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桃屋の創作テキスト置き場
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■こんぺいとう 読み切り  みどれんじゃー ■




何故だか良く分からないが、輝愛がむくれた様な顔をしている。
 最早何が原因なのか、千影には知る由も無いのだが、そこそこ長い時間、ああやって眉間に皺を寄せている所を見るにつけ、もしかしたら当の本人も、自分がそんな顔をしている理由を見失っているかも知れない。
 千影は、自分が何かまずい事でも仕出かしたのか、と一応考えてはみたものの、やはり思いつく様な事も無かったので、そこで潔く諦める事にした。


 ――全く、子供ってのは良く分からん。


 心の中でだけ呟いて、メンソールの煙草を一息、深く吸い込んだ。
 そう言えば、昔にも似たような顔をした子供に出会った事があった。
 その子は恐らく、当時五歳位で、今そこで同じような顔をしている十七歳の子供とは、およそ一回りも違うのだけれど。


 ――あれは、確か


 千影は十二、三年も前になる、その出来事を思い出していた。







 晴天である。
 蝉の声が良く響く季節柄で、空には白く壮大な入道雲が激しく自己主張をしている。
 照り付ける太陽が、それでもまだ幾分凌ぎやすいと感じるのは、もう陽が傾く準備をしているからだろうか。
 
 八月である。
 どこも親子連れやカップル等で賑わっている。
 今年高校一年生に上がったばかりの千影は、その例に見事に漏れ、ジャージ姿でとあるデパートの屋上に居た。
「何不細工な顔してるの?」
 背後から凛とした涼しげな声がかかる。
 振り向くとそこには、見慣れた幼馴染の顔。
「不細工は余計だろ」
 千影は脹れっ面を維持したまま、声の主、田淵珠子に答える。
 長い黒髪を流したまま、千影の横に立ち、顔を覗いて来る。
 年齢的には一つ上で、同じ高校の先輩でもあるのだから、本来なら敬語なりを使うべきなのだろうが、物心つく前から一緒に居た珠子に、今更そんな風に対応出来るほど、千影は大人では無かったし、もとよりそんな気も更々無かった。
 珠子も珠子で、そんな後輩の態度を、別段気にする素振りも皆無であったから、この二人の関係は、十六、十七歳になった今でも、『仲良しなお隣のお友達』なのである。
「悩み事なら、お姉ちゃんが聞いてあげるわよ、千影」
「・・・・・・・・・・・・いいよ」
 千影は微かに頬を染めて顔を無理やり背ける。
 見慣れたと言っても、これだけ美しい顔が目の前にあると、知らずと一瞬胸が跳ねるのも事実だった。
 しばらくの沈黙が流れ、千影が口を開く。


「俺も」
「うん?」
「俺も赤やりたい」
 言って、やはり先程の憮然とも言い難い、何とも不細工な顔に戻る。
 珠子は呆れた様に眉尻を下げ、
「何?それだけの事?」
「それだけって言うなよ。だから言いたくなかったんだ」
 珠子はやれやれと言った様子で腰に手を当て、片手で髪の毛をくるくると弄んだ。
「良いじゃない、何だって。出れるだけ幸せと思いなさいな」
「でも、俺は赤になりたくてこの世界に入ったのに。折角のチーム初公演なのに。何で紅ちゃんが赤なんだろう。」
 そこまで言って、珠子を代わりに睨みつけ、
「俺の方がアクション歴長いのにー」
「それはな、お前の身長が足りないからだ、ちか」
 いきなり珠子と千影の間を割って入って来た、そこそこ長身の男。
 真柱紅龍である。
 若干十九歳の大学生で、在学中にも関わらず、珠子や千影、その他数名の同志を集めて、と言うか巻き込んで、アクションチームを設立した張本人である。


 今日は、そのアクションチームの初めての単独公演なのだ。


 単独公演と偉そうに嘯いても、実際はデパートの屋上でのヒーローショーである。
 しかし、メンバー達はそれこそ大喜びで、学生連中のメンバーが多数の中、夏休みなど返上で稽古に励み、今日がその本番、と言う訳である。
「紅ちゃんがデカイのがいけないんだろ」
「俺が別にでかい訳じゃないさ。まだまだ成長期だ」
「でも俺よりはデカイ」
「だから、紅が赤で千影が緑なんじゃない」
 紅龍と珠子に双方から攻撃され、いよいよ押し黙ってしまう。
 ちなみに、現在の紅龍の身長、176cm、対する千影の身長は169cm。

「ちか」

 紅龍が千影の両頬を、その大きな掌で包んで自分の視線と無理やりに絡ませる。
「なん・・」
「小さな事に拘るな?見に来てくれる子には、赤が好きな子も、ピンクが好きな子も、緑が好きな子も居る。俺達は、一回幕が開いたらヒーローなんだ。子供の期待を裏切ったら駄目なんだ」
 そこで軽く一呼吸して、
「それに」
「それに?」

「終わったあとのあの何とも言えない感覚を味わってみろ。二度と離れられなくなるぞ」

 そう言って、紅龍は千影を開放すると、踵を返しバックステージへ向かった。
「ちゃんとアップしとけよー」
 と、背中だけで声がした。
「終わったあとの感覚かぁ・・偉そうだぞ、紅ちゃん」
「でも紅はさ、本当にやめられなくやっちゃったんだって。だからチーム作ったって言うし」
 千影より一寸先に舞台に立った紅龍。
 その時の感覚から離れられなく あり、アクションチームを設立した、と言うのも、まだ事実なのである。
「良いじゃない、ヒーローってだけで。あたしなんか悪役よ?」
「珠子激しくぴったりじゃん」
「こら!」
 結構本気で殴りに来てる珠子の拳打をかわしながら、二人とも先程紅龍が向かったバックステージに向かった。







「うやー、すごい人いっぱいいるやねー」
「夏休みの日曜の夕方だしねえ」
「席満席じゃない?」
 バックステージからそろそろと、観客にバレない様に客席を伺うメンバー達。
 出番が目前なので、皆一様に衣装を身に着け、悪役はメイクも当然終わっている。
 ピンクや黄色や青の全身タイツのヒーローと、やたらキラキラ派手な装飾のされた、実際良く分からない衣装を身に着けた悪役連中。
 それらが折り重なってトーテムポールの様に観客席を伺っている姿は、一種異様な雰囲気であり、その後姿たるや、笑わずには居られない程滑稽でもある。
「じゃ、お先に行って参ります!」
 司会進行、俗に言うヒーローショーでは必ずと言って良いほど存在する、「おねえさん」役のメンバーが、一人、先に舞台に走って行く。
 舞台上では、「みなさーん、こんにちはー!」と、張りのある声で子供達と挨拶を交わしている声が聞こえる。
 こうなるともう、バックステージは一気に緊張の渦に巻き込まれる。
 上手下手でスタンバイしているメンバーが、それぞれに円陣を組み、手を重ねて気合入れを行う。
 千影も紅龍も、下面を被り、メットも装着済みである。
 お互い目が合って、にんまりと目だけで笑う。
 
 ステージ上での子供達への注意点の解説が終わり、子供達の視線はおねえさん役の彼女に集中している。
 そこでお決まりの台詞である。
「じゃあ皆で五人のヒーローを呼んでみよう!お姉さんが『せーの』って言ったら、皆は一番大きな声で呼んであげてね。いっくよー」

『せーの!』

 子供独特の高い声でも叫び声の様な呼び掛けがかかる。
 途端にSEが大きく流れ、照明が激しく点滅する。
 下手から下っ端悪役のメンバーが数名飛び出し、客席を襲いに行く。
 それを確認してから珠子が後ろ手に、
「じゃ、行きます」 
 と言い残して舞台の上に消えて行った。
 客席は悲鳴や泣き声に包まれる。
 よほど珠子が怖いのか、と思い、千影はメットの中で含み笑いをした。
 そう言えば、珠子の悪役メイクはやりすぎていたかも知れない。
 メンバーにさえ、「不気味」だの「怖すぎる」だの言われていたのだ。
 子供が泣き出すのも、道理だろう。

「ちか」

 ぽん、と肩を叩かれる。
「ぼーっとするな、行くぞ」
「うっす!」
 きっかけの音と共に、上手に控えていたヒーロー五人は、舞台に走って行く。


 そして。







 ―――すげえ。
 
 千影は高揚感とも興奮とも感動ともつかない、奇妙な感覚を味わっていた。
 舞台上で殺陣をしながらも、ずっとその妙な感覚に身を委ねている。
 背中では子供達の歓声がはっきりと聞き取れる。
 肌にはライトの熱、音響の空気の並。
 頭には直接響くような音、音、音。
 全てが異質だった。
 千影の意識は、普段と別の場所に隔離された様な感覚であった。
 だからと言って、殺陣が疎かになったりだとか、動きが鈍くなったりするかと言うとそうではない。
 むしろその逆で、舞台の上で自分がどこをどう動かしているのか、細部に渡ってまで実感出来る様に、自分の身体が自分の能力以上の物を発揮しているかの様に感じた。
 僅か30分弱の短いショーであったが、その間がとてもゆっくりと、しかし鮮明に、高速に感じた。


 気が付くと、30分のステージは幕を閉じていた。


 言葉にならなかった。
 下手にはけ、舞台から降りたにも関わらず、千影は言葉を発する事が出来なかった。
 ほんの僅かの休憩があり、
「出るぞ」
 紅龍の声を合図に、ヒーロー五人は子供達と握手をする為に、再びステージに戻った。
 再び歓声に包まれる。
 上気した顔の子供達が、順々に握手を求めて列を作る。
 皆一様に、自分達を本物のヒーローであると信じて疑わない。
 
 純粋な瞳で、
 満面の笑みで、
 自分達に握手を求めてくる。
 正直、嬉しかった。
 が、同時に俺は本物のテレビのヒーローじゃないんだよ、
 と言う申し訳無さもあった。

 それでも、子供達の心からの笑顔に、心底救われた。

 ――でも

 メットを被ったままなので、目線だけ動かしてちらりと紅龍を見る。

 ――やっぱし赤のが人気あるよなあ。

 次こそは赤に入って、紅龍を見返してやろうと思っていた。その時だった。
「―?」
 列の一番後ろに並んでいた男の子が、睨む様な目付きでこちらを見ている事に気付いた。
 顔を真っ赤にして、頬を膨らませて、口をつぐんで。
 その子の視線は、間違いなく自分に注がれている。
 それでもその子、―恐らく五歳位だろうか―は、順々に赤、黄色、青、ピンクと握手をして行く。
 その四人と握手する際は、普通に笑顔なのだ。
 
 しかし。

 やはり、千影の前まで来ると、一歩後退り、頬を真っ赤にしたまま無言でこちらを眺めているばかりである。

 ――嫌われてるのかな、俺。

 何だか無償に寂しくなったが、そこはそれ。態度に出さない様に極力努めた。
 平静を装って、そのまま手を差し出す。
 しかし、男の子は握手をしようとはしない。


 ――ほら、やっぱり赤じゃないと――


 千影がそうと知られない様に息を吐くと、男の子の父親が、苦笑しながら男の子を抱き上げ、
「ほら、お前の大好きなグリーンだぞ」
 と言って、男の子の顔を、千影のメットの前まで持ち上げた。
 すると、男の子の顔はみるみる満面の、今までどのヒーローにも見せなかった笑顔になって行き、
「グリーン!」
 と千影を呼んで、千影の、グリーンの首にひし、としがみ付いた。
 
 そのまま、すぐには動けなかった。
 
 我に返り、首に巻きついた小さな彼を、両手で抱えた。
 男の子は、笑っていた。

「こら、グリーン困ってるぞ、駄目だろ」
 父親は、息子の腕を千影の首から外し、地面に息子を降ろして。
 男の子は、あの笑顔のまま、握手をして、父親と手を繋いで帰って行った。



 まだ帰路についていない観客の残る観客席に向かって、手を振りながら、五人は退場する。
 バックステージに着くなり、メンバーはメットと下面を外し、先にバックに戻って待機していた悪役メンバー達と合流する。
「やったー!」
「成功だよね、大成功!」
「気持ちよかった~!」
 口々に興奮気味に言葉を漏らす。
「じゃ、とりあえずみんな、お疲れ様でした!」
『お疲れ様でしたー!』
 紅龍の声に、メンバー全員が嬉しさの滲む声で答える。
 ばらばらと衣装の着替えに向かうヒーロー達。
「ちか?」
 未だにメットを外していない千影を見つけ、歩み寄ってくる紅龍。
「いつまで被ってんだ?早く脱げ」
 言いつつ千影のメットを外す。
 と、

「――お前」
「見んなよ!」
 驚いて呟く紅龍に、千影は急いで後ろを向く。
 しかし、そんな事でゆるしてくれる程、この男は優しくは無いのである。
「なーんで泣いてるの、ちか?」
「うるせー」
 わざわざ肩を組んで顔を覗いて来る。
 しかも、嫌らしい位にやにやした顔で、だ。
 千影は尚も流れてくる涙を必死に袖で拭いながら、口をへの字に結んでいる。
 紅龍はそれこそ嬉しそうに目を細め、


「やめられなくなっただろ、な?」


 と、耳元で呟いた。
 千影は無言のまま頷いて、一端納まりかけた涙がまた頬を伝うのを、急いで拭った。
「あー紅!何千影泣かしてるの!駄目でしょ!」
 目ざとく二人を見つけた珠子が、二人の間に割って入り、千影の頭をなでなでしながら、
「あのオジサンに苛められたのね!?可愛そうに!」
 と大げさに千影を抱き締めて、ジト目で紅龍を睨む。
 紅龍はにっこり笑って、
「珠子さん、この舞台の撤収、一人でおやりになりたい?」
「ぐ・・」
 紅龍の権力攻撃に一瞬怯みつつ、再び胸を張って、
「あたしの可愛い弟を苛めないでよね!オジサン!」
「苛めてないよ、なあ、ちか?」
 しばらくそんな漫才を繰り広げ、同時に千影を見る姉貴分と兄貴分に、ようやく涙の乾いた千影は、声を上げて笑った。



 ―――やめられなくなっちゃったなあ、本当に。







 そうだ、あの時のあの子の顔に似てるんだ。
 千影は未だにむくれっ面をしている輝愛を眺めて、そう思い至った。
 しかし、思い出す度に恥ずかしい思い出である。
 だが、自分をこの世界に繋ぎ止めてくれたのは、紛れも無くあの少年である事に、今も代わりは無い。
「そう言や、あの子は今はアイツくらいか?」
 13年前に5歳なら、今は輝愛の一つ上の18歳である。
 そう考えると、この娘と一緒に仕事をしていると言う事も、何だか不思議に感じてしまう。
「年取ったって事か。そりゃそうだわな」
 気が付くと、一口しか吸っていない煙草が、灰皿の上で灰になっていた。
 仕方なくもう一本に火をつける。
 しばらくそうやって、静かに煙草をふかしていた。

 ――やれやれ。

 一向に機嫌の宜しくならないらしいお嬢様を、何とかなだめるとしましょうか。
 そう思い、やっと腰を上げる。
「このままじゃ夕飯食いっぱぐれちまう。明日も稽古早いんだし、そろそろ機嫌直してくれんとなぁ」
 煙草の火を消し、輝愛の後ろに立って頭をくしゃ、と撫でる。
 振り返った輝愛は、いつもの様に上目遣いで千影を見つめて、にこっ、と笑った。

 ――おいおい、さっきまでの不機嫌は一体どこ消えた。

 半ば呆れつつも、これで今夜の夕飯に窮する事は無いだろうと、内心胸を撫で下ろす。


 全く、子供ってのはいつも良く分かんないもんだな。
 ま、そこが良いんだけど。

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