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桃屋の創作テキスト置き場
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■innocence  ―唯一無二―  ■




 暗闇の中で声がする。

「来い、早くこちらへ」と。

 誰の声なのか分からないし、知りたいとも思わなかった。でも、その声は執拗に僕を呼ぶ。

「来い、早くこちらへ来い」

 言い知れぬ不安が胸中に拡がる。
 逃げても逃げてもその声からも、この暗闇からも逃れる術は無い。
 それは分かりきった事だ。

 でも、逃げ出したかった。

 ここから。
 この場から。
 この運命から。

 生きたい、と、願ってしまったから。
 だから、抜け出したかった。この絶望の地から。


 僕は見つけてしまった。唯一無二の光を。


 彼女こそ、僕を照らし出す光。
 暗闇に伸びる一条の光。
 彼女は気付いてはいないだろう。

 僕が君と出会って、どれだけ救われたか。
 僕が君と出会って、どれだけ満たされたか。
 僕が君と出会って、どれだけ絶望したか。


 君は、知らない―――


 願わくば、少しでも、少しでも永く、このままで―――


 僕自身が、破滅の音を立てて『覚醒』する、その時まで―――







「シリウス?」
 名前を呼ばれ、意識が瞬時に覚醒する。額には汗の雫が浮いている。
 別段寒気を感じた訳ではないのに、一瞬身体が震えるような感覚に襲われる。
「白昼夢でも見たの?」
 あまり表情を変えずに彼女は、僕の顔を覗き込む。
 緋色の髪の毛が、ぱさり、と一房なびいた。
「――大丈夫、寝ぼけただけみたいだ」
 極力平静を装って、笑ってみた。フードをかぶり直そうとして、彼女と二人きりの時はフードを外している事に気付き、手が宙を彷徨う。
 一瞬、彼女の目つきが鋭く眇められる。
 そしてそのまま、僕はあっという間も無く組み倒されてしまった。
 有無を言わせぬ鮮やかな手つきは、流石、「あたしは強いわよ」と自負するだけの事はある。
 街道沿いの草原。誰も居ない、二人だけのこの場所で、僕は抵抗する間もなく、仰向けに倒されている。

「うそつきね」

 鋭い瞳のまま、彼女が言う。僕の隠蔽した言葉や態度を透かし見る様だ。
「・・・男の上に馬乗りってのは、僕に犯して欲しいって事?それとも、君は主導権握りたいタイプ?」
 いつもの軽口。
 真意を見せないように、見せなくて済むようにする為の、どうでも良いような台詞。
 しかし、彼女にはあまり効果は無いらしい。

「あなた、うそつきね」
「・・・そうかもしれないな」

 馬乗りになったまま、彼女の細い指が額の汗を拭う。
 あまりに自然に、しかも唐突に触れられて、思わず目を見開いた。
「汗だくよ」
「うん」
 何とも間抜けな返事だ、と、少し経ってから気付いた。
 彼女はそのまま、僕の髪の毛をかきあげ、額に一つキスを落とした。
「怖かったのね」
「何を・・・」
「怖かったのね、シリウス」
 憐れむでもなく、慰めるでもなく。
 ただそこに在る、君。


 ―――敵わないな―――


 僕のどんな虚勢も、君の前では無駄な足掻きだ。
 彼女はとて誠実で、自分に正直で、まるで僕とは正反対だ。

 真っ直ぐ、前だけを見ている―――

 未だに僕の上に乗ったままの、小さな彼女を抱き寄せる。
 大して重さも感じない様な小さな彼女が、こんなにも僕を掻き乱すのかと思うと、悔しくすらなる。

 僕はそのまま、ぼやけそうになった自らの視界を塞ぐ様に、或いは彼女にそうと知られない様に、彼女の桜色の唇を、半ば強引に塞いだ。
 一瞬目を見開いた彼女は、徐々にその体躯から力を抜き、瞼を落として、その長い睫毛を微かに震わせた。


 何故―――


「何故、拒まない・・?」
 唇を離し、頬を僅かに紅潮させる彼女に問う。
「逃げて欲しかったの?」
「いや」
「じゃあ良いじゃない」 
 僕は彼女を解放しようとはせず、もう一度同じ台詞を口にする。
「何故、拒まなかった?」
「拒む理由が無いからよ」


 あたしは白銀の巫女だから。


 そう言って、彼女は微笑んだ。
 何故か、何故か僕は怒りの様な物が込み上げて来て、乱暴に彼女を押し倒し、貪る様にその首筋に紅い跡を付ける。
「ちょっ・・・シリウス」
「ならば」
 彼女の言葉を遮って、低い声で呻く様に。
「今ここで僕が君を抱いても、君は拒まないとでも言うのか」
 何に対しての怒りなのか、憤りなのか、自分でも明確には表現出来なかった。


 ただ、目の前の彼女に、ひどく苛立っていた。


「何故、そんな無防備でいられる?何故、そんなに僕を信用する?何故、僕に手を差し伸べる?何故、何故・・・」
 すっ、と伸びて来た彼女の手によって、僕の言葉は途切れる。
 そのままその白い手は、僕の頬を引き寄せ、いつの間にか涙を溢れさせていた両の瞼に優しく唇を落としてくれる。

「汚い顔ね、美人が台無しよ」
 そう言って、笑う。
「全く、大の大人が女組み倒す時にちょっと抵抗された位で、わんわん泣かないでくれる?こっちが恥ずかしいわ」
 そう言って、笑う。
「あたしを抱きたかったら抱いていいのよ。それであなたの気が楽になるなら。でもね、こーんな色気もムードもへったくれもない所でなんて、あたしはごめんだわ!」
 そう言って、笑う。
 満面の笑みで、僕を見つめる。
 あまりの彼女の眩しさに、瞼を閉じ、顔を俯ける。
「なあに?立ち上がらせてもらえないと起き上がれないっての?涙も拭いてもらわなきゃダメだっての?全く、とーんだ甘えん坊さんだこと」
 口調は荒いが、優しい声だ。

「――ねえ、シリウス」
 彼女が、座り込む僕の正面にしゃがみ込む。
 背けた僕の顔をぐいっ、と自分の方に向かせると、両手で涙を荒っぽく拭ってくれる。
「嘘をつくと、ついた本人が一番苦しいのよ。でもね、あなたが苦しまない嘘なら、いくらついても構わない。だって」
 そう言って彼女は一端言葉を切り、僕の目をじとーっと覗き込み、にやりと笑う。


「だって、あたしにはあなたの嘘なんて、ぜーんぶお見通しだもの。ね」


 ―――敵わない―――


 多分君には、一生敵わない。
 声を上げて笑いながら、僕を引っ張って立ち上がらせる。
「手のかかるおぼっちゃんだこと」なんて、皮肉もちゃんと忘れずに。


 憎たらしい位に。


「僕は君なんか大嫌いだ」
 俯いて言った僕に、彼女は満面の笑みで、
「うそつき」


 憎らしい位に、愛しい。


「本当に、大嫌いだ」
「嘘ね」
「本当に嫌いだ」
「ほら、またうそ――」
 言いかけた彼女の唇を、再び容赦なく塞ぐ。
 彼女は目を閉じ、片手で僕の袖を掴んだ。
 目を開けると、ふて腐れた様な彼女の顔。
「何怒ってんの」
「ムードが無い」
「そりゃ申し訳ない」
 上目遣いで睨んだまま、彼女は憮然として続ける。
「さっきのファーストキスと言い、今のセカンドキスと言い、全然ムード無い。シリウス最低」
「あら、初ちゅ―だった?」
「残念ながらそうよ」
 不満げに顔をちょっと赤らめたまま、唇をとんがらせる仕草をする。
「そりゃ申し訳ない」
「そう思うんなら、どうにかしてよ、このあたしの不満を」
 言われてしばし思案する。
 そしてぽん、と小気味のいい音で手を打って、
「じゃあ、お詫びに毎日ロマンチックに素敵なキスをしてあげよう」
「は?」
「毎日毎日、数え切れないくらい」
「え?」
 にやついて言った僕の言葉を本気と気付いたのか、強張った笑顔のまま、数歩後退る。
「う・・うそよね?今の」
「おや、僕の嘘が見抜けるんなら、今のが本気だって分かるでしょ?」
 にっこにこしながら、彼女に近付く。
「う・・うそってことに、しといていい?」
「ダメ」
 引きつる彼女。
 微笑む僕。
 逃げ出そうとする彼女を片手で制し、顎に手を添えて三度唇を奪う。
 何だか「んーんー」だのと抗議の呻き声を上げているが、敢えて気にしていないかのように振舞った。
 彼女が本気を出して抵抗すれば、それそこ一瞬で勝負なんてついてしまうのだから。

「っぷは!」
 呼吸を忘れていたのか、唇を離した瞬間に一気に息を吐く。
「ヘンタイ」
 真っ赤な顔のまま、僕を睨みつける彼女。
 でも残念。そんな顔は逆効果。
「あれ?知らなかったの?変態ついでに鬼畜デビューもしてみようかな」
「ちょちょちょちょ待ってシリウ・・・んむー!!」
 三度ある事は四度ある。
 くつくつと笑いを喉の奥で飲み込む。


 何て愛らしい。
 何て愛しい。


 愛してるなんて、言えない。言える訳が無い。
 君がこの先生きて行く上での足枷にしかならないから。

 だから、君に愛してるとは告げない。

 その代わり、毎日君にキスをしよう。
 君が受け入れてくれる限り、毎日君を抱き締めよう。


 後ごく僅かの時間しか、残されていなかったとしても。



 毎日、君を想おう―――



 君と出会って、僕は救われた。
 君と出会って、僕は満たされた。
 君と出会って、僕は絶望した。



 それこそが罪。
 僕こそが罪人。



 ならば、この想いを永久に、君へ。





 ローディア。
 唯一無二の、君へ。

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■innocence  ―癸―  ■




 ぶっちゃけます。
 昨日、シリウスが暴走しやがりました。
 一応止めてあげようと思って、どたまを一発ゲンコでぼこ殴ったら、あっさり気絶しちゃいました。
 全く、迷惑な話よね。
 以上、報告終了。

 ってな訳で、あれからしばらく経過しても、あたし達は平和で平平凡凡な日常を送っているのだ。
 それが良い悪いに関わらず、ね。



「・・・・・後ろ頭がズキズキするんですけど」
「あらやだ偏頭痛?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 青い顔したシリウスが、あたしの必殺技『全部無かった事にしよう』作戦に負け、不満そうに口をつぐむ。
 そしてそのまま、普通ならあたしの耳には届かないような小さな声でポツリと呟く。
「狂暴凶悪ドドンパ娘」
「なあんですってえ!?」
 常人には聞こえないだろうボリュームでも、いかんせんエルフ並に耳の出来が宜しいあたしには聞こえてしまう。
 しかも最後のドドンパ娘って何よ、ドドンパ娘って!
 叫びついでに軽く本気で張り手をかましておく。
 軽くなのに本気とゆーとこに突っ込みとか入れないでね。あたし機嫌悪いから。
 それでシリウスはぶっさいくな顔ながらも、今度こそ本当に口をつぐんだ。
 全く、どっちにしろ世話のかかる。
「その程度で済んだんだから、むしろ感謝して然るべきだとあたしは思う訳よ」
 あたしは偉そうに両手を腰にやって、『ふふん』とやってみせるが、タッパのある彼の横ではどうも様にならない。
「そりゃそうかも知れないけど、もう少し愛があっても…」
「愛なんて無い」
 はっきりきっぱり気持良いくらい言い切ったあたしの台詞に、シリウスは本気でちょっと涙目になる。
 でも放置。
 いちいち付き合ってらんないわよ、全く。





 昨日の事だ。
 彼の風貌もあって、あたし達は人目につきにくい山道を進んでいた。
 行き先は、魔導に関する資料で揃わない物は無いと言われているくらい魔導関係のもろもろが充実している国、このイエスティア大陸の南に大きな領地を抱えるトルメディナ帝国。
 で、そのトルメディナ帝国を目指しながら、不本意ながら山道を。
 まっすぐ街道を行けば楽チンなのだが、そこはそれ、事情が事情なので致し方ない。
 夜になり、より一層深さを増した様に感じられる森の中で、あたしは火の番をしていた。

 そこで事もあろうに、いきなり襲われたのだ。

 人の手の入っていない森の中で、野良デーモンに遭遇する確率はそう低くはない。
 だが、明らかに自分を標的とした暗殺者集団に襲われる確率は、全うに生きていればそれこそ皆無である。
 なのに、あたしは襲われた。
 自慢じゃないがあたしは人の道に外れる様な事はしていない。
 一回もない。
 ないったらない。
 あたしはあたしなりに全て合理的かつ人道的に生きているつもりなのだ。
 ・・・・・・異論はさておき。
 暗殺者集団はなかなかの使い手だったらしく、あたしは追い詰められていた。
 普段なら大技一発でジ・エンドなのだが、木だらけのこんな場所で大技なんぞ出したら、一緒にあたしもオダブツである。
 そんなこんなで苦戦していると、彼が―――



「ローディア?」
 一気に思考の波から引き戻される。
「どうした?」
 見上げると、もはや見慣れてしまった彼の顔があった。
「なんでもないわ」
 あたしは笑みを作りながら答える。
 一つ伸びをして、山中の清々しい空気で肺をいっぱいにする。
 今夜も星が綺麗に見えるだろうか。
 昨日の晩の様に―――。



 昨日、彼は。
 彼は。
 暗殺者に襲われて危険な状態のあたしを見て。


 ―――自我を失った―――


 少なくとも、あたしには、あたしの目にはそう映ったのは間違いなかった。
 狂った様に奴らに襲いかかって行き、あっと言う間、本当にあっと言う間で、
 敵は全滅した。
 文字通りの全滅である。
 息のある者は、誰一人としていなかったのだから―――





「僕はさ」
 彼が黙りこくったあたしを気にする様に声をかける。
「何故この『白』が良くないモノとされているのか、実際は良く知らないんだ」
 人気の無い山中、彼はずっとフードを外したまま、その長く綺麗な真白い頭髪を風にたなびかせている。
「誰も理由を教えてくれなかった。父であった人も、母であった人も」
 一房髪の毛を掴んで眺め、
「一体何がいけないのかな?どう思う?ローディア」
 苦笑した様に問掛けてくる。
 あたしにはそれが、『どうして生きていてはいけないんだと思う?』と聞かれた様な気がして、言葉をつかえさせてしまった。
「僕の存在そのものが、僕以外の人間の脅威になるんだよね。だったらいっそ」
 哀しそうに、でもどこか安心したように目をすがめて、
「消えてしまえば良いのかな?どうなんだろう」
 一向に言葉を返さなかったあたしを責めるでもなく、自分の考えを唇に乗せるかの様にとつとつと語る。
 しかし、
「消えるなんて出来ないわよ。出来るのは、せいぜい死ぬ事くらい」
「…え?」
 唐突に話に参加したあたしに対してではなく、恐らく言葉の意味を図りかねてだろう。
 一瞬歩みを止めて振り返る。
「消えるってのは、存在そのものが無かった事になるって事じゃない?あたしの中のあなたも、消えてしまうって事でしょう?そんなの無理よ」
彼は黙ってあたしの次の台詞を待っている。
「人間に出来るのは、せいぜい自分から『死ぬ』事くらいなもんよ。『消える』なんて芸当、出来っこないんだから。だって、今現在此処に貴方と言う存在は『在る』でしょう?だから、よ」

「そんなもんかな、人間なんて」
「そんなもんよ、人間なんて」

「ローディアがそう言うなら、そうなのかも知れないな」
 何故か少し満足そうに言う。あたしはわざと眉を跳ね上げて、
「あんたちょっとは自分の意見とか無い訳?そんなんだとそのうちどっかに売り飛ばされちゃうかもよ?」
「あはは」
「あははじゃないっつーの」
 努めて明るく返すあたしに、本気で笑っている彼。
 ああ、出来れば彼に時間がありますように。
 少しでも長く、彼に平和がありますようにと、密かに願った。

 刹那―

 辺り一帯に言い知れぬ「気」が充満した。
「・・・何よ、これ・・・」
「さあ・・敵意がある様には、感じられないけど・・」
 あたし達は打ち合わせも無いままに、自然と背中合わせになる。
 そしてそのまま神経を張り巡らせ、この如何とも言い難い気配を探る。
 シリウスが「敵ではない」と言ったのは、こんなあからさまに気配を駄々漏れさせているからである。
 こんな森の中、敵であるならば気配を殺して近づくのが得策だからだ。
 しかし――
「シリウス、あんた一体何したの?」
「僕のせいな訳?どっちかって言うと普段の素行からして君のせいじゃ・・」
「うっさいわね!あたしは自分自身に対しては清く正しく誠実に生きているつもりよ!」
「んな無茶苦茶な・・」
「しいっ!」
 いつもの様に始まってしまった漫才を無理矢理遮断する。
 あたしは静かに腰に差したロングソードを抜き放ち、右手に力を籠める。
 ――かちゃり
 と、ロングソードが僅かに鍔鳴りした瞬間――


「みっつけた!」


 聞き覚えの無い男の声と共に、疾風が吹き荒ぶ。
 地面に散っていた落ち葉が舞い上がり、丁度煙幕の様な状態になる。
「何!?」
「!?」
 シリウスが無言のままマントであたしを庇う。
 尋常ではない風である。
 彼のマントは、風の刃でさっくりと切れてしまっていた。
 なるほど。カマイタチみたいなもんである。
「――一体何の用よ!?」
 諸悪の根源、迷惑の源。
 あたしは目の前に姿を丸出しにしたまま、こちらを見つめる一人の男に声をかける。
「いきなり随分な歓迎じゃない?一体このあたしの何の用?それともこの横の男に用があるの?だとしたらコイツは差し上げるから。あたしは関係ないでしょ。さよーならー」
 捲くし立てる様に一気に言い放ち、生贄羊に見事就任なさったシリウスが唖然と、例の迷惑男が理解に苦しんでいる隙に、とっととトンズラここうと走り出そうとして、


 ざしゅ!


「――待ってもらえると嬉しいなぁ、彼女」
 例のカマイタチで、再び地面にさっくりと見事な切れ口を作って、あたしの足を食い止める。
「君、名前は?」
 あたしは目の前の男から目を離さずに、気を膨れ上がらせたままで。
「レディに名前を尋ねる時は、自分が先に名乗るモンよ。それとも、名乗れないようなお名前なのかしら!?」
「これは失礼」
 あたしはその男を始めてまじまじと眺める。
 年の頃なら十代後半から二十代前半にかけて、と言った所だろうか。
 やや細身で、背もそこそこと言った所である。恐らく、シリウスよりいくらか小さい位だろう。
 水色がかった短髪に、あまり見ることの無い形の鎧の様な物。腰にはこれまた見慣れぬ形の剣が一振り。
 腰に巻いた布をたなびかせて、いたずら小僧の様な顔でこちらを眺めている。
 男はぽきっ、と指を鳴らして、
「申し遅れまして、私、流れの無宿者にございます。ケイニード・ヴォルフェウスと申します」
 ぴっ、と姿勢を正し、素人目にも分かる様な優雅な仕草で、紳士が淑女にそうするように礼をする。
 あらあら、がきんちょっぽいのは見た目だけかしらと思った瞬間、
「ケインって呼んでね♪」
 などとのたまい、おまけに不器用なウィンクまでくれる始末である。
 ・・・・・前言撤回・・・・・
 あたしは仕草とキャラのギャップに、どうしたもんかと頭をかいたのだった。

 そこで彼、ケインが一足飛びであたしに近づき、
「な!?」
「それと」
 抗議の声を上げる暇も有らばこそ。
 あたしはケインに無理矢理腰を抱かれ、至近距離で顔と顔を対峙させるハメになる。
 彼はつり目気味の瞳を細め、真剣な色を含んで、あたしの耳元で囁いた。


「あの彼は、『白銀』でしょ?」


 あたしは目を見開いて、彼を見つめ返した。
 急ぎ印を結ぼうとしたが、口を押さえつけられてしまいそれもまま。ならない
「心配しないで」
 にっこりと笑って、あたしの口を開放する。
 ケインはあたしとシリウスの間で、双方の顔を眺めた後、さも偉そうに言い放った。

「お初に目にかかります。ケイニード・ヴォルフェウス、又の名を『癸』」

 あたしとシリウスの視線が、一気に彼に注がれる。
「流れ行く者を見届ける者、とか言い方は色々あるらしいけどね。ま、そーゆー事です。宜しく、『白銀』、そして――」
 そこで一回言葉を切り、あたしをひたと見つめ、


「白銀の巫女」


 そう言って、また笑った。
 あたしは、軽い眩暈を覚えた。


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■innocence  ―水―  ■




「ま、そーゆー訳で、俺も同行させて貰っちゃうから。宜しく」
 言ってにっこりと笑う。
 屈託の無い笑みである。
 ケイニード・ヴォルフェウス。
 自らを、『癸』と名乗った男。







 あたし達三人は、取り敢えず車座になって座れる場所を確保し、昼間と言えども少々肌寒い山中で、あたしが魔術で起した焚き火を囲みながら座っていた。
「ふんふん、白銀の巫女の彼女が、ローディアちゃん、で」
 つり目を細めて笑いながら、座っているにも関わらず、あたしの肩や腰に執拗に腕を回してくるケイン。
 最初のうちは毎回振り解いていたのだが、それすらも面倒臭くなる程しつこいので、最早放置したまま。あたしは成されるがままである。
 ケインは指さし確認の如く、あたしを指差して名前を確認し、次にシリウスに目線を向けて、
「で、そっちの何か異様に怖い目付きで俺を睨んでるのが、白銀って訳ね」
 と言って、にやりと笑いながら、あたしにべったりとくっ付いた。
「シリウスだ」
 つっけんどんにシリウスが、まともにケインの目を見ずに言う。
 ケインの言う通り、何やら機嫌が悪そうである。
「怖ええ怖ええ」
 ケインはまた目を細めてシリウスを笑いながら、こちらに向かっていきなり身体ごと向き直り、
「なーローディアちゃん、あんな辛気臭いのと一緒に居たらカビ生えちゃうよ?可愛いんだし、すげー俺好みだし、どう?俺の事好きになる気無い?」
 と、一気に捲し立てつつ、しかもどんどん顔が近付いて来て。
「ちょ!待ちなさいケイン!」
「ん~、怒った顔も美人じゃ~ん、そそるかも~」
 ずりずりと下がって行くあたしに、どんどん近寄ってくるケイン。
「待ってってば!ケイン、いい加減に・・」



「いい加減にしろ」



 あたしが皆まで言い終わるより早く、重低音で一喝する声。
 今まで聞いた事の無いその声に、あたしは驚いて動きを止め、シリウスを見る。
 彼は別段何をするでもなく、ただ手を組んだまま座っているだけだった。
 しかし、色素の薄いその瞳が、明らかに怒りを含んでいた。
 その彼の気迫に気圧されて、しばらくケインも大人しくなるだろうと思ったのだが、
「何であんたに指図されなきゃいけない訳?これは俺と彼女の問題でしょ?君関係ないでしょ?折角本気で口説こうと思ってるんだから、邪魔しないでくれる?」
 そう言うと、言うが早いか、あたしの頬に軽くちゅっ、とキスを落とした。
「あ」
「そーれーとーもー」
 あまりに素早く、しかも自然にやられたので、怒るとかびっくりするを通り越して、「あ」の一言で終わってしまった。
 ケインがシリウスに続ける。
「それとも、あんたはローディアちゃんの恋人かなんかな訳?」
「それは・・」
 言い寄られて口ごもるシリウス。
 ケインはざまあみろとばかりに、
「だったら、関係ないでしょ?なあ、ローディアちゃん♪」
 と、こっちを見つめてまた、笑った。
 

 ・・・・・疲れる奴らである。


 と、風が皆無だった筈なのに、中央にくべられた焚き火が、一瞬、揺らいだ。
「――何?」
「へえ、ローディアちゃんもう気付いたんだ。さすがだね」
 瞬時にあたしとシリウスに緊張が走る中、ケインだけが未だに飄々としている。
「昨日の奴らの仲間かしら」
「・・?良く分かんないけど、俺の追っ手だと思うよ」
 言うなりケインは立ち上がり、焚き火の炎を踏み消す。
「面倒に巻き込んじゃったみたいでごめんね。でも安心して。すぐ片付けちゃうから」
 そこまで言うと、背中越しに振り返って、

「大丈夫」

 そうきっぱりと言い放って、すぐに、また前を向いた。
「ローディア」
 呼ばれてあたしは急いでシリウスの元まで走り、戦闘態勢に入る。
「・・・・戦う気?」
「あったりまえでしょ。ケイン一人にやらせる気?」
「・・ま、そー言うとは思ってたけど。釈然とはしないけどね」
 不満そうなシリウスと小声で会話している隙に、ケインは小さく印を結び、放つ。

「氷槍(アイス・ランス)!」

 印の発動と共に、数十本の氷の槍が現れ、ケインが手を広げた半径全体に向かって飛ぶ。
 先手必勝、先制攻撃である。
 気配を殺して潜む敵に、「お前達の存在は分かっているよ」と言う合図でもある。
 次の瞬間、今まで殺していたのだろう気配を解き放ち、一気に飛び出してくる面々、その数おおよそ1ダース。
 その数を確認し、ケインは実につまらなそうに、
「なんだ、こんだけ?甘く見られたモンだね、俺も」
 言うなり、敵陣の真っ只中に向かって走り出した。

「シリウス、援護するわよ!」
「―了解」
 言うが早いか、あたし達も走り出す。

「一人あたり四人でOKね!」
「あーらら、ローディアちゃん、見てるだけでいいのに。危ないよ」
 敵と刃を交えながら、鍔迫り合いの最中にも呑気な口調で答える。
「見てるだけは性に合わなくってね!黒化塵(デスド・ヴァッシュ)!」
 あたしの放った術で、一人目。
「やっぱり優しいんだなあ、ローディアちゃん、でも危ないから退いてていいよ!っと!」
 何とも緊張感の無い、しかし切れ味と太刀捌きは絶妙なケインの逆袈裟で二人目。

「水崩陣(アクア・ブラス)!」

 ちょっと離れた所で、中範囲有効射程の術を解き放つシリウス。
 ひーの、ふーの、これで五人目。
「!!」
 印を結ぶ最中に背後に迫った一人に、ケインの援護の横薙ぎ一閃。
 六人目。

 よっし、これで半分!と思った瞬間、


 ひゃうっ!!


 いかんせん、言葉では形容し難い音が空を斬る。
「ぐっ!」
 あたしは右腕を押さえてたたらを踏む。

「ローディア!」
「ローディアちゃん!」

 同時にシリウスとケインが叫ぶ。
「――大丈夫、このくらい・・」
 言い掛けて膝から崩れ落ちる。
 がくがくと身体が震えて、嫌な汗が全身から噴き出すのがはっきりと分かる。
 あたしは未だ血が噴出している右腕に突き刺さった針を見つけて、一瞬頭の中が真っ白になる。


 ――毒針だ――


 一瞬気を抜いたのがいけなかったのだ。
 あたしは茂みに隠れていた一人に気付かず、まんまとそいつの射程内に入ってしまったのだ。
「くそっ・・」
 呻いて身体を起そうにも、力が入らずただ、もがくだけである。
「貴様らあ!!」
 ケインが物凄い声で叫び、その四肢の速度が増す。
 シリウスが離れた場所で囲まれ、動くに動けないでいる。
「くそ!」
 二人の焦った気配が伝わってくる。
 あたしが悪いのだ。
 あたしが戦力にならなくbなってしまったから、二人に負担が・・・
 ああ、意識が・・
 もう駄目かも知れない・・
 視界が揺らぐ。
 意識が遠のく。
 全てが消える。
 ごめん、婆様。
 婆様―――


 あたしはそこから、真っ白な世界に落ちて行った。
 二人の、あたしを呼ぶ声が、妙に耳に残ったまま。







「ローディアちゃん!」
 まず目に飛び込んで来たのは、ケインのどアップだった。
「・・・・・・・・・うん・・・・・・・・」
 状況が飲み込めないまま、あたしは何とも間抜けな返事を返す。
 どうやらベッドに横たえられているらしかった。
 起き上がるのは億劫で、そのまま視線だけで辺りを窺って見る。
 どこかの宿の一室の様だ。
 あたしが寝ているベッドの他に、ベッドが一つ。
 二つのベッドの間に、小さなナイトテーブルが一つ。
 少し離れた所に、小さめのデスクと椅子がワンセット。
 そのデスクの上に、ランプが一つ。
 それだけしか無い、ごく有り触れた宿屋。
 やっと意識が覚醒して来て、あの時の事に思い当たる。
 無言で右腕に触れると、包帯が綺麗に巻かれていた。
「二人ともごめん。足、引っ張っちゃった」
 ようやく上体だけをベッドの上に起こし、二人に向かって頭を下げた。
「ローディアちゃんは謝る事無いよ。俺が裁き切れなかったのが悪いんだ。申し訳ない」
 そう言うと、ケインは床に手をついて謝った。
 例の飄々とした態度では無い、本気の声で。
「これ、誰が?」
 あたしは右腕の包帯を見つめながら言った。
 ケインは顔を上げると、いささか決まりが悪そうに、
「俺が」
 とだけ小さく答えた。
 傷口も大方塞がっているし、何より、体内に残っている筈の毒気も抜け切っている様だった。
「かなり高度な回復呪文ね。使えるの?ケイン」
「まあ、一応白魔術は一通り。精霊魔術も、一通り」
 あたしの体調がそこそこ良いのを知ってか、二人の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「この際全部言っちゃうけど。黒魔術はそれ程得意じゃない。まあ、ストックはいくつかあるけどね。一番得意なのは白と精霊。ちなみに精霊魔術でのステイタスは」
「水、だろ?」
 ケインの言葉を引き継いだのは、シリウスだった。
 ケインはいささか面白く無い、と言った表情を作り、肩をすくめるポーズをして、
「ご名答」
 と言って、唇を吊り上げた。
「見れば分かる。僕のステイタスも水だ」
「げ、お揃いかよ、やだなぁ」
 あからさまに嫌そうな顔してリアクションするケインに、片方の眉毛を上げて苦笑するシリウス。
「僕だってごめんだけどね」
 そう言うと、二人は可笑しそうに小さく息を吹き出した。
「なんか、あたしがしばらく眠ってる間に、仲良くなったみたいね」
 二人を見比べてそう言うと、二人は口を揃えて一気に、

『そんな事はない!』

 と、見事にハモってくれたのだった。

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■innocence  ―流転―  ■




「見届ける者」


 俺は、そういった役割を持っているらしい。


 って言ったって、一体何を「見届ける」のか、誰を「見届ける」のか、なんて、全く持って知りはしなかった。


 でも、それが俺の運命―さだめ―で、そこからは逃れられないらしい、って事だけは、確かなようだ。


 くそったれ。


 さだめなんて知った事か。


 俺は俺の生きたい様に生きる。


 何かの、誰かの言いなりなんてまっぴらだ。


 だから俺は、奴を探す。


 奴を探して、へばりついて、ずっと最後まで。


 矛盾してるかも知れない。


 それは既に「見届ける者」としての役割だからだ。


 でも、ただ黙ってみてるなんで性に合わない。


 言いなりになるのは嫌いだけど、自分の意思でかき回すのは好きだ。


 だったら、


 だったら、いっそ。


 その流れに飛び込んで、自分の流れに変えるまでだ。


 ただ見てるだけなんて、


 哀しすぎるじゃないか。


 ―――なあ?







 俺は見事に、奴を見つけ出した。

 まあ、「白銀」なんて大層な通り名で呼ばれてる割りには、当の本人は見る影も無いくらいの普通の優男。
 こいつが本当にあの伝説の「白銀」なのかと、一緒に旅をするようになった今でも、にわかに信じがたい。
 こんなひょろっこい奴の、どこに一体あんな力があるんだ?
 純粋な力比べで勝負したら、十中八九俺の勝利だろう。
 もしかしたら、こいつが「白銀」ってのは、何かの間違いじゃないか、って思うほど、奴は普通だった。


 その容姿を覗いては。


 真っ白い流れる長髪、色素の欠落したような瞳。
 それだけで、十分だった。
 こいつが「白銀」であると言う証拠には。
 今も直、別段代わり映えも無く、俺達三人は連れ立って歩いている。
 傍目には、よくいる旅人にしか見えない三人。
 その三人が全員。「白銀」に関わる重要な人物であるなど、誰も信用しないだろう。
 一般人の間では、せいざい昔話としてくらいの認識しかないから。


 しかし、白銀は実在するのだ。
 俺の目の前に。


「あ、なんかまた敵みたい」
 もはややる気の欠落したような口調で、旅の連れの紅一点、ローディアちゃんが呟く。
 今俺は彼女を落とそうと画策中なのだが、なんだかんだで白銀、もといもう一人の旅の連れ、シリウスが邪魔をする。
 全くもって、遺憾な話だ。


 彼女に惚れてるなら惚れてるで、正々堂々と勝負しろってんだ。
 それをやる気が無いのなら、邪魔もしないでもらいたい。
 まあ、それをしないんじゃないくて、出来ないんだろう、あいつは。
 それを見ていて分かっちまうから、俺も決定打を打てないわけで。
 ライバルとは言えど、同じ男として、あいつが可愛そうでもあるわけで。
「まーたケインのせいなんじゃない?」
 ローディアちゃんが、ジト目でこちらに視線をよこす。
 俺は適当に笑っておくだけにした。
「じゃあま、食後の軽い運動といきますか」
「軽いことを願う」
 俺の軽口にシリウスが付き合う。
 最近では、妙なコンビネーションも生まれてきてしまった。
 不本意ながら。
 めいめいが剣を抜き放ち、殺気の中に飛び込んでいく。
 敵さんには悪いが、今回も速く終わりそうである。
 なにせ、こちらには勝利の女神が筆頭におりますから。







「そろそろ白状しても良いんじゃない?ケーイーン?」
 ローディアちゃんが、腰の鞘に剣を納めながら、ジト目で俺を見る。
 ちなみに、襲って来た野党どもは、見事に皆様のされていらっしゃる。
 ね、勝利の女神の恩恵は、結構なもんでしょ?
「白状・・って、何の事?あ、ローディアちゃんへの愛の告白?だったらいつでもまかせて♪」
 おちゃらけてみるも、彼女の視線は厳しいままだ。

 ・・・・お手上げですって。愛しい君にそんな顔されちゃ。


「―――分かった。話すよ」
 観念してそう言うと、彼女は僅かに微笑んだ。



「俺も、そんなにたくさん情報をつかんでいる訳じゃないんだけど」
 三人で地べたに腰を降ろし、俺は言い訳するように切り出し、躊躇する間すらなく、一気に確信をつく。


「シリウス、今までに暴走した事ない?」


 ちらりと横目でシリウスと目を合わせる。
 瞬間、彼の眉がぴくりと動く。
「―――あるんだ。で、それっていつ頃?最近の事?」
 俺の問いに、当の本人では無く、愛しの彼女が口を開く。
 敵認定:そのいち(シリウス)は、憮然とした表情のまま、しかし意外そうに彼女を見た。


 ・・・ん?もしや・・


「最近も何もつい最近よ。だって・・」
 そこまで言って、彼女は一瞬シリウスに目線を移そうとしたが、何を思ったかそれを途中で止め、俺の瞳をひたり、と見つめて、
「ケインと初めて会った日の夜明け頃よ。彼が、おかしかったのは」
 彼女の台詞に、シリウスは驚いたように腰を浮かしかけた。


 ・・・やっぱりか・・まいったね、こりゃ・・


 目だけで彼に『座れ』と告げ、彼女との会話に戻る。
 シリウスは、ややあってから、元自分が座っていた位置に、再び腰掛けた。


「やっぱりあんたが『白銀』なのか・・・」
 俺はあぐらをかいた足の、右ひざの上に右ひじを乗せ、その上に頬杖をつくと言う、いささか器用な格好で、ぼそりと呟く。
「・・・どういう事?ケイン、あなた、何を知ってるの?」
 ローディアちゃんが、真剣な表情で聞いてくる。
 最も、彼女は身を乗り出したりとかはしなかったけど、その気配は、鬼気迫るものすら感じ取れる。
「分かった。知ってる限りを話す。ただ、俺も又聞きが多いし、俺が見た訳でも無い話ばかりだ。それに、いい話にならない事は確かだ」
 俺はそこで一回呼吸を置いて、


「それでも、聞きたいか?」
 彼女は、無言で頷く。
 彼は、唇を噛み締めたまま、動かなかった。
「聞かないで平穏に暮らすって選択肢、間違ってないと思う。でも、聞きたいなら、俺は俺の知っている情報全てを話そう」
 いつものおちゃらけた口調を捨て、至極真面目に言葉を紡ぐ。
「話して。ケイン」
 躊躇しないローディアちゃんに軽く頷き、
「で、あんたはどうすんの?聞くの?聞かないの?」
 わざと冷たくシリウスに言い放つ。
 彼は、やはりしばらく無言で居たが、僅かに拳を握った後、


「・・・・聞いてやるから名前くらい覚えろ。シリウスだ」
 そう言って、立ち上がった俺を見上げて、不器用そうに笑った。

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■innocence  ―漆黒―  ■




「ローディア・グランシュス」
 これが、あたしの名前。


「白銀の巫女」
 それが、あたしの持つもう一つの名前。

 婆様に教えられた、もう一つの。




 その名前を持つものはは、必ず出会うんだって聞いた。
 白銀、癸、黄金、そして、焔に。


 それらはこの世界の命運に必要な者達で、白銀が現れたら必ず関わるんだって。


 幼かったあたしは、それが一体どういう意味なのか分からずに、でも漠然とした恐怖を感じたのを覚えている。



 ―――なぜしろがねにだけ、みこがいるの?



 そう聞いたあたしに、婆様は悲しそうな瞳をしたまま静かに語ってくれた。



 ―――それはね、ローディア。白銀と呼ばれし者は、必ず焔に討たれて死ぬからだよ。



「死」と言う言葉だけが、強く響いたのを、あたしは強く記憶している。
 消え行く「白銀」に寄り添うのが、白銀の巫女なのだと。


 ―――あたしも死んじゃうの?


 ―――それは、お前がその時決める事さ



 白銀と共に滅ぶか、
 白銀を見届けるか。



 ―――いずれにせよ、辛い選択に違いは無いね。


 そう呟いて、愛おしそうにあたしの頭を撫でる婆様の皺だらけの手は、微かに震えていた―――







「白銀は、魔の器だ」


 暗くなり始めた空の下、いつになく真面目な顔をしたケインが口を開く。
 街灯も無いこの場所では、既に少し先ですらも影が落ちて、目視しにくくなって来ている。


 あたしは静かに口の中で印を結ぶと、集めた枝に炎の術をかける。
 まばゆい光が一瞬輝いた後、枝はぱちぱちと音を立てて燃え出した。


「俺はツテがあって、ある国の機密事項を把握してるんだ。その国で調べられるだけ調べた結果、出たのがその答えだ」
「・・・器?」
 あたしは眉を潜める。
 あたしが聞いたのは、白銀は覚醒すると魔族になると言う話だった。
 そう告げると、ケインは「それも近いと言えば近い表現なんだけどね」と続ける。


「伝聞なんかでは、地域によって差異はあれど、おおよそそんな感じだ。でも、本当は少し違う。覚醒したら、魔族になるんじゃない。覚醒したら、ただ、無になる」
「無・・?消えてしまうとでも言うの・・・?」


 問いかけるあたしの声は、震えては居なかっただろうか。


「消えるんでも無い、ただの『無』だ。消えもしない、現れもしない、ただの無。そしてその『無』の器に、魔族が憑く」
「身体を乗っ取るって、事ね」
「簡単に言えばね」
 そこまで語って、沈黙した。



 どういう事?
 シリウスが『覚醒』して、『無』になる。
『無』になるとは、どういう意味なのだろう。
『無』は『無』であって、存在も具現もしない筈なのだが―――



 もしくは、



 あたしは、自分で至った考えに、背筋が凍った。





 もしくは、
 彼を媒体にして、虚無が広がるとでも言うのか。





 虚無が広がると言う表現はおかしいけれど、あたしは他に適切な表現方法を知らない。
 覚醒した白銀に虚無が収束し、彼を礎に、飲み込む。


 そう、全てを。


 しかし、もしそうだとしたら。
 魔族なんか、添え物に過ぎないのではないだろうか。
 彼が覚醒しなければ、彼が暴走しなければ。
 それは、食い止められるんじゃないだろうか。



「残念な事に」
 あたしの思考を遮って、ケインが口を開く。
「今回の『白銀』に関わるべきの黄金は、まだこの世に生を受けていないらしい。最も、黄金は必ずしも毎回白銀と共に在る訳でもないらしいけど」
 白銀について、過去記されたわずかな記録にも、白銀が出現した際に、焔と癸は欠けた事は無いが、黄金に関しては、必ずしもそうではなかったとか。
「黄金は一体、何をすべき者なの?」
 

 白銀の巫女であるあたしは、白銀に寄り添う者。最期を看取る者。
 癸であるケインは、全てを見届ける者。
 まだ見つかっていない焔は、唯一、白銀を葬れる者。
 

 じゃあ黄金は?


 あたしはその答えを知らない。

「黄金はね、再生だよ」
 ケインが淡々と語る。


 魔族に祝福を受け、覚醒と暴走を約束された白銀。
 赤龍神・フォレディグスタンの加護を受けた焔。
 青龍神・ディズアラグーシャの加護を受けた癸。


 そして。
 神族に祝福を受け、全てを浄化、再生させる能力を授かった、黄金。

 そこまで聞いて、一気にのどが渇く。
 だとしたら?
 だとしたら―――

「じゃあ、黄金が居ない今、もし・・・もし・・・」



 もし、シリウスが覚醒して、白銀になってしまったら?



「簡単な事だ。焔が覚醒した白銀を殺さない限り、この世界の終わりだ」


 淡々と語るケインの瞳は、見た事も無い苦渋で満ちていた。

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