桃屋の創作テキスト置き場
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■こんぺいとう 3 お仕事しましょ 3 ■
ぱらぱらと財布を持って出て行く後輩達。
正午を少し過ぎてしまったが、昼飯を食いに出かけるのだ。
だだっ広い室内に残ったのは、輝愛と千影。
そして社長の紅龍と、例の3馬鹿トリオの武田、山下、橋本である。
千影の手には、みっしり中身の詰まったお重。
後輩トリオは、瞳をキラキラさせて待っている。
千影は苦虫を噛み潰したように眉を寄せ、憮然とした表情で「ありがたく食え」 と言って、手近に居た橋本勇也(はしもとゆうや)にお重を渡した。
「俺も御相伴に与って良いかね?えーっと・・」
紅龍が輝愛を見ながら言う。
「輝愛です。高梨輝愛」
輝愛はすぐさまぱっ、と向き直り、深々とお辞儀をする。
「そう、輝愛ちゃん」
「勿論、是非どうぞ。お味とお腹の保証はしませんけど」
にっこり笑って言う輝愛に、眉尻を下げて微笑む。
「ご安心を。こう見えても舌には自信があるし、内臓は丈夫なんでね」
言いつつ頭一個以上小さな彼女の頭を、ふんわりと撫でる。
・・・気持ち良いかも。
カワハシみたくくしゃ、って撫でる感じじゃなくて、何かこう・・
「お父さんみたい」
思わず飛び出た輝愛の言葉に、後輩トリオは爆笑し、千影は口を開けて彼女を見つめ、当の社長は鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔で硬直していた。
後輩の山下がひーひー笑いながら、
「これでも社長まだ31なんだから、お父さんは可愛そうだよ」
一瞬にして輝愛は青ざめ、
「しゃ!社長!?ええ偉いの?そんなに若いのに?どどどどうしよ」
顔面蒼白になりながら、勢い良く頭を下げ、そのまま固まってしまう。
「すいませんでした~」
もはや声まで震えている。
その様子を見かねてか、紅龍は小さく苦笑し、
「気にしてないから」
と、再び優しく頭を撫でてくれた。
そのふんわりした感触を確かめながら、
・・・やっぱりお父さんみたい。
と、一人心の中だけで微笑んだ。
最も、彼女に父親の記憶は無いから、彼女の想像の父親のイメージに過ぎない。
そこかしこに散らばってるパイプ椅子を集め、脇にある小さめの折りたたみのテーブルを持ってきて、簡易食卓の出来上がり、である。
「うわーすげえ!」
蓋を開けるや否や、この場で輝愛に次いで若年な武田高嗣(たけだたかつぐ)が感嘆符を漏らす。
「ぬわ!本当だ!」
「・・・っかー・・・」
山下と橋本も、目を丸くして思い思いの声を漏らす。
独身一人身の彼らにとって、お重の中身は涙が出るようなラインナップだった。
肉じゃが、きんぴら、だし巻き卵、唐揚げに筑前煮、中華風肉団子等等以下略。
「あ、お箸とお皿・・」
輝愛は持参した割り箸と紙皿を配るが、三人は受け取ったまま身じろぎしないでいる。
「あの・・」
恐る恐る声をかける。
何か苦手なものでも入ってたのかな?
アレルギーがあって食べれないとか?
心配そうな顔で目の前の三人を覗き込む輝愛。
千影は呆れた顔で、
「食わないの?お前ら」
とだけ言って、一番に箸を伸ばした。
「これ、食って良いんですか・・?」
山下が何故か上目遣いで尋ねてくる。
紅龍は苦笑し、千影は半眼で呆れている。
「食べてもらうために作ったんですけど・・」
当の輝愛も、唖然としている。
武田、山下、橋本の三人は、目を見合わせて、律儀にも両手を合わせてから箸を伸ばした。
「お前は行儀の良さに関してはあいつらに負けてるな、ちか」
横からさも可笑しそうに、紅龍が千影に耳打ちする。
「いいの、これはうちのなんだから、な?」
筑前煮を口に放り込んで、空いている左手で娘分の頭をくしゃっ、と撫でた。
社長のとやっぱし撫で方違うなあ・・・
輝愛はだし巻き卵をくわえながら、自らの頭に乗せられた馴れ親しんだ大きな手を見上げる。
・・・でも、こっちの方がやっぱ好きかも。
独り言の様に考えて、笑った。
作りすぎたかな、と思っていた筈の弁当が、あっという間に消えて行く。
・・・男の人って、たくさん食べるんだなあ・・・
きんぴらごぼうを口に突っ込みながら、目の前の旺盛な食欲の男性陣を眺める。
千影も食べる方だが、やはり育ち盛り(?)食べ盛りの大学生年齢の奴らには適わない。
「飢えてるねえ・・・」
千影が呆れながら呟く。
どっちの意味での『飢えてる』なのかは敢えて言わなかったが、両方の意味で取って間違いないだろう。
「そんなに飢えるほど給料低いのかな、うちは」
紅龍が社長の顔で苦笑する。
「いやいやいや、少ないくはないと思いますケド!!」
橋本が慌てて手をぶんぶか振る。
「俺達まだ若いから!腹減るんですよ!」
「悪かったな年寄りで」
言い訳めいた山下の台詞に、千影がわざと低い声で答えて、そのまま彼の皿の上の肉団子を掠め取る。
「年寄りだって腹は減るんだよ、な?紅龍」
「俺を一緒にするな」
淡々とした口調のまま、ジト目で千影を睨む。
「川兄と社長、3歳しか違わないし、社長のが年上じゃないですか」
「そしたら勇也と俺も3歳しか違わないぞ?」
山下のフザケタ台詞に、千影が半眼のまま意見する。橋本勇也(はしもとゆうや)と言うのは、千影の三歳下の後輩で、3馬鹿トリオのトップを切っている、悪がきみたいな奴である。
が、話題に上げられた当の橋本は、いたずら小僧みたいに笑いながら、
「いやいやいや、二十代と三十代には大きな隔たりがありますって」
「まだ二十八だ」
間髪入れずに座った目で断言する千影。
横で紅龍が社長のではなく、千影の先輩の顔で苦笑している。
「ちか、三十路は楽しいぞ~。早くこっちへ堕ちて来い」
「まだ二十代だ!紅龍といっしょくたにするなっつーの」
ニヤニヤしながら千影をからかう紅龍。
学生時代からずっと続く、永遠に千影が勝てない頭の悪い勝負である。
「どっちも大して変わらなくない?」
輝愛の無情と言えば無情な一言に、上の二人は固まり、下の三人は含み笑いをした。
「輝愛ちゃんからしたら、社長も川ちゃん先輩も同じようなもんですよね」
山下が輝愛に笑いかけながら言う。
彼女は自分が発言した台詞にどんな意味があるか理解しきれておらず、山下の言葉ににっこりしたまま頷く。
社長(紅龍)と部長(千影)は、決まり悪そうにお互いを見て、一方は口をへの字に、もう一方は半眼になった。
そして半眼の男が気分悪そうに、後輩の山下を見据えて一言。
「どうでもいいけど、気安く『輝愛ちゃん』なんて呼ぶなよな」
一瞬全員が硬直し、しばらくの後、紅龍だけが『ぷっ』と小さく声を漏らした。
「何だよ・・」
「別に」
普通の人間ならば、千影に睨み付けられたら動けなくなってしまうくらいの鋭い眼光ではあるのだが、やはり先輩の紅龍には効果は無いらしい。
「俺は『ちゃん』で呼ぶけどな。なー輝愛ちゃん♪」
「はい、社長」
千影の目線をするりと交わし、隣の腰掛ける輝愛の肩に、あまつさえ手なんか添えちゃったりしながら。
ちなみに、見た目は大層生真面目に見える社長の最近の専らの趣味は「千影いじり」である。
「それにしても、輝愛ちゃん、料理うまいね」
「そうそう、俺感動しちゃったよ。ご馳走様」
「ちゃん呼びやめれ」
「輝愛ちゃん、年いくつ?」
「輝愛ちゃんって、川兄とどんな関係?妹じゃないよね?」
後輩連中、千影をナチュラルに無視。
紅龍が『まあまあ』といささか大人な意見で千影を影でたしなめる。
「あたしはー・・」
そう、輝愛が口を開きかけた瞬間。
一陣の風が室内に、音を立てて流れ込む。
そして―――
ぱらぱらと財布を持って出て行く後輩達。
正午を少し過ぎてしまったが、昼飯を食いに出かけるのだ。
だだっ広い室内に残ったのは、輝愛と千影。
そして社長の紅龍と、例の3馬鹿トリオの武田、山下、橋本である。
千影の手には、みっしり中身の詰まったお重。
後輩トリオは、瞳をキラキラさせて待っている。
千影は苦虫を噛み潰したように眉を寄せ、憮然とした表情で「ありがたく食え」 と言って、手近に居た橋本勇也(はしもとゆうや)にお重を渡した。
「俺も御相伴に与って良いかね?えーっと・・」
紅龍が輝愛を見ながら言う。
「輝愛です。高梨輝愛」
輝愛はすぐさまぱっ、と向き直り、深々とお辞儀をする。
「そう、輝愛ちゃん」
「勿論、是非どうぞ。お味とお腹の保証はしませんけど」
にっこり笑って言う輝愛に、眉尻を下げて微笑む。
「ご安心を。こう見えても舌には自信があるし、内臓は丈夫なんでね」
言いつつ頭一個以上小さな彼女の頭を、ふんわりと撫でる。
・・・気持ち良いかも。
カワハシみたくくしゃ、って撫でる感じじゃなくて、何かこう・・
「お父さんみたい」
思わず飛び出た輝愛の言葉に、後輩トリオは爆笑し、千影は口を開けて彼女を見つめ、当の社長は鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔で硬直していた。
後輩の山下がひーひー笑いながら、
「これでも社長まだ31なんだから、お父さんは可愛そうだよ」
一瞬にして輝愛は青ざめ、
「しゃ!社長!?ええ偉いの?そんなに若いのに?どどどどうしよ」
顔面蒼白になりながら、勢い良く頭を下げ、そのまま固まってしまう。
「すいませんでした~」
もはや声まで震えている。
その様子を見かねてか、紅龍は小さく苦笑し、
「気にしてないから」
と、再び優しく頭を撫でてくれた。
そのふんわりした感触を確かめながら、
・・・やっぱりお父さんみたい。
と、一人心の中だけで微笑んだ。
最も、彼女に父親の記憶は無いから、彼女の想像の父親のイメージに過ぎない。
そこかしこに散らばってるパイプ椅子を集め、脇にある小さめの折りたたみのテーブルを持ってきて、簡易食卓の出来上がり、である。
「うわーすげえ!」
蓋を開けるや否や、この場で輝愛に次いで若年な武田高嗣(たけだたかつぐ)が感嘆符を漏らす。
「ぬわ!本当だ!」
「・・・っかー・・・」
山下と橋本も、目を丸くして思い思いの声を漏らす。
独身一人身の彼らにとって、お重の中身は涙が出るようなラインナップだった。
肉じゃが、きんぴら、だし巻き卵、唐揚げに筑前煮、中華風肉団子等等以下略。
「あ、お箸とお皿・・」
輝愛は持参した割り箸と紙皿を配るが、三人は受け取ったまま身じろぎしないでいる。
「あの・・」
恐る恐る声をかける。
何か苦手なものでも入ってたのかな?
アレルギーがあって食べれないとか?
心配そうな顔で目の前の三人を覗き込む輝愛。
千影は呆れた顔で、
「食わないの?お前ら」
とだけ言って、一番に箸を伸ばした。
「これ、食って良いんですか・・?」
山下が何故か上目遣いで尋ねてくる。
紅龍は苦笑し、千影は半眼で呆れている。
「食べてもらうために作ったんですけど・・」
当の輝愛も、唖然としている。
武田、山下、橋本の三人は、目を見合わせて、律儀にも両手を合わせてから箸を伸ばした。
「お前は行儀の良さに関してはあいつらに負けてるな、ちか」
横からさも可笑しそうに、紅龍が千影に耳打ちする。
「いいの、これはうちのなんだから、な?」
筑前煮を口に放り込んで、空いている左手で娘分の頭をくしゃっ、と撫でた。
社長のとやっぱし撫で方違うなあ・・・
輝愛はだし巻き卵をくわえながら、自らの頭に乗せられた馴れ親しんだ大きな手を見上げる。
・・・でも、こっちの方がやっぱ好きかも。
独り言の様に考えて、笑った。
作りすぎたかな、と思っていた筈の弁当が、あっという間に消えて行く。
・・・男の人って、たくさん食べるんだなあ・・・
きんぴらごぼうを口に突っ込みながら、目の前の旺盛な食欲の男性陣を眺める。
千影も食べる方だが、やはり育ち盛り(?)食べ盛りの大学生年齢の奴らには適わない。
「飢えてるねえ・・・」
千影が呆れながら呟く。
どっちの意味での『飢えてる』なのかは敢えて言わなかったが、両方の意味で取って間違いないだろう。
「そんなに飢えるほど給料低いのかな、うちは」
紅龍が社長の顔で苦笑する。
「いやいやいや、少ないくはないと思いますケド!!」
橋本が慌てて手をぶんぶか振る。
「俺達まだ若いから!腹減るんですよ!」
「悪かったな年寄りで」
言い訳めいた山下の台詞に、千影がわざと低い声で答えて、そのまま彼の皿の上の肉団子を掠め取る。
「年寄りだって腹は減るんだよ、な?紅龍」
「俺を一緒にするな」
淡々とした口調のまま、ジト目で千影を睨む。
「川兄と社長、3歳しか違わないし、社長のが年上じゃないですか」
「そしたら勇也と俺も3歳しか違わないぞ?」
山下のフザケタ台詞に、千影が半眼のまま意見する。橋本勇也(はしもとゆうや)と言うのは、千影の三歳下の後輩で、3馬鹿トリオのトップを切っている、悪がきみたいな奴である。
が、話題に上げられた当の橋本は、いたずら小僧みたいに笑いながら、
「いやいやいや、二十代と三十代には大きな隔たりがありますって」
「まだ二十八だ」
間髪入れずに座った目で断言する千影。
横で紅龍が社長のではなく、千影の先輩の顔で苦笑している。
「ちか、三十路は楽しいぞ~。早くこっちへ堕ちて来い」
「まだ二十代だ!紅龍といっしょくたにするなっつーの」
ニヤニヤしながら千影をからかう紅龍。
学生時代からずっと続く、永遠に千影が勝てない頭の悪い勝負である。
「どっちも大して変わらなくない?」
輝愛の無情と言えば無情な一言に、上の二人は固まり、下の三人は含み笑いをした。
「輝愛ちゃんからしたら、社長も川ちゃん先輩も同じようなもんですよね」
山下が輝愛に笑いかけながら言う。
彼女は自分が発言した台詞にどんな意味があるか理解しきれておらず、山下の言葉ににっこりしたまま頷く。
社長(紅龍)と部長(千影)は、決まり悪そうにお互いを見て、一方は口をへの字に、もう一方は半眼になった。
そして半眼の男が気分悪そうに、後輩の山下を見据えて一言。
「どうでもいいけど、気安く『輝愛ちゃん』なんて呼ぶなよな」
一瞬全員が硬直し、しばらくの後、紅龍だけが『ぷっ』と小さく声を漏らした。
「何だよ・・」
「別に」
普通の人間ならば、千影に睨み付けられたら動けなくなってしまうくらいの鋭い眼光ではあるのだが、やはり先輩の紅龍には効果は無いらしい。
「俺は『ちゃん』で呼ぶけどな。なー輝愛ちゃん♪」
「はい、社長」
千影の目線をするりと交わし、隣の腰掛ける輝愛の肩に、あまつさえ手なんか添えちゃったりしながら。
ちなみに、見た目は大層生真面目に見える社長の最近の専らの趣味は「千影いじり」である。
「それにしても、輝愛ちゃん、料理うまいね」
「そうそう、俺感動しちゃったよ。ご馳走様」
「ちゃん呼びやめれ」
「輝愛ちゃん、年いくつ?」
「輝愛ちゃんって、川兄とどんな関係?妹じゃないよね?」
後輩連中、千影をナチュラルに無視。
紅龍が『まあまあ』といささか大人な意見で千影を影でたしなめる。
「あたしはー・・」
そう、輝愛が口を開きかけた瞬間。
一陣の風が室内に、音を立てて流れ込む。
そして―――
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■こんぺいとう 3 お仕事しましょ 4 ■
バダン!
と言う大きな音と共に、入り口のドアが景気良く開かれた。
そしてそこに佇む、一人の長身美女。
「やっほー!お元気?麗しの珠子ちゃん登場~」
見た目のいかにもセレブ系ないでたちには似つかわしくない、素っ頓狂な台詞でいざ登場である。
「雅のゲネ見てから来たから遅くなっちゃった。ほら、雅に大ちゃんレンタル中じゃない?だからちょっと覗いてきたのよ。あらちかちゃん、何か怖い顔してるわね?」
着てきたジャケットを脱ぎ、紅龍にぽい、と投げて渡す。
「珠子、もうちょい普通に渡せ」
「はいは~い。あ、勇也、茜、高ちゃん、おはよう」
紅龍の言葉をさらりと受け流し、口を半開きにしたまま固まっていた3馬鹿トリオに声をかける。
「お、おはようございます、珠子姐さん」
なんだか極道のようなご挨拶である。
彼女はテーブルに載っていた灰皿を捕獲し、煙草を取り出して火を点けようとして、止まった。
珠子の視線の先には、見慣れない、本来ここに存在するはずのない人物。
つまり、輝愛がいた。
輝愛は、珠子の顔をまじまじと見つめ、
「あ、さっき道教えてくれたお姉さん、さっきはありがとうございます」
と言って、椅子から立ち上がり彼女の前でお辞儀をした。
当の珠子は、未だ固まったままである。
「あの・・・?」
輝愛が不信がって彼女の顔を覗き込む。
「やばい、トーイ、離れろ!」
千影が焦った声で叫ぶが、時既に遅し。
珠子は輝愛の肩をがしっ、と鷲掴みにする。
「ひっ!」
思わず声を上げる輝愛。しかし、珠子はそんな事お構いなしで、大きな瞳をうるうるさせて、感極まった表情で、
「・・・かわい~い・・」
「は?」
「可愛い!!」
背後で千影と紅龍が『あちゃー』と言って頭を抱えている。
「何?何コレ!可愛い!さっきちゃんと見てなかったから気付かなかったけども!いやーんほっぺたぷにぷに~!髪の毛サラサラ~!!」
「いや、あの・・」
「ちっちゃ~い!目くりくり!!たまんないわーぬいぐるみみたい!!」
言うだけ言って、輝愛をぎゅう、と抱き締める。
「あああああああの!?」
「ああもうたまんないわコレ!さっき会えたのも、ここでの再開も、もう運命よね!確定だわ!ねえ誰の!?この子誰の子!?貰っていい?いいよね?良いわよね?はい決定!!お嬢ちゃん、うちの子にならない?お姉さんいろんな事教えてあ・げ・る」
頬を上気させて輝愛をしっかり抱き締める。
張本人は事態の把握が出来ずに、されるがままである。
「珠子、いくらなんでも『お姉さん』は言い過ぎだろう」
紅龍の突っ込みが入る。
しかし、本来突っ込むべきポイントはそこではないだろう。
「いいじゃない紅ちゃん、この子今日からうちの子ね♪あ、お嬢ちゃん、お名前は?」
「き・・・きあです・・・」
引きつった声で答える輝愛。
ちょっと遠巻きに3馬鹿トリオは事の成り行きを面白そうに眺めている。
何の事は無い。こうなってしまった珠子に、ちょっかいを出す勇気がないだけである。
さっきから下を向いて黙ってた千影が、やおら顔を上げて、
「くをら珠子!いいかげんにしろ!」
「やだ~ちかちゃん、怖い顔」
「紅龍も、珠子お前の嫁なんだから、何とかしろよな!」
額に青筋立てて食ってかかる千影を、紅龍は呆れたような顔のままさらりと受け流し、
「俺にあの珠子を止められる訳ないだろうが」
と、自信満々で言ってのけた。
「か、かぁわはしぃ~」
輝愛が珠子の腕の中から何とも間抜けな声を出す。
千影は疲れたような顔で珠子に近寄り、
「こいつはうちのだ。返せ」
ドスの効いた、かなり低い声である。
珠子は千影を上から下まで一通り眺めると、『分かったわよぅ』と言って、輝愛を開放した。
・・・・もう、何が何だか・・・
輝愛はもみくちゃにされた自分のほっぺたをさすりながら、社長の顔を盗み見る。
その視線に気付いて、彼女にしか気付かれない程度に、彼は小さく苦笑したまま肩をすくめて見せた。
・・・・奥さん強い・・・
輝愛の頭は、この感想でいっぱいになっていた。
◇
「改めまして、こんにちは。輝愛ちゃん。田淵珠子よ」
ようやっと平静さを取り戻し、煙草にそれこそやっと火を点けて、彼女、田淵珠子(たぶちたまこ)は口を開いた。
「高梨輝愛です。さっきは道教えてくれて、ありがとうございました」
にっこり笑って答える輝愛、しかし、珠子との間には、保護者と言う壁が立ちはだかっていて、その保護者の肩越しでの会話と言う、何とも妙な形式である。
最も、珠子の旦那である紅龍も、さりげに妻の背後に回りこみ、暴走したらすぐ食い止められるようにスタンバイしている。
――殆ど猛獣扱いである。
珠子は見かけの「出来るお姉さん」なイメージとは程遠く、ふりふりやもこもこしたぬいぐるみや、乙女ちっくなモノをこよなく愛している。
どう彼女の中で判断されたのかは分からないが、長身である彼女から見た輝愛は、それこそちっちゃくてぴちぴちでフワモコだったらしく、クリティカルヒットに至ったらしい。
「いいか、トーイ」
千影が振り向きもせずに口を開く。
「あのオバハンは、すごい危険だ。ヒドラより危険だ。気安く話しちゃいかんぞ」
「ちょっとちかちゃん何よそれ!」
後ろから抗議が入るが、千影は真剣な顔で最愛の娘分に言う。
「いいか、あーゆー大人にだけはなっちゃいかんぞ」
「ある意味同意するな」
旦那である紅龍まで、ぼそっと背後で同意の意を呟いてたりする。
「まあとりあえず!」
珠子が仕切り直し、と言わんばかりに明るい声でぱん、と一つ手を打つ。
「キアちゃんって、珍しい名前よね?」
「そうですねえ・・あたしも自分でそう思いますけど」
珠子はケリータイプのバックから、一枚の紙とペンを取り出し、
「どんな字を書くの?ここに書いてみて♪」
そう言って、輝愛にペンを渡し、紙の上に指を置き、『ここ』と微笑んでいる。
輝愛はペンを受け取り、机の上でペンを走らせた。
瞬間、珠子が千影と紅龍に振り返り、にやり、と何とも怪しげな笑みを浮かべる。
「な・・なんだよ珠子、気持ち悪いなお前」
「気にするなちか。きっと何か楽しい事があったんだろう」
思わず後退りする千影に、「いつものことだ」と言わんばかりの口調の珠子の旦那。
「しかし、何だか良くない予感がする」
「奇遇だな、俺もだ」
仲良く社長と部長が怯えている様を横目で確認しつつ、珠子は輝愛が自分の名前を書き終わった所で笑い出した。
「ほほほほほ!ざまあみなさい男共!」
「ひ!紅龍、ついに珠子が壊れたぞ!なんとかしろ!」
千影は輝愛の腕を引っ張って、珠子から距離を取りつつ叫ぶ。
「ちか、俺に死ねと言うのか?」
紅龍は落ち着いた表情で、しかし真面目ぶった口調で千影に近づき、芝居がかった顔で涙声になる。
「お前の嫁だろ!あいつのせいで死ぬならお前は本望だろうが!」
「つれないねえ、ちかは」
「私を甘く見たのが運の尽きよ♪欲しい物は何でも手に入れる女だって事、忘れてない?」
さも楽しそうに含み笑いをしている珠子に、男二人は仲良く頬に冷や汗を伝わらせる。
・・・普通にしてりゃ美人なのに・・・
千影が、内心で毎回思う台詞である。
珠子自信は、自由奔放に生きている自分が好きなので、耳を傾けた事は無いが。
「悪いが、猫の子じゃあるまいし、『はいどーぞ』なんてコイツやる訳にはいかんぞ」
珠子は『そんなこと分かってるわよ」と言って続ける。
「じゃあ何だよ?」
「でもね、ちかちゃん」
問い掛ける千影の言葉を遮って、珠子はそれこそ鬼の首でも取ったかの様に腰に手を当て、先程輝愛が名前を書いた紙をぺろん、と掲げた。
千影は眉を潜めながら顔を近付けて、その紙に書かれた文章を読んで、
――絶叫した。
「なにいいいいいいい!?」
「どしたのカワハシ?」
娘分は目を丸くして保護者を覗き込む。
「・・・トーイ、お前・・・これ、ちゃんと読んだか・・・?」
千影の声は震え、額には嫌な汗が浮かんでいる。
「え?いや、名前書いてって言われたから普通に・・」
「たーまーこおおおおおお!!」
輝愛が言い終わるか終わらないうちに、父親気取りの三十路一歩手前の金髪は、紺青の黒髪の悪魔のような美女にのしのしと歩み寄る。
「無効だよな?」
「何の話かしらぁ?」
鼻息がかかりそうな距離まで近づいてすごむ千影に、そっぽ向いて遠い空を眺める珠子。
「カワハシ?」
怯えた表情でおずおずと口を開く当事者。
「残念だったわね、ちかちゃん♪」
珠子は身を翻すと、彼の手から例の紙を掠め取る。
「カワハシ・・?」
「・・・・・・・・トーイ、お前、あれ・・・何の紙か分かって・・・・・・る筈ないよな・・・」
がっくりうな垂れて、魂も半分くらい昇天しかかったような憔悴した表情で、苦々しく呟く。
「聞いて驚け。あれはな」
「う・・うん・・・」
「正式入団書類だ」
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
「・・・・・・は?」
口を開けて、問い返す。
「正式入団書類だ。入団書類。にゅうだんしょーるーいー!」
「え?」
千影は頭を抱え、
「だーかーらー、トーイ、お前はあのサインのせいでココの団員になっちゃったの!!」
「げ」
下品な呟きを無意識に漏らし、慌てて諸悪の根源、もとい珠子を振り返る。
彼女は満足そうに美しく微笑んで、例の腰に手を当てたポーズで、張りのある声で言った。
「輝愛ちゃん。ようこそ、我らが『アクションチーム』へ!!」
バダン!
と言う大きな音と共に、入り口のドアが景気良く開かれた。
そしてそこに佇む、一人の長身美女。
「やっほー!お元気?麗しの珠子ちゃん登場~」
見た目のいかにもセレブ系ないでたちには似つかわしくない、素っ頓狂な台詞でいざ登場である。
「雅のゲネ見てから来たから遅くなっちゃった。ほら、雅に大ちゃんレンタル中じゃない?だからちょっと覗いてきたのよ。あらちかちゃん、何か怖い顔してるわね?」
着てきたジャケットを脱ぎ、紅龍にぽい、と投げて渡す。
「珠子、もうちょい普通に渡せ」
「はいは~い。あ、勇也、茜、高ちゃん、おはよう」
紅龍の言葉をさらりと受け流し、口を半開きにしたまま固まっていた3馬鹿トリオに声をかける。
「お、おはようございます、珠子姐さん」
なんだか極道のようなご挨拶である。
彼女はテーブルに載っていた灰皿を捕獲し、煙草を取り出して火を点けようとして、止まった。
珠子の視線の先には、見慣れない、本来ここに存在するはずのない人物。
つまり、輝愛がいた。
輝愛は、珠子の顔をまじまじと見つめ、
「あ、さっき道教えてくれたお姉さん、さっきはありがとうございます」
と言って、椅子から立ち上がり彼女の前でお辞儀をした。
当の珠子は、未だ固まったままである。
「あの・・・?」
輝愛が不信がって彼女の顔を覗き込む。
「やばい、トーイ、離れろ!」
千影が焦った声で叫ぶが、時既に遅し。
珠子は輝愛の肩をがしっ、と鷲掴みにする。
「ひっ!」
思わず声を上げる輝愛。しかし、珠子はそんな事お構いなしで、大きな瞳をうるうるさせて、感極まった表情で、
「・・・かわい~い・・」
「は?」
「可愛い!!」
背後で千影と紅龍が『あちゃー』と言って頭を抱えている。
「何?何コレ!可愛い!さっきちゃんと見てなかったから気付かなかったけども!いやーんほっぺたぷにぷに~!髪の毛サラサラ~!!」
「いや、あの・・」
「ちっちゃ~い!目くりくり!!たまんないわーぬいぐるみみたい!!」
言うだけ言って、輝愛をぎゅう、と抱き締める。
「あああああああの!?」
「ああもうたまんないわコレ!さっき会えたのも、ここでの再開も、もう運命よね!確定だわ!ねえ誰の!?この子誰の子!?貰っていい?いいよね?良いわよね?はい決定!!お嬢ちゃん、うちの子にならない?お姉さんいろんな事教えてあ・げ・る」
頬を上気させて輝愛をしっかり抱き締める。
張本人は事態の把握が出来ずに、されるがままである。
「珠子、いくらなんでも『お姉さん』は言い過ぎだろう」
紅龍の突っ込みが入る。
しかし、本来突っ込むべきポイントはそこではないだろう。
「いいじゃない紅ちゃん、この子今日からうちの子ね♪あ、お嬢ちゃん、お名前は?」
「き・・・きあです・・・」
引きつった声で答える輝愛。
ちょっと遠巻きに3馬鹿トリオは事の成り行きを面白そうに眺めている。
何の事は無い。こうなってしまった珠子に、ちょっかいを出す勇気がないだけである。
さっきから下を向いて黙ってた千影が、やおら顔を上げて、
「くをら珠子!いいかげんにしろ!」
「やだ~ちかちゃん、怖い顔」
「紅龍も、珠子お前の嫁なんだから、何とかしろよな!」
額に青筋立てて食ってかかる千影を、紅龍は呆れたような顔のままさらりと受け流し、
「俺にあの珠子を止められる訳ないだろうが」
と、自信満々で言ってのけた。
「か、かぁわはしぃ~」
輝愛が珠子の腕の中から何とも間抜けな声を出す。
千影は疲れたような顔で珠子に近寄り、
「こいつはうちのだ。返せ」
ドスの効いた、かなり低い声である。
珠子は千影を上から下まで一通り眺めると、『分かったわよぅ』と言って、輝愛を開放した。
・・・・もう、何が何だか・・・
輝愛はもみくちゃにされた自分のほっぺたをさすりながら、社長の顔を盗み見る。
その視線に気付いて、彼女にしか気付かれない程度に、彼は小さく苦笑したまま肩をすくめて見せた。
・・・・奥さん強い・・・
輝愛の頭は、この感想でいっぱいになっていた。
◇
「改めまして、こんにちは。輝愛ちゃん。田淵珠子よ」
ようやっと平静さを取り戻し、煙草にそれこそやっと火を点けて、彼女、田淵珠子(たぶちたまこ)は口を開いた。
「高梨輝愛です。さっきは道教えてくれて、ありがとうございました」
にっこり笑って答える輝愛、しかし、珠子との間には、保護者と言う壁が立ちはだかっていて、その保護者の肩越しでの会話と言う、何とも妙な形式である。
最も、珠子の旦那である紅龍も、さりげに妻の背後に回りこみ、暴走したらすぐ食い止められるようにスタンバイしている。
――殆ど猛獣扱いである。
珠子は見かけの「出来るお姉さん」なイメージとは程遠く、ふりふりやもこもこしたぬいぐるみや、乙女ちっくなモノをこよなく愛している。
どう彼女の中で判断されたのかは分からないが、長身である彼女から見た輝愛は、それこそちっちゃくてぴちぴちでフワモコだったらしく、クリティカルヒットに至ったらしい。
「いいか、トーイ」
千影が振り向きもせずに口を開く。
「あのオバハンは、すごい危険だ。ヒドラより危険だ。気安く話しちゃいかんぞ」
「ちょっとちかちゃん何よそれ!」
後ろから抗議が入るが、千影は真剣な顔で最愛の娘分に言う。
「いいか、あーゆー大人にだけはなっちゃいかんぞ」
「ある意味同意するな」
旦那である紅龍まで、ぼそっと背後で同意の意を呟いてたりする。
「まあとりあえず!」
珠子が仕切り直し、と言わんばかりに明るい声でぱん、と一つ手を打つ。
「キアちゃんって、珍しい名前よね?」
「そうですねえ・・あたしも自分でそう思いますけど」
珠子はケリータイプのバックから、一枚の紙とペンを取り出し、
「どんな字を書くの?ここに書いてみて♪」
そう言って、輝愛にペンを渡し、紙の上に指を置き、『ここ』と微笑んでいる。
輝愛はペンを受け取り、机の上でペンを走らせた。
瞬間、珠子が千影と紅龍に振り返り、にやり、と何とも怪しげな笑みを浮かべる。
「な・・なんだよ珠子、気持ち悪いなお前」
「気にするなちか。きっと何か楽しい事があったんだろう」
思わず後退りする千影に、「いつものことだ」と言わんばかりの口調の珠子の旦那。
「しかし、何だか良くない予感がする」
「奇遇だな、俺もだ」
仲良く社長と部長が怯えている様を横目で確認しつつ、珠子は輝愛が自分の名前を書き終わった所で笑い出した。
「ほほほほほ!ざまあみなさい男共!」
「ひ!紅龍、ついに珠子が壊れたぞ!なんとかしろ!」
千影は輝愛の腕を引っ張って、珠子から距離を取りつつ叫ぶ。
「ちか、俺に死ねと言うのか?」
紅龍は落ち着いた表情で、しかし真面目ぶった口調で千影に近づき、芝居がかった顔で涙声になる。
「お前の嫁だろ!あいつのせいで死ぬならお前は本望だろうが!」
「つれないねえ、ちかは」
「私を甘く見たのが運の尽きよ♪欲しい物は何でも手に入れる女だって事、忘れてない?」
さも楽しそうに含み笑いをしている珠子に、男二人は仲良く頬に冷や汗を伝わらせる。
・・・普通にしてりゃ美人なのに・・・
千影が、内心で毎回思う台詞である。
珠子自信は、自由奔放に生きている自分が好きなので、耳を傾けた事は無いが。
「悪いが、猫の子じゃあるまいし、『はいどーぞ』なんてコイツやる訳にはいかんぞ」
珠子は『そんなこと分かってるわよ」と言って続ける。
「じゃあ何だよ?」
「でもね、ちかちゃん」
問い掛ける千影の言葉を遮って、珠子はそれこそ鬼の首でも取ったかの様に腰に手を当て、先程輝愛が名前を書いた紙をぺろん、と掲げた。
千影は眉を潜めながら顔を近付けて、その紙に書かれた文章を読んで、
――絶叫した。
「なにいいいいいいい!?」
「どしたのカワハシ?」
娘分は目を丸くして保護者を覗き込む。
「・・・トーイ、お前・・・これ、ちゃんと読んだか・・・?」
千影の声は震え、額には嫌な汗が浮かんでいる。
「え?いや、名前書いてって言われたから普通に・・」
「たーまーこおおおおおお!!」
輝愛が言い終わるか終わらないうちに、父親気取りの三十路一歩手前の金髪は、紺青の黒髪の悪魔のような美女にのしのしと歩み寄る。
「無効だよな?」
「何の話かしらぁ?」
鼻息がかかりそうな距離まで近づいてすごむ千影に、そっぽ向いて遠い空を眺める珠子。
「カワハシ?」
怯えた表情でおずおずと口を開く当事者。
「残念だったわね、ちかちゃん♪」
珠子は身を翻すと、彼の手から例の紙を掠め取る。
「カワハシ・・?」
「・・・・・・・・トーイ、お前、あれ・・・何の紙か分かって・・・・・・る筈ないよな・・・」
がっくりうな垂れて、魂も半分くらい昇天しかかったような憔悴した表情で、苦々しく呟く。
「聞いて驚け。あれはな」
「う・・うん・・・」
「正式入団書類だ」
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
「・・・・・・は?」
口を開けて、問い返す。
「正式入団書類だ。入団書類。にゅうだんしょーるーいー!」
「え?」
千影は頭を抱え、
「だーかーらー、トーイ、お前はあのサインのせいでココの団員になっちゃったの!!」
「げ」
下品な呟きを無意識に漏らし、慌てて諸悪の根源、もとい珠子を振り返る。
彼女は満足そうに美しく微笑んで、例の腰に手を当てたポーズで、張りのある声で言った。
「輝愛ちゃん。ようこそ、我らが『アクションチーム』へ!!」
■こんぺいとう 3 お仕事しましょ 5 ■
紺青の魔王、自己中姫、歩く傍若無人、生きる問答無用・・・。
数々の二つ名の異名を持つ、まさにその本人は、うきうきと一人嬉しそうに荷物を漁り、目の前の半ば意識を手放しかけている少女の手に、どさりと品物を落とす。
「うっわ!」
慌てて投げられたかたまりを受け取ったのが、言わずもがな、魔王のお気に入りの娘、輝愛である。
「着替えましょ、輝愛ちゃん」
言って一つウィンク。
しかも美人だから、悔しい位様になっている。
「着替えるって、珠子さ・・ぎゃー!!」
輝愛が言い終わるより早く、魔王珠子は生け贄を引っ掴んで、ずるずる引きずりながら、満面の笑みでスタスタ歩き出す。
「たーすーけーてぇー」
呆然として全く動けないでいる男性陣の元には、生け贄の声だけが、まるでドップラー効果の様に残ったのだった。
男達がようやく自失状態から抜け出したその頃。
魔王と生け贄は、稽古場二階の一室に居た。
八畳ほどの室内には、良く見られる型のロッカーが並んでおり、反対側の壁面には大きな鏡がはめ込まれており、台の上にはメイク道具とおぼしき箱が鎮座している。
珠子は施錠すると、自らのロッカーを開け、下の男性陣が着ていたのと同じデザインのジャージに着替え始める。
「スタイル良いですね」
「鍛えてるからねぇ」
自らの『生け贄』としての立場も忘れ、輝愛は素直な感想を述べる。
おどけて答えつつ微笑んでくれる珠子に、輝愛もやっと顔をほころばせた。
「そこらへんの椅子に、適当に座って。お茶煎れるわ」
輝愛は促がされるままに、手近にあった椅子を引き寄せ、腰掛ける。
腕の中には、先程珠子が投げてよこしたジャージを抱えたままである。
「ティーバックで申し訳ないんだけど」
そう一言添えて、彼女は輝愛の前のテーブルに、湯気の立つカップを置いてくれた。
「頂きます」
珠子は輝愛が口をつけるのを確認してから、自分も彼女の向かいの椅子に腰を下ろした。
「・・・一つ、聞いてもいいですか」
「なあに?」
紅茶の入ったカップを両手で挟んだまま、輝愛は珠子に問い掛ける。
「どうしてあたしなんですか?あたしじゃなくても、才能や素質のある人、たくさん居ると思うんですけど」
「・・・聞きたい?」
「はい」
珠子は面白そうに目を細め、再び同じ言葉を言う。
「き・き・た・い?」
「・・・・・はい」
こっくりと頷く輝愛。
「ど~しよっかな~」
「何でですかぁ~」
すっとぼけて明後日の方向を眺める珠子に、似たような口調になっているのも気付かずに輝愛がむくれる。
「・・・・・怒らない?輝愛ちゃん」
「怒りませんよ」
「本当に?」
「はい」
何やら怯えたような芝居をしつつ、再三念を押す珠子。
しかし動じない輝愛に、ようやく観念したのか、息を一つついて、
「何となく、よ」
とだけ言った。
「なんですかそれ」
「いや~ん輝愛ちゃん、やっぱり怒った~」
勢い余って椅子から立ち上がった輝愛に、身体をくねらせて上目遣いをする。
「言い方を変えるとね、直感、ってやつよ」
上目遣いのまま、例の美人さん仕様な顔でウィンクする。
珠子は輝愛を困惑させるのには持って来いの人物らしく、案の定、わずかに眉を潜めたまま、再び腰掛け、話を聞く体制に戻る。
「あなたが欲しいと思ったの。だから、あなたを手中に収めたいの」
「なにも、あたしじゃなくても・・」
輝愛が俯いて呟くと、珠子はそれこそ優しく微笑み、
「だから、理由なんて無いの。私はあなたを気に入って、育ててみたいと思った。それだけじゃ不満かしら?」
珠子は自分も手にしたカップから、湯気の少なくなった紅茶を口に含む。
「でも、あたしなんかじゃ・・」
言いかけた輝愛の言葉を、人差し指だけで制して、
「あたし『なんか』なんて、言ってはダメよ」
「え?」
「自分を『なんか』なんて言ったら、あなたを必要としている人に失礼よ。現に、この私はあなたを必要としているんだから。ね」
―――必要としている?あたしを?
ぽかんとした輝愛に、珠子は苦笑して頭をふわりと優しく撫でる。
「そう。私はあなたを育ててみたいの。これって、立派に『必要としている』って事じゃなくて?」
何故か得意げに、腰に手を当てて笑う。
―――あたしでも、何か出来ることがあるのかなあ・・
ちらりと盗み見たつもりが、視線が合ってしまい、気まずそうにする輝愛に、珠子は女神の様に微笑んだ。
―――探してみようか、ここで。
以前千影に言われた台詞を思い出しながら、輝愛は腕に抱えたジャージを見つめる。
家もある、食いモンもある。あとの『居場所』は、自分で探せ。と。
ここにあたしの居場所があるのか・・・いや、あたしがここに居場所を作れるのか。
やってみようか。ここで。
思えば、今まで庇護されるばかりで、自分で決めたことなんか、一つもなかった気がする。
ばあちゃんが亡くなって、行くとこが無くなって、公園でふらついてたのを拾ってもらえたのも、あれはカワハシの意思であって、あたしの意思では無かったから。
ともかく、自分を食べさせていかなきゃ生きていけないし、簡単に死に逃げるなと、ついこないだ諭されたばかりだ。
最も、一番楽な、何も考えない方法が「死に逃げる」だった自分としては、今となっては恥ずかしい限りなのだが。
仕事をしようにも、年齢的にはまだ高校生なはずの自分を、受け入れてくれるところなど殆ど無く、それでもこの人は、恐らく、いや、確実にお荷物であろう自分を、受け入れてみようと言ってくれているのだから、有難い事この上ないのだ。
カワハシに、きちんと恩返ししなきゃだし。
輝愛は一人、両手を握り締め、ふん、と気合を入れると、やおら立ち上がり、腕に握り締めたままだったジャージに着替える。
解けかかったスニーカーの紐をきつく結び直し、珠子の正面に立って礼をする。
今まではばあちゃんに守ってもらって、今はカワハシに守ってもらってて。
でも、あたしも何かしたい。
出来るか分からないけど、やってみたい。
だから、ここで。
・・・カワハシは、反対するかな・・
でも―――
「宜しくお願いします」
「こちらこそ」
答えて女神は、最上の笑顔で彼女を見つめた。
◇
「しかし、珠子よ」
「何よちかちゃん」
着替えた輝愛を連れ、下に下りて来て、珠子が勝手に「輝愛ちゃん教育係」に指名した山本茜の元に輝愛を預け、アダルトチーム三人は、仲良く喫煙タイムである。
練習しなくて良いのか、と突っ込まれそうだが、何の事は無い。まだ休憩時間内なのだ。
最も、珍しい生物(輝愛)を投げ入れられた群れの連中は、昼休み所ではないらしく、既に自己紹介やら何やらで盛り上がっている。
「本気か」
「本気よ」
本気と書いて、マジと読む。
「俺は反対だ」
「あらどうして?」
さも意外そうに千影の顔を覗き込む珠子。
最も、170センチ近い珠子が千影の顔を覗き込むには、わずかに屈まなければならないのだが。
「どうして、って?あいつにアクション?芝居?無理だろ?決まってる」
「どうしてちかちゃんが決めちゃうのよ」
「そりゃ・・・」
そこまで言って口ごもり、居心地悪そうに不機嫌な顔で頭をばりばり掻きむしる。
「大変ね、若くて可愛い彼女持っちゃうと」
「オンナじゃねえ、娘だ娘」
未だに憮然としたまま、灰皿にぽん、と灰を落として、再び煙草をくわえ直す。
「――ねえ、ちかちゃん」
「んあ?」
「あの子の目、ちゃんと見てる?」
「・・・何だよ急に」
真剣な表情の珠子に、思わず煙草を口から離す。
「あの子、あのままじゃ勿体無いわ。下手したら腐っちゃうかも知れない」
千影は珠子の言葉を、ただ黙って聞いている。
「生きる糧とか、源が見つからないのよ。きっと、必要とされてるって実感した事が無いのよ。彷徨っているような目なのよ。ね、勿体無いと思わない?」
「まあ・・・・そりゃ・・・」
「きっと、良く出来た子なのね。だから、自分が何をしたいかじゃなくって、やらなきゃいけない事を選ぶのね、無意識のうちに。だから、自分の感情がうまく見つけられないのよ。昔の私みたいに」
そこまで言うと、珠子は長いまつげを少し伏せて、
「そんなの、哀しいじゃない。悪いのは、そうさせちゃった私達大人なんだけどさ」
無言で二人のやり取りを聞いていた紅龍が、壁から背を離し、そっとその場を立ち去る。
「ほんの少ししか会話してないし、出会ってまだ僅かだけど、あの子の心から輝いた姿、見たいと思っちゃったんだもの。絶対あの子なら出来るって、思ったんだもの。それに」
「―――それに?」
意味ありげに言葉を止めた珠子の台詞を、そのまま問い返す。
「あの子の本当の笑顔って、そりゃあ可愛いと思うのよね」
千影は一瞬、目を見開く。
隣に佇む珠子が、あまりにも無邪気に笑っていたから。
・・・コイツのこんな顔見るの、久しぶりかもしれないな・・・
そう心の中でだけ呟いて、視線を群れの中の娘分に戻す。
―――笑ったら、可愛い、か。
珠子の言葉を反芻する。
確かに、俺一人じゃ役不足だってのは、分かってはいたけどな・・。
でも、こうも簡単に見透かされると、あまり手放しで喜べなくなってしまうのは、自分が捻くれているからだろうか。
あの時、初めて彼女を見たあの雨の中で、酷く苛立った自分を覚えている。
あれは恐らく、今の珠子の近しい感情だったのだと、今は思える。
『生きてりゃ、面白い事もたくさんあるんだ』って。
「こんなに面白い事だらけの世の中、知らないまんまで死ぬなんて勿体ねーしな?だろ?」
千影は、自分の隣で同じように背中を壁に預けている珠子を見た。
彼女はいたずらに片方の眉を跳ね上げ、口元をにやりと綻ばせる。
こう言う憎たらしくも愛らしい顔をさせたら、天下一だ。
「勝負はまだまだこれからよ、お父さん」
「望む所、と言いたいが、お手柔らかに願いたいもんだね」
冗談の様に言い合って、どちらともなく煙草の火を消す。
珠子がいつもの張りのあるアルトで叫ぶ。
「さー、休憩おしまい!ちゃかちゃか練習再開よ~ん」
小走りに駆けて行く珠子の背中をゆっくり追いながら、千影はぽつりと苦笑する。
「あいつのあーゆー感は、外れた試しが無いからなあ」
紺青の魔王、自己中姫、歩く傍若無人、生きる問答無用・・・。
数々の二つ名の異名を持つ、まさにその本人は、うきうきと一人嬉しそうに荷物を漁り、目の前の半ば意識を手放しかけている少女の手に、どさりと品物を落とす。
「うっわ!」
慌てて投げられたかたまりを受け取ったのが、言わずもがな、魔王のお気に入りの娘、輝愛である。
「着替えましょ、輝愛ちゃん」
言って一つウィンク。
しかも美人だから、悔しい位様になっている。
「着替えるって、珠子さ・・ぎゃー!!」
輝愛が言い終わるより早く、魔王珠子は生け贄を引っ掴んで、ずるずる引きずりながら、満面の笑みでスタスタ歩き出す。
「たーすーけーてぇー」
呆然として全く動けないでいる男性陣の元には、生け贄の声だけが、まるでドップラー効果の様に残ったのだった。
男達がようやく自失状態から抜け出したその頃。
魔王と生け贄は、稽古場二階の一室に居た。
八畳ほどの室内には、良く見られる型のロッカーが並んでおり、反対側の壁面には大きな鏡がはめ込まれており、台の上にはメイク道具とおぼしき箱が鎮座している。
珠子は施錠すると、自らのロッカーを開け、下の男性陣が着ていたのと同じデザインのジャージに着替え始める。
「スタイル良いですね」
「鍛えてるからねぇ」
自らの『生け贄』としての立場も忘れ、輝愛は素直な感想を述べる。
おどけて答えつつ微笑んでくれる珠子に、輝愛もやっと顔をほころばせた。
「そこらへんの椅子に、適当に座って。お茶煎れるわ」
輝愛は促がされるままに、手近にあった椅子を引き寄せ、腰掛ける。
腕の中には、先程珠子が投げてよこしたジャージを抱えたままである。
「ティーバックで申し訳ないんだけど」
そう一言添えて、彼女は輝愛の前のテーブルに、湯気の立つカップを置いてくれた。
「頂きます」
珠子は輝愛が口をつけるのを確認してから、自分も彼女の向かいの椅子に腰を下ろした。
「・・・一つ、聞いてもいいですか」
「なあに?」
紅茶の入ったカップを両手で挟んだまま、輝愛は珠子に問い掛ける。
「どうしてあたしなんですか?あたしじゃなくても、才能や素質のある人、たくさん居ると思うんですけど」
「・・・聞きたい?」
「はい」
珠子は面白そうに目を細め、再び同じ言葉を言う。
「き・き・た・い?」
「・・・・・はい」
こっくりと頷く輝愛。
「ど~しよっかな~」
「何でですかぁ~」
すっとぼけて明後日の方向を眺める珠子に、似たような口調になっているのも気付かずに輝愛がむくれる。
「・・・・・怒らない?輝愛ちゃん」
「怒りませんよ」
「本当に?」
「はい」
何やら怯えたような芝居をしつつ、再三念を押す珠子。
しかし動じない輝愛に、ようやく観念したのか、息を一つついて、
「何となく、よ」
とだけ言った。
「なんですかそれ」
「いや~ん輝愛ちゃん、やっぱり怒った~」
勢い余って椅子から立ち上がった輝愛に、身体をくねらせて上目遣いをする。
「言い方を変えるとね、直感、ってやつよ」
上目遣いのまま、例の美人さん仕様な顔でウィンクする。
珠子は輝愛を困惑させるのには持って来いの人物らしく、案の定、わずかに眉を潜めたまま、再び腰掛け、話を聞く体制に戻る。
「あなたが欲しいと思ったの。だから、あなたを手中に収めたいの」
「なにも、あたしじゃなくても・・」
輝愛が俯いて呟くと、珠子はそれこそ優しく微笑み、
「だから、理由なんて無いの。私はあなたを気に入って、育ててみたいと思った。それだけじゃ不満かしら?」
珠子は自分も手にしたカップから、湯気の少なくなった紅茶を口に含む。
「でも、あたしなんかじゃ・・」
言いかけた輝愛の言葉を、人差し指だけで制して、
「あたし『なんか』なんて、言ってはダメよ」
「え?」
「自分を『なんか』なんて言ったら、あなたを必要としている人に失礼よ。現に、この私はあなたを必要としているんだから。ね」
―――必要としている?あたしを?
ぽかんとした輝愛に、珠子は苦笑して頭をふわりと優しく撫でる。
「そう。私はあなたを育ててみたいの。これって、立派に『必要としている』って事じゃなくて?」
何故か得意げに、腰に手を当てて笑う。
―――あたしでも、何か出来ることがあるのかなあ・・
ちらりと盗み見たつもりが、視線が合ってしまい、気まずそうにする輝愛に、珠子は女神の様に微笑んだ。
―――探してみようか、ここで。
以前千影に言われた台詞を思い出しながら、輝愛は腕に抱えたジャージを見つめる。
家もある、食いモンもある。あとの『居場所』は、自分で探せ。と。
ここにあたしの居場所があるのか・・・いや、あたしがここに居場所を作れるのか。
やってみようか。ここで。
思えば、今まで庇護されるばかりで、自分で決めたことなんか、一つもなかった気がする。
ばあちゃんが亡くなって、行くとこが無くなって、公園でふらついてたのを拾ってもらえたのも、あれはカワハシの意思であって、あたしの意思では無かったから。
ともかく、自分を食べさせていかなきゃ生きていけないし、簡単に死に逃げるなと、ついこないだ諭されたばかりだ。
最も、一番楽な、何も考えない方法が「死に逃げる」だった自分としては、今となっては恥ずかしい限りなのだが。
仕事をしようにも、年齢的にはまだ高校生なはずの自分を、受け入れてくれるところなど殆ど無く、それでもこの人は、恐らく、いや、確実にお荷物であろう自分を、受け入れてみようと言ってくれているのだから、有難い事この上ないのだ。
カワハシに、きちんと恩返ししなきゃだし。
輝愛は一人、両手を握り締め、ふん、と気合を入れると、やおら立ち上がり、腕に握り締めたままだったジャージに着替える。
解けかかったスニーカーの紐をきつく結び直し、珠子の正面に立って礼をする。
今まではばあちゃんに守ってもらって、今はカワハシに守ってもらってて。
でも、あたしも何かしたい。
出来るか分からないけど、やってみたい。
だから、ここで。
・・・カワハシは、反対するかな・・
でも―――
「宜しくお願いします」
「こちらこそ」
答えて女神は、最上の笑顔で彼女を見つめた。
◇
「しかし、珠子よ」
「何よちかちゃん」
着替えた輝愛を連れ、下に下りて来て、珠子が勝手に「輝愛ちゃん教育係」に指名した山本茜の元に輝愛を預け、アダルトチーム三人は、仲良く喫煙タイムである。
練習しなくて良いのか、と突っ込まれそうだが、何の事は無い。まだ休憩時間内なのだ。
最も、珍しい生物(輝愛)を投げ入れられた群れの連中は、昼休み所ではないらしく、既に自己紹介やら何やらで盛り上がっている。
「本気か」
「本気よ」
本気と書いて、マジと読む。
「俺は反対だ」
「あらどうして?」
さも意外そうに千影の顔を覗き込む珠子。
最も、170センチ近い珠子が千影の顔を覗き込むには、わずかに屈まなければならないのだが。
「どうして、って?あいつにアクション?芝居?無理だろ?決まってる」
「どうしてちかちゃんが決めちゃうのよ」
「そりゃ・・・」
そこまで言って口ごもり、居心地悪そうに不機嫌な顔で頭をばりばり掻きむしる。
「大変ね、若くて可愛い彼女持っちゃうと」
「オンナじゃねえ、娘だ娘」
未だに憮然としたまま、灰皿にぽん、と灰を落として、再び煙草をくわえ直す。
「――ねえ、ちかちゃん」
「んあ?」
「あの子の目、ちゃんと見てる?」
「・・・何だよ急に」
真剣な表情の珠子に、思わず煙草を口から離す。
「あの子、あのままじゃ勿体無いわ。下手したら腐っちゃうかも知れない」
千影は珠子の言葉を、ただ黙って聞いている。
「生きる糧とか、源が見つからないのよ。きっと、必要とされてるって実感した事が無いのよ。彷徨っているような目なのよ。ね、勿体無いと思わない?」
「まあ・・・・そりゃ・・・」
「きっと、良く出来た子なのね。だから、自分が何をしたいかじゃなくって、やらなきゃいけない事を選ぶのね、無意識のうちに。だから、自分の感情がうまく見つけられないのよ。昔の私みたいに」
そこまで言うと、珠子は長いまつげを少し伏せて、
「そんなの、哀しいじゃない。悪いのは、そうさせちゃった私達大人なんだけどさ」
無言で二人のやり取りを聞いていた紅龍が、壁から背を離し、そっとその場を立ち去る。
「ほんの少ししか会話してないし、出会ってまだ僅かだけど、あの子の心から輝いた姿、見たいと思っちゃったんだもの。絶対あの子なら出来るって、思ったんだもの。それに」
「―――それに?」
意味ありげに言葉を止めた珠子の台詞を、そのまま問い返す。
「あの子の本当の笑顔って、そりゃあ可愛いと思うのよね」
千影は一瞬、目を見開く。
隣に佇む珠子が、あまりにも無邪気に笑っていたから。
・・・コイツのこんな顔見るの、久しぶりかもしれないな・・・
そう心の中でだけ呟いて、視線を群れの中の娘分に戻す。
―――笑ったら、可愛い、か。
珠子の言葉を反芻する。
確かに、俺一人じゃ役不足だってのは、分かってはいたけどな・・。
でも、こうも簡単に見透かされると、あまり手放しで喜べなくなってしまうのは、自分が捻くれているからだろうか。
あの時、初めて彼女を見たあの雨の中で、酷く苛立った自分を覚えている。
あれは恐らく、今の珠子の近しい感情だったのだと、今は思える。
『生きてりゃ、面白い事もたくさんあるんだ』って。
「こんなに面白い事だらけの世の中、知らないまんまで死ぬなんて勿体ねーしな?だろ?」
千影は、自分の隣で同じように背中を壁に預けている珠子を見た。
彼女はいたずらに片方の眉を跳ね上げ、口元をにやりと綻ばせる。
こう言う憎たらしくも愛らしい顔をさせたら、天下一だ。
「勝負はまだまだこれからよ、お父さん」
「望む所、と言いたいが、お手柔らかに願いたいもんだね」
冗談の様に言い合って、どちらともなく煙草の火を消す。
珠子がいつもの張りのあるアルトで叫ぶ。
「さー、休憩おしまい!ちゃかちゃか練習再開よ~ん」
小走りに駆けて行く珠子の背中をゆっくり追いながら、千影はぽつりと苦笑する。
「あいつのあーゆー感は、外れた試しが無いからなあ」
■こんぺいとう 3 お仕事しましょ 6 ■
陽もとうに傾き、辺りには街頭が灯る頃合いである。
結局、入念なストレッチと、二ヵ月後に行われる舞台の説明と、簡単な基礎トレだけで一日が終わってしまった。
「トーイ?」
「何?」
例のジャージと、空になったお重を抱えて歩く娘分に、視線を落として声をかける。
「・・・どうする?」
「どうするって・・珠子さんが言ってた話?」
「そ」
やや憮然としたような千影を、少しだけ盗み見て、輝愛はしばらく口をつぐんで考えにふける。
彼女のペースに合わせている為、いつもより少し遅めな足取りの千影は、背負ったディパックを担ぎ直し、彼女の手から重箱を奪い取る。
「あ」
「やりたくないなら」
いつも通りに後ろ手で頭を掻きながら、
「やりたくないなら、無理してやる事、ないからな。珠子の話術で誤魔化されて、しぶしぶやる、とかってんなら、やんなくていいぞ」
実際、本気の珠子に言い寄られて断る事が出来る人間はかなり少ない。
それだけ見込まれていると言うのは、有難い事ではあるし、彼女の感が外れた試しはないので、従うのが最善と言えば最善なのかも知れないが。
輝愛は同じペースで歩を進めながら、腕の中のジャージをきつく掴んで千影を見上げる。
「やる」
唐突と言えば唐突な二文字の声に、今まで感じたことの無い強さを捉えて、思わず足を止める。
輝愛は千影を見つめたまま、
「やる。やりたい。あたしにも何か出来るか、やってみたい」
そう、はっきりと言い放った。
千影は僅かに目を細める。
「――言ったからには、本気でやれよ」
「本気でやる」
本気と書いて、マジと読む。
珍しくと言うか、初めてと言うか。
彼女の眼差しに、強い意志を感じたのは。
「――分かった」
千影はそう言うと、身体を彼女の方へ向ける。
「チームに入ったからには、練習中は他のメンバーと同じ扱いするからな」
「うん」
真剣な顔で頷く輝愛に、千影は真面目な顔のまま続ける。
「チーム内に居る時は、親子でも何でもないからな」
「親子・・・?あたしとカワハシが?」
「そう」
「親子・・・・・」
自分にしか聞こえない様な小さな声で反芻する。
二歳で両親を亡くした輝愛に取って、親と言う存在を感じた事は今まで皆無に等しかった。
「おとお、さん?」
「・・・一応なあ。年近過ぎるけど。兄弟でも良いけど、一応保護者だしな、一応」
『一応』が多い説明ではあるが。
当の千影本人も、娘分から実際に父親呼ばわりされると、妙な気恥ずかしさと、何か釈然としない感情で眉をしかめる。
「とにかく、お前はチームに就職したも同然だ。表現で金を貰う事がいかに大変か、分かる様になるまでは少なくとも、頑張れ。キリキリ働け」
さっきまでのしかめっ面を解除して、少し面白げに言う千影に、輝愛は珍しく声を漏らして笑う。
初めて感じる彼女の笑い声に、驚きを隠せないまま、僅かに姿勢を正して向き直る。
「入団おめでとう。我がアクションチームへ」
言って右手を差し出す。
「宜しくお願いします」
はっきりそう言って、輝愛は彼の大きな手を握った。
「バカかお前、何で左手と右手なんだよ。握手するために差し出した俺の右手の存在はどうなる訳?」
千影の言うとおり、輝愛は左手で千影の右手を掴んでいた。
要するに、握手ではなく手を繋いでいる状態である。
「――ねえ、カワハシ」
「何だよ」
手を掴まれたまま、状況が飲み込めない千影に、輝愛は僅かにためらいながらも声をかける。
「今日、初めて『うちの』って言ってもらえて、嬉しかったよ」
「――っ!?」
何か口に出そうとしたのだが、喉につかえた様になってしまって、言葉にならなかった。
そんな千影を見上げて微笑む。
「もっかい、今度は名前入れて「うちの輝愛」って呼んで」
「ダメ」
「なんでよー」
間髪入れずに拒絶され、頬を膨らます。
「何でも」
「カワハシのけち」
こいつのふくれっ面も、結構見慣れたモンだな。
なんて思いつつ、千影は再び歩き出す。
「ケチで結構だよ、小娘」
「小娘じゃないもん」
「どうだかねえ」
するりと輝愛の手から抜け出し、「行くぞ」と振り返る。
「名前で呼んでよー」
「ダーメ」
背後から抗議の声が聞こえる。
でも、本気のそれではないと分かっているから、そのまま歩き続けた。
「じゃあ、手つないで!」
「はーあ?」
あまりの突拍子の無い発言に、再び呆れ顔で振り返る。
「手つないで。ね?暖かかったから。つないで?」
にっこり笑って少し小首を傾げている。
本人はおおよそ気付いていないだろうが、それで上目遣いなどされた日には、少しでも彼女に好意のある男はほぼ落ちるのではないだろうか。と思える様な仕草だった。
どうか、他の奴にそんな顔してくれるなよ、と、心の中で祈りながら、千影は困ったように頬を掻く。
「ね、おとーさんなんでしょ?お願い」
あまりに無邪気に笑う輝愛に、僅かにたじろぎつつも、「ん」と小さく声を漏らして左手を差し出す。
「えへへ」
すぐさま飛び付いて、輝愛は千影の指に自分の指を絡ませる。
これは親子の手の繋ぎ方じゃなくて、恋人の手の繋ぎ方なんだが・・・。
と思いつつ、千影は彼女の指の細さに改めて驚く。
「・・変な奴だな」
千影の苦笑めいた嫌味にも、肩をすくめて笑うだけである。
―――本当に、変な奴だよ、お前は。
心の中だけで繰り返し、小さな彼女の手を握り返す。
小さな温もりは、確かに彼女が今、ここに在る証拠の様で何だか妙に安心した。
◇
「でもさ、お父さんいるのに、お母さんいないの、おかしいよね」
繋いだ手を嬉しそうに振りながら、娘の地位を獲得した輝愛は、千影を見上げる。
「・・・・・・・・・・珠子で十分だろ・・・・」
珠子の輝愛へのご執心ぶりを思い出して、僅かに口を開くのが嫌になる千影。
そんな事に気付いているのかいないのか、
「えー、でも珠子さんがお母さんだと、お父さんは社長になっちゃうよ?」
「まあ、そうなんだけどさあ・・・」
生憎、千影には現在妻どころか恋人も居ない、フリーな状態なのである。
輝愛に取っての母親分が居ないのも、無理からぬ話なのだ。
「カワハシ、かいしょなしなんだね」
『甲斐性なし』の意味をちゃんと理解していない輝愛の発言に、千影はぴくりと四肢を跳ね上がらせるだけで、無言のままでいた。
「しょーがないなー。カワハシがおじいちゃんになっても貰い手が無かったら、あたしが貰ってあげるよ」
えへへ、と嬉しそうに笑いながら言う。そんな輝愛に一つ息を漏らして、
「俺がジジイになった頃には、お前もオバンだろうが。それまで、お前は嫁に行かずに待っててくれるのか?」
小学生みたいな事を、この娘はいつまで言ってくれるのだろうか。
でも―――
「あ、そっか。じゃああたしがおばさんになるまでにしとく」
「オバサンになっちまったら、お前も貰い手がないだろうしな」
喉の奥でくつくつと笑いを噛み殺す。
笑わせている張本人は、真剣にいくつからがおばさんなのか、ぶつぶつ呟きながら考えている。
「まっ、そん時ゃ宜しくお願いしますよ」
「まかせといて」
苦笑したままおどけてみせる千影に、繋いだ手を嬉しそうに振りながら歩く輝愛。
―――最も。
繋いだ手を眺めながら、千影は思考をめぐらせる。
―――もう一度恋愛する勇気なんて、俺にはないよ。
無意識に手に力が入っていたのか、いつの間にか立ち止まった輝愛が、不安げな顔で自分を見つめている事に気付き、苦笑いする。
彼女のおでこに自分のおでこをこつん、とくっ付けて、「何でもないよ」と言ってやる。
「さて、帰るか」
「ん」
答えて輝愛は、さっきと同じ速さで歩き出した。
―――お前が娘で居てくれるなら、俺はそれで十分だよ。
俺がちゃんとした父親になれるまで、娘のまんまで居てくれよ。
急いで大人にならないで、しばらく俺の傍に居てくれよ。
じゃないと―――
「じゃないと、寂しいじゃないか、なあ?」
輝愛に聞こえないように、誰にとも無く呟く。
千影の顔は、僅かだが、泣きそうに見えた―――
陽もとうに傾き、辺りには街頭が灯る頃合いである。
結局、入念なストレッチと、二ヵ月後に行われる舞台の説明と、簡単な基礎トレだけで一日が終わってしまった。
「トーイ?」
「何?」
例のジャージと、空になったお重を抱えて歩く娘分に、視線を落として声をかける。
「・・・どうする?」
「どうするって・・珠子さんが言ってた話?」
「そ」
やや憮然としたような千影を、少しだけ盗み見て、輝愛はしばらく口をつぐんで考えにふける。
彼女のペースに合わせている為、いつもより少し遅めな足取りの千影は、背負ったディパックを担ぎ直し、彼女の手から重箱を奪い取る。
「あ」
「やりたくないなら」
いつも通りに後ろ手で頭を掻きながら、
「やりたくないなら、無理してやる事、ないからな。珠子の話術で誤魔化されて、しぶしぶやる、とかってんなら、やんなくていいぞ」
実際、本気の珠子に言い寄られて断る事が出来る人間はかなり少ない。
それだけ見込まれていると言うのは、有難い事ではあるし、彼女の感が外れた試しはないので、従うのが最善と言えば最善なのかも知れないが。
輝愛は同じペースで歩を進めながら、腕の中のジャージをきつく掴んで千影を見上げる。
「やる」
唐突と言えば唐突な二文字の声に、今まで感じたことの無い強さを捉えて、思わず足を止める。
輝愛は千影を見つめたまま、
「やる。やりたい。あたしにも何か出来るか、やってみたい」
そう、はっきりと言い放った。
千影は僅かに目を細める。
「――言ったからには、本気でやれよ」
「本気でやる」
本気と書いて、マジと読む。
珍しくと言うか、初めてと言うか。
彼女の眼差しに、強い意志を感じたのは。
「――分かった」
千影はそう言うと、身体を彼女の方へ向ける。
「チームに入ったからには、練習中は他のメンバーと同じ扱いするからな」
「うん」
真剣な顔で頷く輝愛に、千影は真面目な顔のまま続ける。
「チーム内に居る時は、親子でも何でもないからな」
「親子・・・?あたしとカワハシが?」
「そう」
「親子・・・・・」
自分にしか聞こえない様な小さな声で反芻する。
二歳で両親を亡くした輝愛に取って、親と言う存在を感じた事は今まで皆無に等しかった。
「おとお、さん?」
「・・・一応なあ。年近過ぎるけど。兄弟でも良いけど、一応保護者だしな、一応」
『一応』が多い説明ではあるが。
当の千影本人も、娘分から実際に父親呼ばわりされると、妙な気恥ずかしさと、何か釈然としない感情で眉をしかめる。
「とにかく、お前はチームに就職したも同然だ。表現で金を貰う事がいかに大変か、分かる様になるまでは少なくとも、頑張れ。キリキリ働け」
さっきまでのしかめっ面を解除して、少し面白げに言う千影に、輝愛は珍しく声を漏らして笑う。
初めて感じる彼女の笑い声に、驚きを隠せないまま、僅かに姿勢を正して向き直る。
「入団おめでとう。我がアクションチームへ」
言って右手を差し出す。
「宜しくお願いします」
はっきりそう言って、輝愛は彼の大きな手を握った。
「バカかお前、何で左手と右手なんだよ。握手するために差し出した俺の右手の存在はどうなる訳?」
千影の言うとおり、輝愛は左手で千影の右手を掴んでいた。
要するに、握手ではなく手を繋いでいる状態である。
「――ねえ、カワハシ」
「何だよ」
手を掴まれたまま、状況が飲み込めない千影に、輝愛は僅かにためらいながらも声をかける。
「今日、初めて『うちの』って言ってもらえて、嬉しかったよ」
「――っ!?」
何か口に出そうとしたのだが、喉につかえた様になってしまって、言葉にならなかった。
そんな千影を見上げて微笑む。
「もっかい、今度は名前入れて「うちの輝愛」って呼んで」
「ダメ」
「なんでよー」
間髪入れずに拒絶され、頬を膨らます。
「何でも」
「カワハシのけち」
こいつのふくれっ面も、結構見慣れたモンだな。
なんて思いつつ、千影は再び歩き出す。
「ケチで結構だよ、小娘」
「小娘じゃないもん」
「どうだかねえ」
するりと輝愛の手から抜け出し、「行くぞ」と振り返る。
「名前で呼んでよー」
「ダーメ」
背後から抗議の声が聞こえる。
でも、本気のそれではないと分かっているから、そのまま歩き続けた。
「じゃあ、手つないで!」
「はーあ?」
あまりの突拍子の無い発言に、再び呆れ顔で振り返る。
「手つないで。ね?暖かかったから。つないで?」
にっこり笑って少し小首を傾げている。
本人はおおよそ気付いていないだろうが、それで上目遣いなどされた日には、少しでも彼女に好意のある男はほぼ落ちるのではないだろうか。と思える様な仕草だった。
どうか、他の奴にそんな顔してくれるなよ、と、心の中で祈りながら、千影は困ったように頬を掻く。
「ね、おとーさんなんでしょ?お願い」
あまりに無邪気に笑う輝愛に、僅かにたじろぎつつも、「ん」と小さく声を漏らして左手を差し出す。
「えへへ」
すぐさま飛び付いて、輝愛は千影の指に自分の指を絡ませる。
これは親子の手の繋ぎ方じゃなくて、恋人の手の繋ぎ方なんだが・・・。
と思いつつ、千影は彼女の指の細さに改めて驚く。
「・・変な奴だな」
千影の苦笑めいた嫌味にも、肩をすくめて笑うだけである。
―――本当に、変な奴だよ、お前は。
心の中だけで繰り返し、小さな彼女の手を握り返す。
小さな温もりは、確かに彼女が今、ここに在る証拠の様で何だか妙に安心した。
◇
「でもさ、お父さんいるのに、お母さんいないの、おかしいよね」
繋いだ手を嬉しそうに振りながら、娘の地位を獲得した輝愛は、千影を見上げる。
「・・・・・・・・・・珠子で十分だろ・・・・」
珠子の輝愛へのご執心ぶりを思い出して、僅かに口を開くのが嫌になる千影。
そんな事に気付いているのかいないのか、
「えー、でも珠子さんがお母さんだと、お父さんは社長になっちゃうよ?」
「まあ、そうなんだけどさあ・・・」
生憎、千影には現在妻どころか恋人も居ない、フリーな状態なのである。
輝愛に取っての母親分が居ないのも、無理からぬ話なのだ。
「カワハシ、かいしょなしなんだね」
『甲斐性なし』の意味をちゃんと理解していない輝愛の発言に、千影はぴくりと四肢を跳ね上がらせるだけで、無言のままでいた。
「しょーがないなー。カワハシがおじいちゃんになっても貰い手が無かったら、あたしが貰ってあげるよ」
えへへ、と嬉しそうに笑いながら言う。そんな輝愛に一つ息を漏らして、
「俺がジジイになった頃には、お前もオバンだろうが。それまで、お前は嫁に行かずに待っててくれるのか?」
小学生みたいな事を、この娘はいつまで言ってくれるのだろうか。
でも―――
「あ、そっか。じゃああたしがおばさんになるまでにしとく」
「オバサンになっちまったら、お前も貰い手がないだろうしな」
喉の奥でくつくつと笑いを噛み殺す。
笑わせている張本人は、真剣にいくつからがおばさんなのか、ぶつぶつ呟きながら考えている。
「まっ、そん時ゃ宜しくお願いしますよ」
「まかせといて」
苦笑したままおどけてみせる千影に、繋いだ手を嬉しそうに振りながら歩く輝愛。
―――最も。
繋いだ手を眺めながら、千影は思考をめぐらせる。
―――もう一度恋愛する勇気なんて、俺にはないよ。
無意識に手に力が入っていたのか、いつの間にか立ち止まった輝愛が、不安げな顔で自分を見つめている事に気付き、苦笑いする。
彼女のおでこに自分のおでこをこつん、とくっ付けて、「何でもないよ」と言ってやる。
「さて、帰るか」
「ん」
答えて輝愛は、さっきと同じ速さで歩き出した。
―――お前が娘で居てくれるなら、俺はそれで十分だよ。
俺がちゃんとした父親になれるまで、娘のまんまで居てくれよ。
急いで大人にならないで、しばらく俺の傍に居てくれよ。
じゃないと―――
「じゃないと、寂しいじゃないか、なあ?」
輝愛に聞こえないように、誰にとも無く呟く。
千影の顔は、僅かだが、泣きそうに見えた―――
■こんぺいとう 4 あくとあくたーず ■
「そう言えば、今度の十一月、三年ぶりの単独公演やるからね、みんな」
珠子のその一言で、四日後幕開けの芝居の通し稽古の中休みだったアクションチームメンバーに、歓喜の表情が浮かび上がった。
時は四月。
四日後から、劇団いづちの公演に、メンバー殆ど総出演で参加するのだ。
元々アクションチーム設立時にメンバーだった人間が、演出を手掛けるようになり、そこで立ち上げた劇団なので、旗揚げ当時から同じ舞台に立っている仲間である。
観客の多くは、アクションチームの面々も劇団員と信じて疑わない程、毎回、劇団公演の際にはアクションチームが参加している。
設立十三年目のアクションチームと、設立十二年目の劇団いづちの公演は、年を追う毎に人気が広がり、今では小劇場界でそこそこの位置にある。
お互いトップの年齢は若い為、普通なら考えられないような突拍子も無い事を仕出かすのが受けたらしい。
「もう三年か、早いな」
汗だくになった千影が、汗を拭き拭き珠子の横に並ぶ。
「年取る訳よね」
「もうババアだもんな、お前」
本番さながらに動き回った二人の顔には、午後になったばかりだと言うのに、幾分の疲労が見て取れる。
「誰がババアよ」
「そんなん珠子に決まっ・・」
千影が言い終わるより早く、珠子の蹴りが彼の脛を捕らえ、千影は身体を捻って痛みに耐えた。
口は災い、もとい、人災の元、である。
「ちかちゃんも、もうすぐ三十路でしょ!」
「・・・」
八月生まれの千影は、次の誕生日で見事三十路に御昇進なのである。
珠子はババア呼ばわりされたのが余程気に食わなかったのか、普段以上に千影を苛める事に精を出す。
紅龍は、そんな二人をまるで無視して、台本に何やら書き込んでいる真っ最中である。
今更台本に用は無いだろ、と、半ば呆れた様に千影はその姿を、なんとはなしに眺めた。
「輝愛ちゃんがやっと十八歳でしょ?で、ちかちゃんは三十路でしょ?お目出度いわね~ぇ。色んな意味で」
「目出度く無いだろう、別に俺は」
「あーらららやだやだやだ、あたしが言ったのは、『頭の中がお目出度い』って事よ」
レモンの蜂蜜漬けをぱくり、と口の中に放り込んで続ける。
「一回りも歳違うのよね~大変よね~」
珠子の冷やかし目線が絡んで、一瞬二の句が継げられなくなる。
「・・それは、いや、違うぞ珠子。お前何か勘違いして・・」
「見ちゃったもんね」
珠子の台詞に、後ろめたい事等無い筈なのに、ぎくりとするのが、男の悲しい性だろう。
「手、繋いでるの、見た」
言われて、ようやっと思い当たる。
輝愛が千影の家に居候、と言うか住み始めて軽く一年以上。彼女のチーム入団の日にせがまれて手を繋いで以来、相手は普通に引っ付いてくるし、二、三日もすると、それが普通になってしまっていた。
最も、自分は、父親代わりで輝愛に接しているのだから、後ろめたい事等無い筈なのだ。
しかし、言われて見れば、いい年した自分が、本来まだ高校生程の年齢の娘分に、ご執心と思われても、無理も無い。
「・・ふむ」
千影は妙に神妙な顔で腕組みなんぞをしている。
珠子は二口目のレモンを口に上手い事投げ込み、
「あたしですらそんなのしてもらった事ないのに~。ちかちゃんズルイ!!」
「・・・一瞬でも真剣に悩んだ俺が馬鹿だった・・・」
何の事は無い。
ただ単に珠子は千影が羨ましかっただけの様だ。
それで、珠子曰く『良い思い』をしている千影に当たっただけに過ぎないらしかった。
ここまで来ると、珠子も相当なご執心であると言えよう。
「で」
「まだ何かあんのかよ」
興味津々の学生時代の様な目で千影ににじり寄り、
「まだ何もしてないの?」
珠子の言葉の意味を量りかねて、眉間にしわを寄せた後、
「するかあ!」
やっと意味を理解して、耳元で怒鳴った。
お前はどこぞのオヤジか!
黙ってれば美人なのになあ。
何故か残念そうに再びレモンをぱくつく珠子に、千影は一人、頭をがしがし掻いたのだった。
◇
「ちょっとお腹空いたかも」
「お前なあ、今更何も食えないぞ。せめて一時間半我慢しろ」
「分かってるよ、言ってみただけ」
上手の袖にスタンバイしている千影と輝愛の会話である。
現在、とうに衣装に身を包み、メイクも終え、あと五分もしないで緞帳が上がる。
そう言った状態である。
最早皆慣れ切ったもので、小声で台詞の練習をしていたり、殺陣の確認をしたりしており、緊張で震えている者等、皆無だった。
勿論、役者としても殺陣要員としても日の浅い輝愛も、例外では無いらしい。
「幕間に珠子さんから貰ったマシュマロ食べよう♪」
うにうにと足首回しながら呟く。
「そんなモンで足りるなら、終わるまで我慢出来ねえの?」
「そうはいかないモンなのよ」
「そうなんだ」
「そうなのよ、乙女心は複雑なの」
「乙女関係無えし」
緊張の『き』の字も無いこの娘分を見て、千影は毎回の事ながらいささか呆れる。
順応力のある娘だと思ってはいたが、ある意味馴染み過ぎではなかろうか、と言う疑問が頭を掠める事も、まあ、無くも無い。
それもこいつの性質と言うか素質と言うものなんだろうが。
でなければ、こんな自分の様な駄目な男と共に生活するなんて、出来なかっただろう。
拾って助けたつもりが、逆に助けられている結果に、いい年の自分は、苦笑するしか無い。
「まあトーイよ、緊張感持て」
「持ってるよ、十分」
「どうだか」
そう言う千影も、傍目には緊張感等皆無なのだが。
しかし内実、毎日毎回、この瞬間は緊張しているのだ。
でないと、殺陣はすぐさま事故に繋がる。
「何か久々にトーイって言われた」
輝愛が千影を目線を合わせるために上目遣いになる。
「そうか・・?」
彼女は首だけでこっくりと『Yes』と示す。
確かに、最近はおい、とか、お前とかで、呼んでなかったかも知れない。
「もう開くよ。おしゃべりストップ。マイク電源確認して」
同じく上手にスタンバイした劇団いづちの東盛が、声をかける。
それとほぼ同時に、会場に幕開けを知らせる音楽が流れる。
――ぽん。
千影は無言で彼女の背中を軽く叩く。
『行ってこい』と言う合図と、『しっかりやれ』と言う激励である。
輝愛は他の数名と共に、板の上に飛び出して行く。
袖の、観客にぎりぎり見えない位置で、板の上を伺い、若手の数名の動きをチェックする。
・・ま、ぼちぼち、ってとこか。
千影は幕開けの一連を見守ると、奥に静かに引っ込んで行った。
およそ三時間の舞台である。
幕間のわずかな休憩を入れているとは言え、役者達を始め、スタッフ一同疲労困憊である。
それを一日二公演、大阪、東京と続け、何とか千秋楽までこぎつけた。
楽日独特の異様に長いカーテンコールに応え、やっと楽屋に戻り、千影はメイクを落としながら、同室の紅龍に話しかける。
「単独公演、マジ?」
「マジ」
何とも簡潔な会話ではあるが、用件は伝わっている。
「何やるん」
「今嫁さんが考えてる」
「今から書き下ろしは無理だろう。柚木さんに殺される」
柚木と言うのは、アクションチームの脚本を手掛けてくれている作家である。
劇団いづちの脚本も主に担当しており、殆ど劇団付きの作家扱いなので、当然、チームとも仲が良い。
「再演だろう。どれやるかは知らんが」
「メンバーも変わってるしな」
「なあ」
男二人は、仲良くシャワーに向かった。
・・・まあ、アレじゃなきゃ何でもいいや。
タオル引っさげながら、千影は心の中でだけ、呟いた。
「・・・で、勇也は一応ココに置いて・・・誰をココに・・あ、茜ちゃんをここにして、で・・」
着替えも終わり、メイクも落としてすっぴんになった珠子が、わざわざ輝愛達新米の居る控え室にやって来て、何やら紙をにらめっこしながら、ぶつぶつ呟いている。
「何してるんですか?」
シャワーから帰って来た輝愛が、珠子にミネラルウォーターを差し出しながら、問いかける。
「んー、公演のキャスティング」
珠子はボトルを受け取ると、唸った顔のまま、中身を喉の奥に流し込む。
「うち、メンバーかなり入れ替わってるからさ」
「再演ですか」
「そう。で、初演当初のメンバー、半分以上居ないから」
それで、誰をどの位置にするか、考えあぐねている所なのだった。
輝愛は、髪の毛を拭きながら珠子の横にちょこん、と座る。
「・・ねえ、輝愛ちゃん」
「はい?」
珠子が例により、意地の悪い微笑を湛えながら。
「大ちゃんとアリス、どっちが女装似合うと思う?」
「は?」
とんでも無い質問である。
双方紛れも無い男性で、まあ、紅龍や千影と比べれば線の細い感はあるが、まるっきり男である。
ちなみ、大ちゃんと言うのは、チーム入団五年、日本舞踊の名取で、幼少からバレエ、ピアノ、能、狂言、その他もろもろを嗜んでいると言う、正真正銘のお坊ちゃま、志井大輔である。
対してアリスと言うのは、輝愛の一番近い先輩にあたる人物で、チーム在団歴は二年だが、それまでは別の劇団に所属していた。有住浩春の苗字から取って、『アリス』と呼ばれている。
「・・どっちも普通に男の人だと思うんですけど・・」
「そりゃあ、あたしだって分かってるわよ?」
そこまで言って、珠子はペンを置きを置き、輝愛の方に向き直り、
「でも、紅龍やちかちゃんや、勇也や修太郎が女装したら、気持ち悪いでしょ?」
輝愛はマジメに、今名前を挙げられたメンツが女装した姿を思い描いてしまい、にわかに顔を引きつらせる。
「ね?だったら一番まともであるだろう二人の、どっちかにしたほうが、無難でしょ。まあ、大ちゃんは女形やる人だから、意外性はないのよねぇ」
珠子の、聞き様によっては鬼の様な言葉に、輝愛は頭をぶんぶん縦に振るのだった。
「・・・アミダでいっか」
珠子は再び鬼の様な発言をして、紙にさらさらとアミダくじを書いていった。
「あ、アリスだ」
・・・頑張れ、アリスさん・・・
輝愛は無言で、胸の中合掌したのだった。
「そう言えば、今度の十一月、三年ぶりの単独公演やるからね、みんな」
珠子のその一言で、四日後幕開けの芝居の通し稽古の中休みだったアクションチームメンバーに、歓喜の表情が浮かび上がった。
時は四月。
四日後から、劇団いづちの公演に、メンバー殆ど総出演で参加するのだ。
元々アクションチーム設立時にメンバーだった人間が、演出を手掛けるようになり、そこで立ち上げた劇団なので、旗揚げ当時から同じ舞台に立っている仲間である。
観客の多くは、アクションチームの面々も劇団員と信じて疑わない程、毎回、劇団公演の際にはアクションチームが参加している。
設立十三年目のアクションチームと、設立十二年目の劇団いづちの公演は、年を追う毎に人気が広がり、今では小劇場界でそこそこの位置にある。
お互いトップの年齢は若い為、普通なら考えられないような突拍子も無い事を仕出かすのが受けたらしい。
「もう三年か、早いな」
汗だくになった千影が、汗を拭き拭き珠子の横に並ぶ。
「年取る訳よね」
「もうババアだもんな、お前」
本番さながらに動き回った二人の顔には、午後になったばかりだと言うのに、幾分の疲労が見て取れる。
「誰がババアよ」
「そんなん珠子に決まっ・・」
千影が言い終わるより早く、珠子の蹴りが彼の脛を捕らえ、千影は身体を捻って痛みに耐えた。
口は災い、もとい、人災の元、である。
「ちかちゃんも、もうすぐ三十路でしょ!」
「・・・」
八月生まれの千影は、次の誕生日で見事三十路に御昇進なのである。
珠子はババア呼ばわりされたのが余程気に食わなかったのか、普段以上に千影を苛める事に精を出す。
紅龍は、そんな二人をまるで無視して、台本に何やら書き込んでいる真っ最中である。
今更台本に用は無いだろ、と、半ば呆れた様に千影はその姿を、なんとはなしに眺めた。
「輝愛ちゃんがやっと十八歳でしょ?で、ちかちゃんは三十路でしょ?お目出度いわね~ぇ。色んな意味で」
「目出度く無いだろう、別に俺は」
「あーらららやだやだやだ、あたしが言ったのは、『頭の中がお目出度い』って事よ」
レモンの蜂蜜漬けをぱくり、と口の中に放り込んで続ける。
「一回りも歳違うのよね~大変よね~」
珠子の冷やかし目線が絡んで、一瞬二の句が継げられなくなる。
「・・それは、いや、違うぞ珠子。お前何か勘違いして・・」
「見ちゃったもんね」
珠子の台詞に、後ろめたい事等無い筈なのに、ぎくりとするのが、男の悲しい性だろう。
「手、繋いでるの、見た」
言われて、ようやっと思い当たる。
輝愛が千影の家に居候、と言うか住み始めて軽く一年以上。彼女のチーム入団の日にせがまれて手を繋いで以来、相手は普通に引っ付いてくるし、二、三日もすると、それが普通になってしまっていた。
最も、自分は、父親代わりで輝愛に接しているのだから、後ろめたい事等無い筈なのだ。
しかし、言われて見れば、いい年した自分が、本来まだ高校生程の年齢の娘分に、ご執心と思われても、無理も無い。
「・・ふむ」
千影は妙に神妙な顔で腕組みなんぞをしている。
珠子は二口目のレモンを口に上手い事投げ込み、
「あたしですらそんなのしてもらった事ないのに~。ちかちゃんズルイ!!」
「・・・一瞬でも真剣に悩んだ俺が馬鹿だった・・・」
何の事は無い。
ただ単に珠子は千影が羨ましかっただけの様だ。
それで、珠子曰く『良い思い』をしている千影に当たっただけに過ぎないらしかった。
ここまで来ると、珠子も相当なご執心であると言えよう。
「で」
「まだ何かあんのかよ」
興味津々の学生時代の様な目で千影ににじり寄り、
「まだ何もしてないの?」
珠子の言葉の意味を量りかねて、眉間にしわを寄せた後、
「するかあ!」
やっと意味を理解して、耳元で怒鳴った。
お前はどこぞのオヤジか!
黙ってれば美人なのになあ。
何故か残念そうに再びレモンをぱくつく珠子に、千影は一人、頭をがしがし掻いたのだった。
◇
「ちょっとお腹空いたかも」
「お前なあ、今更何も食えないぞ。せめて一時間半我慢しろ」
「分かってるよ、言ってみただけ」
上手の袖にスタンバイしている千影と輝愛の会話である。
現在、とうに衣装に身を包み、メイクも終え、あと五分もしないで緞帳が上がる。
そう言った状態である。
最早皆慣れ切ったもので、小声で台詞の練習をしていたり、殺陣の確認をしたりしており、緊張で震えている者等、皆無だった。
勿論、役者としても殺陣要員としても日の浅い輝愛も、例外では無いらしい。
「幕間に珠子さんから貰ったマシュマロ食べよう♪」
うにうにと足首回しながら呟く。
「そんなモンで足りるなら、終わるまで我慢出来ねえの?」
「そうはいかないモンなのよ」
「そうなんだ」
「そうなのよ、乙女心は複雑なの」
「乙女関係無えし」
緊張の『き』の字も無いこの娘分を見て、千影は毎回の事ながらいささか呆れる。
順応力のある娘だと思ってはいたが、ある意味馴染み過ぎではなかろうか、と言う疑問が頭を掠める事も、まあ、無くも無い。
それもこいつの性質と言うか素質と言うものなんだろうが。
でなければ、こんな自分の様な駄目な男と共に生活するなんて、出来なかっただろう。
拾って助けたつもりが、逆に助けられている結果に、いい年の自分は、苦笑するしか無い。
「まあトーイよ、緊張感持て」
「持ってるよ、十分」
「どうだか」
そう言う千影も、傍目には緊張感等皆無なのだが。
しかし内実、毎日毎回、この瞬間は緊張しているのだ。
でないと、殺陣はすぐさま事故に繋がる。
「何か久々にトーイって言われた」
輝愛が千影を目線を合わせるために上目遣いになる。
「そうか・・?」
彼女は首だけでこっくりと『Yes』と示す。
確かに、最近はおい、とか、お前とかで、呼んでなかったかも知れない。
「もう開くよ。おしゃべりストップ。マイク電源確認して」
同じく上手にスタンバイした劇団いづちの東盛が、声をかける。
それとほぼ同時に、会場に幕開けを知らせる音楽が流れる。
――ぽん。
千影は無言で彼女の背中を軽く叩く。
『行ってこい』と言う合図と、『しっかりやれ』と言う激励である。
輝愛は他の数名と共に、板の上に飛び出して行く。
袖の、観客にぎりぎり見えない位置で、板の上を伺い、若手の数名の動きをチェックする。
・・ま、ぼちぼち、ってとこか。
千影は幕開けの一連を見守ると、奥に静かに引っ込んで行った。
およそ三時間の舞台である。
幕間のわずかな休憩を入れているとは言え、役者達を始め、スタッフ一同疲労困憊である。
それを一日二公演、大阪、東京と続け、何とか千秋楽までこぎつけた。
楽日独特の異様に長いカーテンコールに応え、やっと楽屋に戻り、千影はメイクを落としながら、同室の紅龍に話しかける。
「単独公演、マジ?」
「マジ」
何とも簡潔な会話ではあるが、用件は伝わっている。
「何やるん」
「今嫁さんが考えてる」
「今から書き下ろしは無理だろう。柚木さんに殺される」
柚木と言うのは、アクションチームの脚本を手掛けてくれている作家である。
劇団いづちの脚本も主に担当しており、殆ど劇団付きの作家扱いなので、当然、チームとも仲が良い。
「再演だろう。どれやるかは知らんが」
「メンバーも変わってるしな」
「なあ」
男二人は、仲良くシャワーに向かった。
・・・まあ、アレじゃなきゃ何でもいいや。
タオル引っさげながら、千影は心の中でだけ、呟いた。
「・・・で、勇也は一応ココに置いて・・・誰をココに・・あ、茜ちゃんをここにして、で・・」
着替えも終わり、メイクも落としてすっぴんになった珠子が、わざわざ輝愛達新米の居る控え室にやって来て、何やら紙をにらめっこしながら、ぶつぶつ呟いている。
「何してるんですか?」
シャワーから帰って来た輝愛が、珠子にミネラルウォーターを差し出しながら、問いかける。
「んー、公演のキャスティング」
珠子はボトルを受け取ると、唸った顔のまま、中身を喉の奥に流し込む。
「うち、メンバーかなり入れ替わってるからさ」
「再演ですか」
「そう。で、初演当初のメンバー、半分以上居ないから」
それで、誰をどの位置にするか、考えあぐねている所なのだった。
輝愛は、髪の毛を拭きながら珠子の横にちょこん、と座る。
「・・ねえ、輝愛ちゃん」
「はい?」
珠子が例により、意地の悪い微笑を湛えながら。
「大ちゃんとアリス、どっちが女装似合うと思う?」
「は?」
とんでも無い質問である。
双方紛れも無い男性で、まあ、紅龍や千影と比べれば線の細い感はあるが、まるっきり男である。
ちなみ、大ちゃんと言うのは、チーム入団五年、日本舞踊の名取で、幼少からバレエ、ピアノ、能、狂言、その他もろもろを嗜んでいると言う、正真正銘のお坊ちゃま、志井大輔である。
対してアリスと言うのは、輝愛の一番近い先輩にあたる人物で、チーム在団歴は二年だが、それまでは別の劇団に所属していた。有住浩春の苗字から取って、『アリス』と呼ばれている。
「・・どっちも普通に男の人だと思うんですけど・・」
「そりゃあ、あたしだって分かってるわよ?」
そこまで言って、珠子はペンを置きを置き、輝愛の方に向き直り、
「でも、紅龍やちかちゃんや、勇也や修太郎が女装したら、気持ち悪いでしょ?」
輝愛はマジメに、今名前を挙げられたメンツが女装した姿を思い描いてしまい、にわかに顔を引きつらせる。
「ね?だったら一番まともであるだろう二人の、どっちかにしたほうが、無難でしょ。まあ、大ちゃんは女形やる人だから、意外性はないのよねぇ」
珠子の、聞き様によっては鬼の様な言葉に、輝愛は頭をぶんぶん縦に振るのだった。
「・・・アミダでいっか」
珠子は再び鬼の様な発言をして、紙にさらさらとアミダくじを書いていった。
「あ、アリスだ」
・・・頑張れ、アリスさん・・・
輝愛は無言で、胸の中合掌したのだった。
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