桃屋の創作テキスト置き場
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■月鬼 第四話 ―妖、現る― ■
「・・・気持ち悪い・・・」
つばめは顔を顰め、眉間に皺を寄せ、前傾姿勢になりながら、何とか立っている状態だった。
「ふむ・・」
蒼志は事も無げに辺りを見回し、然るべき一点を見詰める。
「やはり、今宵動きますか」
ぽつりと、つばめにすら聞こえない程の声音で、彼は含んだように呟く。
「おい・・・あおし・・・」
苦しげな声に振り向けば、今にも倒れそうな程真っ青に顔を染めた彼女の姿。
――いけない、失念していた。
彼は一瞬しくった、と言う様な表情を作ったが、余裕の皆無な彼女に見咎められる事は無かったようだ。
「なんだ・・・これ・・なんでお前・・平気なんだ・・」
切れ切れに言葉を紡ぐつばめ。
「一般人には無理も無い。この瘴気では、気分も害するでしょう」
しゃあしゃあと言ってのけ、蒼志は膝から崩れそうなつばめを、錫杖を握った左腕に抱え、空いた右手で彼女の背中を強く叩いた。
「いてえ!」
「失礼」
思いもかけずに放たれた一撃に、彼女は食って掛かる。
「いきなり何する、くされ坊主!」
「で、どうですか?」
「何が!」
蒼志は半眼で呆れた様に彼女を見て、
「少しは楽になったんじゃないですか?」
「あ・・」
言われて漸く思い至ったのか、つばめは身体をかさこそ動かして、
「本当だ」
「なら、良かった」
にっこり笑う蒼志に、彼女は礼のつもりなのか何なのか、
「・・・・蒼志もたまには役に立つ」
「頻繁に、では無いんですね」
これで礼を述べているつもりなのだろうかと、蒼志はここでも苦笑するしか無い。
最も、彼女に礼を述べている気があったかどうかも、定かでは無いが。
「ああ、あそこに」
蒼志は錫杖でしゃらん、と目当ての場所を指し示す。
「どうです?一番光が強い」
「見りゃ分かる」
一寸の間も置かない突っ込みに、蒼志は果たして彼女に緊張感と言うものは備わっているのだろうかと、不要な心配すらする始末だ。
が、隣に佇むこの細い体躯の娘の目は、それら全てを射抜く程の鋭さを持っていて、やはり杞憂であるか、と小さく息を吐いた。
月はとうに闇に喰われてしまった。
雲に隠されているとか、そう言った類では無い。
文字通り、月は闇に喰われていた。
蒼志とつばめは、光の強い一点に歩みを進める。
徐々に森の奥から漏れる光が強くなって行く。
刹那、風の渦が舞い上がり、二人の視界を遮る。
「!」
蒼志は無言でつばめを抱え、その疾風から彼女を庇う。
「よう参られた」
微笑むような優美な声である。
しかし、その姿を蒼志は、未だに確認出来ていなかった
・・・しくったか?
内心小さく舌打ちし、彼は腕に抱えた彼女をそっと地面に降ろし、小さく息を吸い込む。
「よう参られた、月の雫持つ者よ」
さら、と、聞きなれない音が辺りに流れ、それは姿を現した。
艶やかなになびく黒髪。
しなやかに伸びた四肢。
美しく伸びる睫毛に、微笑みを湛えた紅い唇。
妖艶な眼差しはしかし、全てを射抜くような冷徹さを併せ持っている。
女の形をしていた。
しかし、それを女と呼ぶには、いささか疑問が残る。
纏っている気配が、人のそれとは異なっていた。
「鬼か――」
蒼志は険しい顔で呟いて、半歩後ずさる。
「いかにも、この戯妖邪(ぎようじゃ)、純なる鬼よ」
そう言って、ころころと鈴を転がしたように笑う。
その様が、如何にもこの瘴気に満ちた場には不釣合いで、しかし彼女―戯妖邪―はそれこそ嬉しそうに目を細めるものだから、つばめはぞっと寒気を覚えた。
美しい者とは、狂気も同時に持ち合わせてる。
いつかどこかで聞いた言葉に、今なら納得できそうだった。
「月の雫とは何だ、鬼よ」
蒼志は錫杖を構え、つばめを庇う体制のまま、微動だにせず問い掛ける。
辺りには瘴気が充満している。
黒い雲は流れ去ったが、闇に喰われた月は姿を現さない。
月明かりが頼りのこの森の中では、僅かな光の陰りも、視界に大きく作用する。
つばめはぶるっと身震いをして、腰に仕込んだ短剣を後ろ手にそっと引き抜いた。
瞬間、戯妖邪が走る。
「主等の雫で、今宵我が王がお目覚めになる!」
そう吠えると、一足飛びにつばめの元まで飛ぶ。
「ひっ!」
あまりの速さに驚いた彼女は、いささか間抜けな声を出して走り出す。
「蒼志!」
「つばめ殿!」
彼女の悲鳴じみた声に、蒼志も焦って後を追う。
ひゅうひゅうと、喉から空気が漏れるような音をさせながら、戯妖邪は美しい微笑みのまま、つばめに襲い掛かる。
「なんでだ!?」
つばめはすんでの所で攻撃を交わし、何故だか自分を襲ってくる女――いや、鬼に怒鳴りつける。
「何であたしなんだ!?蒼志じゃないのか!?」
「つばめ殿!」
追い付いた蒼志が、錫杖で応戦する。
きいいぃぃぃん!
鼓膜をつんざくような音が、空気を振動させる。
「法師、この女を守りたいか」
「問われるまでも無く!」
戯妖邪の台詞に、歯軋りするような声音で蒼志は叫ぶ、
恐ろしいまでの速さ。
戯妖邪は重力すら感じないようにするりと宙をすり抜け、二人に襲い掛かって来る。
「法師、主はいささか邪魔じゃ」
戯妖邪はそう言うと、一つぱきん、とその指を鳴らす。
直後、戯妖邪の背後には無数の鬼が現れる。
「げっ!」
「くっ」
目を見開いて青くなるつばめに、錫杖を強く握り、口の中でなにやらぷつぷつと唱え始める蒼志。
「ほれ、逃げろ小娘」
戯妖邪は執拗につばめを追う。
蒼志は無数の鬼をさばくので手一杯である。とてもではないが、つばめの援護には回れそうも無い。
「つばめ殿!逃げて!」
「でもお前は!?」
必死に叫ぶ彼に、同じく戯妖邪から逃げ回りながら叫ぶ彼女。
「あなたが居ては戦えない!早く遠くへ!」
「くそボーズが!死ぬなよ!」
叫ぶなりつばめはその俊足を生かして走り出す。
戯妖邪が後を追う。
・・・足手まといになってたまるか、くそボーズ!
蒼志の言葉に、自らの無力さを歯噛みしながら、彼女は彼に言われた通りに走った。
しかし、背後からは戯妖邪が追ってきており、その距離は離すどころか縮められて行く。
「くそ」
舌打ちして限界まで速度を上げる。
この速さでは、そんなに長く走れない。しかし、アレを撒くことが出来さえすれば――
ひゅっ
空を切り裂く音とともに、つばめは地面を転がる。
急いで立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
「なに・・」
自分の足を見て、一瞬のどの奥が締まった。
彼女の左の太ももは、ざっくりと裂け、そこから鮮血が伝っていた。
「もう終わりかえ?月の雫」
戯妖邪がゆらり、と姿を見せる。
相も変わらず微笑みを湛えた妖艶な女の形で、だ。
「なんでだ」
つばめは低い、腹から搾り出した声音で。
「なんであたしを追うんだ」
「お前が、雫だから」
戯妖邪は、別段表情も変えずに言い放つ。
「雫・・?なんの話だ、あたしはつばめだ」
「愚かな娘」
足の痛みに、額に脂汗を浮かべながら叫ぶ彼女に、蔑むような眼差しを投げつける戯妖邪。
そしてその手に握った剣を、つばめ目掛けて振り下ろす。
「ふんぬっ!」
必死に気合を突っ込んで立ち上がり、闇雲に走り出すつばめ
「愚かな雫」
戯妖邪も彼女の後を再び追いはじめる。
・・なんでだ、なんであたしが?
あたしが鬼に何をした?
雫って何だ?
あたしと鬼に、なんの関係があるってんだ!
気が付くと、何かの前に立っていた。
「ここ・・なに?」
誰にとも無くつぶやくつばめ。
どうやら、必死に走っているうちにたどり着いたらしい。
神社のようだった。
鳥居が真っ黒いシルエットの様に浮かび上がる。
何故だか分からないが、背筋がぞくりとした。
戯妖邪の気配は無い。
しかし、油断は出来ない。
でももう彼女には、走る気力も体力も残っては居なかった。
神社の境内に入り、奥にある小さな神殿の観音開きの扉を開けて、中に入る。そのまま不遜にも本尊らしき物体に背中を預けて、ずるずると地面に倒れていく。
「ちくしょう・・頭ぐるぐるする・・血、流しすぎたのかな・・」
止血の為に、力の抜けた手のひらを思い切り押し付ける。痛みで顔が酷く歪む。
空を見上げると、闇に喰われていた筈の月が、今は僅かにだがその姿を現している。
今まで月明かりが無かったせいか、それがやけにまぶしい。
正直、恐ろしいとは思わなかった。むしろ何か、忌まわしく感じた。
つばめはすぐに目線を地面に戻す。
「くそボーズ、死んだかな・・」
痛む足を押さえつけながら、脂汗を拭いもせずにつぶやく。
月明かりが彼女を照らした。
つばめには、一条の光の線が、自らに向けて振ってくるような感覚であった。
「なんだ・・?」
ようやく起き上がり、光の行く先を辿ると、そこは今彼女が背もたれにしていた場所である。
「・・?」
彼女は目を細めて、そこに顔を近づける。
昼間ならこんな苦労はしなくてもいいものを、と、内心毒づきながら。
ようやく明るさに目が慣れ、徐々に視界を取り戻した彼女の目に映ったものは、
「・・・・・・人・・?」
眉を寄せてつぶやく。
神殿の奥にあったものは、大きな木の蔦の塊のようなものと、その間からのぞく顔のようなもの。
「木なんだろうけど、気持ち悪いもんだな」
木の幹の凹凸が、丁度人間の顔のような格好になっていて、それが神殿の奥の本尊があるべき場所に収められているもんだから、気持ちの良い感じではなかった。
「でもこれ、本当に人間に似てる」
彼女は恐る恐る手を伸ばし、それに触れる。
しかし、伝わってくる感触は木のそれで、温度などあろうはずもない。
なぜかそれがひどく気にかかり、もっと近くで見ようと、両手を伸ばしてそれに触れ、自らの頭を木の蔦の中に突っ込んで、己の顔と顔らしきものを対峙させる。目を凝らして、その顔を見詰める。
「・・・気持ち悪いけど、綺麗だ」
「見つけた。月の雫」
いきなり空気が変わる。
つばめは四肢を翻し、声の方に向き直る。
「雫が月を見つけた」
戯妖邪は、抜き身の剣をぶらさげて嬉しそうにくすくすと笑っている。
「くそ」
つばめは内心ほぞをかむ。
気配を消していた訳でもなさそうな戯妖邪に、何故気付かなかったのか。
それ程までに、血を流した覚えは無かったが、これは案外死ぬかも知れない。
「雫が自ら月を見つけた。我等が王は目覚める時が来た」
朗朗とした口調で戯妖邪は語る
「雫?月?あたしはそんなの知らん!」
「雫が知らなくても、お前は雫!」
戯妖邪はそう吠えると、一気につばめに襲い掛かる。
「ぎゃん!」
悲鳴が喉の奥ではじめる。
思ったように体が動かない。
足がもつれる。
ここで、死ぬ。
「雫をちょうだい、月の雫」
ざしゅ!
肉を引き裂く音と、血が飛び散る音。
悲鳴すら出ない。
目の前には恍惚の表情の戯妖邪。
空には喰われた筈の月が舞い戻り、
遠くで蒼志の声がする。
体が動かない。
声が出てこない。
背後に居るのは、
誰―――?
「・・・気持ち悪い・・・」
つばめは顔を顰め、眉間に皺を寄せ、前傾姿勢になりながら、何とか立っている状態だった。
「ふむ・・」
蒼志は事も無げに辺りを見回し、然るべき一点を見詰める。
「やはり、今宵動きますか」
ぽつりと、つばめにすら聞こえない程の声音で、彼は含んだように呟く。
「おい・・・あおし・・・」
苦しげな声に振り向けば、今にも倒れそうな程真っ青に顔を染めた彼女の姿。
――いけない、失念していた。
彼は一瞬しくった、と言う様な表情を作ったが、余裕の皆無な彼女に見咎められる事は無かったようだ。
「なんだ・・・これ・・なんでお前・・平気なんだ・・」
切れ切れに言葉を紡ぐつばめ。
「一般人には無理も無い。この瘴気では、気分も害するでしょう」
しゃあしゃあと言ってのけ、蒼志は膝から崩れそうなつばめを、錫杖を握った左腕に抱え、空いた右手で彼女の背中を強く叩いた。
「いてえ!」
「失礼」
思いもかけずに放たれた一撃に、彼女は食って掛かる。
「いきなり何する、くされ坊主!」
「で、どうですか?」
「何が!」
蒼志は半眼で呆れた様に彼女を見て、
「少しは楽になったんじゃないですか?」
「あ・・」
言われて漸く思い至ったのか、つばめは身体をかさこそ動かして、
「本当だ」
「なら、良かった」
にっこり笑う蒼志に、彼女は礼のつもりなのか何なのか、
「・・・・蒼志もたまには役に立つ」
「頻繁に、では無いんですね」
これで礼を述べているつもりなのだろうかと、蒼志はここでも苦笑するしか無い。
最も、彼女に礼を述べている気があったかどうかも、定かでは無いが。
「ああ、あそこに」
蒼志は錫杖でしゃらん、と目当ての場所を指し示す。
「どうです?一番光が強い」
「見りゃ分かる」
一寸の間も置かない突っ込みに、蒼志は果たして彼女に緊張感と言うものは備わっているのだろうかと、不要な心配すらする始末だ。
が、隣に佇むこの細い体躯の娘の目は、それら全てを射抜く程の鋭さを持っていて、やはり杞憂であるか、と小さく息を吐いた。
月はとうに闇に喰われてしまった。
雲に隠されているとか、そう言った類では無い。
文字通り、月は闇に喰われていた。
蒼志とつばめは、光の強い一点に歩みを進める。
徐々に森の奥から漏れる光が強くなって行く。
刹那、風の渦が舞い上がり、二人の視界を遮る。
「!」
蒼志は無言でつばめを抱え、その疾風から彼女を庇う。
「よう参られた」
微笑むような優美な声である。
しかし、その姿を蒼志は、未だに確認出来ていなかった
・・・しくったか?
内心小さく舌打ちし、彼は腕に抱えた彼女をそっと地面に降ろし、小さく息を吸い込む。
「よう参られた、月の雫持つ者よ」
さら、と、聞きなれない音が辺りに流れ、それは姿を現した。
艶やかなになびく黒髪。
しなやかに伸びた四肢。
美しく伸びる睫毛に、微笑みを湛えた紅い唇。
妖艶な眼差しはしかし、全てを射抜くような冷徹さを併せ持っている。
女の形をしていた。
しかし、それを女と呼ぶには、いささか疑問が残る。
纏っている気配が、人のそれとは異なっていた。
「鬼か――」
蒼志は険しい顔で呟いて、半歩後ずさる。
「いかにも、この戯妖邪(ぎようじゃ)、純なる鬼よ」
そう言って、ころころと鈴を転がしたように笑う。
その様が、如何にもこの瘴気に満ちた場には不釣合いで、しかし彼女―戯妖邪―はそれこそ嬉しそうに目を細めるものだから、つばめはぞっと寒気を覚えた。
美しい者とは、狂気も同時に持ち合わせてる。
いつかどこかで聞いた言葉に、今なら納得できそうだった。
「月の雫とは何だ、鬼よ」
蒼志は錫杖を構え、つばめを庇う体制のまま、微動だにせず問い掛ける。
辺りには瘴気が充満している。
黒い雲は流れ去ったが、闇に喰われた月は姿を現さない。
月明かりが頼りのこの森の中では、僅かな光の陰りも、視界に大きく作用する。
つばめはぶるっと身震いをして、腰に仕込んだ短剣を後ろ手にそっと引き抜いた。
瞬間、戯妖邪が走る。
「主等の雫で、今宵我が王がお目覚めになる!」
そう吠えると、一足飛びにつばめの元まで飛ぶ。
「ひっ!」
あまりの速さに驚いた彼女は、いささか間抜けな声を出して走り出す。
「蒼志!」
「つばめ殿!」
彼女の悲鳴じみた声に、蒼志も焦って後を追う。
ひゅうひゅうと、喉から空気が漏れるような音をさせながら、戯妖邪は美しい微笑みのまま、つばめに襲い掛かる。
「なんでだ!?」
つばめはすんでの所で攻撃を交わし、何故だか自分を襲ってくる女――いや、鬼に怒鳴りつける。
「何であたしなんだ!?蒼志じゃないのか!?」
「つばめ殿!」
追い付いた蒼志が、錫杖で応戦する。
きいいぃぃぃん!
鼓膜をつんざくような音が、空気を振動させる。
「法師、この女を守りたいか」
「問われるまでも無く!」
戯妖邪の台詞に、歯軋りするような声音で蒼志は叫ぶ、
恐ろしいまでの速さ。
戯妖邪は重力すら感じないようにするりと宙をすり抜け、二人に襲い掛かって来る。
「法師、主はいささか邪魔じゃ」
戯妖邪はそう言うと、一つぱきん、とその指を鳴らす。
直後、戯妖邪の背後には無数の鬼が現れる。
「げっ!」
「くっ」
目を見開いて青くなるつばめに、錫杖を強く握り、口の中でなにやらぷつぷつと唱え始める蒼志。
「ほれ、逃げろ小娘」
戯妖邪は執拗につばめを追う。
蒼志は無数の鬼をさばくので手一杯である。とてもではないが、つばめの援護には回れそうも無い。
「つばめ殿!逃げて!」
「でもお前は!?」
必死に叫ぶ彼に、同じく戯妖邪から逃げ回りながら叫ぶ彼女。
「あなたが居ては戦えない!早く遠くへ!」
「くそボーズが!死ぬなよ!」
叫ぶなりつばめはその俊足を生かして走り出す。
戯妖邪が後を追う。
・・・足手まといになってたまるか、くそボーズ!
蒼志の言葉に、自らの無力さを歯噛みしながら、彼女は彼に言われた通りに走った。
しかし、背後からは戯妖邪が追ってきており、その距離は離すどころか縮められて行く。
「くそ」
舌打ちして限界まで速度を上げる。
この速さでは、そんなに長く走れない。しかし、アレを撒くことが出来さえすれば――
ひゅっ
空を切り裂く音とともに、つばめは地面を転がる。
急いで立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
「なに・・」
自分の足を見て、一瞬のどの奥が締まった。
彼女の左の太ももは、ざっくりと裂け、そこから鮮血が伝っていた。
「もう終わりかえ?月の雫」
戯妖邪がゆらり、と姿を見せる。
相も変わらず微笑みを湛えた妖艶な女の形で、だ。
「なんでだ」
つばめは低い、腹から搾り出した声音で。
「なんであたしを追うんだ」
「お前が、雫だから」
戯妖邪は、別段表情も変えずに言い放つ。
「雫・・?なんの話だ、あたしはつばめだ」
「愚かな娘」
足の痛みに、額に脂汗を浮かべながら叫ぶ彼女に、蔑むような眼差しを投げつける戯妖邪。
そしてその手に握った剣を、つばめ目掛けて振り下ろす。
「ふんぬっ!」
必死に気合を突っ込んで立ち上がり、闇雲に走り出すつばめ
「愚かな雫」
戯妖邪も彼女の後を再び追いはじめる。
・・なんでだ、なんであたしが?
あたしが鬼に何をした?
雫って何だ?
あたしと鬼に、なんの関係があるってんだ!
気が付くと、何かの前に立っていた。
「ここ・・なに?」
誰にとも無くつぶやくつばめ。
どうやら、必死に走っているうちにたどり着いたらしい。
神社のようだった。
鳥居が真っ黒いシルエットの様に浮かび上がる。
何故だか分からないが、背筋がぞくりとした。
戯妖邪の気配は無い。
しかし、油断は出来ない。
でももう彼女には、走る気力も体力も残っては居なかった。
神社の境内に入り、奥にある小さな神殿の観音開きの扉を開けて、中に入る。そのまま不遜にも本尊らしき物体に背中を預けて、ずるずると地面に倒れていく。
「ちくしょう・・頭ぐるぐるする・・血、流しすぎたのかな・・」
止血の為に、力の抜けた手のひらを思い切り押し付ける。痛みで顔が酷く歪む。
空を見上げると、闇に喰われていた筈の月が、今は僅かにだがその姿を現している。
今まで月明かりが無かったせいか、それがやけにまぶしい。
正直、恐ろしいとは思わなかった。むしろ何か、忌まわしく感じた。
つばめはすぐに目線を地面に戻す。
「くそボーズ、死んだかな・・」
痛む足を押さえつけながら、脂汗を拭いもせずにつぶやく。
月明かりが彼女を照らした。
つばめには、一条の光の線が、自らに向けて振ってくるような感覚であった。
「なんだ・・?」
ようやく起き上がり、光の行く先を辿ると、そこは今彼女が背もたれにしていた場所である。
「・・?」
彼女は目を細めて、そこに顔を近づける。
昼間ならこんな苦労はしなくてもいいものを、と、内心毒づきながら。
ようやく明るさに目が慣れ、徐々に視界を取り戻した彼女の目に映ったものは、
「・・・・・・人・・?」
眉を寄せてつぶやく。
神殿の奥にあったものは、大きな木の蔦の塊のようなものと、その間からのぞく顔のようなもの。
「木なんだろうけど、気持ち悪いもんだな」
木の幹の凹凸が、丁度人間の顔のような格好になっていて、それが神殿の奥の本尊があるべき場所に収められているもんだから、気持ちの良い感じではなかった。
「でもこれ、本当に人間に似てる」
彼女は恐る恐る手を伸ばし、それに触れる。
しかし、伝わってくる感触は木のそれで、温度などあろうはずもない。
なぜかそれがひどく気にかかり、もっと近くで見ようと、両手を伸ばしてそれに触れ、自らの頭を木の蔦の中に突っ込んで、己の顔と顔らしきものを対峙させる。目を凝らして、その顔を見詰める。
「・・・気持ち悪いけど、綺麗だ」
「見つけた。月の雫」
いきなり空気が変わる。
つばめは四肢を翻し、声の方に向き直る。
「雫が月を見つけた」
戯妖邪は、抜き身の剣をぶらさげて嬉しそうにくすくすと笑っている。
「くそ」
つばめは内心ほぞをかむ。
気配を消していた訳でもなさそうな戯妖邪に、何故気付かなかったのか。
それ程までに、血を流した覚えは無かったが、これは案外死ぬかも知れない。
「雫が自ら月を見つけた。我等が王は目覚める時が来た」
朗朗とした口調で戯妖邪は語る
「雫?月?あたしはそんなの知らん!」
「雫が知らなくても、お前は雫!」
戯妖邪はそう吠えると、一気につばめに襲い掛かる。
「ぎゃん!」
悲鳴が喉の奥ではじめる。
思ったように体が動かない。
足がもつれる。
ここで、死ぬ。
「雫をちょうだい、月の雫」
ざしゅ!
肉を引き裂く音と、血が飛び散る音。
悲鳴すら出ない。
目の前には恍惚の表情の戯妖邪。
空には喰われた筈の月が舞い戻り、
遠くで蒼志の声がする。
体が動かない。
声が出てこない。
背後に居るのは、
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