桃屋の創作テキスト置き場
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■こんぺいとう 3 お仕事しましょ 6 ■
陽もとうに傾き、辺りには街頭が灯る頃合いである。
結局、入念なストレッチと、二ヵ月後に行われる舞台の説明と、簡単な基礎トレだけで一日が終わってしまった。
「トーイ?」
「何?」
例のジャージと、空になったお重を抱えて歩く娘分に、視線を落として声をかける。
「・・・どうする?」
「どうするって・・珠子さんが言ってた話?」
「そ」
やや憮然としたような千影を、少しだけ盗み見て、輝愛はしばらく口をつぐんで考えにふける。
彼女のペースに合わせている為、いつもより少し遅めな足取りの千影は、背負ったディパックを担ぎ直し、彼女の手から重箱を奪い取る。
「あ」
「やりたくないなら」
いつも通りに後ろ手で頭を掻きながら、
「やりたくないなら、無理してやる事、ないからな。珠子の話術で誤魔化されて、しぶしぶやる、とかってんなら、やんなくていいぞ」
実際、本気の珠子に言い寄られて断る事が出来る人間はかなり少ない。
それだけ見込まれていると言うのは、有難い事ではあるし、彼女の感が外れた試しはないので、従うのが最善と言えば最善なのかも知れないが。
輝愛は同じペースで歩を進めながら、腕の中のジャージをきつく掴んで千影を見上げる。
「やる」
唐突と言えば唐突な二文字の声に、今まで感じたことの無い強さを捉えて、思わず足を止める。
輝愛は千影を見つめたまま、
「やる。やりたい。あたしにも何か出来るか、やってみたい」
そう、はっきりと言い放った。
千影は僅かに目を細める。
「――言ったからには、本気でやれよ」
「本気でやる」
本気と書いて、マジと読む。
珍しくと言うか、初めてと言うか。
彼女の眼差しに、強い意志を感じたのは。
「――分かった」
千影はそう言うと、身体を彼女の方へ向ける。
「チームに入ったからには、練習中は他のメンバーと同じ扱いするからな」
「うん」
真剣な顔で頷く輝愛に、千影は真面目な顔のまま続ける。
「チーム内に居る時は、親子でも何でもないからな」
「親子・・・?あたしとカワハシが?」
「そう」
「親子・・・・・」
自分にしか聞こえない様な小さな声で反芻する。
二歳で両親を亡くした輝愛に取って、親と言う存在を感じた事は今まで皆無に等しかった。
「おとお、さん?」
「・・・一応なあ。年近過ぎるけど。兄弟でも良いけど、一応保護者だしな、一応」
『一応』が多い説明ではあるが。
当の千影本人も、娘分から実際に父親呼ばわりされると、妙な気恥ずかしさと、何か釈然としない感情で眉をしかめる。
「とにかく、お前はチームに就職したも同然だ。表現で金を貰う事がいかに大変か、分かる様になるまでは少なくとも、頑張れ。キリキリ働け」
さっきまでのしかめっ面を解除して、少し面白げに言う千影に、輝愛は珍しく声を漏らして笑う。
初めて感じる彼女の笑い声に、驚きを隠せないまま、僅かに姿勢を正して向き直る。
「入団おめでとう。我がアクションチームへ」
言って右手を差し出す。
「宜しくお願いします」
はっきりそう言って、輝愛は彼の大きな手を握った。
「バカかお前、何で左手と右手なんだよ。握手するために差し出した俺の右手の存在はどうなる訳?」
千影の言うとおり、輝愛は左手で千影の右手を掴んでいた。
要するに、握手ではなく手を繋いでいる状態である。
「――ねえ、カワハシ」
「何だよ」
手を掴まれたまま、状況が飲み込めない千影に、輝愛は僅かにためらいながらも声をかける。
「今日、初めて『うちの』って言ってもらえて、嬉しかったよ」
「――っ!?」
何か口に出そうとしたのだが、喉につかえた様になってしまって、言葉にならなかった。
そんな千影を見上げて微笑む。
「もっかい、今度は名前入れて「うちの輝愛」って呼んで」
「ダメ」
「なんでよー」
間髪入れずに拒絶され、頬を膨らます。
「何でも」
「カワハシのけち」
こいつのふくれっ面も、結構見慣れたモンだな。
なんて思いつつ、千影は再び歩き出す。
「ケチで結構だよ、小娘」
「小娘じゃないもん」
「どうだかねえ」
するりと輝愛の手から抜け出し、「行くぞ」と振り返る。
「名前で呼んでよー」
「ダーメ」
背後から抗議の声が聞こえる。
でも、本気のそれではないと分かっているから、そのまま歩き続けた。
「じゃあ、手つないで!」
「はーあ?」
あまりの突拍子の無い発言に、再び呆れ顔で振り返る。
「手つないで。ね?暖かかったから。つないで?」
にっこり笑って少し小首を傾げている。
本人はおおよそ気付いていないだろうが、それで上目遣いなどされた日には、少しでも彼女に好意のある男はほぼ落ちるのではないだろうか。と思える様な仕草だった。
どうか、他の奴にそんな顔してくれるなよ、と、心の中で祈りながら、千影は困ったように頬を掻く。
「ね、おとーさんなんでしょ?お願い」
あまりに無邪気に笑う輝愛に、僅かにたじろぎつつも、「ん」と小さく声を漏らして左手を差し出す。
「えへへ」
すぐさま飛び付いて、輝愛は千影の指に自分の指を絡ませる。
これは親子の手の繋ぎ方じゃなくて、恋人の手の繋ぎ方なんだが・・・。
と思いつつ、千影は彼女の指の細さに改めて驚く。
「・・変な奴だな」
千影の苦笑めいた嫌味にも、肩をすくめて笑うだけである。
―――本当に、変な奴だよ、お前は。
心の中だけで繰り返し、小さな彼女の手を握り返す。
小さな温もりは、確かに彼女が今、ここに在る証拠の様で何だか妙に安心した。
◇
「でもさ、お父さんいるのに、お母さんいないの、おかしいよね」
繋いだ手を嬉しそうに振りながら、娘の地位を獲得した輝愛は、千影を見上げる。
「・・・・・・・・・・珠子で十分だろ・・・・」
珠子の輝愛へのご執心ぶりを思い出して、僅かに口を開くのが嫌になる千影。
そんな事に気付いているのかいないのか、
「えー、でも珠子さんがお母さんだと、お父さんは社長になっちゃうよ?」
「まあ、そうなんだけどさあ・・・」
生憎、千影には現在妻どころか恋人も居ない、フリーな状態なのである。
輝愛に取っての母親分が居ないのも、無理からぬ話なのだ。
「カワハシ、かいしょなしなんだね」
『甲斐性なし』の意味をちゃんと理解していない輝愛の発言に、千影はぴくりと四肢を跳ね上がらせるだけで、無言のままでいた。
「しょーがないなー。カワハシがおじいちゃんになっても貰い手が無かったら、あたしが貰ってあげるよ」
えへへ、と嬉しそうに笑いながら言う。そんな輝愛に一つ息を漏らして、
「俺がジジイになった頃には、お前もオバンだろうが。それまで、お前は嫁に行かずに待っててくれるのか?」
小学生みたいな事を、この娘はいつまで言ってくれるのだろうか。
でも―――
「あ、そっか。じゃああたしがおばさんになるまでにしとく」
「オバサンになっちまったら、お前も貰い手がないだろうしな」
喉の奥でくつくつと笑いを噛み殺す。
笑わせている張本人は、真剣にいくつからがおばさんなのか、ぶつぶつ呟きながら考えている。
「まっ、そん時ゃ宜しくお願いしますよ」
「まかせといて」
苦笑したままおどけてみせる千影に、繋いだ手を嬉しそうに振りながら歩く輝愛。
―――最も。
繋いだ手を眺めながら、千影は思考をめぐらせる。
―――もう一度恋愛する勇気なんて、俺にはないよ。
無意識に手に力が入っていたのか、いつの間にか立ち止まった輝愛が、不安げな顔で自分を見つめている事に気付き、苦笑いする。
彼女のおでこに自分のおでこをこつん、とくっ付けて、「何でもないよ」と言ってやる。
「さて、帰るか」
「ん」
答えて輝愛は、さっきと同じ速さで歩き出した。
―――お前が娘で居てくれるなら、俺はそれで十分だよ。
俺がちゃんとした父親になれるまで、娘のまんまで居てくれよ。
急いで大人にならないで、しばらく俺の傍に居てくれよ。
じゃないと―――
「じゃないと、寂しいじゃないか、なあ?」
輝愛に聞こえないように、誰にとも無く呟く。
千影の顔は、僅かだが、泣きそうに見えた―――
陽もとうに傾き、辺りには街頭が灯る頃合いである。
結局、入念なストレッチと、二ヵ月後に行われる舞台の説明と、簡単な基礎トレだけで一日が終わってしまった。
「トーイ?」
「何?」
例のジャージと、空になったお重を抱えて歩く娘分に、視線を落として声をかける。
「・・・どうする?」
「どうするって・・珠子さんが言ってた話?」
「そ」
やや憮然としたような千影を、少しだけ盗み見て、輝愛はしばらく口をつぐんで考えにふける。
彼女のペースに合わせている為、いつもより少し遅めな足取りの千影は、背負ったディパックを担ぎ直し、彼女の手から重箱を奪い取る。
「あ」
「やりたくないなら」
いつも通りに後ろ手で頭を掻きながら、
「やりたくないなら、無理してやる事、ないからな。珠子の話術で誤魔化されて、しぶしぶやる、とかってんなら、やんなくていいぞ」
実際、本気の珠子に言い寄られて断る事が出来る人間はかなり少ない。
それだけ見込まれていると言うのは、有難い事ではあるし、彼女の感が外れた試しはないので、従うのが最善と言えば最善なのかも知れないが。
輝愛は同じペースで歩を進めながら、腕の中のジャージをきつく掴んで千影を見上げる。
「やる」
唐突と言えば唐突な二文字の声に、今まで感じたことの無い強さを捉えて、思わず足を止める。
輝愛は千影を見つめたまま、
「やる。やりたい。あたしにも何か出来るか、やってみたい」
そう、はっきりと言い放った。
千影は僅かに目を細める。
「――言ったからには、本気でやれよ」
「本気でやる」
本気と書いて、マジと読む。
珍しくと言うか、初めてと言うか。
彼女の眼差しに、強い意志を感じたのは。
「――分かった」
千影はそう言うと、身体を彼女の方へ向ける。
「チームに入ったからには、練習中は他のメンバーと同じ扱いするからな」
「うん」
真剣な顔で頷く輝愛に、千影は真面目な顔のまま続ける。
「チーム内に居る時は、親子でも何でもないからな」
「親子・・・?あたしとカワハシが?」
「そう」
「親子・・・・・」
自分にしか聞こえない様な小さな声で反芻する。
二歳で両親を亡くした輝愛に取って、親と言う存在を感じた事は今まで皆無に等しかった。
「おとお、さん?」
「・・・一応なあ。年近過ぎるけど。兄弟でも良いけど、一応保護者だしな、一応」
『一応』が多い説明ではあるが。
当の千影本人も、娘分から実際に父親呼ばわりされると、妙な気恥ずかしさと、何か釈然としない感情で眉をしかめる。
「とにかく、お前はチームに就職したも同然だ。表現で金を貰う事がいかに大変か、分かる様になるまでは少なくとも、頑張れ。キリキリ働け」
さっきまでのしかめっ面を解除して、少し面白げに言う千影に、輝愛は珍しく声を漏らして笑う。
初めて感じる彼女の笑い声に、驚きを隠せないまま、僅かに姿勢を正して向き直る。
「入団おめでとう。我がアクションチームへ」
言って右手を差し出す。
「宜しくお願いします」
はっきりそう言って、輝愛は彼の大きな手を握った。
「バカかお前、何で左手と右手なんだよ。握手するために差し出した俺の右手の存在はどうなる訳?」
千影の言うとおり、輝愛は左手で千影の右手を掴んでいた。
要するに、握手ではなく手を繋いでいる状態である。
「――ねえ、カワハシ」
「何だよ」
手を掴まれたまま、状況が飲み込めない千影に、輝愛は僅かにためらいながらも声をかける。
「今日、初めて『うちの』って言ってもらえて、嬉しかったよ」
「――っ!?」
何か口に出そうとしたのだが、喉につかえた様になってしまって、言葉にならなかった。
そんな千影を見上げて微笑む。
「もっかい、今度は名前入れて「うちの輝愛」って呼んで」
「ダメ」
「なんでよー」
間髪入れずに拒絶され、頬を膨らます。
「何でも」
「カワハシのけち」
こいつのふくれっ面も、結構見慣れたモンだな。
なんて思いつつ、千影は再び歩き出す。
「ケチで結構だよ、小娘」
「小娘じゃないもん」
「どうだかねえ」
するりと輝愛の手から抜け出し、「行くぞ」と振り返る。
「名前で呼んでよー」
「ダーメ」
背後から抗議の声が聞こえる。
でも、本気のそれではないと分かっているから、そのまま歩き続けた。
「じゃあ、手つないで!」
「はーあ?」
あまりの突拍子の無い発言に、再び呆れ顔で振り返る。
「手つないで。ね?暖かかったから。つないで?」
にっこり笑って少し小首を傾げている。
本人はおおよそ気付いていないだろうが、それで上目遣いなどされた日には、少しでも彼女に好意のある男はほぼ落ちるのではないだろうか。と思える様な仕草だった。
どうか、他の奴にそんな顔してくれるなよ、と、心の中で祈りながら、千影は困ったように頬を掻く。
「ね、おとーさんなんでしょ?お願い」
あまりに無邪気に笑う輝愛に、僅かにたじろぎつつも、「ん」と小さく声を漏らして左手を差し出す。
「えへへ」
すぐさま飛び付いて、輝愛は千影の指に自分の指を絡ませる。
これは親子の手の繋ぎ方じゃなくて、恋人の手の繋ぎ方なんだが・・・。
と思いつつ、千影は彼女の指の細さに改めて驚く。
「・・変な奴だな」
千影の苦笑めいた嫌味にも、肩をすくめて笑うだけである。
―――本当に、変な奴だよ、お前は。
心の中だけで繰り返し、小さな彼女の手を握り返す。
小さな温もりは、確かに彼女が今、ここに在る証拠の様で何だか妙に安心した。
◇
「でもさ、お父さんいるのに、お母さんいないの、おかしいよね」
繋いだ手を嬉しそうに振りながら、娘の地位を獲得した輝愛は、千影を見上げる。
「・・・・・・・・・・珠子で十分だろ・・・・」
珠子の輝愛へのご執心ぶりを思い出して、僅かに口を開くのが嫌になる千影。
そんな事に気付いているのかいないのか、
「えー、でも珠子さんがお母さんだと、お父さんは社長になっちゃうよ?」
「まあ、そうなんだけどさあ・・・」
生憎、千影には現在妻どころか恋人も居ない、フリーな状態なのである。
輝愛に取っての母親分が居ないのも、無理からぬ話なのだ。
「カワハシ、かいしょなしなんだね」
『甲斐性なし』の意味をちゃんと理解していない輝愛の発言に、千影はぴくりと四肢を跳ね上がらせるだけで、無言のままでいた。
「しょーがないなー。カワハシがおじいちゃんになっても貰い手が無かったら、あたしが貰ってあげるよ」
えへへ、と嬉しそうに笑いながら言う。そんな輝愛に一つ息を漏らして、
「俺がジジイになった頃には、お前もオバンだろうが。それまで、お前は嫁に行かずに待っててくれるのか?」
小学生みたいな事を、この娘はいつまで言ってくれるのだろうか。
でも―――
「あ、そっか。じゃああたしがおばさんになるまでにしとく」
「オバサンになっちまったら、お前も貰い手がないだろうしな」
喉の奥でくつくつと笑いを噛み殺す。
笑わせている張本人は、真剣にいくつからがおばさんなのか、ぶつぶつ呟きながら考えている。
「まっ、そん時ゃ宜しくお願いしますよ」
「まかせといて」
苦笑したままおどけてみせる千影に、繋いだ手を嬉しそうに振りながら歩く輝愛。
―――最も。
繋いだ手を眺めながら、千影は思考をめぐらせる。
―――もう一度恋愛する勇気なんて、俺にはないよ。
無意識に手に力が入っていたのか、いつの間にか立ち止まった輝愛が、不安げな顔で自分を見つめている事に気付き、苦笑いする。
彼女のおでこに自分のおでこをこつん、とくっ付けて、「何でもないよ」と言ってやる。
「さて、帰るか」
「ん」
答えて輝愛は、さっきと同じ速さで歩き出した。
―――お前が娘で居てくれるなら、俺はそれで十分だよ。
俺がちゃんとした父親になれるまで、娘のまんまで居てくれよ。
急いで大人にならないで、しばらく俺の傍に居てくれよ。
じゃないと―――
「じゃないと、寂しいじゃないか、なあ?」
輝愛に聞こえないように、誰にとも無く呟く。
千影の顔は、僅かだが、泣きそうに見えた―――
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