桃屋の創作テキスト置き場
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■月鬼 第ニ話 ―追われし者― ■
一人の僧侶が、水に打たれている。
禊をしているのだ。
年の頃なら二十代初め、黒髪を後ろで一つに束ね、手は印を結んでいる。
流れ落ちる水音に消されぬ、凛とした声。
呪言を唱えている様だ。
手にした錫杖が、しゃら、と鳴った。
頃は早春。
漸く雪も溶け、若芽達が息吹を感じさせて来た頃合いである。
しかし、気配は似合わぬ程に澱んでいた。
――何か、善くないモノが、来るのか・・?
閉ざしていた瞼を持ち上げ、漸く視界を開いた彼は、半眼になって辺り一帯の空気に目を凝らす。
しかし、それも束の間。
「―――まあ、私には無関係なので、良しとしよう」
そんな事を言って、再び瞼を落とし、呪言を唱え始める。
遠くで何かが疾走する音が聞こえる。
どうやらこちらに近付いて来ている様だと悟って、僧侶は再び重い瞼を開いた。
「・・・・面倒な・・」
聖職者ともあろう者が、有るまじき発言である。
「人の邪魔をしないで頂きたい」
そう言うと、しゃら、と錫杖を構え、濡れた髪の毛を後ろに掻き揚げた。
刹那。
奥の茂みがガサガサと揺れたかと思う間も無く、その茂みの奥から、何かが飛び出して来た。
飛び出て来たモノは、そのまま地面に着地し、眼前に佇む自分をひたり、と見据えて開口し、
「あんた、誰」
と、極力端的に疑問符を投げ掛ける。
あまりに無防備な問い掛けに、僧侶はやや出鼻を挫かれた様子で、しかし、問われた問いに答えるより先に、同じような問いかけを返す。
「あなたこそ、何ですか」
同じ様に、だが考え様によっては相手より失礼な言い方で問い返す。
彼女は地面に猫の様に着地した態勢のまま、僅かに彼を見つめ、
「・・・もしや僧侶・・?」
「それ以外の何に見えるんですか」
彼は呆れたように僅かに肩を落として言う。
「ただの変な奴」
「・・・・・」
間髪いれずに即答され、いささか惨めな心持になる。
しかし、それで四肢の緊張が取れる訳ではない。
「・・・・あなた、何を連れて来たんです・・」
僧侶の表情が、俄かに厳しくなる。
「え?」
地面に着地したままの態勢だった彼女は、いぶかしげな顔で彼を見上げる。
しかし、僧侶の視線は彼女をすり抜け、その奥にわだかまり、こちらへ近付いてくる者に向けられている。
彼女が何か言葉を発しようと、口を開きかけた瞬間。
「こちらへ!」
「へ?」
相手の異論を聞く間も無く、彼は彼女の二の腕を鷲掴みにし、自分が今居た水の中に引きずり込む。
「きゃあ!」
体勢を崩した彼女は、水に足を取られ、しかしたたらを踏もうにも地面は無く、引き寄せられた僧侶にしがみ付く様な格好になる。
「ちょっと、何!?」
非難の声を上げるが、小柄な彼女は彼に片手でがっちりと抱えられ、そこから逃れる事もまま成らない。
「静かに」
右手で錫杖を握り、その中に彼女を抱え込む様にして居る彼は、彼女の口を塞ぐのに、自分の頬を無理やり押し付ける。
「んぐ」
眉間に皺を寄せた彼女を見向きもせず、僧侶は錫杖を構えなおし、口の中で小さく呪言を紡ぐ。
「水の中では、動きが鈍る」
彼女への説明なのか、ただの独り言なのか、耳元で囁く様に。
その言葉で、彼女は抵抗するのを止め、茂みの奥に目を移す。
「・・・・何・・?」
「静かに」
冷淡な声で一喝し、彼は錫杖をしゃらん!と水に叩き付ける。
瞬間、茂みの奥から闇色の塊―としか形容のしようが無い何か―が飛び出して来て、一直線に二人を目指し、空を斬る。
「破!」
口の中で結んでいた印を放ち、彼女を抱える腕に力を込め、僧侶は気を吐いてその闇色の『何か』に向けて、錫杖を突き立てる。
ぎいいいいいっん!
おおよそ表現しにくい音が鼓膜を突き、錫杖が震え、彼は腕に力を込める。
「弾けろ!」
彼がそう吠えた瞬間、その『何か』は凄まじい轟音と共に、虚空に四散した。
しばらくその場には、言い知れぬ緊迫感が流れたが、僧侶が一つ息を吐き出し、彼女を腕から解放した。
「・・・・・何、今の」
ようやく硬直から抜け出した彼女が、かすれた声を絞り出す。
彼はしゃらん、と涼やかな音を錫杖で奏でる。
濡れそぼった髪の毛を、再び掌でかき上げ、彼女の顎を反対の手で掴み、まじまじと彼女を見つめる。
「何の真似よ、僧侶」
―――別段、この女から邪気を感じる訳でも無い、か―――
彼は手を彼女の顎から外すと、元の歳相応の顔に戻って、
「蒼志です。僧侶は名前ではありません」
「先に名乗らないから、あんたが悪い」
自分もびしょ濡れになりながら、しかし彼女は水を払おうともせずに。
「蒼志、今の、何?」
あまりに自然に、しかし図々しく話しかける彼女に、蒼は苦笑を隠さずに、
「あなたが、何か悪いモノかと思ったもので」
「何だそれ」
彼女は眉を顰め、訝しげな顔をし、ここでやっと自分が濡れ鼠なのに気付いたのか、髪の毛を手で絞った。
「あなた、何故あんなものに追われて?」
「知るか」
彼女は不機嫌そうに水の中から上がり、振り返って微笑みもせずに続けた。
「つばめだ。私は、つばめ」
「つばめ、殿ですか」
蒼志も彼女を追うように水から出て、背中を向けている彼女を再び半眼で眺める。
―――仕方ない―――
蒼志は心の中で呟くと、僅かに傾いた太陽を掌越しに眺めた。
一人の僧侶が、水に打たれている。
禊をしているのだ。
年の頃なら二十代初め、黒髪を後ろで一つに束ね、手は印を結んでいる。
流れ落ちる水音に消されぬ、凛とした声。
呪言を唱えている様だ。
手にした錫杖が、しゃら、と鳴った。
頃は早春。
漸く雪も溶け、若芽達が息吹を感じさせて来た頃合いである。
しかし、気配は似合わぬ程に澱んでいた。
――何か、善くないモノが、来るのか・・?
閉ざしていた瞼を持ち上げ、漸く視界を開いた彼は、半眼になって辺り一帯の空気に目を凝らす。
しかし、それも束の間。
「―――まあ、私には無関係なので、良しとしよう」
そんな事を言って、再び瞼を落とし、呪言を唱え始める。
遠くで何かが疾走する音が聞こえる。
どうやらこちらに近付いて来ている様だと悟って、僧侶は再び重い瞼を開いた。
「・・・・面倒な・・」
聖職者ともあろう者が、有るまじき発言である。
「人の邪魔をしないで頂きたい」
そう言うと、しゃら、と錫杖を構え、濡れた髪の毛を後ろに掻き揚げた。
刹那。
奥の茂みがガサガサと揺れたかと思う間も無く、その茂みの奥から、何かが飛び出して来た。
飛び出て来たモノは、そのまま地面に着地し、眼前に佇む自分をひたり、と見据えて開口し、
「あんた、誰」
と、極力端的に疑問符を投げ掛ける。
あまりに無防備な問い掛けに、僧侶はやや出鼻を挫かれた様子で、しかし、問われた問いに答えるより先に、同じような問いかけを返す。
「あなたこそ、何ですか」
同じ様に、だが考え様によっては相手より失礼な言い方で問い返す。
彼女は地面に猫の様に着地した態勢のまま、僅かに彼を見つめ、
「・・・もしや僧侶・・?」
「それ以外の何に見えるんですか」
彼は呆れたように僅かに肩を落として言う。
「ただの変な奴」
「・・・・・」
間髪いれずに即答され、いささか惨めな心持になる。
しかし、それで四肢の緊張が取れる訳ではない。
「・・・・あなた、何を連れて来たんです・・」
僧侶の表情が、俄かに厳しくなる。
「え?」
地面に着地したままの態勢だった彼女は、いぶかしげな顔で彼を見上げる。
しかし、僧侶の視線は彼女をすり抜け、その奥にわだかまり、こちらへ近付いてくる者に向けられている。
彼女が何か言葉を発しようと、口を開きかけた瞬間。
「こちらへ!」
「へ?」
相手の異論を聞く間も無く、彼は彼女の二の腕を鷲掴みにし、自分が今居た水の中に引きずり込む。
「きゃあ!」
体勢を崩した彼女は、水に足を取られ、しかしたたらを踏もうにも地面は無く、引き寄せられた僧侶にしがみ付く様な格好になる。
「ちょっと、何!?」
非難の声を上げるが、小柄な彼女は彼に片手でがっちりと抱えられ、そこから逃れる事もまま成らない。
「静かに」
右手で錫杖を握り、その中に彼女を抱え込む様にして居る彼は、彼女の口を塞ぐのに、自分の頬を無理やり押し付ける。
「んぐ」
眉間に皺を寄せた彼女を見向きもせず、僧侶は錫杖を構えなおし、口の中で小さく呪言を紡ぐ。
「水の中では、動きが鈍る」
彼女への説明なのか、ただの独り言なのか、耳元で囁く様に。
その言葉で、彼女は抵抗するのを止め、茂みの奥に目を移す。
「・・・・何・・?」
「静かに」
冷淡な声で一喝し、彼は錫杖をしゃらん!と水に叩き付ける。
瞬間、茂みの奥から闇色の塊―としか形容のしようが無い何か―が飛び出して来て、一直線に二人を目指し、空を斬る。
「破!」
口の中で結んでいた印を放ち、彼女を抱える腕に力を込め、僧侶は気を吐いてその闇色の『何か』に向けて、錫杖を突き立てる。
ぎいいいいいっん!
おおよそ表現しにくい音が鼓膜を突き、錫杖が震え、彼は腕に力を込める。
「弾けろ!」
彼がそう吠えた瞬間、その『何か』は凄まじい轟音と共に、虚空に四散した。
しばらくその場には、言い知れぬ緊迫感が流れたが、僧侶が一つ息を吐き出し、彼女を腕から解放した。
「・・・・・何、今の」
ようやく硬直から抜け出した彼女が、かすれた声を絞り出す。
彼はしゃらん、と涼やかな音を錫杖で奏でる。
濡れそぼった髪の毛を、再び掌でかき上げ、彼女の顎を反対の手で掴み、まじまじと彼女を見つめる。
「何の真似よ、僧侶」
―――別段、この女から邪気を感じる訳でも無い、か―――
彼は手を彼女の顎から外すと、元の歳相応の顔に戻って、
「蒼志です。僧侶は名前ではありません」
「先に名乗らないから、あんたが悪い」
自分もびしょ濡れになりながら、しかし彼女は水を払おうともせずに。
「蒼志、今の、何?」
あまりに自然に、しかし図々しく話しかける彼女に、蒼は苦笑を隠さずに、
「あなたが、何か悪いモノかと思ったもので」
「何だそれ」
彼女は眉を顰め、訝しげな顔をし、ここでやっと自分が濡れ鼠なのに気付いたのか、髪の毛を手で絞った。
「あなた、何故あんなものに追われて?」
「知るか」
彼女は不機嫌そうに水の中から上がり、振り返って微笑みもせずに続けた。
「つばめだ。私は、つばめ」
「つばめ、殿ですか」
蒼志も彼女を追うように水から出て、背中を向けている彼女を再び半眼で眺める。
―――仕方ない―――
蒼志は心の中で呟くと、僅かに傾いた太陽を掌越しに眺めた。
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