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桃屋の創作テキスト置き場
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■こんぺいとう 読み切り  みどれんじゃー ■




何故だか良く分からないが、輝愛がむくれた様な顔をしている。
 最早何が原因なのか、千影には知る由も無いのだが、そこそこ長い時間、ああやって眉間に皺を寄せている所を見るにつけ、もしかしたら当の本人も、自分がそんな顔をしている理由を見失っているかも知れない。
 千影は、自分が何かまずい事でも仕出かしたのか、と一応考えてはみたものの、やはり思いつく様な事も無かったので、そこで潔く諦める事にした。


 ――全く、子供ってのは良く分からん。


 心の中でだけ呟いて、メンソールの煙草を一息、深く吸い込んだ。
 そう言えば、昔にも似たような顔をした子供に出会った事があった。
 その子は恐らく、当時五歳位で、今そこで同じような顔をしている十七歳の子供とは、およそ一回りも違うのだけれど。


 ――あれは、確か


 千影は十二、三年も前になる、その出来事を思い出していた。







 晴天である。
 蝉の声が良く響く季節柄で、空には白く壮大な入道雲が激しく自己主張をしている。
 照り付ける太陽が、それでもまだ幾分凌ぎやすいと感じるのは、もう陽が傾く準備をしているからだろうか。
 
 八月である。
 どこも親子連れやカップル等で賑わっている。
 今年高校一年生に上がったばかりの千影は、その例に見事に漏れ、ジャージ姿でとあるデパートの屋上に居た。
「何不細工な顔してるの?」
 背後から凛とした涼しげな声がかかる。
 振り向くとそこには、見慣れた幼馴染の顔。
「不細工は余計だろ」
 千影は脹れっ面を維持したまま、声の主、田淵珠子に答える。
 長い黒髪を流したまま、千影の横に立ち、顔を覗いて来る。
 年齢的には一つ上で、同じ高校の先輩でもあるのだから、本来なら敬語なりを使うべきなのだろうが、物心つく前から一緒に居た珠子に、今更そんな風に対応出来るほど、千影は大人では無かったし、もとよりそんな気も更々無かった。
 珠子も珠子で、そんな後輩の態度を、別段気にする素振りも皆無であったから、この二人の関係は、十六、十七歳になった今でも、『仲良しなお隣のお友達』なのである。
「悩み事なら、お姉ちゃんが聞いてあげるわよ、千影」
「・・・・・・・・・・・・いいよ」
 千影は微かに頬を染めて顔を無理やり背ける。
 見慣れたと言っても、これだけ美しい顔が目の前にあると、知らずと一瞬胸が跳ねるのも事実だった。
 しばらくの沈黙が流れ、千影が口を開く。


「俺も」
「うん?」
「俺も赤やりたい」
 言って、やはり先程の憮然とも言い難い、何とも不細工な顔に戻る。
 珠子は呆れた様に眉尻を下げ、
「何?それだけの事?」
「それだけって言うなよ。だから言いたくなかったんだ」
 珠子はやれやれと言った様子で腰に手を当て、片手で髪の毛をくるくると弄んだ。
「良いじゃない、何だって。出れるだけ幸せと思いなさいな」
「でも、俺は赤になりたくてこの世界に入ったのに。折角のチーム初公演なのに。何で紅ちゃんが赤なんだろう。」
 そこまで言って、珠子を代わりに睨みつけ、
「俺の方がアクション歴長いのにー」
「それはな、お前の身長が足りないからだ、ちか」
 いきなり珠子と千影の間を割って入って来た、そこそこ長身の男。
 真柱紅龍である。
 若干十九歳の大学生で、在学中にも関わらず、珠子や千影、その他数名の同志を集めて、と言うか巻き込んで、アクションチームを設立した張本人である。


 今日は、そのアクションチームの初めての単独公演なのだ。


 単独公演と偉そうに嘯いても、実際はデパートの屋上でのヒーローショーである。
 しかし、メンバー達はそれこそ大喜びで、学生連中のメンバーが多数の中、夏休みなど返上で稽古に励み、今日がその本番、と言う訳である。
「紅ちゃんがデカイのがいけないんだろ」
「俺が別にでかい訳じゃないさ。まだまだ成長期だ」
「でも俺よりはデカイ」
「だから、紅が赤で千影が緑なんじゃない」
 紅龍と珠子に双方から攻撃され、いよいよ押し黙ってしまう。
 ちなみに、現在の紅龍の身長、176cm、対する千影の身長は169cm。

「ちか」

 紅龍が千影の両頬を、その大きな掌で包んで自分の視線と無理やりに絡ませる。
「なん・・」
「小さな事に拘るな?見に来てくれる子には、赤が好きな子も、ピンクが好きな子も、緑が好きな子も居る。俺達は、一回幕が開いたらヒーローなんだ。子供の期待を裏切ったら駄目なんだ」
 そこで軽く一呼吸して、
「それに」
「それに?」

「終わったあとのあの何とも言えない感覚を味わってみろ。二度と離れられなくなるぞ」

 そう言って、紅龍は千影を開放すると、踵を返しバックステージへ向かった。
「ちゃんとアップしとけよー」
 と、背中だけで声がした。
「終わったあとの感覚かぁ・・偉そうだぞ、紅ちゃん」
「でも紅はさ、本当にやめられなくやっちゃったんだって。だからチーム作ったって言うし」
 千影より一寸先に舞台に立った紅龍。
 その時の感覚から離れられなく あり、アクションチームを設立した、と言うのも、まだ事実なのである。
「良いじゃない、ヒーローってだけで。あたしなんか悪役よ?」
「珠子激しくぴったりじゃん」
「こら!」
 結構本気で殴りに来てる珠子の拳打をかわしながら、二人とも先程紅龍が向かったバックステージに向かった。







「うやー、すごい人いっぱいいるやねー」
「夏休みの日曜の夕方だしねえ」
「席満席じゃない?」
 バックステージからそろそろと、観客にバレない様に客席を伺うメンバー達。
 出番が目前なので、皆一様に衣装を身に着け、悪役はメイクも当然終わっている。
 ピンクや黄色や青の全身タイツのヒーローと、やたらキラキラ派手な装飾のされた、実際良く分からない衣装を身に着けた悪役連中。
 それらが折り重なってトーテムポールの様に観客席を伺っている姿は、一種異様な雰囲気であり、その後姿たるや、笑わずには居られない程滑稽でもある。
「じゃ、お先に行って参ります!」
 司会進行、俗に言うヒーローショーでは必ずと言って良いほど存在する、「おねえさん」役のメンバーが、一人、先に舞台に走って行く。
 舞台上では、「みなさーん、こんにちはー!」と、張りのある声で子供達と挨拶を交わしている声が聞こえる。
 こうなるともう、バックステージは一気に緊張の渦に巻き込まれる。
 上手下手でスタンバイしているメンバーが、それぞれに円陣を組み、手を重ねて気合入れを行う。
 千影も紅龍も、下面を被り、メットも装着済みである。
 お互い目が合って、にんまりと目だけで笑う。
 
 ステージ上での子供達への注意点の解説が終わり、子供達の視線はおねえさん役の彼女に集中している。
 そこでお決まりの台詞である。
「じゃあ皆で五人のヒーローを呼んでみよう!お姉さんが『せーの』って言ったら、皆は一番大きな声で呼んであげてね。いっくよー」

『せーの!』

 子供独特の高い声でも叫び声の様な呼び掛けがかかる。
 途端にSEが大きく流れ、照明が激しく点滅する。
 下手から下っ端悪役のメンバーが数名飛び出し、客席を襲いに行く。
 それを確認してから珠子が後ろ手に、
「じゃ、行きます」 
 と言い残して舞台の上に消えて行った。
 客席は悲鳴や泣き声に包まれる。
 よほど珠子が怖いのか、と思い、千影はメットの中で含み笑いをした。
 そう言えば、珠子の悪役メイクはやりすぎていたかも知れない。
 メンバーにさえ、「不気味」だの「怖すぎる」だの言われていたのだ。
 子供が泣き出すのも、道理だろう。

「ちか」

 ぽん、と肩を叩かれる。
「ぼーっとするな、行くぞ」
「うっす!」
 きっかけの音と共に、上手に控えていたヒーロー五人は、舞台に走って行く。


 そして。







 ―――すげえ。
 
 千影は高揚感とも興奮とも感動ともつかない、奇妙な感覚を味わっていた。
 舞台上で殺陣をしながらも、ずっとその妙な感覚に身を委ねている。
 背中では子供達の歓声がはっきりと聞き取れる。
 肌にはライトの熱、音響の空気の並。
 頭には直接響くような音、音、音。
 全てが異質だった。
 千影の意識は、普段と別の場所に隔離された様な感覚であった。
 だからと言って、殺陣が疎かになったりだとか、動きが鈍くなったりするかと言うとそうではない。
 むしろその逆で、舞台の上で自分がどこをどう動かしているのか、細部に渡ってまで実感出来る様に、自分の身体が自分の能力以上の物を発揮しているかの様に感じた。
 僅か30分弱の短いショーであったが、その間がとてもゆっくりと、しかし鮮明に、高速に感じた。


 気が付くと、30分のステージは幕を閉じていた。


 言葉にならなかった。
 下手にはけ、舞台から降りたにも関わらず、千影は言葉を発する事が出来なかった。
 ほんの僅かの休憩があり、
「出るぞ」
 紅龍の声を合図に、ヒーロー五人は子供達と握手をする為に、再びステージに戻った。
 再び歓声に包まれる。
 上気した顔の子供達が、順々に握手を求めて列を作る。
 皆一様に、自分達を本物のヒーローであると信じて疑わない。
 
 純粋な瞳で、
 満面の笑みで、
 自分達に握手を求めてくる。
 正直、嬉しかった。
 が、同時に俺は本物のテレビのヒーローじゃないんだよ、
 と言う申し訳無さもあった。

 それでも、子供達の心からの笑顔に、心底救われた。

 ――でも

 メットを被ったままなので、目線だけ動かしてちらりと紅龍を見る。

 ――やっぱし赤のが人気あるよなあ。

 次こそは赤に入って、紅龍を見返してやろうと思っていた。その時だった。
「―?」
 列の一番後ろに並んでいた男の子が、睨む様な目付きでこちらを見ている事に気付いた。
 顔を真っ赤にして、頬を膨らませて、口をつぐんで。
 その子の視線は、間違いなく自分に注がれている。
 それでもその子、―恐らく五歳位だろうか―は、順々に赤、黄色、青、ピンクと握手をして行く。
 その四人と握手する際は、普通に笑顔なのだ。
 
 しかし。

 やはり、千影の前まで来ると、一歩後退り、頬を真っ赤にしたまま無言でこちらを眺めているばかりである。

 ――嫌われてるのかな、俺。

 何だか無償に寂しくなったが、そこはそれ。態度に出さない様に極力努めた。
 平静を装って、そのまま手を差し出す。
 しかし、男の子は握手をしようとはしない。


 ――ほら、やっぱり赤じゃないと――


 千影がそうと知られない様に息を吐くと、男の子の父親が、苦笑しながら男の子を抱き上げ、
「ほら、お前の大好きなグリーンだぞ」
 と言って、男の子の顔を、千影のメットの前まで持ち上げた。
 すると、男の子の顔はみるみる満面の、今までどのヒーローにも見せなかった笑顔になって行き、
「グリーン!」
 と千影を呼んで、千影の、グリーンの首にひし、としがみ付いた。
 
 そのまま、すぐには動けなかった。
 
 我に返り、首に巻きついた小さな彼を、両手で抱えた。
 男の子は、笑っていた。

「こら、グリーン困ってるぞ、駄目だろ」
 父親は、息子の腕を千影の首から外し、地面に息子を降ろして。
 男の子は、あの笑顔のまま、握手をして、父親と手を繋いで帰って行った。



 まだ帰路についていない観客の残る観客席に向かって、手を振りながら、五人は退場する。
 バックステージに着くなり、メンバーはメットと下面を外し、先にバックに戻って待機していた悪役メンバー達と合流する。
「やったー!」
「成功だよね、大成功!」
「気持ちよかった~!」
 口々に興奮気味に言葉を漏らす。
「じゃ、とりあえずみんな、お疲れ様でした!」
『お疲れ様でしたー!』
 紅龍の声に、メンバー全員が嬉しさの滲む声で答える。
 ばらばらと衣装の着替えに向かうヒーロー達。
「ちか?」
 未だにメットを外していない千影を見つけ、歩み寄ってくる紅龍。
「いつまで被ってんだ?早く脱げ」
 言いつつ千影のメットを外す。
 と、

「――お前」
「見んなよ!」
 驚いて呟く紅龍に、千影は急いで後ろを向く。
 しかし、そんな事でゆるしてくれる程、この男は優しくは無いのである。
「なーんで泣いてるの、ちか?」
「うるせー」
 わざわざ肩を組んで顔を覗いて来る。
 しかも、嫌らしい位にやにやした顔で、だ。
 千影は尚も流れてくる涙を必死に袖で拭いながら、口をへの字に結んでいる。
 紅龍はそれこそ嬉しそうに目を細め、


「やめられなくなっただろ、な?」


 と、耳元で呟いた。
 千影は無言のまま頷いて、一端納まりかけた涙がまた頬を伝うのを、急いで拭った。
「あー紅!何千影泣かしてるの!駄目でしょ!」
 目ざとく二人を見つけた珠子が、二人の間に割って入り、千影の頭をなでなでしながら、
「あのオジサンに苛められたのね!?可愛そうに!」
 と大げさに千影を抱き締めて、ジト目で紅龍を睨む。
 紅龍はにっこり笑って、
「珠子さん、この舞台の撤収、一人でおやりになりたい?」
「ぐ・・」
 紅龍の権力攻撃に一瞬怯みつつ、再び胸を張って、
「あたしの可愛い弟を苛めないでよね!オジサン!」
「苛めてないよ、なあ、ちか?」
 しばらくそんな漫才を繰り広げ、同時に千影を見る姉貴分と兄貴分に、ようやく涙の乾いた千影は、声を上げて笑った。



 ―――やめられなくなっちゃったなあ、本当に。







 そうだ、あの時のあの子の顔に似てるんだ。
 千影は未だにむくれっ面をしている輝愛を眺めて、そう思い至った。
 しかし、思い出す度に恥ずかしい思い出である。
 だが、自分をこの世界に繋ぎ止めてくれたのは、紛れも無くあの少年である事に、今も代わりは無い。
「そう言や、あの子は今はアイツくらいか?」
 13年前に5歳なら、今は輝愛の一つ上の18歳である。
 そう考えると、この娘と一緒に仕事をしていると言う事も、何だか不思議に感じてしまう。
「年取ったって事か。そりゃそうだわな」
 気が付くと、一口しか吸っていない煙草が、灰皿の上で灰になっていた。
 仕方なくもう一本に火をつける。
 しばらくそうやって、静かに煙草をふかしていた。

 ――やれやれ。

 一向に機嫌の宜しくならないらしいお嬢様を、何とかなだめるとしましょうか。
 そう思い、やっと腰を上げる。
「このままじゃ夕飯食いっぱぐれちまう。明日も稽古早いんだし、そろそろ機嫌直してくれんとなぁ」
 煙草の火を消し、輝愛の後ろに立って頭をくしゃ、と撫でる。
 振り返った輝愛は、いつもの様に上目遣いで千影を見つめて、にこっ、と笑った。

 ――おいおい、さっきまでの不機嫌は一体どこ消えた。

 半ば呆れつつも、これで今夜の夕飯に窮する事は無いだろうと、内心胸を撫で下ろす。


 全く、子供ってのはいつも良く分かんないもんだな。
 ま、そこが良いんだけど。

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■こんぺいとう 読み切り  大人の事情 ■




 そう、『溺愛』と『恋愛』は別物だ。
 だから、この感情は恋愛感情ではなく、娘に対する愛情なのだ。







「姐さん」
「勇也」


 珠子と勇也が二人、何故か何かを必死に堪えたような顔で、見詰め合っている。


「姐さん・・・」
「勇也・・・」


 そのまま瞳を輝かせ、二人はがっし!と手に手を取り合う。
 傍から見れば、ラブシーンに見えなくも無いくらい接近しているが、それもまたいつものことなので、誰も何も言わない。それどころか、誰も気にしていない。


「勇也、御覧なさい。しっかり目を開いて」
「姐さん・・・俺・・・もう・・・」


 そこまでを妙に芝居がかった口調と動きでやってのけた二人。
 しかし、限界は何時しか訪れるものである。


「あっはははははははは!見た?見た?見た!?」
「見たってば姐さん!ヤバイ!死ぬ!おもしろくて死ねる!?」
 いきなりすごい勢いで笑い出し、あまつさえ目に涙を浮かべている始末である。
「ダサいダサい!ちかちゃんださーい!」
「川ちゃんのあの顔!!・・・あっははははは!!!」
 二人はそのまま崩れ落ちそうな程、腹を抱えて、お互いの肩にもたれかかって爆笑している。


 どうやら、最近めっきりいじられ役の千影の姿が、どうにもツボに入ったらしい。
「姐さん、張本人だよ張本人!」
「きゃー!ちかちゃんだー!」
 ものすごいテンションの二人とは打って変わって、不愉快が服を着て歩いている状態の千影が、トイレから復活したのか、稽古場に戻ってくる。
 珠子と勇也は千影を見つけるなり、再び爆笑する。

「もうやだ!ちかちゃんってば!!!」
「何だよクソ珠子!」
 不機嫌な千影は、何故かゴキゲン満開な珠子に、意味も無く八つ当たる。

「もうやだ!川ちゃんってば!!!」
 勇也も真似して千影の肩をぱしぱし叩く。
「何が!」
 全く持って二人の行動の意図を把握していない千影は、不愉快な顔のまま、いつもより数段ドスの効いた声で怒鳴る。
「ういういよ、ちかちゃん」
「はあ?」
 耳元で囁く珠子に、千影は眉を顰める。
「初々し過ぎよ」
 そこまで言われて、やっと何の事か思い当たった千影は、バツが悪そうに、しかしより一層不機嫌な顔で眉を顰めた。







 いつも通りの『月鬼』の稽古場である。

 しかし、いつもより若干緊張した空気が漂っているのも、事実である。
 別にゲネでも通しでも無い、いつも通りの抜きでの稽古の段階なのだが。
 
 先程から妙に落ち着き無く柔軟やらを繰り返している有住。
 その様子を微笑ましげに眺めている、女形の先輩である志井。
 何やら密談中の演出の笹林と、演出助手の菊本。
 珠子に抱き潰されている輝愛(これはいつも通りだが)。
 千影を盗み見ては、声を殺して笑い転げている紅龍と勇也。


 そして、苦虫を噛み潰しきった顔の、千影。


「じゃ、いこーか」
 

 演出、笹林の一声で、稽古が始まる。
 有住扮する『あやめ』と、輝愛扮する『つばめ』の、二人の重要なシーン。
 
 肉体を持たない『あやめ』と、彼女が生きるべきだった器に生きる『つばめ』が、初めて面と向かって出会うシーンだ。

 

 
『何だ、お前』
『私は、あやめ』
『あやめ・・?』


 静まりきった稽古場に、二人の声だけが響く。


『そのあやめが、何の用だ』
 

 輝愛の台詞を捉え、千影は内心彼女の成長に舌を巻いていた。
出会った時からは、想像も出来ない娘分の姿である。
 しかし、すぐにまた先程と同様の仏頂面に戻り、への字に曲げた口で、煙草を矢継ぎ早に吸い込む。


 どうにも、落ち着かないらしい。


 しかし、そんな千影に構ってくれるはずも無く、芝居は板の上でどんどん進んでいく。
 例の、千影がこれだけ不機嫌になっている原因のシーンが近付く。
 

 ・・・・・たかがキスシーンだろうが。
 


 そう自分自身に言い聞かせ、出口に向かいそうになる足を、何とか地面に縫い付ける。
 この仕事をして行くのならば、この先何回と無くそういったシーンは出てくるだろう。
 自分も当然仕事としてやっているし、彼女にしてもそれは同じ事なのだ。
 そこで、昨晩のやりとりが頭を掠める。


 彼女の唇に、自分の指を乗せ、その上から口付けた。
 その後に発せられた彼女の、『おわり?』と言う一言。
 彼女にしてみれば、ただ思ったことを口にしただけだろうが、千影にしてみれば、やましい心のうちを見透かされたようで、えらくバツが悪かったのを覚えている。


 ―――見透かされた?何をだ?


 くわえていた煙草を灰皿に押し付け、顔を手で拭う。
 今までの自分だったら、相手が輝愛で無ければ、躊躇い無く唇を重ねていただろう事も、分かっている。
 しかし、娘分の最初のキスを奪うのは気が引けて、敢えて、逃げた。

 

『お前は動けない
 お前は私
 私はお前
 私の全て
 飲み込むが良い』



 朗々と言い放つ『あやめ』。
 『あやめ』はそのまま目の前の『つばめ』の顎に手をかけ、息を吸い込む。

 そして、
 有住の唇が、輝愛のそれと重なる。
 瞬間、輝愛の瞳が驚きで見開かれる。


 
 ―――あ・・あのヤローっ!!



 まだ数本残っていた煙草の箱を、左手で握りつぶしていた事に気付いたのは、笹林の『じゃ、ここで一端切ります』の声が聞こえて、暫くしてからだった。







 何やら恐ろしい事を口走りそうになった輝愛に、アルミの灰皿を投げつけた後。
 

 トイレから戻った千影は、有住の元へ一直線に歩いていく。
「・・・・あら~、川兄・・・・はい。どーぞ」
 有住と談笑していた志井が千影を見つけ、苦笑する様な表情のまま、有住を差し出す。
「だ・・大輔さん!?ちょ・・・か・・・川橋さん、顔が怖いんですけど」
 脅えまくる有住の背中をぐいぐい押す志井に、千影は肩を落として、
「大輔、いいって。別に浩春をどーこーしよーって気無ぇから」
 千影の台詞に、『そうですか?』と微笑み、ようやく有住の背中から手を離す。

「お・・お芝居の中の事ですから・・・」
 千影より10cmも身長の低い有住は、上から見下ろされて、まるで蛇に睨まれた蛙状態になっている。
「そうそう、芝居だからな」
「ですよねー」
 冷や汗垂らしながら、引き攣った笑いで答える。

「でもな浩春、芝居だからって調子こいて舌入れんのはどーかと思うぞ、俺は」

 眉間あたりに怒りマークを浮かべて、でも顔は笑顔のままの千影に、
「あ、ばれました?スイマセンついくせで・・」
「ざけんなっ!」
 
 みなまで言い終わるより早く、千影のゲンコツが落とされる。

「いってー!!なんか無茶苦茶怒ってないですか!?」
「うんにゃ、普通にムカついただけ」
「何ですかそれ!」
「上下関係だ、この世界は厳しい~上下関係なのだよ、浩春君」
 半眼の千影と半泣きの有住の間で、苦笑したまま大輔がなだめる。
 もっとも、効果があったかは定かではないが。
「ガキが偉そうな口利くな。ってか、舌入れんな。ボケ」
 去り際にもう一発平手をかまし、千影はすたすたと歩いて行ってしまった。

「な・・なんなんですかー?もう、大輔さん!」
 残された有住は、横に居る大輔の顔を見るが、大輔は苦笑したまま有住の鼻をつまんで、
「まあ、半分はお前も悪いかな」
「なんれれすか」
 未だに憮然とした有住に、大輔はようやく彼の鼻を開放して、
「まあ、子供に子供の事情がある様に、大人には大人の事情があるんだよ」
「僕、もう結構いい年なんですけど・・」
 鼻をさすりながら呟く有住に、大輔は再び微笑んで、
「知ってるよ」
 と、頭を軽く一回なでた。







「んふふ」
「何だよ気持ち悪い」


 いつもの様に帰宅して、風呂と食事を済ませ、あとは寝るだけ状態で、ベッドに寝転がっている二人。
「練習の甲斐ありですよね?」
 ころんと転がった輝愛が、うつ伏せで頬杖を付いている千影の脇に引っ付く。
「・・・・・・・・ノーコメント」
 嫌な事を思い出して、千影は思わず半眼になり、顔を逸らす。
「うええ~!?」
 不機嫌な千影を見て、自分の芝居がダメだったのだと勘違いした輝愛は、まくらを抱えてため息一つ。
「・・・もっと精進します」
「いや、出来ればしないでくれよ」
「んへ?何で?」
 まくらを抱いたまま、顔だけを向ける。
「・・・・何でも・・・」
 しかめ面のまま、目線を外して答える。
「どしたのカワハシ、何かお悩み?」
 両手を伸ばして、無理やり彼の顔を自分と向き合う様に向けさせる。
「お悩みなら聞くよー。助言は無理かもだから、聞くだけになっちゃうかも知んないけど」
 言って、両手で千影のほっぺたを『にょーん』と言いながら引っ張る。
「お前はさあ、あんまり悩みなさそうだよなあ・・」
 言って、ため息一つ。
 そのまま彼女の両手をほどかせて、こないだの様に首に顔を埋めて、抱き締める。
「カ・・・カワハシ・・!!?」
「・・・ちっくしょ」
 動揺してバンザイ状態になっている輝愛の耳元で、聞こえない位小さく呟く。
「カワハシ?」
「聞こえない。もう寝た」
「うそつき」


 彼女の声を耳だけで聞いて、瞼を落とす。
 

 ―――やっぱり、俺がもらっておけば良かったかも。


 そう思うこの気持ちも、きっと、恋愛感情なんかじゃない。
 ・・・はずだ。


 考えるのを止めて、寝る事にしよう。
 悪い夢を見ないように、彼女の香りを抱き締めたまま。
 


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■一つ屋根の下 5題  THE LONGEST■




 近くて遠い、あなたとの距離。



 
 そう、いつも同じように生活して、
 毎日『おはよう』から『おやすみ』まで。

 

 いつも一番近くに体温を感じて、気配を感じて、呼吸を感じて。
 

 なのに、やっぱり遠い、あなたとの距離。







 久々に外食をした帰り道。
 彼が振り返った。

「どうした?」

 あたしはただぷるぷると首を振って答える。
 まるで心の内を見透かしたように、あなたは苦笑に近い微笑みを湛えて、あたしの頭を撫でる。



 彼の行きつけのお店で、彼の古くからの友人がたくさん集まるお店で。
 やっぱりあたしは思い知る。



 この年の差の分だけちゃんと、おいていかれてるんだ、と。


 一度でも口に出したことは無いけれど、多分あの人の答えは分かり切っているから、言わない。
 

 あたしの知らない昔の話を、あたし以外の人間は全員さも当然のように話していて。
 それはつまりそれだけ彼と彼らの付き合いが長いと言う照明であって、だからどうと言う事も無い筈なのだけど。


 やっぱりどこか、置いて行かれたようで、寂しい、
 と、思う自分がいる。


 あたしがもう少し早く生まれていたら、こんな感覚味わわなくて済んだのかしら?
 でもそうしたら、彼と出会う事すらも無かったのかも知れないと思うと、
 どっちを選ぶかなんて、最初から決まっているのだ。


 だからあたしはきっとこれからも、こんな感覚を味わうんだろうと、思う。

 
「輝ー愛」

 
 彼が珍しく優しい声であたしの名前を呼んだかと思うと、酔っ払っているのか少し普段より暖かい手で引き寄せられる。


「カワハシ?酔っ払ってる?」
「酔ってる。でも頭の中までは酔ってない」


 彼の言葉の意味が分からずきょとんとすると、再び彼は笑って、今度はあたしのおでこで小さく唇が音を立てる。


「カワハシ?」



「一緒に、帰ろう」



 言うなり彼はあたしの手をしっかりと握って歩き出す。
 
 なんだかひどく安心した。


 そう、この温もりを与えられただけで、生きる意味すら全うしてしまうのではないか。
 なんて、思ったりした。



 今夜も彼の声を聞いて休もう。
 そして明日は、またいつもの様に彼をあたしの声で起こすのだ。


 
 世界で一番、近い距離で。



http://traumliebegk.koiwazurai.com/

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■一つ屋根の下 5題  今更、という気もすれば■





 例えば、眠っている時にまじまじと見れる、顔の輪郭だとか、
 ふとした時に支えてくれる腕だとか、
 到底届かない背丈だとか。

 
 どう頑張っても、決して勝てない訳で。
 でもその理由を、あまりに当たり前すぎる理由を、ずっと失念していた自分に、大分、呆れたりもして。







「・・・・・・おはよ」
「おはよう」
 寝ぼけ眼のまま、背中からあたしを抱えるように肩に顎を乗せる。
 目の前に見える腕は、筋肉質で、あたしのとは到底違う。



 なんでだろ、おんなじ様に練習してるのに。



 やってる年月が違うからだろうか。
 でも、写真で見たあたしぐらいだった頃の彼も、今程までは行かないものの、しっかりとした体格だったのを思い出す。


 なんか、不公平だなぁ。


 以前彼にそう告げたら、眉尻を落として笑いながら言われた。
『しょうがないだろ』って。


 何が『しょうがない』のか納得できなくて、ほっぺたを膨らませたのを覚えてる。


「ねみ~」
 呟いて体重を乗せてくる彼の重さに耐え切れず、思わずずるずると下に沈んでいく。
「おもい~」
「あ、悪ぃ」
 ようやく多少覚醒したのか、慌てて背中から離れる。
 すっぽりと覆われていた背中から彼が離れると、一瞬、肌寒い様な気になる。


 椅子から立ち上がって振り返って、彼の方へ向き直る。
「輝愛?」
「むー」

 
 いくら背伸びをしても、やっぱり届かないし、腕を比べてみても、断然あたしの方がひょろっこくて。
 

「・・・ずるいなぁ」
「はあ?」
 思わずぽろりと出た言葉に、肩を落とす彼。
「何で、そんなに何でもかんでもあたしに勝っちゃうのよ」
「何が」
 訳が分からんと言った表情の彼に、やっぱりいつかのように頬を膨らませて。
「力も強いし、背も高いし、声も違うし、あたし何にも勝てないんだもん」
 一個くらい、何かあなたより勝ってたいのに。
 そう言うと、目の前の起き抜けの彼は、寝癖のついたままの頭を後ろ手にかいて、笑った。
「あ、ひど」
「だって・・お前、そりゃ無理だろ」
「何でよ」

 一通り笑い終えて、目尻に浮いた涙を指で拭いながら。



「だって、俺は男で、お前は女なんだから」



「へ・・?」
「だろ?男の腕力なんかに勝つ必要、ないだろうが」
「・・・・」


「だって、せっかくお前は女の子なんだから」


 力仕事は男の俺に任しておけば良い訳で、それはお前が負けてるとかじゃなくて。
 だって、俺はお前に勝てないトコたくさんあるぞ?
 お前が気付いてないだけで。


 そう言って、彼はいつもの様に笑った。


 そうだ、あまりに当たり前すぎて、忘れていた。
 

 そう、例えば、彼のよく通るテノールの声とか、
 あたしがすっぽり入ってしまう腕とか、
 よっかかってもびくともしない背中とか。

 
 言われて、今更気付く。


「でも、お前に勝とうなんて、俺は思わないぞ」
 だって、どうやったって勝てないのが、分かってるから。
 そう言うと、おでこに一瞬唇を落とす。
 赤くなったあたしの頬を面白そうにつまんで、
「やっぱりお前、面白いわ」
 と言い残すと、洗面所に消えていった。



 今更何を、と言う気がするけれど、忘れていた事。
 やっと少し気付いて、でも同時に分からないことも増えた。


 何でもあたしに勝ってるのに、あたしに勝とうと思わないって、どーゆーこと?


 顔洗って戻って来たら、もっかい聞いてみよう。
 なんだか、また笑われそうな予感がしなくも無いけれど。


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■一つ屋根の下 5題  朝一に聞く君の声■




 目覚ましより早く目が覚めた。


 まぶたは殆ど閉じたままで、手だけで自分の横のスペースを探る。
 探しても、きっと見付からないだろう事は、既に承知の上だけど。
 それでもやっぱり、僅かに残った彼女の気配を、無意識に探って。
 ようやく諦めて、ベッドから這い出る。



 ドアを開けると、いつも通りのコーヒーの香りと、食事の支度をする音。
 洗面所で洗濯機が回っていて、カーテンの開かれた部屋は、朝の日の光を存分に取り込んでいる。



 毎朝の、決まった光景。



 台所仕事を一折終えたらしい彼女は、ダイニングテーブルの椅子に腰掛け、いつの間に持ってきたのか、朝刊を広げながら、お決まりの紅茶を飲んでいる。
 


 ・・・なんだかババくせぇなぁ・・・



 そう思うと一つ苦笑して、どうやら俺の存在にまだ気づいていないらしい彼女に近付く。
 熱心に活字を追う彼女を、背中越しにのっかかる様に柔らかく抱く。
 

 驚いたのか、一瞬身を竦ませるが、ほぼ同時にほうっ、と息をつき、肩を落とす。


 腕の中で顔だけをこちらに向け、毎朝交わされる言葉が、今日も彼女の唇に乗る。



「おはよう、カワハシ」
「おはよう、輝愛」



 耳元で聞こえる彼女の声が、毎朝くすぐったく感じて。
 眠りに落ちる最後まで聞こえていた声が、君の声で。
 朝起きて、一番に聞こえるのも、君の声。


 有り触れた、いつも通りの毎日の、
 ただほんの些細なそれですら。


 俺にとっては、至福の、時だったりするのだ。


 伝えてもきょとんとするだけだろうから、彼女に言うつもりは、無いけれど



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