射してきらきら輝いていた。


 ――綺麗――


 なんて、ガラにもなく思ったりして。
「これからはあたしがあなたの名前を呼んであげる。だから、あなたもあたしを名前で呼んで」
 フードの中の真白い髪の毛を、さらり、と指でなぞる。
 頼りなさげな瞳が、今にも泣き出しそうな色をたたえているような気がした。
 あたしは彼の頬を両手で挟んで、
「ね、シリウス」
 そう言って笑った。
 彼は、そろそろと何か壊れ物にでも触るかのように、ゆっくりゆっくりと、あたしの手に触れて微かに微笑した。
「・・・ローディア・・・」
 フードの中の瞳に、心配ないよ、と微笑んであげる。
 それで彼が安心するのなら、あたしは何度だってこうして笑ってあげよう。



 あたしは遥か地平線を眺めた。
 さあ、悪夢の始まりだ―――

拍手[0回]

≪ 前のページ   |HOME|   次のページ ≫
material by Sky Ruins  /  ACROSS+
忍者ブログ [PR]
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
プロフィール
HN:
mamyo
性別:
非公開
ブログ内検索
バーコード