桃屋の創作テキスト置き場
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■SHIROH 希わくば■
「お前は何故、歌う?」
「―――え?」
唐突に口を開いた私の台詞に、面食らった様な声で、弾かれた様にこちらを振り返る。
私と同じ名を持つ少年。
――少年と言うには御幣があるかも知れない。見た所、年の頃なら十五は超えている様だったし、腕も足もすらりと伸びている。しかし、青年と呼ぶのも、何かしっくり来ないのも事実だ。
屈託無く笑うその純粋さや、澱みの無い瞳、歌声。
どれを取っても、不思議な男なのだ。
この眼前で私を見上げる彼は。
私はもう一度、同じ台詞を吐く。
「お前は、何故、歌う?」
海からの湿気を含んだ風が、私と彼の髪の毛をすらりとなぞる。
彼は答えない。ただ、目の前の私の瞳を、その大きな瞳で見つめ返すだけである。
「シロー、お前は何故、歌うんだ?」
見詰め続けられるのは元来苦手だが、彼が相手ならば、別段不愉快では無かったから、そのまま私は彼に背を向け掛けた姿勢で佇み、首だけを回して彼が動くのを待つ。
シローが少し、困った様に笑った。
「良く、解らないんだ」
風がひらひらと流れる。
陽が水平線と交わり掛けている。
とても静かだ。
この場には、彼と私、二人しか居ない。
とても静かで、心地良かった。
私は思わずぽつりと言葉を唇に乗せる。
「昼間の喧騒が、嘘の様だな」
「四郎さん、どうしたの?」
シローが顔を覗きこんで来る。
どうやっても彼のほうが背丈が低いので、何かにつけて下から見上げられる。
最近はそれも慣れてしまった。
「どうしたって―――何が?」
私は、自分の顔に何か着いてでも居るのかと、手のひらで顔を拭いながら。
「何だか寂しそう。今の四郎さん」
鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔、と言うものを、今実際に自分がしているらしい事に気付き、苦笑する。
私は元来笑う事が苦手だが、彼の前では随分と笑顔を出している事に気付き、不思議な気持ちになる。
シローは、本当に不思議な男なのだ。
でなければ、捻じ曲がり、卑屈になった私の心の中に、こうも易々と入り込み、そのまま居付いてしまうなんて芸当が、出来る筈は無い。
「お前は何だか楽しそうだな」
片方の眉をわざと吊り上げて言った私に、彼は無邪気に声を出して笑った。
「楽しいんじゃないよ。嬉しいんだ」
「――嬉しい――?何故・・・」
今度は芝居では無く、本当に眉を顰めて問い返す。
彼はひらりと、まるで舞い散る花弁の様に私に近付き、
「四郎さんが弱味を見せてくれたみたいで、嬉しいんだよ」
ざざ、ざざと波がこだましている。
陽はもう半分程海に溶けてしまっている。
「弱味を見せたつもりは無いが――愚痴めいてはいたかも知れん」
「それでも同じ事なの!」
彼は私の片手を取り、それを軸にこちょこちょと私の周りを駆け回る。
全く、子供と言うのは何故こんなにも無駄に元気が良いのかと、苦笑する。
「俺に、四郎さんの重荷の、ほんの何分の一かでも分けてもらったみたいだから」
彼は動くのを止め、いつしか私の真正面の立ち、
「だから、嬉しいんだ」
そう言って、暗くなりつつある海岸で、目を細めんばかりに眩しく笑った。
私にも、こんな純真な時期があったのだろうかと、年寄りじみた想いが過ぎる。
彼はくるりと身を翻して、私の背中に自分の背中をぴったりとくっ付ける。
「何やる気だ」
「よっと!」
シローはそのまま、背中合わせのまま、私の両腕に自分の両腕を絡ませ、前屈の要領で、私を持ち上げる。
「馬鹿、降ろせ!」
「う~・・」
いきなり足が地面から離れ、一瞬慌てたが、直ぐに又、地面に降ろされた。
「せめて一言言ってからにしろ」
「四郎さん、案外重い」
顔を真っ赤にしたシローが、一寸疲れた声で言う。
「当たり前だろう。私の方がお前より背丈も、身幅もあるんだ」
「いいなぁ」
呆れて息を吐く私に、シローは口をとんがらせて、ふて腐れる真似をしてみせる。
「俺も、四郎さんみたいに強ければ良かったのになぁ」
両手を握ったり開いたりしながらぼやく。
私は三度苦笑して、彼の頭に自分の無骨な手を乗せる。
「――ありがとう」
彼は上目遣いで、私の次の言葉を待つ様に、ただ黙っている。
「ありがとう、シロー」
彼の一連の行動が、私を気遣っている為だと気付いた。
正直、面食らったが、嬉しかった。
彼なりの私へのいじらしい様な気遣いが、気恥ずかしさと同時に、心底滲み込んだ。
「保護者の私が、こんなでは、駄目だな」
彼の頭で手をわしわし動かしながら、笑う。
彼も、私の笑みを確認すると、上目遣いのまま、笑った。
「保護者の立場逆転だね」
「今、この一瞬だけな」
私がやや憮然と答えると、彼は流れる様に歌い出した。
聞き覚えの無い、異国の歌だった。
恐らく、彼の父親が彼に伝えた歌だろう。そう、思った。
異国語の意味は皆目解らなかったが、美しい旋律だった。
私は彼の歌声に酔いしれ、呆けた様に立ち尽くしていた。
彼は、シローは、歌い終わると、こちらに向き直り、今日何度目か解らない笑顔を零して、再び私の手を取った。
「帰ろう、四郎さん」
「ああ、帰ろう、シロー」
彼が居れば、救われる。
彼さえ居てくれれば、私は永遠に救われる。
本気で、そう、思った。
陽はもう、とうの昔に沈み切っていた。
彼は私の手を引いて歩き出した。
神よ、願わくば、彼の歌がいつまでも聴けますように、と。
願わくば、彼を、彼の歌を、彼の全てを守れますように、と。
希わくば、彼が私と同じ道を、歩む事の無い様に、と。
SHIROH 希わくば 終わり
「お前は何故、歌う?」
「―――え?」
唐突に口を開いた私の台詞に、面食らった様な声で、弾かれた様にこちらを振り返る。
私と同じ名を持つ少年。
――少年と言うには御幣があるかも知れない。見た所、年の頃なら十五は超えている様だったし、腕も足もすらりと伸びている。しかし、青年と呼ぶのも、何かしっくり来ないのも事実だ。
屈託無く笑うその純粋さや、澱みの無い瞳、歌声。
どれを取っても、不思議な男なのだ。
この眼前で私を見上げる彼は。
私はもう一度、同じ台詞を吐く。
「お前は、何故、歌う?」
海からの湿気を含んだ風が、私と彼の髪の毛をすらりとなぞる。
彼は答えない。ただ、目の前の私の瞳を、その大きな瞳で見つめ返すだけである。
「シロー、お前は何故、歌うんだ?」
見詰め続けられるのは元来苦手だが、彼が相手ならば、別段不愉快では無かったから、そのまま私は彼に背を向け掛けた姿勢で佇み、首だけを回して彼が動くのを待つ。
シローが少し、困った様に笑った。
「良く、解らないんだ」
風がひらひらと流れる。
陽が水平線と交わり掛けている。
とても静かだ。
この場には、彼と私、二人しか居ない。
とても静かで、心地良かった。
私は思わずぽつりと言葉を唇に乗せる。
「昼間の喧騒が、嘘の様だな」
「四郎さん、どうしたの?」
シローが顔を覗きこんで来る。
どうやっても彼のほうが背丈が低いので、何かにつけて下から見上げられる。
最近はそれも慣れてしまった。
「どうしたって―――何が?」
私は、自分の顔に何か着いてでも居るのかと、手のひらで顔を拭いながら。
「何だか寂しそう。今の四郎さん」
鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔、と言うものを、今実際に自分がしているらしい事に気付き、苦笑する。
私は元来笑う事が苦手だが、彼の前では随分と笑顔を出している事に気付き、不思議な気持ちになる。
シローは、本当に不思議な男なのだ。
でなければ、捻じ曲がり、卑屈になった私の心の中に、こうも易々と入り込み、そのまま居付いてしまうなんて芸当が、出来る筈は無い。
「お前は何だか楽しそうだな」
片方の眉をわざと吊り上げて言った私に、彼は無邪気に声を出して笑った。
「楽しいんじゃないよ。嬉しいんだ」
「――嬉しい――?何故・・・」
今度は芝居では無く、本当に眉を顰めて問い返す。
彼はひらりと、まるで舞い散る花弁の様に私に近付き、
「四郎さんが弱味を見せてくれたみたいで、嬉しいんだよ」
ざざ、ざざと波がこだましている。
陽はもう半分程海に溶けてしまっている。
「弱味を見せたつもりは無いが――愚痴めいてはいたかも知れん」
「それでも同じ事なの!」
彼は私の片手を取り、それを軸にこちょこちょと私の周りを駆け回る。
全く、子供と言うのは何故こんなにも無駄に元気が良いのかと、苦笑する。
「俺に、四郎さんの重荷の、ほんの何分の一かでも分けてもらったみたいだから」
彼は動くのを止め、いつしか私の真正面の立ち、
「だから、嬉しいんだ」
そう言って、暗くなりつつある海岸で、目を細めんばかりに眩しく笑った。
私にも、こんな純真な時期があったのだろうかと、年寄りじみた想いが過ぎる。
彼はくるりと身を翻して、私の背中に自分の背中をぴったりとくっ付ける。
「何やる気だ」
「よっと!」
シローはそのまま、背中合わせのまま、私の両腕に自分の両腕を絡ませ、前屈の要領で、私を持ち上げる。
「馬鹿、降ろせ!」
「う~・・」
いきなり足が地面から離れ、一瞬慌てたが、直ぐに又、地面に降ろされた。
「せめて一言言ってからにしろ」
「四郎さん、案外重い」
顔を真っ赤にしたシローが、一寸疲れた声で言う。
「当たり前だろう。私の方がお前より背丈も、身幅もあるんだ」
「いいなぁ」
呆れて息を吐く私に、シローは口をとんがらせて、ふて腐れる真似をしてみせる。
「俺も、四郎さんみたいに強ければ良かったのになぁ」
両手を握ったり開いたりしながらぼやく。
私は三度苦笑して、彼の頭に自分の無骨な手を乗せる。
「――ありがとう」
彼は上目遣いで、私の次の言葉を待つ様に、ただ黙っている。
「ありがとう、シロー」
彼の一連の行動が、私を気遣っている為だと気付いた。
正直、面食らったが、嬉しかった。
彼なりの私へのいじらしい様な気遣いが、気恥ずかしさと同時に、心底滲み込んだ。
「保護者の私が、こんなでは、駄目だな」
彼の頭で手をわしわし動かしながら、笑う。
彼も、私の笑みを確認すると、上目遣いのまま、笑った。
「保護者の立場逆転だね」
「今、この一瞬だけな」
私がやや憮然と答えると、彼は流れる様に歌い出した。
聞き覚えの無い、異国の歌だった。
恐らく、彼の父親が彼に伝えた歌だろう。そう、思った。
異国語の意味は皆目解らなかったが、美しい旋律だった。
私は彼の歌声に酔いしれ、呆けた様に立ち尽くしていた。
彼は、シローは、歌い終わると、こちらに向き直り、今日何度目か解らない笑顔を零して、再び私の手を取った。
「帰ろう、四郎さん」
「ああ、帰ろう、シロー」
彼が居れば、救われる。
彼さえ居てくれれば、私は永遠に救われる。
本気で、そう、思った。
陽はもう、とうの昔に沈み切っていた。
彼は私の手を引いて歩き出した。
神よ、願わくば、彼の歌がいつまでも聴けますように、と。
願わくば、彼を、彼の歌を、彼の全てを守れますように、と。
希わくば、彼が私と同じ道を、歩む事の無い様に、と。
SHIROH 希わくば 終わり
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