桃屋の創作テキスト置き場
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■こんぺいとう 4 あくとあくたーず6 ■
「おはようございまーっす」
輝愛のいつも通りの呑気に晴れやかな声が、稽古場に響き渡る。
「お、はよー」
「はよっす」
彼女(と、彼・・もとい、自称親代わりの三十路男)よりも早く稽古場入りしている人間は、毎度の事ながら決まったメンバーである。
輝愛に次いで若年の有住浩春と、どこかしら掴めない雰囲気で、やや線の細い感のある志井大輔である。
二人は各自勝手に身体を伸ばしており、その姿勢のまま、首だけを向けての挨拶である。
「あのさ、輝愛ちゃん」
着替え終えて早速アップを始める彼女に、てこてこと近寄り、耳元で話しかける有住。
「はいな?」
前屈の要領で、座った状態で足首を「これでもか!」とばかりに鷲掴みにしている輝愛は、そのままの体勢で器用に顔だけを有住に向ける。
「昨日の・・・」
彼はバツが悪そうに人差し指で頬を引っ掻きながら、
「ぶっちゃけ、どうするのさ?」
「どれのこと?」
男性にしては珍しいさらさらの髪の毛をなびかせて、有住が床に突っ伏す。
「どれって・・・アレしかないでしょうに・・」
「・・・・・」
脱力しきった有住の横で、十分に身体を伸ばす輝愛。
ひょっこんと立ち上がり、「ん~」と言いながら伸びをして、そこでやっと口を開く。
「ああ、キスシーンの事?もしかして」
「って、今まで悩んでたの!?何その鈍い脳みそ!?」
いつでも本気、良くも悪くも大真面目な輝愛に、それこそこちらも本気で怒鳴りツッコミを入れる。
「あははは」
「あははじゃないよ?二十歳前にして脳細胞イカレてない?輝愛ちゃん」
笑って済まそうとしたのかは定かではないが、その輝愛に辛辣で、しかしながら的確な意見を告げる有住。
「・・・・」
その台詞に、今度は本気で青くなり、見る間に落ち込む輝愛。
「ああ!?嘘!冗談!・・って、冗談でも無いけど・・ってゆーか、輝愛ちゃん鈍いのは今に始まった事じゃないのに、つい突っ込んじゃってゴメン!」
「鈍いらしいって事は、皆に言われてるんで認めます・・」
苦笑しながら頭をぽりぽりやる輝愛。
「で」
「はい?」
「はいじゃないでしょ!」
いかにも「分かってない」状態の輝愛に、再び怒鳴る有住。
見た目の男らしさからは幾分かけ離れた所にある容姿の彼も、実際蓋を開けて見れば二十歳の若年の青年でしかない。
「どうすんの!輝愛ちゃんやるの?」
「やるですよ」
「どうやって?」
訝しげな視線と共に、矢継ぎ早な質問が浴びせかけられる。
最もな意見である。
昨日「鼻がぶつかる」発言をした娘である。その娘の「やります」宣言も、本当の所実際の意味が分かっているのか、有住が不安になるのも頷ける事だった。
「だいじょぶですって。あたしもちゃんとお芝居練習してますって」
「そりゃあまあそうだけど・・・・」
半眼になってみるも、当の彼女はにへら~と笑ってみせるだけで、有住のこの怒りだかなんだか良く分からないもやもやをどうする事も出来ず、視線を走らせた。
交差した視線の先には、先輩、志井大輔の姿。
後輩からの所謂「SOS」を受け取ったにも関わらず、大輔はいつも通りの人当たりの良い笑みを崩さないまま、そして無常にも有住の真横を面白そうに通り過ぎたのであった。
「げ、大輔さん!?」
「あはは~」
泣き声じみた声を上げた後輩を、生易しく放置する先輩の生暖かい声。
このチームは、本当に仲が良いのだろうかと、有住が不安に陥る瞬間である。
先輩連中から言わせれば、これこそが仲が良い証拠だと言われるのだが、輝愛が入るまで最年少だった有住は、いささか毎回不安に陥っている。
「ありすさん、あたしはへーきよ」
「・・・そうですか・・・?」
有住は、朝っぱら、稽古前から、何故だかかなり疲労した気がしたのだった。
◇
稽古中の稽古場。
板の上。
そこの上に立つ、チーム最若年の二人。
二人の間・・もとい、片方のみは、ひどく緊張していた。
「・・・・頼むよ、輝愛ちゃん」
有住は、誰にも聞き取れないくらいの小声で、小さく彼女―向かいに佇んでいる輝愛―に呟く。
最も、有住自身にも聞き取れるか否かの小声が、実際彼女に届く筈はないのだが。
心が通じたのか、輝愛は有住を見て「にぱ」(注:輝愛が表現するとこんな擬音らしい)と微笑む。
演出の笹林の支持で、例のシーンの確認に入る。
稽古場での稽古とは言え、劇場入りも間近に迫っている今、衣装やメイクは無いものの、音響等の効果も当然参加しての稽古だ。
抜きでの通し稽古の様な状態である。
当然、既に芝居の全てに演出が付け終えられており、今は確認及び熟読する期間のようなものだ。
「じゃ、行きマース。はい」
いささか緊張感にかける笹林の声で、音響担当がバックに流れる音楽の音を上げ、二人の芝居が始まる。
つばめに扮した輝愛が、上手から板の上に走る。
何かに弾かれた様に背後に振り向く。
音響担当の、絶妙な間でのきっかけの音が入る。
・・・・うん。
笹林が『演出さんの椅子』と自ら張り紙した椅子に腰掛けたまま、低い声で頷く。
どうやら、輝愛の演技も彼の及第点に達したらしい。
ちなみに、演出の笹林の横に座る、演出助手の菊本の椅子にも、『助手さんの椅子』の張り紙がある。
演出と演出助手は、無言のまま一瞬目を合わせて、にやりと微笑んだ。
例のシーンである。
『何だ、お前』
『私は、あやめ』
『あやめ・・?』
板の上、ほぼ中央で、二人の芝居が進む。
音響担当も、電飾担当も、見せ場のシーンに食い入るように見つめている。
最も、手は全て機材の上で、絶妙のタイミングを計っているのではあるが。
『そのあやめが、何の用だ』
いつもの輝愛からは想像出来ないような声で、しかも芝居でしか今のところ見る事が出来ないほどの、俗に言う不愉快な顔で、彼女はあやめ、有住に向き直る。
『お前に私の記憶を』
『・・・は?』
『お前に、私の、記憶を、渡そう』
ゆらり、と足音も無く近付く有住。
ようやく何とか騙し騙しながらも形になった、女形の足運びである。
女形を教えた師匠の大輔も、いつも通りの柔和な笑みを浮かべている。
こちらも及第点の様である。
『何を・・・』
輝愛の台詞をきっかけに、有住が動き、バックに流れる音が高くなっていく。
『お前は動けない
お前は私
私はお前
私の全て
飲み込むが良い』
朗々と言い放つと、舞台中央で立て膝になっている輝愛に、有住が彼女の顎を持ち上げる。
『つばめ』の目が、畏れと緊張で見開かれる。
『あやめ』が静かに、彼女の唇に口付け、息を吹き込む。
共に瞳は開いたまま。
『つばめ』は彼女を突き飛ばし、腕で口を拭う。
『何しやが・・・う・・・お前・・何しやがった・・・』
にわかに苦しむ『つばめ』。
それを静かな表情で見詰める『あやめ』。
二人が対峙するように立ち、『つばめ』が悲鳴を上げる。
バックの音が弾け飛び、暗転。
「・・・・・あの?」
あやめから戻った有住が、笹林の方を怪訝そうな顔で見ている。
「ん?あ?ああ、ごめんごめん、見入ってた。一端ここで切りますね」
笹林は掛けられた声にようやく言葉を発し、椅子から立ち上がる。
未だに座り込んだままの助手、菊本に振り返り、
「大正解だったでしょ、菊ちゃん」
と言って、満足そうに笑った。
◇
ふう、と一息小さく息を吐き、何故だか酷く疲れた気がする肩や首を回して、有住は横で水のペットボトルを口だけでくわえている輝愛に話しかける。
「輝愛ちゃんどしたの?」
「何がですか」
ペットボトルを口から手に持ち替え、いつものきょろんとした目で聞き返す。
「いや、やけに普通に頂けたので」
ファーストキスを、と言いかけて、恥ずかしくなってそこで止める。
「何を」
有住は目の前の、僅か2、3歳しか違わない娘の鈍さに、再び頭を抱えながら、
「キスだよキス!ちゅーのシーン!」
「えっへへ」
「何が可笑しいの?頭平気?」
自分だけ照れているのが恥ずかしいのもあって、有住は笑う輝愛の頭を軽く小突く。
「昨日『鼻がぶつかる』って言ってたのに。同じ人間とは思えない」
「秘密があるですよ」
輝愛は得意満面で答える。
有住は未だに胡散臭そうな顔で、彼女を見ている。
「秘密ぅ・・?なにそれ。それで上手くなるの?キスが?それとも芝居が?」
「多分両方」
何の疑いも無く答える輝愛に、有住も照れが退いてきたのか、普通に話し始める。
「どーすれば上手くなるの?昨日帰ってから何したのさ」
「うん、あのねー」
輝愛は及第点を貰えたのが嬉しいのか、にこにこしたよく通る声で、恥ずかしげも無く(それも大分大声で)言い放った。
「昨日の夜、カワハシと練習したのー」
一瞬、聞こえた人間が何の話だとばかりに振り向く。
ただ単に、輝愛の声のでかさに振り向いた人間も、相当数いたのだが。
「練習?」
「そう、練習」
輝愛の屈託の無い台詞に、しかし有住は一瞬考えてから、
「え、練習って、何の・・?」
「だから、今やったちゅーする・・」
すかけえええん!
「い、いったあああ~」
「輝愛ちゃん!?大丈夫!?」
清清しいくらいに響き渡った軽い音。
そして、何故か頭を抱えてうずくまる輝愛。
ちょっと先の床には、いまだくわんくわん回転している、アルミ製の灰皿。
「生きてるけど、うしろあたま痛い・・」
「あ~、こぶ出来てる。冷やしな」
涙を浮かべる輝愛に、濡らしたタオルを頭に乗っける有住。
しかし落ち着く間も無く、輝愛はずんずんとある一点を目指して歩き出す。
「ちょっとカワハシ!痛い!」
「知るか!」
そう、諸悪の根源、もとい、灰皿ストライクさせた張本人である。
「何で投げるの。あたし何もしてないじゃん」
「してなくても言った!」
片手に煙草持ったまま、さも不機嫌そうに娘分を頭ごなしに怒鳴る。
まるで子供の喧嘩の様ではあるが。
「何をよー」
輝愛は未だ痛むのか、後ろ頭をさすりさすり反論する。
そこでいよいよこめかみの辺りを痙攣させた千影は、声を低くし、輝愛とおでこがくっつく位に近付いて、
「・・・・何でもいいから、余計な事言うな!」
「何、余計って」
「何でもだ!大人の世界は難しいの!」
「・・・・・ぶー」
ようやく大人しくなった輝愛が、両のほっぺた膨らませて不満な顔を作るが、すぐにきょろんと目の前の千影を見上げて、不思議そうな顔をする。
「・・・・?」
「何だよ」
いきなり大人しくなった娘分に見上げられ、さっきまでの勢いは何処へやら。
「カワハシ、赤い?」
「え?」
下から覗き込まれて、輝愛の顔が余計近付く。
もう少しで触れそうなくらいまで、だ。
「顔」
「!!」
言い当てられて、大急ぎで輝愛を引き離し、踵を返して歩き出す千影。
「どこ行くの」
「便所!」
怒鳴るように言い捨てて、そのまま早足で稽古場から出て行く千影。
「何なんでしょ」
残された輝愛は、こぶをさすりながら、首を傾げた。
「おはようございまーっす」
輝愛のいつも通りの呑気に晴れやかな声が、稽古場に響き渡る。
「お、はよー」
「はよっす」
彼女(と、彼・・もとい、自称親代わりの三十路男)よりも早く稽古場入りしている人間は、毎度の事ながら決まったメンバーである。
輝愛に次いで若年の有住浩春と、どこかしら掴めない雰囲気で、やや線の細い感のある志井大輔である。
二人は各自勝手に身体を伸ばしており、その姿勢のまま、首だけを向けての挨拶である。
「あのさ、輝愛ちゃん」
着替え終えて早速アップを始める彼女に、てこてこと近寄り、耳元で話しかける有住。
「はいな?」
前屈の要領で、座った状態で足首を「これでもか!」とばかりに鷲掴みにしている輝愛は、そのままの体勢で器用に顔だけを有住に向ける。
「昨日の・・・」
彼はバツが悪そうに人差し指で頬を引っ掻きながら、
「ぶっちゃけ、どうするのさ?」
「どれのこと?」
男性にしては珍しいさらさらの髪の毛をなびかせて、有住が床に突っ伏す。
「どれって・・・アレしかないでしょうに・・」
「・・・・・」
脱力しきった有住の横で、十分に身体を伸ばす輝愛。
ひょっこんと立ち上がり、「ん~」と言いながら伸びをして、そこでやっと口を開く。
「ああ、キスシーンの事?もしかして」
「って、今まで悩んでたの!?何その鈍い脳みそ!?」
いつでも本気、良くも悪くも大真面目な輝愛に、それこそこちらも本気で怒鳴りツッコミを入れる。
「あははは」
「あははじゃないよ?二十歳前にして脳細胞イカレてない?輝愛ちゃん」
笑って済まそうとしたのかは定かではないが、その輝愛に辛辣で、しかしながら的確な意見を告げる有住。
「・・・・」
その台詞に、今度は本気で青くなり、見る間に落ち込む輝愛。
「ああ!?嘘!冗談!・・って、冗談でも無いけど・・ってゆーか、輝愛ちゃん鈍いのは今に始まった事じゃないのに、つい突っ込んじゃってゴメン!」
「鈍いらしいって事は、皆に言われてるんで認めます・・」
苦笑しながら頭をぽりぽりやる輝愛。
「で」
「はい?」
「はいじゃないでしょ!」
いかにも「分かってない」状態の輝愛に、再び怒鳴る有住。
見た目の男らしさからは幾分かけ離れた所にある容姿の彼も、実際蓋を開けて見れば二十歳の若年の青年でしかない。
「どうすんの!輝愛ちゃんやるの?」
「やるですよ」
「どうやって?」
訝しげな視線と共に、矢継ぎ早な質問が浴びせかけられる。
最もな意見である。
昨日「鼻がぶつかる」発言をした娘である。その娘の「やります」宣言も、本当の所実際の意味が分かっているのか、有住が不安になるのも頷ける事だった。
「だいじょぶですって。あたしもちゃんとお芝居練習してますって」
「そりゃあまあそうだけど・・・・」
半眼になってみるも、当の彼女はにへら~と笑ってみせるだけで、有住のこの怒りだかなんだか良く分からないもやもやをどうする事も出来ず、視線を走らせた。
交差した視線の先には、先輩、志井大輔の姿。
後輩からの所謂「SOS」を受け取ったにも関わらず、大輔はいつも通りの人当たりの良い笑みを崩さないまま、そして無常にも有住の真横を面白そうに通り過ぎたのであった。
「げ、大輔さん!?」
「あはは~」
泣き声じみた声を上げた後輩を、生易しく放置する先輩の生暖かい声。
このチームは、本当に仲が良いのだろうかと、有住が不安に陥る瞬間である。
先輩連中から言わせれば、これこそが仲が良い証拠だと言われるのだが、輝愛が入るまで最年少だった有住は、いささか毎回不安に陥っている。
「ありすさん、あたしはへーきよ」
「・・・そうですか・・・?」
有住は、朝っぱら、稽古前から、何故だかかなり疲労した気がしたのだった。
◇
稽古中の稽古場。
板の上。
そこの上に立つ、チーム最若年の二人。
二人の間・・もとい、片方のみは、ひどく緊張していた。
「・・・・頼むよ、輝愛ちゃん」
有住は、誰にも聞き取れないくらいの小声で、小さく彼女―向かいに佇んでいる輝愛―に呟く。
最も、有住自身にも聞き取れるか否かの小声が、実際彼女に届く筈はないのだが。
心が通じたのか、輝愛は有住を見て「にぱ」(注:輝愛が表現するとこんな擬音らしい)と微笑む。
演出の笹林の支持で、例のシーンの確認に入る。
稽古場での稽古とは言え、劇場入りも間近に迫っている今、衣装やメイクは無いものの、音響等の効果も当然参加しての稽古だ。
抜きでの通し稽古の様な状態である。
当然、既に芝居の全てに演出が付け終えられており、今は確認及び熟読する期間のようなものだ。
「じゃ、行きマース。はい」
いささか緊張感にかける笹林の声で、音響担当がバックに流れる音楽の音を上げ、二人の芝居が始まる。
つばめに扮した輝愛が、上手から板の上に走る。
何かに弾かれた様に背後に振り向く。
音響担当の、絶妙な間でのきっかけの音が入る。
・・・・うん。
笹林が『演出さんの椅子』と自ら張り紙した椅子に腰掛けたまま、低い声で頷く。
どうやら、輝愛の演技も彼の及第点に達したらしい。
ちなみに、演出の笹林の横に座る、演出助手の菊本の椅子にも、『助手さんの椅子』の張り紙がある。
演出と演出助手は、無言のまま一瞬目を合わせて、にやりと微笑んだ。
例のシーンである。
『何だ、お前』
『私は、あやめ』
『あやめ・・?』
板の上、ほぼ中央で、二人の芝居が進む。
音響担当も、電飾担当も、見せ場のシーンに食い入るように見つめている。
最も、手は全て機材の上で、絶妙のタイミングを計っているのではあるが。
『そのあやめが、何の用だ』
いつもの輝愛からは想像出来ないような声で、しかも芝居でしか今のところ見る事が出来ないほどの、俗に言う不愉快な顔で、彼女はあやめ、有住に向き直る。
『お前に私の記憶を』
『・・・は?』
『お前に、私の、記憶を、渡そう』
ゆらり、と足音も無く近付く有住。
ようやく何とか騙し騙しながらも形になった、女形の足運びである。
女形を教えた師匠の大輔も、いつも通りの柔和な笑みを浮かべている。
こちらも及第点の様である。
『何を・・・』
輝愛の台詞をきっかけに、有住が動き、バックに流れる音が高くなっていく。
『お前は動けない
お前は私
私はお前
私の全て
飲み込むが良い』
朗々と言い放つと、舞台中央で立て膝になっている輝愛に、有住が彼女の顎を持ち上げる。
『つばめ』の目が、畏れと緊張で見開かれる。
『あやめ』が静かに、彼女の唇に口付け、息を吹き込む。
共に瞳は開いたまま。
『つばめ』は彼女を突き飛ばし、腕で口を拭う。
『何しやが・・・う・・・お前・・何しやがった・・・』
にわかに苦しむ『つばめ』。
それを静かな表情で見詰める『あやめ』。
二人が対峙するように立ち、『つばめ』が悲鳴を上げる。
バックの音が弾け飛び、暗転。
「・・・・・あの?」
あやめから戻った有住が、笹林の方を怪訝そうな顔で見ている。
「ん?あ?ああ、ごめんごめん、見入ってた。一端ここで切りますね」
笹林は掛けられた声にようやく言葉を発し、椅子から立ち上がる。
未だに座り込んだままの助手、菊本に振り返り、
「大正解だったでしょ、菊ちゃん」
と言って、満足そうに笑った。
◇
ふう、と一息小さく息を吐き、何故だか酷く疲れた気がする肩や首を回して、有住は横で水のペットボトルを口だけでくわえている輝愛に話しかける。
「輝愛ちゃんどしたの?」
「何がですか」
ペットボトルを口から手に持ち替え、いつものきょろんとした目で聞き返す。
「いや、やけに普通に頂けたので」
ファーストキスを、と言いかけて、恥ずかしくなってそこで止める。
「何を」
有住は目の前の、僅か2、3歳しか違わない娘の鈍さに、再び頭を抱えながら、
「キスだよキス!ちゅーのシーン!」
「えっへへ」
「何が可笑しいの?頭平気?」
自分だけ照れているのが恥ずかしいのもあって、有住は笑う輝愛の頭を軽く小突く。
「昨日『鼻がぶつかる』って言ってたのに。同じ人間とは思えない」
「秘密があるですよ」
輝愛は得意満面で答える。
有住は未だに胡散臭そうな顔で、彼女を見ている。
「秘密ぅ・・?なにそれ。それで上手くなるの?キスが?それとも芝居が?」
「多分両方」
何の疑いも無く答える輝愛に、有住も照れが退いてきたのか、普通に話し始める。
「どーすれば上手くなるの?昨日帰ってから何したのさ」
「うん、あのねー」
輝愛は及第点を貰えたのが嬉しいのか、にこにこしたよく通る声で、恥ずかしげも無く(それも大分大声で)言い放った。
「昨日の夜、カワハシと練習したのー」
一瞬、聞こえた人間が何の話だとばかりに振り向く。
ただ単に、輝愛の声のでかさに振り向いた人間も、相当数いたのだが。
「練習?」
「そう、練習」
輝愛の屈託の無い台詞に、しかし有住は一瞬考えてから、
「え、練習って、何の・・?」
「だから、今やったちゅーする・・」
すかけえええん!
「い、いったあああ~」
「輝愛ちゃん!?大丈夫!?」
清清しいくらいに響き渡った軽い音。
そして、何故か頭を抱えてうずくまる輝愛。
ちょっと先の床には、いまだくわんくわん回転している、アルミ製の灰皿。
「生きてるけど、うしろあたま痛い・・」
「あ~、こぶ出来てる。冷やしな」
涙を浮かべる輝愛に、濡らしたタオルを頭に乗っける有住。
しかし落ち着く間も無く、輝愛はずんずんとある一点を目指して歩き出す。
「ちょっとカワハシ!痛い!」
「知るか!」
そう、諸悪の根源、もとい、灰皿ストライクさせた張本人である。
「何で投げるの。あたし何もしてないじゃん」
「してなくても言った!」
片手に煙草持ったまま、さも不機嫌そうに娘分を頭ごなしに怒鳴る。
まるで子供の喧嘩の様ではあるが。
「何をよー」
輝愛は未だ痛むのか、後ろ頭をさすりさすり反論する。
そこでいよいよこめかみの辺りを痙攣させた千影は、声を低くし、輝愛とおでこがくっつく位に近付いて、
「・・・・何でもいいから、余計な事言うな!」
「何、余計って」
「何でもだ!大人の世界は難しいの!」
「・・・・・ぶー」
ようやく大人しくなった輝愛が、両のほっぺた膨らませて不満な顔を作るが、すぐにきょろんと目の前の千影を見上げて、不思議そうな顔をする。
「・・・・?」
「何だよ」
いきなり大人しくなった娘分に見上げられ、さっきまでの勢いは何処へやら。
「カワハシ、赤い?」
「え?」
下から覗き込まれて、輝愛の顔が余計近付く。
もう少しで触れそうなくらいまで、だ。
「顔」
「!!」
言い当てられて、大急ぎで輝愛を引き離し、踵を返して歩き出す千影。
「どこ行くの」
「便所!」
怒鳴るように言い捨てて、そのまま早足で稽古場から出て行く千影。
「何なんでしょ」
残された輝愛は、こぶをさすりながら、首を傾げた。
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