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桃屋の創作テキスト置き場
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■神と交わりし者 3■




 巫女は、自らの祠から少し離れた所で、ざわついた守部の気を鎮めていた。
 
 ・・・・・そう騒ぐな。
 ・・・・・浄化の印を結ぶから。

 巫女は、守部達にそう呼び掛けていた。
 自然界に住まう守部達は、何がしかの不穏な「気」が巫女に近づきつつある、と。
 何度もそう叫んでいた。
 早くせぬと、何やら災厄な事態が襲うやも知れぬ、と。
 何度もそう叫んでいた。
 巫女は、そう騒ぐ守部達を鎮めるのに、神経を集中させていた。
 しかし、いかにまだ幼いと言えども、やはり一介の巫女である。
 守部以外の「気」が近づいて来たのであれば、それを読み取り、その存在に気付く事等、造作も無かった。
 姉巫女は、足音すら立てずにすらり、と巫女の背後に立った。
 しかし、足音を忍ばせてあったとて、気を絶っていた訳では無い。
 巫女は、やはりすぐさま姉巫女の存在に気付き、振り返って声をかけた。


「姉様、どうなされました?」
 振り返って問う巫女に、しかし姉巫女は答えようとする素振りすら見せない。
「姉様?」
 巫女は、自らの言葉に僅かにでも反応しない姉巫女に、再び声をかけた。
 よほど訝しげな顔でもしていただろうか?
 姉巫女は苦笑めいた微笑みを漏らした為、巫女は首を傾いでそんな事を考えた。
 無論、姉巫女の本心がどこにあるかも知らずに、である。
「姉様・・・・・?」
 巫女が、再びそう呟いた。
 刹那、巫女は息を飲む。
 姉巫女の、その手に握られている物が、何であるかを理解してしまった為である。
「姉様・・・・」
 巫女は掠れた声を絞り出し、やっとの事でそれだけを言う。
 姉巫女が手にしていたのは、あの蒼嶺が先程巫女を襲った剣であった。
 ・・・・倒れ来る蒼嶺に意識を持っていかれ、剣は蒼嶺の手を抜け落ちて後、失念していた。
 巫女は、内心ほぞを噛んだ。
 あの剣で・・・・
「何を・・・なさるおつもりですか・・・」
 いくら血が繋がっているとは言え、姉巫女のその不安定な「気」から察するに、恐らく自らの身は危険であろう事が、簡単に予測出来た。
 ・・・・お前達が騒いでいたのはこれか?守部達よ・・・
 巫女は僅かずつではあるが後退して行く。
 姉巫女は、場違いに微笑みを湛えた美しい顔で、抜き身の剣をぶら下げてよろよろと歩を進める。

 
 顎を、一滴、水滴が転がり落ちる。
 寒気が、した。

 
 外気が冷えて来た訳ではない。
 姉巫女の放つ不安定な「気」に、巫女自身が飲み込まれんとするのを避け、そこから感じ取った姉巫女の意識そのものの温度である。
 もはや、自らの慕い、敬った姉巫女の面影は、少なくとも見ては取れなかった。
「姉様・・・・お止め下さい」
 巫女はずりずりと後退しながら、必死に姉巫女に懇願する。
 自らの魂が惜しいとか、そんな事はこの最中、実は全く頭をよぎる事すら無かった。
 ただ、姉巫女の御霊が穢れるのを、必死に避けたがっていたのだ。
「姉様、お止め下さい」
 ここになって、巫女は初めて姉巫女の瞳を凝視した。
 その栗色の眩き瞳には、最早かつても色は欠片も残ってはおらず。
 その事実が、巫女を窮地に追いやる。
 巫女に、神の巫女である彼女に、殺生等考えも及ばなかった。
 元来、優しき心持つ娘である。
 自らを差し出してでも、姉巫女を救いたかった。


「姉様」
 巫女の足が、止まった。
 流れの速い、川岸ぎりぎりまで辿り着いてしまっていた。
「お前さえ、のうなってしまえば・・・・」
 姉巫女は、悲しみの眼を向ける巫女に、むしろゆったりと言葉を紡ぐ。
「のうなってしまいさえすれば・・・」
 その顔には、歓喜の表情。
 姉巫女は、微笑みながら。
 巫女に向かい、その鋭い剣を振り翳す。
 

 最早、ここまでか・・・
 

 巫女が哀しげに目を細め、両の瞼を閉じた瞬間―――
 剣が、虚空を斬る音を微かに耳に届く。
 そして、肉を引き千切るような鈍い、耳を背けたくなる様な音。

「ぐっあぁ!」
 
 呻き声が、上がった。
 搾り出すように、歯を食いしばっても漏れてしまったであろう声。

 巫女は、自らが発したものではないその声に、急いでその瞳を見開く。
 その大きな眼に映ったのは、剣を持ったまま返り血を浴び呆然として立ち尽くしている姉巫女。


 そして――
 そして、その姉巫女と自らの間に立ちはだかり、ゆっくりと崩れ落ちて行く、一人の、男―――
「え・・・・」
 巫女は、一瞬自らの眼前で起きている出来事を理解出来なかった。
 いや、むしろ理解は刹那、していたのだろう。
 したくなかった、と言う方が適切かも知れない。
 巫女は、自らの前に立ち、その体躯で剣を受け止めた男が、ゆっくりと崩れ落ちるのを。
 ただ、
 ただ、立ち尽くしたまま、見つめていた。
 

 巫女は動けなかった。
 動かなかったのではない。
 動けなかったのだ。


「蒼・・嶺・・?」
 巫女は、転がり落ちる水滴が、顎を濡らすのには目もくれないで。
「蒼嶺・・・・・・」
 ただ、名前を呼んだ。
 崩れ落ちたまま、最早動きを忘れたようにうずくまる男の名前を。
「蒼嶺っ!」
 巫女の声は、震えていた。

「姉様!何と言う事を!」
 姉巫女は、依然呆然と立ち尽くすのみである。
「何故蒼嶺を?何と言う事を仕出かして下さったのですか」
 瞳に、涙を浮かべながら。
「蒼嶺に、一体何の咎があろうと言うのですか!」
 巫女の声は、澄んだ空気の中、響き渡る。
「姉様・・・何をされたか、ご自身で分かっておいでですか・・っ!?」
 巫女の激昂に、姉巫女は、ようやっと失っていた言葉を取り戻す。

「何故・・・じゃ」
 姉巫女は混乱していた。
 自らが殺めようと思っていたのは、眼前にいまだ佇むこの妹巫女であって。
 今ここに倒れ伏している男では無かった筈なのに。
 なのに、何故・・・・
 姉巫女は、返り血の雨を全身に受け、白かった衣服をその朱に染めて尚、動くことが出来なかった。
 その右手に握られた剣が、
 そこに倒れ伏す男の剣が。
 異様に、その重さを増した様に感じて、僅かではあるがよろめいた。
 姉巫女は、ここまで来てようやっと、正気を取り戻した。
 或いは、それでは遅すぎたのかも知れないが。

「・・・そうか・・・私に神の降りよう筈が、無かったのじゃ」
 姉巫女はそう呟くと、微かに微笑んだ。
「お前に神の降りよう筈も、理解したぞ」
 再び、そう誰にとも無く呟くと、姉巫女は妹巫女に、かつてのその慈愛に満ちた瞳で微笑みかけた。
「・・・・っ」
 巫女は、涙で喉を詰まらせ、発しようとした言葉すら出て来なかった。
 姉巫女は踵を返し、一人、流れの急な河に足を進めた。
「姉様!」
 巫女の悲痛な叫びに、姉巫女は小さく自嘲的な笑みを浮かべ、今し方男を斬った血まみれのその剣で。

 自らの喉を、一突きにした―――

「姉様!!」
 巫女は、叫んだ。
 しかし、巫女の声は既に遅く、河の流れは姉巫女の肢体を飲み込み、一気に巫女の前から姉巫女を奪い去った。

「・・・・・・・消え・・・た・・・・」
 巫女はそう呟いた。
 姉巫女の「気」が、今や完全に途絶えたのである。
 それは即ち、姉巫女の死を意味していた。

「蒼嶺・・・」
 巫女は男の名を呼んだ。
 しかし、男から声は返って来る筈も無く。
 聞こえるのは、僅かに繰り返される息遣いだけである。
「蒼嶺・・!」
 巫女は言霊を唱えた。
 その掌から、微かな淡い光が漏れ広がる。
 男の傷は、その光によって少しずつではあるが、確実に癒えて行く。
 

 巫女の瞳からは、止め処なく涙が溢れ出していた―――

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