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桃屋の創作テキスト置き場
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■こんぺいとう 3  お仕事しましょ 1 ■




「・・・あれ?」
 千影は尻のポケットをまさぐって、そこにお目当ての物がないと気付き、小さな声を漏らす。
 カバンを開けて中を見てみたが、やはりそこにもない。
「やべ」
 呟いて顔をしかめる。
 家に忘れてきてしまったらしい。
 今日は後輩に昼飯を奢る約束をしていたのに。
 携帯を取り出し、時間を見る。
 まだ仕事場にも着いていないのだから、間に合わないなどと言う事はないだろうが。
 ・・・仕事場着いたら、電話するか・・・
 取り合えず、着いたら誰かに缶コーヒー買う金ないから奢ってもらおう。
 などと考えつつ、千影は仕事場に向かうのだった。



「あれ?」
 朝ご飯の片づけを終え、回しておいた洗濯機から取り出した洗濯物を干し終わり、一杯お茶でも飲もうかとキッチンに戻ってきた輝愛。
 ダイニングテーブルの上に、黒いかたまり。
 手に取ると、やはりそれは千影の財布だった。
「・・やばくない?」
 無一文で仕事に行ってしまったということだ。
 彼は毎日昼は外食で、財布がないと言う事はかなり困るはずで。
 しかも今日は、後輩さん何人かにご飯奢らされる約束をしてる、とか言ってた筈で。
 輝愛はふう、と一つため息を吐く。
「変なトコ抜けてるなあ。仕方ない、届けてあげるとしますか」
 そこではたと気付く。
 そういえば、自分は千影がどこに勤めているのかも、それどころか何の仕事をしてるかも知らないではないか。
 どうしよう・・・
 途方に暮れていると、突然、電話のベルが鳴った。


「はい、もしもし?」


 二回目のベルが鳴るより早く、勢いの良い声が電話口から聞こえる。
「トーイ?」
 千影は一瞬ほっとしたように息をつく。
『カワハシ、財布忘れたでしょ?』
「そー。届けてもらおうかと思って」
 千影は携帯片手に肩をコキコキ鳴らしている。
『うん。場所と会社の名前おしえ・・・』
 輝愛が最後まで言い終わるより早く、千影の身体は羽交い絞めにされる。

「うわ!何しやがる!」
 バランスを崩し叫んでみるが、無駄な抵抗である。
「先輩、朝っぱらから誰に電話してるんですか?」
「川ちゃん、一人モンだったよね?」
「せんぱーい、俺達の飯は~」
 背後にいつの間に忍び寄ったのか、千影の後輩達が電話している千影に絡みついて来る。
「やかましいお前ら!今財布届けさせるから散れ!散れ!」
 相手を散らすために言った一言が、それこそ命取りである。
 千影の一言に反応して、より一層興味を示す後輩達。
 最も、純粋な興味とかではなく、からかえるモンはからかおう、と言う素敵な精神からであるが。

「だれ?だれが届けにくるんですかあ~?」
「彼女?嫁?女の子!?」
「だったら財布いらないから飯!手作りの飯がいいっす!」
 口々に好き勝手な事を携帯に向かって叫ぶ後輩達。
 もはや千影と輝愛の会話は成立していない。

『カワハシー!?』
 携帯から輝愛の叫び声が聞こえる。
「やっぱり女の子じゃん!」
 誰かが言うなり、千影の手から携帯を抜き取り、
「財布届けるついでに、ご飯作ってきてください!場所は――」
 そう言って一方的に場所説明をして、通話を終了させてしまった。
「こら馬鹿!このくそったれどもが!」
 千影は血管浮き上がらせながら叫ぶが、後輩三人に羽交い絞めにされていて動けない。
「せんぱい、ご飯たのんどきました♪」
 にっこり満面の笑みで言う後輩の武田に、周りの人間もガッツポーズを作る。
 そんなに手料理が嬉しいのか、はたまたただ飯が嬉しいのかは謎だったが。

 ――飢えてるなあ。色んな意味で。
 千影は呆れながら呟く。
「ふざけんなよタケ・・・」
 あまりの後輩達の無駄に旺盛な行動力に、もはや怒る気力も失せた千影は、がっくりとうなだれたのだった。


 一方、受話器を静かに置いた輝愛は混乱していた。
「・・・・・今のは・・・なに・・・?」
 冷や汗をたらしながら頭の中を整理する。

 カワハシに財布を届けなきゃいけなくて、ついでに何故かお弁当作る事になって、電話口からの声から察するに、人数は男の人が4~5人くらいで、場所は今メモしたとこで――
 噛み砕くように反芻して、はっと時計を見やると、
「10時!?」
 今からお米を炊いて、おかず作ってつめて、電車乗って――
 輝愛は持てる力全てを使って計算し、青ざめる。
「急がなきゃ」
 叫ぶより早く、米びつに向かってダッシュをしていた。



 ◇



 いまだにわいわい騒いでいる後輩達に、千影はしかめっ面のまま一喝した。

「お前ら全員、基礎メニュー二倍ノルマだからな!」

 千影のドスの効いた渇から、『うへえ』とか何とか言いながら逃げようとする。
 が、ぬらりとした瞳で睨まれ、後輩達は身体を伸ばし始めた。
「今日から立ちで動くから、ちゃんとほぐしとけよ」
 千影の背後からいきなり現れたのは、千影よりも長身のがっしりした体躯の持ち主。
 ここの社長の真柱紅龍(まはしら こうりゅう)である。
 濡れたような短い黒髪、精悍な顔立ち。
 男臭いこの会社の、まさに筆頭とも言うべき男だ。
 若干32歳にして一国一城の主であり、千影の三つ上の先輩でもある。

「今日からバシバシ動くからな。頭空っぽにしとかなきゃ覚えきれないぞー」
 言いつつ何故かげんなりしている千影の肩に腕を乗せ、
「そうしたよ、ちか?ご機嫌ななめだな」
 紅龍は、昔から千影のことを『可愛い呼び方だろう』と言って『ちか』と呼ぶ。
 おかげの紅龍の細君にまで『ちかちゃん』と呼ばれてしまうようになったのだが、千影本人はこの呼び方が、無骨な男を呼ぶには相応しくない辺りがミスマッチでなかなか気に入っている。
「どうしたもこうしたも・・俺は後輩に恵まれてないらしい」
 ぼやきつつ手近に居た一人の後輩、山下茜(やました あかね)をこづく。
 こづかれた山下は、「えへへ」と子供の様ににやけた。

「はあ」

 千影は一層、大きなため息をついた。



 ◇



 キッチンは、戦場と化していた――


 ダイニングテーブルの上に所狭しと並んだ食材。
 五段のお重には既に何品かのおかずが寿司詰め状態で詰め込まれている。
 ご飯が炊き上がり、輝愛は急いでジャーの蓋を開けて、ボウルに中身を取り出し寿司酢をまぶす。
 そんな事をしている間に、油の温度が適温になる。
 適当にどばどばと、から揚げ肉を油の中に突っ込み、急ぎ酢をまぶしたご飯を扇いで冷ます。
「何人前作りゃいいのよ」
 適当に突っ込めるだけ突っ込んでいくしかないだろう。
 そろそろ時間も危うくなってきている。

 最も、あんな電話口での悪ふざけ、とも取れる言葉を本気にせず、早めに財布だけ届けてしまえば良さそうなものなのだが。
 輝愛は物事を真正面から受け止める性質があるらしく、頼まれた通りにこうして大量の弁当を作っているのである。

 ご飯を甘く煮付けた油揚げに突っ込み、揚がったから揚げも油きりを終えてお重の中に。
 煮込み終えた肉じゃがも詰め込んで、カバンに自分と千影の財布と、割り箸やら行き先を書いたメモやらを突っ込む。
 五段のお重を祖母の形見の大風呂敷で包んで、彼女は身形を気にする間もなく大急ぎで家を出た。



 運良くというか、輝愛がホームに降り立ったとほぼ同時に電車が滑り込んでくる。
 そのまま乗り込み、座席に座ってようやっと一息つく。
 時間が時間なので、車内は空いている。
 輝愛が腰掛けた座席には、彼女を除いて二人しか座っていなかった。
 重くて大きなお重を膝の上にしっかりと抱え、左腕にはめられた腕時計を眺める。

 どうやら、正午ちょっと過ぎには向こうに着けそうである。
 ――良かった。
 輝愛は人知れず安堵のため息を漏らし、そのままつらつらと窓の外の景色に意識を移した。 

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■こんぺいとう 3  お仕事しましょ 2 ■




「よっこいしょ・・と」
 17歳の娘の割に、いかんせんババクサイ台詞を吐きつつ、電車を降り、改札を抜け出た輝愛。
 先程の電話で殴り書きした地図のメモを、かさかさと広げ、
「―――うっ」
 小さくうめいて冷や汗を垂らす。
 ・・・・よ・・・・読めない・・・
 自分で書いた癖に、自分の字のあまりの殴り書きの汚さに頭を抱えた。
「と・・とりあえず、分かるところまで行ってみよう」
 そこでダメなら、千影の携帯に電話すれば良いだろう。
 そんな風に思い、輝愛は歩を進めた。


 数分後―――


 輝愛は半泣きになりながら道をうろついていた。
「ここはどこ・・」
 ずずっ、と鼻まですすり出す始末である。
 しかも、何だか人通りが少なくて道を聞こうにも誰も居ないし、勿論携帯電話なんか持ってないし、何でか公衆電話も全然見当たらないし―――
 と、途方に暮れている輝愛の肩が、背後からぽん、と叩かれた。
「!?」
 慌てて振り返ると、そこには長身の美人が、にっこり笑って立っている。
 その女性は、半泣きになっている輝愛に優しく
「どうしたの?」
 と問いかけた。
「み・・道に迷っちゃったんです・・」
 地獄に仏とはまさにこの事か。
 輝愛は泣きそうになるのを必死にこらえながら、唯一暗記していた千影の会社の入っているビルの名前を告げる。
「タブチビル?」
「はい」
 女性はいささか驚いたような表情をしたが、すぐさま元の笑顔に戻って、輝愛に丁寧に道を教えてくれた。
 聞いてみると何のことは無い。
 一本道を間違えていただけだったらしい。
 何度もお礼を述べ女性と別れ、ようやっと目的地の前までやって来たのだが。
 だが。
 ・・・ビルって言うより、工場みたい・・・本当にここなのかな・・
 こくり、と喉を鳴らす。
 扉をそろり、と僅かに開けて、中の様子を伺って見る。

「うわ・・」
 彼女は思わず小さな声を漏らした。
 お・・・男ばっかり・・・
 しかも全員が全員スーツ等着込んでおらず、家での千影の様に、Tシャツやらジャージやらで、首からタオルをぶら下げていたりする。
「ここ本当に会社なの?」
 目をきょろきょろさせてみるが、その中に、肝心の千影の姿は見受けられない。
 ・・・間違えちゃったのかなあ・・・
 そんな不安が過ぎった瞬間、

 ―――あ゛

 中に居た人物のうちの一人と、ものの見事にまともに視線が合ってしまった。
 その男は睨み付けるように輝愛を眺め、こちら側に歩いてくる。
 
 ―――逃げなきゃ!
 
 なんでそう思ったのかは分からない。
 ただ、この人は怖そう、怒られるかも!
 と言った意識が勝手に働き、そう思い込んでいた。

 勢い良く扉が開き、男と輝愛は対峙する。
「ご・・ごめんなさい」
 かすれる声で後退る。
 が、男は輝愛の手に抱えられた荷物を見るなり表情を崩し、
「入んな」
 と一言言って、輝愛の肩を抱いて中に導いた。


 うそー!怖いー!殺されるー!


 動揺しきった輝愛は、固まったまま中へ連れ込まれる。


 怖いよー!カワハシー!!


「これ、多分ちかのところのだろ?あれ?ちかは何処行ったんだ?」
 輝愛の肩を抱く男が、Tシャツやらジャージやらの軍団に声をかける。
「ち・・ちかって・・誰ですか」
 輝愛は室内中の人間の視線を一斉に受けるのが居た堪れなくなり、自らより遥か背の高い男を仰ぎ見た。
「ん?ちかのとこの子だろ?川橋だよ、川橋千影」
「ここにカワハシが居るの!?」
 思わず荷物を握り締め、大声で問い返す。
「居るに決まってるだろ。じゃなきゃお前、何しにここに来たんか分からんだろうが」
 呆れたように輝愛を見る男。
 

 瞬間、ギャラリーと化していた連中がざわついた。
「やっぱり川ちゃんとこの子か!」
「うーわー女の子だ女の子!」
「ちっさー!わっかー!」
「ちょっと近くで見ても良い?」
 口々に好き放題言って、輝愛に近付いて来る。
 普通の状態ならば、相手の真意も分かるだろうが、混乱している輝愛にとって、それは脅威だった。

 ――リアルに、怖い!!
「・・・カワハシー!助けて-!!」

「トーイ?」
 人の群れの中から、聞き慣れた声がした。
 どうたら煙草を買いに出ていたらしく、手には封の切られていない煙草が見える。

「カワハシ~」
 輝愛はあまつさえ瞳に涙なんか浮かべながら、千影の元へ駆け寄った。
「こわかったよー」
 もはや何がどうなって何が怖いのか、訳が分からなくなって、そしてそのまま泣きそうになっている。
 その輝愛のいつもとは明らかに違う態度に、千影は一瞬首を傾げる。
「怖かったって・・・まさか、お前ら、何かしたのか!?」
 何で自分が泣いているのか、あんまり理解出来ていない輝愛を抱えたまま、千影はものすごい引きつった顔で後輩達を見る。
「ま、まさか!まだ何もしてないですよ!」
「まだ触ってもいないし!」
 武田と山下が千影の睨みに怯え、ぶんぶか手と首を振りながら弁解するが、千影はぴくっ、と眉を跳ね上げて、
「まだとは何だ『まだ』とは!」
「いや、でも川ちゃん、ちょっとくらい見せてくれたって・・」
「そうそう、女の子なんて滅多にここに来ないんだし・・」
「俺はむしろ腹減りましたよせんぱーい」
 3馬鹿トリオ、と社長や社長の細君や千影に呼ばれている武田、山下、橋本の三人が、性懲りも無く輝愛に近づこうとして、手を伸ばす。
 勿論、純粋に輝愛に対しての興味もあるのだが、大部分はやはりと言うかなんと言うか、千影をいじって遊ぼう、という素敵な精神が根本にある。
「・・そーゆー事なら、俺も見たい」
「俺も川ちゃんとこの嫁?彼女?拝ませてもらいたいなあ~」
 3馬鹿トリオに乗じて、他の後輩達までもが加勢してくる。
 ・・・・誰も嫁とも彼女とも妹とも言っては居ないのだが。
 なんて、こんな状況でも千影は密かに内心突っ込みを入れてみたりもする。
 しかし、こうなってしまってはやはり多勢に無勢である。
 千影は可愛い可愛い後輩達に、朝同様に襲われそうになり、一足飛びに退いて、絡まってくる後輩達に向け一喝した。


「だあああああ!うちのに触んじゃねえええ!」


「おっかねー」
 千影の結構真面目な大声に、ようやっと後輩達はやはり笑みを絶やさぬまま退いた。
 何の事は無い。
 ただこれ以上ノルマを増やされるのが嫌だからである。
「ったく、どいつもこいつも・・」
 肩で荒くぜーはーと呼吸をして、やっと輝愛を開放する。
 そしていささか真剣な面持ちで彼女を見つめ、
「何もされてないんだよな?」
「うん、まだされてない」
 にっこり笑う最愛の娘分の台詞に、千影はがっくりと肩を落とす。
「・・・・・・・お前まで『まだ』とか言うなよな・・・」
 
 その微妙な膠着状態を打ち破ったのは、最年長の紅龍だった。
「で、その娘を紹介がてら、そろそろ昼飯にしたいんだが、どうだろうね?ちか?」

「あ」
 
 千影は今更ながら輝愛から財布とでかでかとした、一体何人前あるのかと思うような弁当を受け取った。

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■こんぺいとう 3  お仕事しましょ 3 ■




 ぱらぱらと財布を持って出て行く後輩達。
 正午を少し過ぎてしまったが、昼飯を食いに出かけるのだ。
 だだっ広い室内に残ったのは、輝愛と千影。
 そして社長の紅龍と、例の3馬鹿トリオの武田、山下、橋本である。
 千影の手には、みっしり中身の詰まったお重。
 後輩トリオは、瞳をキラキラさせて待っている。
 千影は苦虫を噛み潰したように眉を寄せ、憮然とした表情で「ありがたく食え」 と言って、手近に居た橋本勇也(はしもとゆうや)にお重を渡した。
「俺も御相伴に与って良いかね?えーっと・・」
 紅龍が輝愛を見ながら言う。
「輝愛です。高梨輝愛」
 輝愛はすぐさまぱっ、と向き直り、深々とお辞儀をする。
「そう、輝愛ちゃん」
「勿論、是非どうぞ。お味とお腹の保証はしませんけど」
 にっこり笑って言う輝愛に、眉尻を下げて微笑む。
「ご安心を。こう見えても舌には自信があるし、内臓は丈夫なんでね」
 言いつつ頭一個以上小さな彼女の頭を、ふんわりと撫でる。

 ・・・気持ち良いかも。

 カワハシみたくくしゃ、って撫でる感じじゃなくて、何かこう・・
「お父さんみたい」
 思わず飛び出た輝愛の言葉に、後輩トリオは爆笑し、千影は口を開けて彼女を見つめ、当の社長は鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔で硬直していた。
 後輩の山下がひーひー笑いながら、
「これでも社長まだ31なんだから、お父さんは可愛そうだよ」
 一瞬にして輝愛は青ざめ、
「しゃ!社長!?ええ偉いの?そんなに若いのに?どどどどうしよ」
 顔面蒼白になりながら、勢い良く頭を下げ、そのまま固まってしまう。
「すいませんでした~」
 もはや声まで震えている。
 その様子を見かねてか、紅龍は小さく苦笑し、
「気にしてないから」
 と、再び優しく頭を撫でてくれた。
 そのふんわりした感触を確かめながら、

 ・・・やっぱりお父さんみたい。
 と、一人心の中だけで微笑んだ。
 最も、彼女に父親の記憶は無いから、彼女の想像の父親のイメージに過ぎない。


 そこかしこに散らばってるパイプ椅子を集め、脇にある小さめの折りたたみのテーブルを持ってきて、簡易食卓の出来上がり、である。
「うわーすげえ!」
 蓋を開けるや否や、この場で輝愛に次いで若年な武田高嗣(たけだたかつぐ)が感嘆符を漏らす。
「ぬわ!本当だ!」
「・・・っかー・・・」
 山下と橋本も、目を丸くして思い思いの声を漏らす。
 独身一人身の彼らにとって、お重の中身は涙が出るようなラインナップだった。
 肉じゃが、きんぴら、だし巻き卵、唐揚げに筑前煮、中華風肉団子等等以下略。
「あ、お箸とお皿・・」
 輝愛は持参した割り箸と紙皿を配るが、三人は受け取ったまま身じろぎしないでいる。
「あの・・」
 恐る恐る声をかける。

 何か苦手なものでも入ってたのかな?
 アレルギーがあって食べれないとか?

 心配そうな顔で目の前の三人を覗き込む輝愛。
 千影は呆れた顔で、
「食わないの?お前ら」
 とだけ言って、一番に箸を伸ばした。
「これ、食って良いんですか・・?」
 山下が何故か上目遣いで尋ねてくる。
 紅龍は苦笑し、千影は半眼で呆れている。
「食べてもらうために作ったんですけど・・」
 当の輝愛も、唖然としている。
 武田、山下、橋本の三人は、目を見合わせて、律儀にも両手を合わせてから箸を伸ばした。
「お前は行儀の良さに関してはあいつらに負けてるな、ちか」
 横からさも可笑しそうに、紅龍が千影に耳打ちする。
「いいの、これはうちのなんだから、な?」
 筑前煮を口に放り込んで、空いている左手で娘分の頭をくしゃっ、と撫でた。
 社長のとやっぱし撫で方違うなあ・・・
 輝愛はだし巻き卵をくわえながら、自らの頭に乗せられた馴れ親しんだ大きな手を見上げる。
 ・・・でも、こっちの方がやっぱ好きかも。
 独り言の様に考えて、笑った。


 作りすぎたかな、と思っていた筈の弁当が、あっという間に消えて行く。
 ・・・男の人って、たくさん食べるんだなあ・・・
 きんぴらごぼうを口に突っ込みながら、目の前の旺盛な食欲の男性陣を眺める。
 千影も食べる方だが、やはり育ち盛り(?)食べ盛りの大学生年齢の奴らには適わない。
「飢えてるねえ・・・」
 千影が呆れながら呟く。
 どっちの意味での『飢えてる』なのかは敢えて言わなかったが、両方の意味で取って間違いないだろう。
「そんなに飢えるほど給料低いのかな、うちは」
 紅龍が社長の顔で苦笑する。
「いやいやいや、少ないくはないと思いますケド!!」
 橋本が慌てて手をぶんぶか振る。
「俺達まだ若いから!腹減るんですよ!」
「悪かったな年寄りで」
 言い訳めいた山下の台詞に、千影がわざと低い声で答えて、そのまま彼の皿の上の肉団子を掠め取る。
「年寄りだって腹は減るんだよ、な?紅龍」
「俺を一緒にするな」
 淡々とした口調のまま、ジト目で千影を睨む。
「川兄と社長、3歳しか違わないし、社長のが年上じゃないですか」
「そしたら勇也と俺も3歳しか違わないぞ?」
 山下のフザケタ台詞に、千影が半眼のまま意見する。橋本勇也(はしもとゆうや)と言うのは、千影の三歳下の後輩で、3馬鹿トリオのトップを切っている、悪がきみたいな奴である。
 が、話題に上げられた当の橋本は、いたずら小僧みたいに笑いながら、
「いやいやいや、二十代と三十代には大きな隔たりがありますって」
「まだ二十八だ」
 間髪入れずに座った目で断言する千影。
 横で紅龍が社長のではなく、千影の先輩の顔で苦笑している。
「ちか、三十路は楽しいぞ~。早くこっちへ堕ちて来い」
「まだ二十代だ!紅龍といっしょくたにするなっつーの」
 ニヤニヤしながら千影をからかう紅龍。
 学生時代からずっと続く、永遠に千影が勝てない頭の悪い勝負である。
「どっちも大して変わらなくない?」
 輝愛の無情と言えば無情な一言に、上の二人は固まり、下の三人は含み笑いをした。
「輝愛ちゃんからしたら、社長も川ちゃん先輩も同じようなもんですよね」
 山下が輝愛に笑いかけながら言う。
 彼女は自分が発言した台詞にどんな意味があるか理解しきれておらず、山下の言葉ににっこりしたまま頷く。
 社長(紅龍)と部長(千影)は、決まり悪そうにお互いを見て、一方は口をへの字に、もう一方は半眼になった。
 そして半眼の男が気分悪そうに、後輩の山下を見据えて一言。

「どうでもいいけど、気安く『輝愛ちゃん』なんて呼ぶなよな」

 一瞬全員が硬直し、しばらくの後、紅龍だけが『ぷっ』と小さく声を漏らした。
「何だよ・・」
「別に」
 普通の人間ならば、千影に睨み付けられたら動けなくなってしまうくらいの鋭い眼光ではあるのだが、やはり先輩の紅龍には効果は無いらしい。
「俺は『ちゃん』で呼ぶけどな。なー輝愛ちゃん♪」
「はい、社長」
 千影の目線をするりと交わし、隣の腰掛ける輝愛の肩に、あまつさえ手なんか添えちゃったりしながら。
 ちなみに、見た目は大層生真面目に見える社長の最近の専らの趣味は「千影いじり」である。

「それにしても、輝愛ちゃん、料理うまいね」
「そうそう、俺感動しちゃったよ。ご馳走様」
「ちゃん呼びやめれ」
「輝愛ちゃん、年いくつ?」
「輝愛ちゃんって、川兄とどんな関係?妹じゃないよね?」
 後輩連中、千影をナチュラルに無視。
 紅龍が『まあまあ』といささか大人な意見で千影を影でたしなめる。
「あたしはー・・」

 そう、輝愛が口を開きかけた瞬間。
 一陣の風が室内に、音を立てて流れ込む。


 そして――― 

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■こんぺいとう 3  お仕事しましょ 4 ■




 バダン!
 と言う大きな音と共に、入り口のドアが景気良く開かれた。
 そしてそこに佇む、一人の長身美女。
「やっほー!お元気?麗しの珠子ちゃん登場~」
 見た目のいかにもセレブ系ないでたちには似つかわしくない、素っ頓狂な台詞でいざ登場である。
「雅のゲネ見てから来たから遅くなっちゃった。ほら、雅に大ちゃんレンタル中じゃない?だからちょっと覗いてきたのよ。あらちかちゃん、何か怖い顔してるわね?」
 着てきたジャケットを脱ぎ、紅龍にぽい、と投げて渡す。
「珠子、もうちょい普通に渡せ」
「はいは~い。あ、勇也、茜、高ちゃん、おはよう」
 紅龍の言葉をさらりと受け流し、口を半開きにしたまま固まっていた3馬鹿トリオに声をかける。
「お、おはようございます、珠子姐さん」
 なんだか極道のようなご挨拶である。
 彼女はテーブルに載っていた灰皿を捕獲し、煙草を取り出して火を点けようとして、止まった。
 珠子の視線の先には、見慣れない、本来ここに存在するはずのない人物。

 つまり、輝愛がいた。

 輝愛は、珠子の顔をまじまじと見つめ、
「あ、さっき道教えてくれたお姉さん、さっきはありがとうございます」
 と言って、椅子から立ち上がり彼女の前でお辞儀をした。
 当の珠子は、未だ固まったままである。
「あの・・・?」
 輝愛が不信がって彼女の顔を覗き込む。
「やばい、トーイ、離れろ!」
 千影が焦った声で叫ぶが、時既に遅し。
 珠子は輝愛の肩をがしっ、と鷲掴みにする。
「ひっ!」
 思わず声を上げる輝愛。しかし、珠子はそんな事お構いなしで、大きな瞳をうるうるさせて、感極まった表情で、

「・・・かわい~い・・」
「は?」
「可愛い!!」
 背後で千影と紅龍が『あちゃー』と言って頭を抱えている。
「何?何コレ!可愛い!さっきちゃんと見てなかったから気付かなかったけども!いやーんほっぺたぷにぷに~!髪の毛サラサラ~!!」
「いや、あの・・」
「ちっちゃ~い!目くりくり!!たまんないわーぬいぐるみみたい!!」  
 言うだけ言って、輝愛をぎゅう、と抱き締める。
「あああああああの!?」
「ああもうたまんないわコレ!さっき会えたのも、ここでの再開も、もう運命よね!確定だわ!ねえ誰の!?この子誰の子!?貰っていい?いいよね?良いわよね?はい決定!!お嬢ちゃん、うちの子にならない?お姉さんいろんな事教えてあ・げ・る」
 頬を上気させて輝愛をしっかり抱き締める。
 張本人は事態の把握が出来ずに、されるがままである。
「珠子、いくらなんでも『お姉さん』は言い過ぎだろう」
 紅龍の突っ込みが入る。
 しかし、本来突っ込むべきポイントはそこではないだろう。
「いいじゃない紅ちゃん、この子今日からうちの子ね♪あ、お嬢ちゃん、お名前は?」
「き・・・きあです・・・」
 引きつった声で答える輝愛。
 ちょっと遠巻きに3馬鹿トリオは事の成り行きを面白そうに眺めている。
 何の事は無い。こうなってしまった珠子に、ちょっかいを出す勇気がないだけである。
 さっきから下を向いて黙ってた千影が、やおら顔を上げて、
「くをら珠子!いいかげんにしろ!」
「やだ~ちかちゃん、怖い顔」
「紅龍も、珠子お前の嫁なんだから、何とかしろよな!」
 額に青筋立てて食ってかかる千影を、紅龍は呆れたような顔のままさらりと受け流し、

「俺にあの珠子を止められる訳ないだろうが」

 と、自信満々で言ってのけた。
「か、かぁわはしぃ~」
 輝愛が珠子の腕の中から何とも間抜けな声を出す。
 千影は疲れたような顔で珠子に近寄り、
「こいつはうちのだ。返せ」
 ドスの効いた、かなり低い声である。
 珠子は千影を上から下まで一通り眺めると、『分かったわよぅ』と言って、輝愛を開放した。
 
 ・・・・もう、何が何だか・・・
 輝愛はもみくちゃにされた自分のほっぺたをさすりながら、社長の顔を盗み見る。

 その視線に気付いて、彼女にしか気付かれない程度に、彼は小さく苦笑したまま肩をすくめて見せた。
 ・・・・奥さん強い・・・
 輝愛の頭は、この感想でいっぱいになっていた。







「改めまして、こんにちは。輝愛ちゃん。田淵珠子よ」
 ようやっと平静さを取り戻し、煙草にそれこそやっと火を点けて、彼女、田淵珠子(たぶちたまこ)は口を開いた。
「高梨輝愛です。さっきは道教えてくれて、ありがとうございました」
 にっこり笑って答える輝愛、しかし、珠子との間には、保護者と言う壁が立ちはだかっていて、その保護者の肩越しでの会話と言う、何とも妙な形式である。
 最も、珠子の旦那である紅龍も、さりげに妻の背後に回りこみ、暴走したらすぐ食い止められるようにスタンバイしている。

 ――殆ど猛獣扱いである。
 
 珠子は見かけの「出来るお姉さん」なイメージとは程遠く、ふりふりやもこもこしたぬいぐるみや、乙女ちっくなモノをこよなく愛している。
 どう彼女の中で判断されたのかは分からないが、長身である彼女から見た輝愛は、それこそちっちゃくてぴちぴちでフワモコだったらしく、クリティカルヒットに至ったらしい。

「いいか、トーイ」
 千影が振り向きもせずに口を開く。
「あのオバハンは、すごい危険だ。ヒドラより危険だ。気安く話しちゃいかんぞ」
「ちょっとちかちゃん何よそれ!」
 後ろから抗議が入るが、千影は真剣な顔で最愛の娘分に言う。
「いいか、あーゆー大人にだけはなっちゃいかんぞ」
「ある意味同意するな」
 旦那である紅龍まで、ぼそっと背後で同意の意を呟いてたりする。
「まあとりあえず!」
 珠子が仕切り直し、と言わんばかりに明るい声でぱん、と一つ手を打つ。
「キアちゃんって、珍しい名前よね?」
「そうですねえ・・あたしも自分でそう思いますけど」
 珠子はケリータイプのバックから、一枚の紙とペンを取り出し、
「どんな字を書くの?ここに書いてみて♪」
 そう言って、輝愛にペンを渡し、紙の上に指を置き、『ここ』と微笑んでいる。
 輝愛はペンを受け取り、机の上でペンを走らせた。
 瞬間、珠子が千影と紅龍に振り返り、にやり、と何とも怪しげな笑みを浮かべる。

「な・・なんだよ珠子、気持ち悪いなお前」
「気にするなちか。きっと何か楽しい事があったんだろう」
 思わず後退りする千影に、「いつものことだ」と言わんばかりの口調の珠子の旦那。
「しかし、何だか良くない予感がする」
「奇遇だな、俺もだ」
 仲良く社長と部長が怯えている様を横目で確認しつつ、珠子は輝愛が自分の名前を書き終わった所で笑い出した。

「ほほほほほ!ざまあみなさい男共!」
「ひ!紅龍、ついに珠子が壊れたぞ!なんとかしろ!」
 千影は輝愛の腕を引っ張って、珠子から距離を取りつつ叫ぶ。
「ちか、俺に死ねと言うのか?」
 紅龍は落ち着いた表情で、しかし真面目ぶった口調で千影に近づき、芝居がかった顔で涙声になる。
「お前の嫁だろ!あいつのせいで死ぬならお前は本望だろうが!」
「つれないねえ、ちかは」
「私を甘く見たのが運の尽きよ♪欲しい物は何でも手に入れる女だって事、忘れてない?」
 さも楽しそうに含み笑いをしている珠子に、男二人は仲良く頬に冷や汗を伝わらせる。

 ・・・普通にしてりゃ美人なのに・・・
 千影が、内心で毎回思う台詞である。
 珠子自信は、自由奔放に生きている自分が好きなので、耳を傾けた事は無いが。
「悪いが、猫の子じゃあるまいし、『はいどーぞ』なんてコイツやる訳にはいかんぞ」
 珠子は『そんなこと分かってるわよ」と言って続ける。
「じゃあ何だよ?」
「でもね、ちかちゃん」
 問い掛ける千影の言葉を遮って、珠子はそれこそ鬼の首でも取ったかの様に腰に手を当て、先程輝愛が名前を書いた紙をぺろん、と掲げた。
 千影は眉を潜めながら顔を近付けて、その紙に書かれた文章を読んで、


 ――絶叫した。


「なにいいいいいいい!?」

「どしたのカワハシ?」
 娘分は目を丸くして保護者を覗き込む。
「・・・トーイ、お前・・・これ、ちゃんと読んだか・・・?」
 千影の声は震え、額には嫌な汗が浮かんでいる。
「え?いや、名前書いてって言われたから普通に・・」
「たーまーこおおおおおお!!」
 輝愛が言い終わるか終わらないうちに、父親気取りの三十路一歩手前の金髪は、紺青の黒髪の悪魔のような美女にのしのしと歩み寄る。
「無効だよな?」
「何の話かしらぁ?」
 鼻息がかかりそうな距離まで近づいてすごむ千影に、そっぽ向いて遠い空を眺める珠子。
「カワハシ?」
 怯えた表情でおずおずと口を開く当事者。
「残念だったわね、ちかちゃん♪」
 珠子は身を翻すと、彼の手から例の紙を掠め取る。
「カワハシ・・?」

「・・・・・・・・トーイ、お前、あれ・・・何の紙か分かって・・・・・・る筈ないよな・・・」
 がっくりうな垂れて、魂も半分くらい昇天しかかったような憔悴した表情で、苦々しく呟く。

「聞いて驚け。あれはな」
「う・・うん・・・」




「正式入団書類だ」




 ・・・・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・
「・・・・・・は?」
 口を開けて、問い返す。
「正式入団書類だ。入団書類。にゅうだんしょーるーいー!」
「え?」
 千影は頭を抱え、
「だーかーらー、トーイ、お前はあのサインのせいでココの団員になっちゃったの!!」
「げ」
 下品な呟きを無意識に漏らし、慌てて諸悪の根源、もとい珠子を振り返る。
 彼女は満足そうに美しく微笑んで、例の腰に手を当てたポーズで、張りのある声で言った。



「輝愛ちゃん。ようこそ、我らが『アクションチーム』へ!!」

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■こんぺいとう 3  お仕事しましょ 5 ■ 




 紺青の魔王、自己中姫、歩く傍若無人、生きる問答無用・・・。
 数々の二つ名の異名を持つ、まさにその本人は、うきうきと一人嬉しそうに荷物を漁り、目の前の半ば意識を手放しかけている少女の手に、どさりと品物を落とす。
「うっわ!」
 慌てて投げられたかたまりを受け取ったのが、言わずもがな、魔王のお気に入りの娘、輝愛である。
「着替えましょ、輝愛ちゃん」
 言って一つウィンク。
 しかも美人だから、悔しい位様になっている。
「着替えるって、珠子さ・・ぎゃー!!」
 輝愛が言い終わるより早く、魔王珠子は生け贄を引っ掴んで、ずるずる引きずりながら、満面の笑みでスタスタ歩き出す。
「たーすーけーてぇー」
 呆然として全く動けないでいる男性陣の元には、生け贄の声だけが、まるでドップラー効果の様に残ったのだった。


 男達がようやく自失状態から抜け出したその頃。
 魔王と生け贄は、稽古場二階の一室に居た。


 八畳ほどの室内には、良く見られる型のロッカーが並んでおり、反対側の壁面には大きな鏡がはめ込まれており、台の上にはメイク道具とおぼしき箱が鎮座している。
 珠子は施錠すると、自らのロッカーを開け、下の男性陣が着ていたのと同じデザインのジャージに着替え始める。
「スタイル良いですね」
「鍛えてるからねぇ」
 自らの『生け贄』としての立場も忘れ、輝愛は素直な感想を述べる。
 おどけて答えつつ微笑んでくれる珠子に、輝愛もやっと顔をほころばせた。
「そこらへんの椅子に、適当に座って。お茶煎れるわ」
 輝愛は促がされるままに、手近にあった椅子を引き寄せ、腰掛ける。
 腕の中には、先程珠子が投げてよこしたジャージを抱えたままである。
「ティーバックで申し訳ないんだけど」
 そう一言添えて、彼女は輝愛の前のテーブルに、湯気の立つカップを置いてくれた。
「頂きます」
 珠子は輝愛が口をつけるのを確認してから、自分も彼女の向かいの椅子に腰を下ろした。


「・・・一つ、聞いてもいいですか」
「なあに?」
 紅茶の入ったカップを両手で挟んだまま、輝愛は珠子に問い掛ける。
「どうしてあたしなんですか?あたしじゃなくても、才能や素質のある人、たくさん居ると思うんですけど」
「・・・聞きたい?」
「はい」
 珠子は面白そうに目を細め、再び同じ言葉を言う。
「き・き・た・い?」
「・・・・・はい」
 こっくりと頷く輝愛。
「ど~しよっかな~」
「何でですかぁ~」
 すっとぼけて明後日の方向を眺める珠子に、似たような口調になっているのも気付かずに輝愛がむくれる。
「・・・・・怒らない?輝愛ちゃん」
「怒りませんよ」
「本当に?」
「はい」
 何やら怯えたような芝居をしつつ、再三念を押す珠子。
 しかし動じない輝愛に、ようやく観念したのか、息を一つついて、
「何となく、よ」
 とだけ言った。
「なんですかそれ」
「いや~ん輝愛ちゃん、やっぱり怒った~」
 勢い余って椅子から立ち上がった輝愛に、身体をくねらせて上目遣いをする。
「言い方を変えるとね、直感、ってやつよ」
 上目遣いのまま、例の美人さん仕様な顔でウィンクする。
 珠子は輝愛を困惑させるのには持って来いの人物らしく、案の定、わずかに眉を潜めたまま、再び腰掛け、話を聞く体制に戻る。
「あなたが欲しいと思ったの。だから、あなたを手中に収めたいの」
「なにも、あたしじゃなくても・・」
 輝愛が俯いて呟くと、珠子はそれこそ優しく微笑み、

「だから、理由なんて無いの。私はあなたを気に入って、育ててみたいと思った。それだけじゃ不満かしら?」

 珠子は自分も手にしたカップから、湯気の少なくなった紅茶を口に含む。
「でも、あたしなんかじゃ・・」
 言いかけた輝愛の言葉を、人差し指だけで制して、
「あたし『なんか』なんて、言ってはダメよ」
「え?」
「自分を『なんか』なんて言ったら、あなたを必要としている人に失礼よ。現に、この私はあなたを必要としているんだから。ね」


 ―――必要としている?あたしを?


 ぽかんとした輝愛に、珠子は苦笑して頭をふわりと優しく撫でる。
「そう。私はあなたを育ててみたいの。これって、立派に『必要としている』って事じゃなくて?」
 何故か得意げに、腰に手を当てて笑う。


 ―――あたしでも、何か出来ることがあるのかなあ・・


 ちらりと盗み見たつもりが、視線が合ってしまい、気まずそうにする輝愛に、珠子は女神の様に微笑んだ。


 ―――探してみようか、ここで。


 以前千影に言われた台詞を思い出しながら、輝愛は腕に抱えたジャージを見つめる。

 家もある、食いモンもある。あとの『居場所』は、自分で探せ。と。

 ここにあたしの居場所があるのか・・・いや、あたしがここに居場所を作れるのか。
 やってみようか。ここで。
 思えば、今まで庇護されるばかりで、自分で決めたことなんか、一つもなかった気がする。
 ばあちゃんが亡くなって、行くとこが無くなって、公園でふらついてたのを拾ってもらえたのも、あれはカワハシの意思であって、あたしの意思では無かったから。
 ともかく、自分を食べさせていかなきゃ生きていけないし、簡単に死に逃げるなと、ついこないだ諭されたばかりだ。
 最も、一番楽な、何も考えない方法が「死に逃げる」だった自分としては、今となっては恥ずかしい限りなのだが。
 仕事をしようにも、年齢的にはまだ高校生なはずの自分を、受け入れてくれるところなど殆ど無く、それでもこの人は、恐らく、いや、確実にお荷物であろう自分を、受け入れてみようと言ってくれているのだから、有難い事この上ないのだ。
 
 カワハシに、きちんと恩返ししなきゃだし。

 輝愛は一人、両手を握り締め、ふん、と気合を入れると、やおら立ち上がり、腕に握り締めたままだったジャージに着替える。
 解けかかったスニーカーの紐をきつく結び直し、珠子の正面に立って礼をする。

 今まではばあちゃんに守ってもらって、今はカワハシに守ってもらってて。
 でも、あたしも何かしたい。
 出来るか分からないけど、やってみたい。
 だから、ここで。
 ・・・カワハシは、反対するかな・・
 でも―――

「宜しくお願いします」
「こちらこそ」
 答えて女神は、最上の笑顔で彼女を見つめた。







「しかし、珠子よ」
「何よちかちゃん」
 着替えた輝愛を連れ、下に下りて来て、珠子が勝手に「輝愛ちゃん教育係」に指名した山本茜の元に輝愛を預け、アダルトチーム三人は、仲良く喫煙タイムである。
 練習しなくて良いのか、と突っ込まれそうだが、何の事は無い。まだ休憩時間内なのだ。
 最も、珍しい生物(輝愛)を投げ入れられた群れの連中は、昼休み所ではないらしく、既に自己紹介やら何やらで盛り上がっている。


「本気か」
「本気よ」


 本気と書いて、マジと読む。
「俺は反対だ」
「あらどうして?」
 さも意外そうに千影の顔を覗き込む珠子。
 最も、170センチ近い珠子が千影の顔を覗き込むには、わずかに屈まなければならないのだが。
「どうして、って?あいつにアクション?芝居?無理だろ?決まってる」
「どうしてちかちゃんが決めちゃうのよ」
「そりゃ・・・」
 そこまで言って口ごもり、居心地悪そうに不機嫌な顔で頭をばりばり掻きむしる。
「大変ね、若くて可愛い彼女持っちゃうと」
「オンナじゃねえ、娘だ娘」
 未だに憮然としたまま、灰皿にぽん、と灰を落として、再び煙草をくわえ直す。


「――ねえ、ちかちゃん」
「んあ?」
「あの子の目、ちゃんと見てる?」
「・・・何だよ急に」
 真剣な表情の珠子に、思わず煙草を口から離す。
「あの子、あのままじゃ勿体無いわ。下手したら腐っちゃうかも知れない」
 千影は珠子の言葉を、ただ黙って聞いている。
「生きる糧とか、源が見つからないのよ。きっと、必要とされてるって実感した事が無いのよ。彷徨っているような目なのよ。ね、勿体無いと思わない?」
「まあ・・・・そりゃ・・・」
「きっと、良く出来た子なのね。だから、自分が何をしたいかじゃなくって、やらなきゃいけない事を選ぶのね、無意識のうちに。だから、自分の感情がうまく見つけられないのよ。昔の私みたいに」
 そこまで言うと、珠子は長いまつげを少し伏せて、

「そんなの、哀しいじゃない。悪いのは、そうさせちゃった私達大人なんだけどさ」

 無言で二人のやり取りを聞いていた紅龍が、壁から背を離し、そっとその場を立ち去る。
「ほんの少ししか会話してないし、出会ってまだ僅かだけど、あの子の心から輝いた姿、見たいと思っちゃったんだもの。絶対あの子なら出来るって、思ったんだもの。それに」
「―――それに?」
 意味ありげに言葉を止めた珠子の台詞を、そのまま問い返す。


「あの子の本当の笑顔って、そりゃあ可愛いと思うのよね」


 千影は一瞬、目を見開く。
 隣に佇む珠子が、あまりにも無邪気に笑っていたから。
 ・・・コイツのこんな顔見るの、久しぶりかもしれないな・・・
 そう心の中でだけ呟いて、視線を群れの中の娘分に戻す。


 ―――笑ったら、可愛い、か。


 珠子の言葉を反芻する。
 確かに、俺一人じゃ役不足だってのは、分かってはいたけどな・・。
 でも、こうも簡単に見透かされると、あまり手放しで喜べなくなってしまうのは、自分が捻くれているからだろうか。

 あの時、初めて彼女を見たあの雨の中で、酷く苛立った自分を覚えている。

 あれは恐らく、今の珠子の近しい感情だったのだと、今は思える。


『生きてりゃ、面白い事もたくさんあるんだ』って。


「こんなに面白い事だらけの世の中、知らないまんまで死ぬなんて勿体ねーしな?だろ?」
 千影は、自分の隣で同じように背中を壁に預けている珠子を見た。
 彼女はいたずらに片方の眉を跳ね上げ、口元をにやりと綻ばせる。
 こう言う憎たらしくも愛らしい顔をさせたら、天下一だ。
「勝負はまだまだこれからよ、お父さん」
「望む所、と言いたいが、お手柔らかに願いたいもんだね」
 冗談の様に言い合って、どちらともなく煙草の火を消す。
 珠子がいつもの張りのあるアルトで叫ぶ。
「さー、休憩おしまい!ちゃかちゃか練習再開よ~ん」
 小走りに駆けて行く珠子の背中をゆっくり追いながら、千影はぽつりと苦笑する。



「あいつのあーゆー感は、外れた試しが無いからなあ」

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