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桃屋の創作テキスト置き場
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■こんぺいとう 読み切り  砂糖菓子娘 ■




 大きな子猫を拾った。
 かなり大きな奴だ。
 そいつは今、うちの家具の中で一番値の張るソファーベッドを陣取り早々に寝息を立て ている。
 風呂上りで乾き切っていない髪の毛が、つらり、と光る。
 同じシャンプーや石鹸を使っている筈なのに、どうしてこうも香りが違うのか、と、風呂上りの俺は自分とその拾った猫の匂いを嗅ぎ比べたほどだ。

 甘い、香りがする。

 この部屋に、似つかわしくない、甘い、香り。

 名前も知らない。
 素性も知らない。
 ただ、吸い込まれるような瞳に惹かれて、連れて帰って来た。
 そうしてソファーの上で丸まっているところを見ると、なかなかどうして、本物の猫の様である。


 二本目の缶ビールを開けて、喉の奥に流し込む。
 男物のTシャツを着せてはみたが、まるでワンピースのようなぶかぶかの状態になってしまった。
 まあ、女物があるはずも無いのだから、致し方ないのだが。
 
 小さい、小さい、猫。
 拾ってくれ、と鳴いていた訳ではない。
 俺が勝手に連れて帰って来たのだ。
 ならば、この娘が自分で生きて行ける様になるまでの間は責任を持とう。
 そう、思った。


 例え、それがほんの僅かな間だったとしても。


「・・・・・何で拾っちまったのかなあ・・」
 ビールを流し込みながら、俺は返事等返って来ないと分かってはいても呟いた。
 放って置けば、面倒くさくなかった筈なのに。
 
 ぼうっと、その大きくて小さい猫を眺めている。
 その猫の娘は、身体を小さく丸めて寝ている。
 丁度、雛鳥が卵の中にいる時のような格好に近いのだろうか?
 等と考えてみる。

 俺はのっそりと立ち上がって、子猫の側に歩み寄る。
 顔に顔を近付けてみると、頬に涙の跡が残っているのが見えた。

 ・・・まあ、あれだけだばだば泣いてりゃ、仕方ないか・・・
 と、雨の中、止め処なく涙を流していたこの娘の事を思い出して苦笑する。


「・・・う・・・」
 子猫が、小さな声でうめいた。
 そしてそのまま、閉ざしたままの両目から、また涙をぽろぽろと零した。
 眉間にしわを寄せ、手が白くなるまで強く握り締めて。

 痛そうな顔だった。

 哀しそうな顔じゃない。
 辛そうな顔でもない。


 痛そうな、悲痛な顔だった。


 子猫は眠ったまま涙を零し、ただ一言小さく呟いた。
「誰か・・・」
 瞬間、俺は目を見開く。
 その言葉を捕らえてしまったから。
 その先に続く言葉が何であるか、容易に想像出来てしまったから。
「・・・・まいったね、こりゃ・・・」
 軽い口調で言ってはみたが、表情まではそうはいかないだろう。
 ここに誰もいなくて良かったと、心底思った。
 この痛々しい子猫の娘が言いたいのはきっと、

『誰か、助けて』

 ごくり、と唾を飲み込んだ。
 この小さい子猫は、必死に生きてきたんだろう。
 そして今、一歩間違えれば簡単に壊れてしまいそうな場所に居るのだ。
 


「・・・・・・泣くなよ」
 俺は無骨な手で、そっと、出来る限り優しく子猫の涙を拭う。
 しかし、すぐにおさまる訳も無く、俺自身も目の前のこの娘のような顔になりそうだった。

「・・・・・・泣くなよ」
 俺の方が泣きそうな声だった。
 頼むから泣くなよ。
 俺にはどうしてやる事も出来ないよ。
 でも―――


 俺は涙を拭うのを諦めて、子猫を腕の中に閉じ込めた。
 いくら泣いても、涙がこの腕の中から溢れる事が無いように、しっかりと。
 何もしてやれない自分への、苛立ちからかも知れないし、そうでないかも知れない。
 ただ、今は、この娘の涙が自分以外に晒されないように。


 小さなこの子を、すっぽりと両腕の中に閉じ込めた。


「甘い・・・香りだ・・・」
 この年位の女の子は、みんなこんな甘い香りがするんだろうか。
 砂糖菓子みたいな。
 ふわふわしたような甘い香り。

 子猫は嫌がりもせず、むしろこちらの胸に顔を埋めるようにくっついて来た。
 それを幸いに、俺は力を緩めなかった。

 ・・・ビール二本程度で、酔う訳は無いのに・・・
「まあ、酔ってるって事にしといた方が、いいか」
 呟いて天井を仰ぎ見る。

 せめてこの涙が本当に渇くまでは、決してこの腕の中から出してなるものか。
 この砂糖菓子娘が、本当に泣き止むまで、俺の両腕の中に閉じ込めておきたい。
 本気でそう思った。

「・・・・重症だなあ・・」
 言って目を細める。
 明日、この砂糖菓子娘が起きたら名前を聞こう。
 いつかその時が来たら、この子が泣き止む時が来たら、
 ちゃんと目を見て名前を呼んでやろう。
 それまでは―――


「・・・砂糖菓子娘じゃ・・まずいしなあ・・な?」
 腕の中の甘い香りの子猫に聞いてみるが、答えが返ってる筈も無い。
 砂糖・・・糖・・・・糖衣錠・・・
「トーイ、かな」
 また一人、ぽつりと言葉を唇に載せてみて苦笑する。
 我ながら乙女ちっくで似合わない名前をつけたものだ。
 でも、甘ったるい砂糖菓子娘は、糖衣錠の様に包まれているからこんなに甘い香りなのかも知れない。
 そう考えると、まんざら悪い名前でもないだろう。

 手探りでリモコンを探して電気を消す。
 勿論砂糖菓子娘は腕に抱えたまま離さない。
 
 ―――離してなるものか。
 とか、訳の分からない気合じみたものまで入っている始末だ。
 
 
 明日になったら、名前を教えてくれ。
 明日になったら、笑顔を見せてくれ。


 そんな風に考えながら、俺も腕の中の大きくて小さな子猫の砂糖菓子娘を抱き締めて、眠りについた。




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■こんぺいとう 読み切り  ないしょないしょ ■




 ―――今日こそ、寝ないで頑張って見ようと思う。


 妙に不細工な顔でふん!と隠れて気合を入れているあたし。
 あてがわれたリビングの、日中はソファーとして使っている、夜である今はベッドに早代わり!な一石二鳥のソファーベッドとやらの上で、カワハシにバレないように、小さく握りこぶしを作ってみる。
 当のカワハシと言えば、本日二本目の缶ビールを片手に、煙草くわえながらテレビをのほほんとご鑑賞中である。
 ちなみに、毎日晩酌と言うか、必ずお酒飲むカワハシに、『飲みすぎ』と言って、一日缶ビール二本まで!と決めたのはほかならぬあたしだったりする。ついでに、煙草も一日一箱にしてみた。
 本人は不満ぶーぶーだったけど、何だかんだで守ってくれてるみたい。
 
 時刻は午後11時半。
 朝早起きなあたしは、普段ならそろそろお休みなさいな時間なんだけど、今日は明日お休みなの分かってるし、それに何より、あたしは今ここで寝ちゃう訳には行かないのだ。
 これには深い訳があって。
 時を遡る事幾年月・・・って、そこまで昔ではないんだけど。


 あたしがカワハシに拾われて、この家に来て初めて分かった病気。
 それ即ち夢遊病。

 
 ばあちゃんと二人で独身寮に住み込みで働いていた時は、ばあちゃんはあたしなんかより早寝早起きの人だったし、ついでに言うと地震くらいじゃ起きないような人だったので、この家に来てカワハシに発見されるまで、あたしは自らがかかっている病について、全然知らなかったのだ。
 ただ夜中部屋の中を徘徊するだけならまだ良いんだけど(・・まあそれもどうかと思うんだけど)、ベッドで寝ているカワハシに突っ込んでいくらしく(カワハシ談)。
 なんでだろう。ベッドで寝たいのかな?あたし。
 別にこのソファーでも何の不満も無いつもりなんだけど。
 
 で、夜毎あたしがベッドにタックルしてくるおかげで、被害者のカワハシは寝不足なんだとさ。
 ・・・申し訳ないとは思ってるけど。でもでもでも、どうしたらいいのか皆目見当がつかない。
  
 ってことで思いついたのが今日のこの作戦。
 名付けて、『限界まで起きてれば、夜中徘徊する体力も無くなるでしょう作戦』
 ・・・・まあ要するに、夜起きれるだけ限界まで起きてれば、恐らくぐっすり熟睡しちゃって、夜中むやみやたらに動き回るって事も無いかな? なんて考えてみたんだけど。
 ・・・実際は、まあ、やってみないとわかんないんだけど・・・。


 あたしがへちょん、と座ってるソファーベッドに寄りかかってるカワハシの肩に、背後から顎を乗せて、彼が見ているテレビを一緒に眺める事にした。
 彼はいきなりあたしがくっ付いてきたのに驚いたのか、顔をこちらに向けると、表情だけで「どうした?」と聞いてくる。
 あたしは肩に顎を乗せたまま、ぷるぷると首を左右に振って、そのままテレビ画面を眺めていた。
 カワハシは、「子供は寝る時間だぞ」と言って、左腕で左肩に乗ったあたしの頭を、器用にぽんぽん撫でた。

「今日は寝ちゃいけないの。そう決めたの」
「何で」
 ビールを流し込みながら、仰向けになるような格好で目線を合わせてくる。
「だって、ずっと起きてたら、いつもよりすごく眠たくなるでしょ?」
「ふむ」
「そしたらいざ寝たら熟睡でしょ?」
「まあなあ」
「そしたら夜中歩いてタックルする元気、なくなるかも知れないでしょ」
 にひっ、と笑うあたしに、カワハシは一瞬目を、さして大きくない切れ長の目を見開いて、困惑したような顔になる。
 ・・・あれ?あたし変な事言ったっけ・・?

「・・・・カワハシ?」
 身じろぎしないでいる彼の、例の瞳を覗き込む。
 と、何故か視線を逸らされてしまった。
「?」
「いや・・何でもないけど・・・そーゆーコトね・・・」
 彼は自分一人にしか聞こえない位の小さな声で、何か考えているみたいな顔で頷いて、何故かは分からないけど、自分の後ろ頭をくしゃ、とかきむしった。



 そしてしばし時間が経過して―――



「・・・く・・・んむ・・・・・」
 変な声出しながら必死に睡魔に耐えるあたしと、それを横で呆れ顔で眺めているカワハシ。
「・・・・・いい加減寝れば?」
「ま・・・まだまだ・・・」
 やっぱり眠い・・・。
 でもでも、こんくらいじゃまだ夜中タックルしちゃうかも知れないし・・・。
 もうちょっと頑張らねば。
「目、半分どっか行ってるぞ」
 カワハシが眉尻を下げながら、あたしの目尻をにょーんと引っ張る。
「・・・・んむ~・・・」
 ああもうダメかも。 
 でも、これだけ頑張って起きてたんだから、今日はベッドタックルしないで済みそう・・・かな?
「もういいから寝ろって。な?」
 何かいつもより優しい声でカワハシが言う。

 ・・・・そっか、あたしに付き合ってたら彼も寝れないんだ。

 何でか一緒に付き合って起きててくれる彼に、申し訳なさも感じたので、あたしはやっと眠りにつく事にした。
「・・・・・・・・・・おやすみなさひ・・・」
 言うが早いか、あたしは頭をぽふっ、と枕に委ねて倒れ込む。
 ああ~お布団だ~
 と思うや否や、瞼がするりと落ちて来て、頑張っても半分くらいしか開かなくなってしまう。
 意識がだんだん遠くなって、ふわふわと気持ち良くなって行って。
 
 なにかが、かおに、さわってきが・・した・・・。

 でもそれすらも、確認する余力は無くて。
 あたしの意識は深く落ちて行った――






 
「・・・・・・トーイ?」
 自分が寄りかかっているソファーベッドで、小さな寝息を立て始めた娘分に、かすれる位の小さな声をかけてみる。
 当然ではあるが、返事はなし。
「寝た・・・・・かな?」
 念の為、顔の近くに手を、持っていってみる。
 しばらくそのままにしてみたが、娘はそのまま「すぴょすぴょ」言ってるだけである。
「ったく、変なこと考えるなよなあ」
 起きていられるだけ起きてるなんて、よくそんな訳の分からない事を思いつくものだと、いささか感心したりする。
 俺は気にしてないって言ったのに、本人はやはり後ろめたいんだろうか?
 だとしたら、俺はあんまり良くない事をしてるって事になるんだけど。
「だからってなあ・・」
 女の子を、こんな年端も行かないちっちゃな娘を、ソファーで寝かせるのはどうかと思うわけだ。
 だからと言って、もう一台ベッドを置くスペースなんて家には無いし。
 まあ無駄にでかいベッドが好きで、一人モンの俺がダブルベッド買ってる時点で間違っているんだろうけど・・・。
 ぽりぽり頬をかきながら。
 それにしても――

「いろいろ足りないなあ、お前は」
 苦笑して頬をそおっと撫でる。
 くすぐったかったのか、眉間に変なしわを寄せて寝返りをうった。
「普通は見ず知らずの一人モンの男の家になんか、住み込まないぞ?」
 最も、その見ず知らずの少女を連れて帰って来たのは自分自身だけど。
 
 男親ってのは、こんな心持になるのだろうか、と思い、懇意にしている喫茶店のマスターそれとなく聞いてみたことがあった。
 彼が言うに、俺の感覚と親の感覚は近しいものがあるらしいが、別物だと言われてしまった。
 まあ、本当の娘ではないし、たかだか29の俺が一夜にして17の子持ちになってしまったのだ。
 本物の親のそれと違っていたとしても、仕方ないだろう。
   
 そう答えると、マスターはいつも浮かべている柔和な笑みをちょっとくずして、若干いたずらっぽく笑った。

 そのあとのマスターの言った台詞が、妙に頭に引っかかりはしたが、敢えて気にしないそぶりをした。
 あの人にだけは、誰も勝てた試しがないからな。
 まあ、珠子みたいな特殊な例を除けばだけど・・。


 
「よ・・・っと」
 小さく声を漏らして、ソファーで眠る娘を抱える。
 毎晩、こうして運んでるなんてばれたら、怒られるだろうなあ、やっぱり。
 怒られるだけで済めばいいけど・・。
 
 だからと言って、最初からベッドを明け渡す程俺は優しくは無い。
 と言うか、ガラのでかい俺ではこの簡易ベッドでは色々はみ出てしまう。この子のサイズなら、ぴったりではあるのだが、だからと言って、本当にソファーで寝起きさせるのも考え物だ。
 だったら面倒くさいから、一緒くたに寝ちまえ。
 
 それだけの事だ。
 その理論が、通用するのは多分自分自身以外に無いのだろうが。
 
 そろそろと、慎重に持ち上げる。
 最も、コイツは生半可なことじゃ起きないから、無駄な心配は毎回杞憂に終わるのだが。
 やっと普通に立ち上がれて、歩き出そうとした刹那――



「アンパンマン!!カビはえてる!!」



 一体全体どこまで愉快指数の高い夢を見ていたのか、常人には理解しがたい寝言(?)を叫んで飛び起きる。
 俺は自分が今どんな状況にいるのかすっかり失念し、腕の中の彼女を抱き上げたままふき出した。
「ぷ」
「かわはしぃ?」
 まだ幾分寝ぼけ眼である。
 こしこしと手で目をこすって、再びこちらに視線を向けて、興奮気味に、
「すごい夢見ちゃった!アンパンマンがね、かびはえててあたし顔食べれなかったの!しかもその赤かびが妙にリアルで・・」
 でっかいめん玉を見開いて、目の前の俺に矢継ぎ早に話し掛ける。
 
 お前は本当はいくつなんだ。
 なんなんだアンパンマンって。
 
 そこまで普通に心の中で突っ込んで、ようやっと俺は冷や汗を垂らす。


 ―――あ、やばい―――

 
 腕の中の年齢査証疑惑のある娘は、未だに赤かびだかの話をしているが、やがて、

「でね、そのまま飛んで・・・・って・・・あれ?」
 今になってようやく気付いたらしく、俺の顔と地面とを見比べている。
「・・・・浮いてる?」
 お前のその鈍さに拍手。
 じゃなくて。
「・・・・・あー・・・・・」
 俺は気まずい声で引きつりながら顔をそむけようとするが、柔らかい小さな両手に頬を挟まれ、無理やり顔の方向を変えられてしまう。
「いや、あのな、トーイ、これは・・」
 どうやってこの場を逃れようかと、彼女を抱えたままの何ともおかしな格好で、脳みそをフル回転させる。
 が、彼女の言葉の方が早かった。

「あたしなんで浮いてるの?」

 ・・・・・
 ・・・・・
「は?」
 質問の意味が良く理解できずに、俺は1オクターブひっくり返った声で訪ねる。
「なんで浮いてるの?」
「そりゃ、俺が抱えてるからじゃねえ?」
 弁解も言い訳も全て忘れて、ごくごく普通に返事をしている自分が居た。
 ある意味コイツの鈍さには驚きを通り越して驚愕だ。
「じゃ、何で抱えてるの?」
「そりゃ・・・」
 言いかけて口篭もる。
 疑念を抱く事に慣れていないこの娘は、きょとんとしたまま俺を見つめる。
 その目に覗き込まれると、内にひそめた全てが発露してしまいそうで、後ろめたくなる。
「そろそろ・・・・寝ようかと・・・」
 彼女を降ろすタイミングを一向に逃してしまったまま、目線だけをしきりに泳がせつつ、平静を装ってみる。
「寝るの?」
「・・ん・ああ」
 心なしか返事も可笑しい。口の中がにわかに渇く。
 あからさまに可笑しい態度の俺を僅かばかりの間、顔を近づけて眺めて呟く。


「あ、分かっちゃったあたしってば」


 彼女の言葉に、刹那的に四肢がびくりと跳ねる。
 冷や汗を垂れ流す俺の両腕に抱えられたまま、何故か嬉しそうなにやけたような顔になる。
 強いて言えば、「いひひひ」とか言いそうなちょっと小憎たらしい顔だ。
「・・・・・なにが・・?」
「んふふふふ」
 彼女は目を細めて笑う。残念な事に、「いひひひ」ではなかったらしい。

「ぬいぐるみだね」
「は?」
「ぬいぐるみだっこだね」
「はあ?」
 ・・・・神様、コイツの脳みそを理解する翻訳装置を下さい・・・。
 俺は困惑した顔のまま、ものすごい勢いで頭を回転させるが、全く持って理解不能である。
 助けて。
 
 いい加減理解しない俺に頬をふくらませ、

「だーかーらー、一人で寝るのが寂しいから、ぬいぐるみの代わりにあたし抱っこして寝るんでしょ?」

 ・・・・・・何という幼稚な・・・もとい素敵な想像力。
 悪いが俺には百年経ってもそんな考えは思いつかない。
「そうだよねー。この家ぬいぐるみないもんね。あとはクッションかあたしくらいしかないもんね」
 しかも一人で納得してるし。
「そしたらもしかして!?」
 ぴょこんと首に腕を巻きつけてきて、
「毎晩カワハシのせいだったの?毎晩カワハシがさみしんぼになって、ぬいぐるみ代わりにあたしの事抱えてたの?」
 ・・・ああもう、ままよ。
「ソウカモネ」
 遠い方向を眺めつつ、もうどうにでもしてくれ状態に陥った俺は、片言のような台詞を吐く。
「そっかー良かったーあたし病気じゃなかったんだー」
 なんか・・・逆に座りが悪い気がしないでもないんだが・・・
 普通に怒られたりする方が寝覚めがいいって言うか・・・。
 まあ、自業自得なんだろうけど。
「仕方ないなあ。カワハシもまだぬいぐるみが恋しいお年頃なのね♪」
 待ってくれ。
 お前と一緒にするな。
 と言うより、ぬいぐるみが恋しかった記憶なんてガキの時分から皆無だ。



「で、運んでよ」
「へ?」
「運んでよ」
「どこに」
「寝るんでしょ?」
「はあ」
 さも当然の様な口調で言う娘と、未だにこの娘の脳内に追いつかない俺。
「一緒に寝るんでしょ?だったら寝床にこのままれっつごー!」
 いつものあの満面の笑顔で。
 それよりも寝床って何よ、ベッドだろう。とか、
 レッツゴーってお前どうなのよ。とか、
 本来この状況で自らベッドに行こうなんて言う娘は、そうそういないぞ、とか、
 こいつは自分に身の危険が降りかかってるとか思わないんだろうか、とか。

 一瞬でものすごいたくさんのそんなことが頭を巡った。
 
 こいつは何でこんなに俺を信用しているのだろうか、とか。
 もしかしたら、全然信用なんかされてないのかもしれないけど。

 何だかどうしていいかわからなくなって、やっと視線を戻してみる。
 そこには、さっきと同じ笑顔のままでこちらを伺っている輝愛がいた。

「寝ないの?」
「寝るよ」
「じゃあ寝ようよ」


 信用されているって事が、こんなに幸せで、同時に責任のあるものだとは思わなかった。
 俺は内心の照れ隠しも含めて、例のベッドに娘を軽く放り投げた。
「ひどーい、やさしくなーい」
 娘は尻から綺麗に着地して、口をとんがらせた。
「ほれ、子供は寝る時間だぞ」
「ぬいぐるみほしいカワハシも子供でしょ」
 布団に包まりながら、ふくれっつらを作ってくれる。

「違いねえな」

 苦笑して、瞼を閉じる。
 右腕の上に、彼女の重みを感じている。
 
 信頼されていると言うのは、なんと幸せなことだろうか。
 なんと嬉しいことだろうか。
 そして同時に、それに対する責任のなんと重いことか。
 
「こんなんじゃ、出したくなったとしても、そうそう手も出せやしないな」
 俺の呟きを何と勘違いしたのか、わざわざ布団から俺の左腕を外にほうり出してくれた。
 ・・・・
 ・・・・
 違う。 
 明らかに違う。
 むしろ面白すぎる。勘弁してくれ。
 こんなのを、普通に真顔でやられるから、こっちとしてはたまったもんじゃない。
 邪気が抜かれる様な気すらしてくる。


「まあだまだ先は長いやねえ・・」
 呟いて、少し温もりを引き寄せる。

 そしてそのまま、眠りにつく。
 こういう責任なら、悪くは無い―――



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■こんぺいとう 読み切り  みどれんじゃー ■




何故だか良く分からないが、輝愛がむくれた様な顔をしている。
 最早何が原因なのか、千影には知る由も無いのだが、そこそこ長い時間、ああやって眉間に皺を寄せている所を見るにつけ、もしかしたら当の本人も、自分がそんな顔をしている理由を見失っているかも知れない。
 千影は、自分が何かまずい事でも仕出かしたのか、と一応考えてはみたものの、やはり思いつく様な事も無かったので、そこで潔く諦める事にした。


 ――全く、子供ってのは良く分からん。


 心の中でだけ呟いて、メンソールの煙草を一息、深く吸い込んだ。
 そう言えば、昔にも似たような顔をした子供に出会った事があった。
 その子は恐らく、当時五歳位で、今そこで同じような顔をしている十七歳の子供とは、およそ一回りも違うのだけれど。


 ――あれは、確か


 千影は十二、三年も前になる、その出来事を思い出していた。







 晴天である。
 蝉の声が良く響く季節柄で、空には白く壮大な入道雲が激しく自己主張をしている。
 照り付ける太陽が、それでもまだ幾分凌ぎやすいと感じるのは、もう陽が傾く準備をしているからだろうか。
 
 八月である。
 どこも親子連れやカップル等で賑わっている。
 今年高校一年生に上がったばかりの千影は、その例に見事に漏れ、ジャージ姿でとあるデパートの屋上に居た。
「何不細工な顔してるの?」
 背後から凛とした涼しげな声がかかる。
 振り向くとそこには、見慣れた幼馴染の顔。
「不細工は余計だろ」
 千影は脹れっ面を維持したまま、声の主、田淵珠子に答える。
 長い黒髪を流したまま、千影の横に立ち、顔を覗いて来る。
 年齢的には一つ上で、同じ高校の先輩でもあるのだから、本来なら敬語なりを使うべきなのだろうが、物心つく前から一緒に居た珠子に、今更そんな風に対応出来るほど、千影は大人では無かったし、もとよりそんな気も更々無かった。
 珠子も珠子で、そんな後輩の態度を、別段気にする素振りも皆無であったから、この二人の関係は、十六、十七歳になった今でも、『仲良しなお隣のお友達』なのである。
「悩み事なら、お姉ちゃんが聞いてあげるわよ、千影」
「・・・・・・・・・・・・いいよ」
 千影は微かに頬を染めて顔を無理やり背ける。
 見慣れたと言っても、これだけ美しい顔が目の前にあると、知らずと一瞬胸が跳ねるのも事実だった。
 しばらくの沈黙が流れ、千影が口を開く。


「俺も」
「うん?」
「俺も赤やりたい」
 言って、やはり先程の憮然とも言い難い、何とも不細工な顔に戻る。
 珠子は呆れた様に眉尻を下げ、
「何?それだけの事?」
「それだけって言うなよ。だから言いたくなかったんだ」
 珠子はやれやれと言った様子で腰に手を当て、片手で髪の毛をくるくると弄んだ。
「良いじゃない、何だって。出れるだけ幸せと思いなさいな」
「でも、俺は赤になりたくてこの世界に入ったのに。折角のチーム初公演なのに。何で紅ちゃんが赤なんだろう。」
 そこまで言って、珠子を代わりに睨みつけ、
「俺の方がアクション歴長いのにー」
「それはな、お前の身長が足りないからだ、ちか」
 いきなり珠子と千影の間を割って入って来た、そこそこ長身の男。
 真柱紅龍である。
 若干十九歳の大学生で、在学中にも関わらず、珠子や千影、その他数名の同志を集めて、と言うか巻き込んで、アクションチームを設立した張本人である。


 今日は、そのアクションチームの初めての単独公演なのだ。


 単独公演と偉そうに嘯いても、実際はデパートの屋上でのヒーローショーである。
 しかし、メンバー達はそれこそ大喜びで、学生連中のメンバーが多数の中、夏休みなど返上で稽古に励み、今日がその本番、と言う訳である。
「紅ちゃんがデカイのがいけないんだろ」
「俺が別にでかい訳じゃないさ。まだまだ成長期だ」
「でも俺よりはデカイ」
「だから、紅が赤で千影が緑なんじゃない」
 紅龍と珠子に双方から攻撃され、いよいよ押し黙ってしまう。
 ちなみに、現在の紅龍の身長、176cm、対する千影の身長は169cm。

「ちか」

 紅龍が千影の両頬を、その大きな掌で包んで自分の視線と無理やりに絡ませる。
「なん・・」
「小さな事に拘るな?見に来てくれる子には、赤が好きな子も、ピンクが好きな子も、緑が好きな子も居る。俺達は、一回幕が開いたらヒーローなんだ。子供の期待を裏切ったら駄目なんだ」
 そこで軽く一呼吸して、
「それに」
「それに?」

「終わったあとのあの何とも言えない感覚を味わってみろ。二度と離れられなくなるぞ」

 そう言って、紅龍は千影を開放すると、踵を返しバックステージへ向かった。
「ちゃんとアップしとけよー」
 と、背中だけで声がした。
「終わったあとの感覚かぁ・・偉そうだぞ、紅ちゃん」
「でも紅はさ、本当にやめられなくやっちゃったんだって。だからチーム作ったって言うし」
 千影より一寸先に舞台に立った紅龍。
 その時の感覚から離れられなく あり、アクションチームを設立した、と言うのも、まだ事実なのである。
「良いじゃない、ヒーローってだけで。あたしなんか悪役よ?」
「珠子激しくぴったりじゃん」
「こら!」
 結構本気で殴りに来てる珠子の拳打をかわしながら、二人とも先程紅龍が向かったバックステージに向かった。







「うやー、すごい人いっぱいいるやねー」
「夏休みの日曜の夕方だしねえ」
「席満席じゃない?」
 バックステージからそろそろと、観客にバレない様に客席を伺うメンバー達。
 出番が目前なので、皆一様に衣装を身に着け、悪役はメイクも当然終わっている。
 ピンクや黄色や青の全身タイツのヒーローと、やたらキラキラ派手な装飾のされた、実際良く分からない衣装を身に着けた悪役連中。
 それらが折り重なってトーテムポールの様に観客席を伺っている姿は、一種異様な雰囲気であり、その後姿たるや、笑わずには居られない程滑稽でもある。
「じゃ、お先に行って参ります!」
 司会進行、俗に言うヒーローショーでは必ずと言って良いほど存在する、「おねえさん」役のメンバーが、一人、先に舞台に走って行く。
 舞台上では、「みなさーん、こんにちはー!」と、張りのある声で子供達と挨拶を交わしている声が聞こえる。
 こうなるともう、バックステージは一気に緊張の渦に巻き込まれる。
 上手下手でスタンバイしているメンバーが、それぞれに円陣を組み、手を重ねて気合入れを行う。
 千影も紅龍も、下面を被り、メットも装着済みである。
 お互い目が合って、にんまりと目だけで笑う。
 
 ステージ上での子供達への注意点の解説が終わり、子供達の視線はおねえさん役の彼女に集中している。
 そこでお決まりの台詞である。
「じゃあ皆で五人のヒーローを呼んでみよう!お姉さんが『せーの』って言ったら、皆は一番大きな声で呼んであげてね。いっくよー」

『せーの!』

 子供独特の高い声でも叫び声の様な呼び掛けがかかる。
 途端にSEが大きく流れ、照明が激しく点滅する。
 下手から下っ端悪役のメンバーが数名飛び出し、客席を襲いに行く。
 それを確認してから珠子が後ろ手に、
「じゃ、行きます」 
 と言い残して舞台の上に消えて行った。
 客席は悲鳴や泣き声に包まれる。
 よほど珠子が怖いのか、と思い、千影はメットの中で含み笑いをした。
 そう言えば、珠子の悪役メイクはやりすぎていたかも知れない。
 メンバーにさえ、「不気味」だの「怖すぎる」だの言われていたのだ。
 子供が泣き出すのも、道理だろう。

「ちか」

 ぽん、と肩を叩かれる。
「ぼーっとするな、行くぞ」
「うっす!」
 きっかけの音と共に、上手に控えていたヒーロー五人は、舞台に走って行く。


 そして。







 ―――すげえ。
 
 千影は高揚感とも興奮とも感動ともつかない、奇妙な感覚を味わっていた。
 舞台上で殺陣をしながらも、ずっとその妙な感覚に身を委ねている。
 背中では子供達の歓声がはっきりと聞き取れる。
 肌にはライトの熱、音響の空気の並。
 頭には直接響くような音、音、音。
 全てが異質だった。
 千影の意識は、普段と別の場所に隔離された様な感覚であった。
 だからと言って、殺陣が疎かになったりだとか、動きが鈍くなったりするかと言うとそうではない。
 むしろその逆で、舞台の上で自分がどこをどう動かしているのか、細部に渡ってまで実感出来る様に、自分の身体が自分の能力以上の物を発揮しているかの様に感じた。
 僅か30分弱の短いショーであったが、その間がとてもゆっくりと、しかし鮮明に、高速に感じた。


 気が付くと、30分のステージは幕を閉じていた。


 言葉にならなかった。
 下手にはけ、舞台から降りたにも関わらず、千影は言葉を発する事が出来なかった。
 ほんの僅かの休憩があり、
「出るぞ」
 紅龍の声を合図に、ヒーロー五人は子供達と握手をする為に、再びステージに戻った。
 再び歓声に包まれる。
 上気した顔の子供達が、順々に握手を求めて列を作る。
 皆一様に、自分達を本物のヒーローであると信じて疑わない。
 
 純粋な瞳で、
 満面の笑みで、
 自分達に握手を求めてくる。
 正直、嬉しかった。
 が、同時に俺は本物のテレビのヒーローじゃないんだよ、
 と言う申し訳無さもあった。

 それでも、子供達の心からの笑顔に、心底救われた。

 ――でも

 メットを被ったままなので、目線だけ動かしてちらりと紅龍を見る。

 ――やっぱし赤のが人気あるよなあ。

 次こそは赤に入って、紅龍を見返してやろうと思っていた。その時だった。
「―?」
 列の一番後ろに並んでいた男の子が、睨む様な目付きでこちらを見ている事に気付いた。
 顔を真っ赤にして、頬を膨らませて、口をつぐんで。
 その子の視線は、間違いなく自分に注がれている。
 それでもその子、―恐らく五歳位だろうか―は、順々に赤、黄色、青、ピンクと握手をして行く。
 その四人と握手する際は、普通に笑顔なのだ。
 
 しかし。

 やはり、千影の前まで来ると、一歩後退り、頬を真っ赤にしたまま無言でこちらを眺めているばかりである。

 ――嫌われてるのかな、俺。

 何だか無償に寂しくなったが、そこはそれ。態度に出さない様に極力努めた。
 平静を装って、そのまま手を差し出す。
 しかし、男の子は握手をしようとはしない。


 ――ほら、やっぱり赤じゃないと――


 千影がそうと知られない様に息を吐くと、男の子の父親が、苦笑しながら男の子を抱き上げ、
「ほら、お前の大好きなグリーンだぞ」
 と言って、男の子の顔を、千影のメットの前まで持ち上げた。
 すると、男の子の顔はみるみる満面の、今までどのヒーローにも見せなかった笑顔になって行き、
「グリーン!」
 と千影を呼んで、千影の、グリーンの首にひし、としがみ付いた。
 
 そのまま、すぐには動けなかった。
 
 我に返り、首に巻きついた小さな彼を、両手で抱えた。
 男の子は、笑っていた。

「こら、グリーン困ってるぞ、駄目だろ」
 父親は、息子の腕を千影の首から外し、地面に息子を降ろして。
 男の子は、あの笑顔のまま、握手をして、父親と手を繋いで帰って行った。



 まだ帰路についていない観客の残る観客席に向かって、手を振りながら、五人は退場する。
 バックステージに着くなり、メンバーはメットと下面を外し、先にバックに戻って待機していた悪役メンバー達と合流する。
「やったー!」
「成功だよね、大成功!」
「気持ちよかった~!」
 口々に興奮気味に言葉を漏らす。
「じゃ、とりあえずみんな、お疲れ様でした!」
『お疲れ様でしたー!』
 紅龍の声に、メンバー全員が嬉しさの滲む声で答える。
 ばらばらと衣装の着替えに向かうヒーロー達。
「ちか?」
 未だにメットを外していない千影を見つけ、歩み寄ってくる紅龍。
「いつまで被ってんだ?早く脱げ」
 言いつつ千影のメットを外す。
 と、

「――お前」
「見んなよ!」
 驚いて呟く紅龍に、千影は急いで後ろを向く。
 しかし、そんな事でゆるしてくれる程、この男は優しくは無いのである。
「なーんで泣いてるの、ちか?」
「うるせー」
 わざわざ肩を組んで顔を覗いて来る。
 しかも、嫌らしい位にやにやした顔で、だ。
 千影は尚も流れてくる涙を必死に袖で拭いながら、口をへの字に結んでいる。
 紅龍はそれこそ嬉しそうに目を細め、


「やめられなくなっただろ、な?」


 と、耳元で呟いた。
 千影は無言のまま頷いて、一端納まりかけた涙がまた頬を伝うのを、急いで拭った。
「あー紅!何千影泣かしてるの!駄目でしょ!」
 目ざとく二人を見つけた珠子が、二人の間に割って入り、千影の頭をなでなでしながら、
「あのオジサンに苛められたのね!?可愛そうに!」
 と大げさに千影を抱き締めて、ジト目で紅龍を睨む。
 紅龍はにっこり笑って、
「珠子さん、この舞台の撤収、一人でおやりになりたい?」
「ぐ・・」
 紅龍の権力攻撃に一瞬怯みつつ、再び胸を張って、
「あたしの可愛い弟を苛めないでよね!オジサン!」
「苛めてないよ、なあ、ちか?」
 しばらくそんな漫才を繰り広げ、同時に千影を見る姉貴分と兄貴分に、ようやく涙の乾いた千影は、声を上げて笑った。



 ―――やめられなくなっちゃったなあ、本当に。







 そうだ、あの時のあの子の顔に似てるんだ。
 千影は未だにむくれっ面をしている輝愛を眺めて、そう思い至った。
 しかし、思い出す度に恥ずかしい思い出である。
 だが、自分をこの世界に繋ぎ止めてくれたのは、紛れも無くあの少年である事に、今も代わりは無い。
「そう言や、あの子は今はアイツくらいか?」
 13年前に5歳なら、今は輝愛の一つ上の18歳である。
 そう考えると、この娘と一緒に仕事をしていると言う事も、何だか不思議に感じてしまう。
「年取ったって事か。そりゃそうだわな」
 気が付くと、一口しか吸っていない煙草が、灰皿の上で灰になっていた。
 仕方なくもう一本に火をつける。
 しばらくそうやって、静かに煙草をふかしていた。

 ――やれやれ。

 一向に機嫌の宜しくならないらしいお嬢様を、何とかなだめるとしましょうか。
 そう思い、やっと腰を上げる。
「このままじゃ夕飯食いっぱぐれちまう。明日も稽古早いんだし、そろそろ機嫌直してくれんとなぁ」
 煙草の火を消し、輝愛の後ろに立って頭をくしゃ、と撫でる。
 振り返った輝愛は、いつもの様に上目遣いで千影を見つめて、にこっ、と笑った。

 ――おいおい、さっきまでの不機嫌は一体どこ消えた。

 半ば呆れつつも、これで今夜の夕飯に窮する事は無いだろうと、内心胸を撫で下ろす。


 全く、子供ってのはいつも良く分かんないもんだな。
 ま、そこが良いんだけど。

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■こんぺいとう 読み切り  大人の事情 ■




 そう、『溺愛』と『恋愛』は別物だ。
 だから、この感情は恋愛感情ではなく、娘に対する愛情なのだ。







「姐さん」
「勇也」


 珠子と勇也が二人、何故か何かを必死に堪えたような顔で、見詰め合っている。


「姐さん・・・」
「勇也・・・」


 そのまま瞳を輝かせ、二人はがっし!と手に手を取り合う。
 傍から見れば、ラブシーンに見えなくも無いくらい接近しているが、それもまたいつものことなので、誰も何も言わない。それどころか、誰も気にしていない。


「勇也、御覧なさい。しっかり目を開いて」
「姐さん・・・俺・・・もう・・・」


 そこまでを妙に芝居がかった口調と動きでやってのけた二人。
 しかし、限界は何時しか訪れるものである。


「あっはははははははは!見た?見た?見た!?」
「見たってば姐さん!ヤバイ!死ぬ!おもしろくて死ねる!?」
 いきなりすごい勢いで笑い出し、あまつさえ目に涙を浮かべている始末である。
「ダサいダサい!ちかちゃんださーい!」
「川ちゃんのあの顔!!・・・あっははははは!!!」
 二人はそのまま崩れ落ちそうな程、腹を抱えて、お互いの肩にもたれかかって爆笑している。


 どうやら、最近めっきりいじられ役の千影の姿が、どうにもツボに入ったらしい。
「姐さん、張本人だよ張本人!」
「きゃー!ちかちゃんだー!」
 ものすごいテンションの二人とは打って変わって、不愉快が服を着て歩いている状態の千影が、トイレから復活したのか、稽古場に戻ってくる。
 珠子と勇也は千影を見つけるなり、再び爆笑する。

「もうやだ!ちかちゃんってば!!!」
「何だよクソ珠子!」
 不機嫌な千影は、何故かゴキゲン満開な珠子に、意味も無く八つ当たる。

「もうやだ!川ちゃんってば!!!」
 勇也も真似して千影の肩をぱしぱし叩く。
「何が!」
 全く持って二人の行動の意図を把握していない千影は、不愉快な顔のまま、いつもより数段ドスの効いた声で怒鳴る。
「ういういよ、ちかちゃん」
「はあ?」
 耳元で囁く珠子に、千影は眉を顰める。
「初々し過ぎよ」
 そこまで言われて、やっと何の事か思い当たった千影は、バツが悪そうに、しかしより一層不機嫌な顔で眉を顰めた。







 いつも通りの『月鬼』の稽古場である。

 しかし、いつもより若干緊張した空気が漂っているのも、事実である。
 別にゲネでも通しでも無い、いつも通りの抜きでの稽古の段階なのだが。
 
 先程から妙に落ち着き無く柔軟やらを繰り返している有住。
 その様子を微笑ましげに眺めている、女形の先輩である志井。
 何やら密談中の演出の笹林と、演出助手の菊本。
 珠子に抱き潰されている輝愛(これはいつも通りだが)。
 千影を盗み見ては、声を殺して笑い転げている紅龍と勇也。


 そして、苦虫を噛み潰しきった顔の、千影。


「じゃ、いこーか」
 

 演出、笹林の一声で、稽古が始まる。
 有住扮する『あやめ』と、輝愛扮する『つばめ』の、二人の重要なシーン。
 
 肉体を持たない『あやめ』と、彼女が生きるべきだった器に生きる『つばめ』が、初めて面と向かって出会うシーンだ。

 

 
『何だ、お前』
『私は、あやめ』
『あやめ・・?』


 静まりきった稽古場に、二人の声だけが響く。


『そのあやめが、何の用だ』
 

 輝愛の台詞を捉え、千影は内心彼女の成長に舌を巻いていた。
出会った時からは、想像も出来ない娘分の姿である。
 しかし、すぐにまた先程と同様の仏頂面に戻り、への字に曲げた口で、煙草を矢継ぎ早に吸い込む。


 どうにも、落ち着かないらしい。


 しかし、そんな千影に構ってくれるはずも無く、芝居は板の上でどんどん進んでいく。
 例の、千影がこれだけ不機嫌になっている原因のシーンが近付く。
 

 ・・・・・たかがキスシーンだろうが。
 


 そう自分自身に言い聞かせ、出口に向かいそうになる足を、何とか地面に縫い付ける。
 この仕事をして行くのならば、この先何回と無くそういったシーンは出てくるだろう。
 自分も当然仕事としてやっているし、彼女にしてもそれは同じ事なのだ。
 そこで、昨晩のやりとりが頭を掠める。


 彼女の唇に、自分の指を乗せ、その上から口付けた。
 その後に発せられた彼女の、『おわり?』と言う一言。
 彼女にしてみれば、ただ思ったことを口にしただけだろうが、千影にしてみれば、やましい心のうちを見透かされたようで、えらくバツが悪かったのを覚えている。


 ―――見透かされた?何をだ?


 くわえていた煙草を灰皿に押し付け、顔を手で拭う。
 今までの自分だったら、相手が輝愛で無ければ、躊躇い無く唇を重ねていただろう事も、分かっている。
 しかし、娘分の最初のキスを奪うのは気が引けて、敢えて、逃げた。

 

『お前は動けない
 お前は私
 私はお前
 私の全て
 飲み込むが良い』



 朗々と言い放つ『あやめ』。
 『あやめ』はそのまま目の前の『つばめ』の顎に手をかけ、息を吸い込む。

 そして、
 有住の唇が、輝愛のそれと重なる。
 瞬間、輝愛の瞳が驚きで見開かれる。


 
 ―――あ・・あのヤローっ!!



 まだ数本残っていた煙草の箱を、左手で握りつぶしていた事に気付いたのは、笹林の『じゃ、ここで一端切ります』の声が聞こえて、暫くしてからだった。







 何やら恐ろしい事を口走りそうになった輝愛に、アルミの灰皿を投げつけた後。
 

 トイレから戻った千影は、有住の元へ一直線に歩いていく。
「・・・・あら~、川兄・・・・はい。どーぞ」
 有住と談笑していた志井が千影を見つけ、苦笑する様な表情のまま、有住を差し出す。
「だ・・大輔さん!?ちょ・・・か・・・川橋さん、顔が怖いんですけど」
 脅えまくる有住の背中をぐいぐい押す志井に、千影は肩を落として、
「大輔、いいって。別に浩春をどーこーしよーって気無ぇから」
 千影の台詞に、『そうですか?』と微笑み、ようやく有住の背中から手を離す。

「お・・お芝居の中の事ですから・・・」
 千影より10cmも身長の低い有住は、上から見下ろされて、まるで蛇に睨まれた蛙状態になっている。
「そうそう、芝居だからな」
「ですよねー」
 冷や汗垂らしながら、引き攣った笑いで答える。

「でもな浩春、芝居だからって調子こいて舌入れんのはどーかと思うぞ、俺は」

 眉間あたりに怒りマークを浮かべて、でも顔は笑顔のままの千影に、
「あ、ばれました?スイマセンついくせで・・」
「ざけんなっ!」
 
 みなまで言い終わるより早く、千影のゲンコツが落とされる。

「いってー!!なんか無茶苦茶怒ってないですか!?」
「うんにゃ、普通にムカついただけ」
「何ですかそれ!」
「上下関係だ、この世界は厳しい~上下関係なのだよ、浩春君」
 半眼の千影と半泣きの有住の間で、苦笑したまま大輔がなだめる。
 もっとも、効果があったかは定かではないが。
「ガキが偉そうな口利くな。ってか、舌入れんな。ボケ」
 去り際にもう一発平手をかまし、千影はすたすたと歩いて行ってしまった。

「な・・なんなんですかー?もう、大輔さん!」
 残された有住は、横に居る大輔の顔を見るが、大輔は苦笑したまま有住の鼻をつまんで、
「まあ、半分はお前も悪いかな」
「なんれれすか」
 未だに憮然とした有住に、大輔はようやく彼の鼻を開放して、
「まあ、子供に子供の事情がある様に、大人には大人の事情があるんだよ」
「僕、もう結構いい年なんですけど・・」
 鼻をさすりながら呟く有住に、大輔は再び微笑んで、
「知ってるよ」
 と、頭を軽く一回なでた。







「んふふ」
「何だよ気持ち悪い」


 いつもの様に帰宅して、風呂と食事を済ませ、あとは寝るだけ状態で、ベッドに寝転がっている二人。
「練習の甲斐ありですよね?」
 ころんと転がった輝愛が、うつ伏せで頬杖を付いている千影の脇に引っ付く。
「・・・・・・・・ノーコメント」
 嫌な事を思い出して、千影は思わず半眼になり、顔を逸らす。
「うええ~!?」
 不機嫌な千影を見て、自分の芝居がダメだったのだと勘違いした輝愛は、まくらを抱えてため息一つ。
「・・・もっと精進します」
「いや、出来ればしないでくれよ」
「んへ?何で?」
 まくらを抱いたまま、顔だけを向ける。
「・・・・何でも・・・」
 しかめ面のまま、目線を外して答える。
「どしたのカワハシ、何かお悩み?」
 両手を伸ばして、無理やり彼の顔を自分と向き合う様に向けさせる。
「お悩みなら聞くよー。助言は無理かもだから、聞くだけになっちゃうかも知んないけど」
 言って、両手で千影のほっぺたを『にょーん』と言いながら引っ張る。
「お前はさあ、あんまり悩みなさそうだよなあ・・」
 言って、ため息一つ。
 そのまま彼女の両手をほどかせて、こないだの様に首に顔を埋めて、抱き締める。
「カ・・・カワハシ・・!!?」
「・・・ちっくしょ」
 動揺してバンザイ状態になっている輝愛の耳元で、聞こえない位小さく呟く。
「カワハシ?」
「聞こえない。もう寝た」
「うそつき」


 彼女の声を耳だけで聞いて、瞼を落とす。
 

 ―――やっぱり、俺がもらっておけば良かったかも。


 そう思うこの気持ちも、きっと、恋愛感情なんかじゃない。
 ・・・はずだ。


 考えるのを止めて、寝る事にしよう。
 悪い夢を見ないように、彼女の香りを抱き締めたまま。
 


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■一つ屋根の下 5題  THE LONGEST■




 近くて遠い、あなたとの距離。



 
 そう、いつも同じように生活して、
 毎日『おはよう』から『おやすみ』まで。

 

 いつも一番近くに体温を感じて、気配を感じて、呼吸を感じて。
 

 なのに、やっぱり遠い、あなたとの距離。







 久々に外食をした帰り道。
 彼が振り返った。

「どうした?」

 あたしはただぷるぷると首を振って答える。
 まるで心の内を見透かしたように、あなたは苦笑に近い微笑みを湛えて、あたしの頭を撫でる。



 彼の行きつけのお店で、彼の古くからの友人がたくさん集まるお店で。
 やっぱりあたしは思い知る。



 この年の差の分だけちゃんと、おいていかれてるんだ、と。


 一度でも口に出したことは無いけれど、多分あの人の答えは分かり切っているから、言わない。
 

 あたしの知らない昔の話を、あたし以外の人間は全員さも当然のように話していて。
 それはつまりそれだけ彼と彼らの付き合いが長いと言う照明であって、だからどうと言う事も無い筈なのだけど。


 やっぱりどこか、置いて行かれたようで、寂しい、
 と、思う自分がいる。


 あたしがもう少し早く生まれていたら、こんな感覚味わわなくて済んだのかしら?
 でもそうしたら、彼と出会う事すらも無かったのかも知れないと思うと、
 どっちを選ぶかなんて、最初から決まっているのだ。


 だからあたしはきっとこれからも、こんな感覚を味わうんだろうと、思う。

 
「輝ー愛」

 
 彼が珍しく優しい声であたしの名前を呼んだかと思うと、酔っ払っているのか少し普段より暖かい手で引き寄せられる。


「カワハシ?酔っ払ってる?」
「酔ってる。でも頭の中までは酔ってない」


 彼の言葉の意味が分からずきょとんとすると、再び彼は笑って、今度はあたしのおでこで小さく唇が音を立てる。


「カワハシ?」



「一緒に、帰ろう」



 言うなり彼はあたしの手をしっかりと握って歩き出す。
 
 なんだかひどく安心した。


 そう、この温もりを与えられただけで、生きる意味すら全うしてしまうのではないか。
 なんて、思ったりした。



 今夜も彼の声を聞いて休もう。
 そして明日は、またいつもの様に彼をあたしの声で起こすのだ。


 
 世界で一番、近い距離で。



http://traumliebegk.koiwazurai.com/

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