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桃屋の創作テキスト置き場
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■こんぺいとう 2  ―おもちゃのトーイ― 1 ■




「ひいっ!」
 時計を見るなり、小さく、しかし心の中では絶叫する彼女。
 がばっ、と威勢良くベッドの上に身を起こす。
「っつ!」
 はっとして隣を伺う。
 どうやら今の自分の叫び声でも起きないらしい。
 ふうと一息小さくついて、ベッドから抜け出し伸びを一つ。
 大急ぎで着替えと洗顔を済ませ、髪をポニーテールに結い上げつつ、早くもお馴染みになったヒヨコ柄のエプロンを身に着ける。
 そこでもう一度時計に目をやる。

「・・・・あ、一時間見間違えてた」
 ・・・・・
 ・・・・・
 ・・・・・まあ、毎朝の事ではあるのだが。


 家中のカーテンを開け放ち、朝の日差しを部屋いっぱいに満たす。
 洗濯機を回し、換気扇をつけ、キッチンの窓を開ける。
 ガスコンロにやかんを乗せてお湯を沸かしつつ、手早く朝食のおかずを何品か用意する。
 そこまで来てふっと一息。

 彼女一人しか起きていない時間。
 唯一、彼女一人で一息つける瞬間である。
 
 沸いたお湯でティーパックの紅茶を煎れ、やっと椅子に腰掛ける。


 高梨輝愛(たかなし きあ)、十七歳。


 身寄りが亡くなり、お金も底をつき、途方に暮れて「死んじゃおうかな」なんて思案していた所を「拾われた」のである。

 この家に来て早一週間。
 やっと彼の生活ペースにも慣れ、家の中の物、置き場所なんかを把握した。
 お茶をすすりつつ、新聞に目を落とす。

 ・・・・そろそろ起こさねば。

 輝愛は「よっこいしょ」と、いささかババクサイ掛け声と共に席を立ち上がり、先ほどまで自らも寝ていた寝室のドアを開けようと、ドアノブに手をかけ―――



 ごっ!!!


 いきなり開いたドアが、彼女の顔面を強打した。

「いいいっ!!」
 本気で涙を流してうずくまる。
「・・鼻血出たらどうすんのよ」
 だばだば涙を流しつつ、事の元凶に抗議する。
 輝愛の眼前に、半眼のままたたずむ一人の男。
 彼は謝罪するでもなく、輝愛を押しのけて洗面所へと消えていく。

 しばらくして、やっと覚醒したような顔でキッチンに顔を出す。
「・・・・・・食い物の匂いがする」
 ―――動物か、アンタは。

 内心ツッコミを入れていた輝愛の手から、ホットコーヒーの入ったマグカップを受け取り、先ほど輝愛が腰掛けていた椅子に座る。


「トーイ」
 輝愛が「何?」と言って振り向くと、彼は自分で立ち上がらずに、マグカップを持っていない方の手でおいでおいでをしている。
 その手招きに応じて近づくと、いきなり鼻をむぎゅ、と押さえられた。

「ふが!何ふんろよ」
「鼻血は?」

 どうやら、先ほどのドアとの激突した事を言っているらしい。
 しかし、その表情は少なくとも「心配している」顔ではない。

「――出てません。おかげさまで」
 輝愛は、彼に盛大なあかんべをした。
「低い鼻がそれ以上低くなったら、可愛そうを通り越して悲惨だからな」

 にやっ、と意地悪く笑ってコーヒーを流し込む。
 輝愛の口が、への字に曲がったのは、言うまでも無い。


 輝愛を「トーイ」と呼ぶ彼。
 川橋千影(かわはし ちかげ)。
 中肉中背と言うには、やや背が高い感があり、身体つきもがっしりしている。
 美形とは言いがたい、男っぽい顔つき。
 人工的な金がかった髪の毛。
 愛用はTシャツにジャージと言う、明らかにやる気の見えない男である。
 この男が、輝愛の「拾い主」なのだ。


 ・・・それにしても「トーイ」ってのはさあ・・・
 おかずを温めなおしながら肩を落とす。
 彼女の事を何故「トーイ」と呼ぶのか。
 簡単である。
「おもちゃ」扱いなのだ。
 ・・・・・おもちゃは勘弁してほしいなあ・・・

 少々ふて腐れながら、テーブルに朝食を用意していく。
 
 彼女が何回抗議しても、千影は彼女を「トーイ」と呼び続けた。
 そのうち、抗議するのも馬鹿らしくなって、今ではその呼び名に慣れてしまっている。

「トーイ」
 千影がお茶碗を片手においでおいでをしている。
 一緒に座って朝食を食べろと言う事らしい。
 
 輝愛が席につくと、千影は少し眉をひそめたように苦笑した。
 


 彼が拾ったおもちゃ(トーイ)。
 彼のもとに来てから、輝愛は、名前すら亡くした―――

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■こんぺいとう 2  ―おもちゃのトーイ― 2 ■




「・・・・・あ、あれ?」
「・・・・・・・・・・をい」


 頬に一筋冷や汗を伝わせる彼女。
「あれ?じゃねえ」
 怒気をはらんだ声で、不機嫌そうに眉をしかめる彼。
「あたし・・・いつの間に・・」
 そう呟いて、刹那、はっとして、
「ああああああ、カ、カワハシ!一体あたしに何をしたー」
「何もしてねーよ」
「だったら、何であたしがココに居るの!?」
 瞳に怒りの炎を浮かべ、あまつさえ涙なんぞ浮かべながら、彼女、高梨輝愛は、目の前の男、川橋千影のTシャツの襟元を掴んで、かっくんかっくんさせる。
「だああ!やめんかいクソガキ!」
 千影が怒鳴り、彼女の両手を鷲掴みにし、そのままぐい、と持ち上げる。
 輝愛は、丁度手枷をされたままバンザイをさせられるような状態になる。
 そのまま千影は輝愛を見つめ―――


 ―――はあ。
 一つため息をつく。
 その様子を、まんじりともせず無言で口をとんがらせながら見つめている輝愛。
「・・・いいか、良く聞け」
 千影は辛辣な面持ちで口を開く。


「――――お前は、病気だ」




 ◇




 気が付くと、知らない部屋に居た。

 ぼやける目をこすって、思考を起動させる。
 

 白い天井。
 グラスグリーンのカーテン。
 畳の見当たらない室内。
 
 そして、煙草の煙の匂い。


 ―――ああ、そうか。


 むくりと起き上がり、やっと状況を把握する。
「・・・拾われたんだっけ、あたし」
 
 借り物のTシャツとジャージに微かに染み付いた、煙草の匂いと、自分はつけたことが無いからよく分からないけど、恐らく香水の類の香り。
 慣れないはずのその芳香に、何故か懐かしさすら覚えた。



「―――――煙草くさい」
「悪かったな。煙草くさくて」

 ぽそりと呟いたつもりが、どうやら早々に起床していたらしい彼の耳には届いてしまったらしい。

「ひっ!」
 驚いて小さく息を飲む。
 その視線の先には、ダイニングテーブルに頬杖をつき、ホットコーヒーの入ったマグカップをもてあそびながら煙草をふかすという、何とも器用な真似をしている男。
「・・・・・・・・・オハヨウゴザイマス」
 輝愛は、頬を引きつらせつつ布団を抱きしめ、小声で言った。

 

 彼女は昨晩深夜、千影に拾われ、この家に連れてこられた。
 帰宅するなり服をひっぺがされ、風呂に突っ込まれ、髪の毛を乾かす事すら忘れ、気付くと深い眠りの中に落ちていた。
 だから、この彼、千影とちゃんと面と向かうのは、実は初めてだったりするのだ。

 その第一声が、
「煙草くさい」
 である。

 輝愛からしてみれば、何のことは無い、寝起きの呆けた一言ではあるのだが。
 相手に取ってはどうだろうか。
 こんな、行く当てもない自分を拾ってくれた事に対する第一声が、そんな非難とも取れる発言だったとしたら。
 
 怒るのも無理は無い。
 至極道理である。



「トーイ」
 声がした。
「トーイ」
 見れば、彼がこっちを見つめ、おいでおいでと手をこまねいている。
「・・・・・トーイ?」
 輝愛は訝しげに首を傾ぐ。
「そ。お前の事だ。『トーイ』」
 彼は尚も手をこまねいている。
 憮然とした表情で立ち上がり、彼のもとへと歩み寄る。
 
 いきなり、おでこと首筋に大きなてのひらがあてがわれ、輝愛は思わず目を見開く。
「――?」
 不思議そうな顔をして見つめる彼女を無視し、千影はわずかに表情を緩め、安堵とも取れるため息をついた。

「トーイ、お前、そこにある以外に服・・」
「だからトーイってのは?」
「・・丁度いいだろ、トーイで」
 悪びれもせずに答える。
「あたしにも、高梨輝愛って言う、一応立派な名前があるんですけども」
「キア・・・・?何て字書くんだ?」
 恐らく、音だけで漢字が想像つかなかったのだろう彼が、思案するような顔で宙を見つめて問う。
「輝く愛で、『キア』」
 含み聞かせるように、ゆっくりと台詞を吐く。
 
「ふむ・・・」
 何かしらひとしきり思案して、やがて納得したように息を漏らした。


「似合わん。トーイで充分」

 
 一刀両断とは、まさにこの事か。
 千影は表情を変えるでも無く、至極真面目に
「いいだろ、トーイで。はい決定~」
 そう言って、パシッ、とダイニングテーブルを軽く叩いた。
「ちょっと、『決定~』って何でそんなおもちゃ呼ばわり・・・」
「おもちゃよばわりだと?」
 助けてもらった恩も忘れたかのように、一気にまくしたてる輝愛に、しかし千影はわずかに首を傾げる。

「『トーイ』って、『おもちゃ』って意味でしょ」

 そう言って、むーっ、と頬を膨らませる。


 ――――ナルホド、ね。それもそうか。


 千影は心の中だけで納得の感嘆符を漏らし、すぐさま意地の悪い笑みを浮かべる。

「ってことでトーイ」
「輝愛です」
 すぐさま突っ込みを入れる彼女を、またもあっさり無視して話を進める。

「俺は今日、不幸な事にお仕事がお休みだったりするのだ」
「―――?」
 自慢げにふんぞり返って言う彼の真意が掴めず、眉間にシワをよせて見つめ返す。
「で、お前さんの持ち物は、アレだけだと見たんだが、違うか?」
 そう言って輝愛の持っていた小さなカバンを指差した。
 こっくりと、無言で頷く。
 答えた輝愛に、どこか満足げに頷いてから。
「で、最初の問いに戻るわけだが、『服はそれしかないんだよな?』って聞こうとしたんだよ。俺は」

 輝愛は、「ああ、その事か」と思い至って、再びこっくりと頷いた。

 彼女のカバンには、着替えが一応入ってはいた。
 入ってはいたが、一日分しかない。
 つまり、昨日着ていた服と、カバンの中の服、二組しかないと言う事になる。

 もともと、輝愛は「自分の物」の洋服は二組しか持っていないかった。
 それ程、彼女と祖母の二人の暮らしは厳しかった。
 いくつかもらい物もあったが、見ると祖母がいた頃の、楽しかった独身寮の仕事や、入居者を思い出してしまうので、祖母が買ってくれたものだけ、持ってきた。
 ようやく身長が伸びるのも止まったことだし、独身寮の入居者のお姉さん達から頂いたお古じゃなくて、新しいお洋服でも買ってあげなきゃね。
 そう言った祖母を思い出し、僅かばかり呼吸を止めた。


「OKOK~じゃ、俺はトイレにでも行って来るから、三分で着替えろ」
「は?え?」
「いいなー三分だぞー」

 輝愛の抗議と言うか、問いかけと言うかも虚しく、千影は言いたい事を一方的に告げ、トイレへと消えていった。

 呆気に取られていた輝愛だったが、身を翻すと、大急ぎで着替えに取り掛かった。



 輝愛が身支度を終え、髪の毛をポニーテールに結い上げている頃、再び千影がのっそりと現れた。
「支度はいいか?」
「支度って・・?」
 オウム返しに問う彼女に、やはり彼は答えぬまま、
「よし、んじゃ行くぞ。トーイ」
「行くって、どこに?」
 訳も分からず玄関まで引っ張ってこられる。

 そこで、輝愛の脳裏に、一番望ましくない想像が駆け巡った。

 ――施設に引き渡される――
 そう思った瞬間、血の気が引いた。
 ずっとこの家に居られる、なんて都合の良い事考えていた訳じゃない。
 でも、施設送りにされるのはイヤだった。
 両親が死んで、祖母に引き取られるまでのわずかの期間ではあるが、輝愛は施設に入っていた。
 そこで行われていた虐待の数々。
 それがトラウマとなっていた。
 勿論、そんな施設ばかりではないのは頭で分かってはいるけれど、やはり嬉しいものではなかった。
 
 ―――ばあちゃん――
 
 輝愛は、悲痛な面持ちで今は亡き祖母に助けを請う。
 しかし、それに答えてくれる優しいシワだらけの手は、最早存在しないのだ。

「トーイ」
 再び呼ばれて、初めて、彼の顔を間近に見上げた。
 彼女より頭一つ以上は確実に大きい彼を、まじまじと見つめる。
 いつの間にやらジャージから外出用のパンツに着替えたらしい千影は、その視線に一瞬訝しげな顔をする。

「・・・ねえ、どこに?」
 消え入りそうな声で問う彼女。
 それをまたしても無視し、自らはスニーカーに足を突っ込み、泣きそうになっているこの小さいお姫様を座らせる。
 母親が子供にするように、彼女に靴をはかせてやる。
「ちょ・・自分で出来るよ」
 子供扱いされて、怒りと照れの為に頬に朱が走る。


「あ、そーだ」
 ポケットから煙草を取り出し、口にくわえ、器用に片手で火を点けて、
「俺、川橋さんな」
「かわはし?」
「そ。カワハシ」
 靴を履き終えた輝愛を、半ば無理やり玄関から追い出し、尻のポケットから取り出したカギで施錠する。


「ねえ、カワハシ、一体どこに―――」
 言いかけた輝愛の眼前に顔を近づけ、これまたいつの間にかけたのか、モスグリーンのレンズのサングラスを指でずらして、いたずらっぽくにやり、と笑う。



「オカイモノだ。トーイ」



 そう告げると、両手をポケットに突っ込んで、勝手に歩き出してしまった。
 カギをかけられてしまった為、部屋に戻る訳にも行かず、輝愛は一瞬呆けてから、急いで彼の後を追った―――

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■こんぺいとう 2  ―おもちゃのトーイ― 3 ■




 気が付くと、気が付くとあたしは何故か。
 何故か大量の袋を抱えていた。

「あ・・あの・・・」

 所在無さげに千影の後をひょこひょこくっついて歩く様は、さながらカルガモの親子に見えなくもない。
 当の声を掛けられた本人はと言えば、呼びかけが聞こえていないのか、未だに輝愛の前方をゆっくりと歩いている。

「カワハシ」
「ん?」
 ようやく気付いたのか、肩越しに振り返り立ち止まる。
「コレは、一体何?」
 浮かない表情のまま、抱えた袋をかざし、上目遣いに彼を見上げる。


「袋」


 即答だった。
 もう、気持ちいいくらいの即答。

「え、いや、そうじゃなくて」
「じゃ、ショッピングバック」
「あのね」
「腹減ったなあ」

 輝愛の言葉を全く無視し、成立していない会話とも呼べない会話を繰り返す二人。

 平日昼間の駅ビルである。
 人はまばらで、夕方の喧騒はどこ吹く風だ。
 そんな中に、この一種異様な二人は居た。

「トーイ」

 いきなり呼ばれて顔を上げる。
「何?」
 『トーイ』と呼ばれるのに抵抗は勿論残ってはいたが、何度抗議しても、やはりこの男は聞かなかったし、そう呼ばれる事にも慣れてしまいつつある自分がいた。
 目の前には、地下の食品街へ降るエスカレーターが見える。
 そこで千影は振り返り、いつにともない真剣な表情で彼女を見つめ、

「炊事はお得意?」
「は?」
「炊事洗濯家事その他もろもろはお得意デスカ?」

 まるで棒読み。
 大根役者も良いところである。
 もっとも、彼が演技をしている訳ではないのだが、もう少し、台詞に愛嬌があってもよさそうなもんである。
 面食らった輝愛だったが、一呼吸を置き、頷いた。

「お得意デスヨ」

 ついこの間まで、独身寮に住み込みで働いていた彼女である。
 実質祖母の名目であったとは言え、年老いた祖母に代わり、仕事のほぼ一手を担っていたのだ。
 当然、寮生達の毎日の食事の世話や、寮内の清掃、洗濯など、要するに世間一般で言われるところの「家事」はお手の物である。

「なら話は早い」

 言うなり千影は地下へ降りて行った。
「カワハシ?」
 またしても彼女が事態を把握する前に一人、行動に移す彼。
 このまま立ち尽くしても埒が明かないので、重たい袋を抱えなおし、彼の後を小走りに追った。




 食品街でカートにカゴを乗せ、輝愛が持っていた荷物を全て奪い取る千影。
「あ、ありがとう・・」
「肉じゃが」
「・・・は?」
 荷物を持ってもらった礼を述べたのだが、返ってきた台詞は『肉じゃが』である。
 もはや、人の話を聞かないとか、そんな次元を遥かに超越している。
 思わず顔をしかめて聞き返した輝愛に、しかし千影は
「きんぴら、ひじき、ぶりの照り焼き」
「はあ・・・」
「ふろふき大根、筑前煮、鯖の竜田揚げ」
 勝手に料理のメニューをつらつらと挙げる。
 一通り言い終えて彼女を見て、

「おっけー?」
 とだけ聞いた。


 ・・・・作れと?

 
 輝愛は口元に手を置いて思案する。

 
 ・・・・取りあえず、食材を買えと?


 ちらり、と千影を見上げる。

「ん?」
 別段表情を変えるでもない彼がそこにいた。
 モスグリーンのレンズの奥にある切れ長の瞳が、一瞬細くなった気がした。


 ・・・・取りあえず、そーゆー事にしておこう。

 輝愛は小さく一つ息をつくと、彼に向かって笑った。

「任せて」
「任せた」

 それは、彼女が久々にこぼした笑みだった。




 ◇




 鬼のような食材を買い込んで、より一層荷物が増えた帰り道。
 どうやら行きとは違う道の様で、輝愛は千影の後ろを、ただただ荷物の重みと格闘しながらついて行った。


 ・・・・それにしても、この男は一体何なんだろう。

 
 今更といえば今更な疑問が、彼女の頭に浮かぶ。
 
 出会ったのは昨日。
 ちゃんと顔を見たのは今朝。
 名前を知ったのはさっき。

 考えてみれば、彼が自分を拾って、家に置いておく必要はないのだ。
 こんな自分に手を差し伸べてくれるなんざ、よっぽどの酔狂か、もしくは神様か仙人くらいのもんだろう。


 ・・・・・・・・・ヤバイ趣味とか?

 自分で考えて自分で引きつると言う、いささか器用な芸当をしてみせる。
 でも、どうにかしようと思えば、昨日のうちにどうにでも出来ただろうし。第一、自分にそんな色香があるなどとは、全く持って思わないし。


 それとも、捨てられた猫でも拾った様な心境なのだろうか。
 考えても埒が明かない事を悟ってか、彼女はそこで思考を中断させた。
 タイミング良くと言うか何と言うか、先を歩く彼の足も、そこで止まった。
 そして例の肩越しに彼女を振り返り、その姿を確認すると、目の前の小さなドアを開けて、中に入る。
 輝愛も、その後を一瞬遅れて追った。



 ――――カラン


 ドアにあつらえられたベルが、印象的な音を響かせる。
 カウンターと、小さめのテーブル席が四つ。
 そんなこじんまりとした喫茶店だった。
 磨かれた食器が、間接照明の光を受け、淡い光を放っている。

「いらっしゃい」

 カウンター越しに、ハスキーは声がかかる。

「ちわ」

 千影は慣れた雰囲気で、一番奥のカウンター席に腰掛けた。

「お嬢さんも、是非お席へ」

 ここのマスターであろう、品の良さそうな男性に、カウンター越しから微笑まれ、呆けていた自分に気付いて、そそくさと千影の隣の席に座る。

「お前はいつものでいいんだろう?」
 背中を向け、ドリップコーヒーを用意しながらマスターが言う。
「ん、で、コイツには適当になんか出してやって」
「適当に、ね」
 千影の言葉に、クスリ、と微かに笑みを漏らすロマンスグレー。
 輝愛は、その様子をただ眺めていた。


「トーイ?」
 右側から掛けられた声に、何故か身構えてしまう。
 その声の主は、彼女を見つめると何故か不思議そうに眉をひそめる。
「何だ?その変な顔」
「いや、その」
 『変な顔』呼ばわりされたにも関わらず、食って掛かりもせず、曖昧に笑って済ませる。

「なんであたしここにいるのかな、とか、イマイチ、理解が追いつかないと言うか」
 そう言って、ふう、と肩を落とした。
「何でカワハシがあたしを拾ってくれたのか、とか」

 ―――カチャリ。

 小さな音を立てて、千影の前にホットコーヒーが置かれる。
 すごくいい香りだと思ったけれど、コーヒーの銘柄なんか全く知らない輝愛には、どんなものなのかは分からなかった。
 それに手を付けず、輝愛を見つめ、無言で彼女の言葉に耳を傾ける。
「あたしは、どうすればいいのかなとか、どこにいけばいいのかなとか」


 そこまで行って、千影はやおら口を開く。
「お前は、どうしたいんだ」
「・・・・わかんない」
「じゃ、ワカンナイまんまでいいよ」
 そう言って、一口、コーヒーをすする。

「わかんないまんまで、良い?」
 訝しげに問い返す輝愛。
 この男の発言の突拍子も無さも理解に苦しむが、この男の思考回路はもっと想像に苦しんだ。

「見付かるまで考えろ」
「見付かるまで・・?」
 千影は灰皿を受け取り、煙草に火をつける。

「見付かるまで考えろ。もがけ。苦しめ」

 彼の言葉に、輝愛は口をつぐんだまま真剣な表情で聞き入る。

「逃げるのは許さん。死に、逃げるのは、許さん」

 その言葉に、彼女の身体は小さくびくり、と震えた。
 しかし千影は気にせず続ける。


「だからもがけ。苦しめ。あがけ。落ちる所まで落ちろ。そうすれば、後は昇るだけだ」


 父親が、娘を説教する様な口調である。
 もっとも、輝愛には父親と会話した記憶すらないのだが。


「衣食住は、もうあるだろう?一番必要な『居場所』は、自分で探せ」


 そう言って、くしゃっ、と、彼女の髪の毛を乱暴に撫でた。



 ―――見透かされている。

 そう思った。
 この男に、こんな短期間の間に、全て自らの内を見透かされている。
 そう、思った。
 悔しい。
 恥ずかしい。

 
 でも、嬉しかった。
 自分を受け入れてくれた人の存在が、こんなに有難いものだとは思わなかった。


 泣きそうになった。
 でも、泣かないように、涙も声も飲み込んだ。

 顔を上げて、ただ無言で彼の瞳を見つめた。
 そのレンズ越しの瞳が、わずかに細められたように見えたのは、気のせいではないかも知れない。


「おまたせ」

 マスターがそう言いつつ、輝愛の前に湯気の立つカップを置いた。

「ロイヤルミルクティーだよ。お嬢さんのお口に合うと良いんですがね」

 そう言って、にっこり微笑んだ。
 差し出されたカップの中身を口に含むと、ほっと心が落ち着いたように感じる。

「・・・・おいし・・」
 ぽそりと呟いた一言が、マスターの耳に届いたのか、彼は再び、ひどく嬉しげに微笑んだ。




 その様子を無言で眺めていた千影は、再び左手でくしゃっ、と輝愛の頭を乱暴に撫でた。

 「トーイ」って名前も、そこまでは悪くないかも。
 頭を撫でる乱暴な大きな手を上目遣いに見ながら、彼女はそんな風に思った。
 

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■こんぺいとう 2  ―おもちゃのトーイ― 4 ■




「・・・・またやってしまったのですか、あたしは・・・」
 むくりと起き上がり、寝ぼけ眼に、しかし冷や汗だけはしっかりと頬を伝わらせながら、輝愛は頭を抱えた。
 ・・・・一体いつからこんな病気になっちゃったんだろう・・・
 泣きそうになりつつ、寝癖のついた頭をぽかぽか叩いてやる。


 早朝である。
 輝愛がこの家に来て、四回目の朝である。

 一回目の朝は、気付いたら千影が目の前に座って煙草をふかしていた。
 二回目の朝は、起きると何故か、千影の寝ているベッドに仲良く一緒に寝ていた。
 三回目の朝も、気付くとソファーから彼のベッドに移動していた。

 一昨日の朝、目を覚ますなり横に千影を確認した輝愛は、それこそ何事かと騒ぎ立て、寝ていた千影を叩き起こし、事の次第を説明させたのだが。
 一方的に相手が何かを仕組んだと思って問いただして見れば、聞くところによると自分自身が悪いと言うではないか。

 年頃の娘が、あまつさえ男性の布団に自らもぐりこんで行く等と言う醜態、祖母が生きていたら何と思うであろうか。
 そうは頭では思っているものの、要するに夢遊病と言うやつらしく、自分ではどうにも出来ないのが現実である。



 輝愛はリビングにあるソファーを間借りして、それをベッドとしている。
 当然、千影は自らの寝室のベッドで寝ている。
 この男の事である。
 女だからと言って、居候風情に自らの寝床を提供する様な心根の持ち主ではない。
 彼女自身も、それが妥当だと思っているし、その件に関して異論のあろう筈も無かった。



 ―――が。
 朝起きてみると、夕べ眠りについたソファーではなく、彼の寝室のベッドに堂々と眠っているのだ。
 一昨日はその事で泣きながら彼に八つ当たりをしたら、やはり逆に怒られた。
『迷惑しているのはこっちだ』
 そう言いたげな瞳だった。
 
 もう絶対にしない。
 そう約束したのが、一昨日である。
 それが昨日も、そして今日も物の見事に破られている。


「・・・・」
 輝愛は無言のまま不機嫌そうな顔をして、隣の主を起こさぬ様注意を払いながら。そろりとベッドを抜け出た。
 例えこの病が今すぐに治らずとも、彼が起きる前に毎日目を覚まし、彼に気付かれぬうちに布団から出てしまいさえすれば、恐らくばれる事もないだろう。
 今日も、このままシラを切れば上手く行くかも知れない。
 そんな風に、どこか卑屈な考えを急いで頭の中でまとめながら、気だるい足取りで洗面所に向かったのだった。









「コーヒー」
 千影がダイニングキッチンに顔を覗かせたのは、輝愛が身支度を整え、朝ごはんを作り終えた時だった。
「はい」
 言われるが早いか、輝愛はマグカップにコーヒーを注ぎ、彼に手渡す。
 彼の好みに合わせた、ブラックの、焼けるように熱いヤツである。
「ん」
 マグカップを受け取ると、椅子に腰掛け、新聞を開く。
 見た感じ、輝愛とは一回りくらいは違うのだろうか、と思えるくらいの年の差である。
 三十路にさしかかったか否か、というところであろう。
 十七の輝愛からしたら、その千影の行動が、どこか親父臭く映るのも、致し方ないと言った所か。
 目は新聞に向けたまま、コーヒーを飲み下し、大きく欠伸をする。


「・・・昨日あんなに早く寝たのに、まだ眠いの?」
 朝食をテーブルに乗せつつ、彼の手の中にある新聞を抜き取る。
「ここ何日か、熟睡出来ないんだよ」
 新聞を奪われた事が不満なのか、不機嫌な顔で、空になった手で頬杖をついた。
「何で」
 最後に箸を渡してやり、自分も千影の斜め向かいに腰掛ける。

「何でもクソもないだろう。毎晩人の事押しのけて布団占領しやがって」
 眉間にシワを寄せたまま、味噌汁をすする。
 毎朝コーヒーのクセに、食事は和食が好みらしいのだが、果たしてコーヒーとご飯の組み合わせはいかがなモンか。
 そう思いつつ、輝愛は人知れず冷や汗を流す。


 ―――バレてたのね。


 こっそりと抜け出したつもりで、当然、寝ていた千影には気付かれていないと思っていたのだが。
 布団に突っ込んでくる時点で相手方に分かってしまっていたのなら、何とも滑稽な事である。


「いや、別にわざととかじゃないし、あたしもよく覚えてないって言うか・・・」
 弁解しつつも、語尾がどんどん尻つぼみになっていき、最後の方は聞き取る事すら困難だったりする。
 そんな輝愛の様子を、茶碗片手に面白そうに眺めてから、


「一昨日も言ったがな、お前は病気だ」
「う・・・」
 
 座った目で言われて、しかも完璧自分に非があると言うのだから、反論も出なくなってしまう。
 返す言葉も見付からず、仕方なくうなだれる。

「・・・・・・すいません」
 謝っているのは本心。
 でも、自分の意思じゃないんだから、どうしていいかも分からないのが現実。


「まあ、あれだ」
 千影は玉子焼きをくわえながら、いつも通りの意地悪な瞳で言う。
「朝っぱらから叫んで飛び起きたりするってのだけは止めてくれ。心臓に悪い」
 それだけ言うと、外していた視線を一瞬戻し輝愛を見つめると、またすぐにその視線を外して、
「大人しく寝てる分には、まあ、仕方ないだろうよ」
 
 そう言って、コーヒーを喉の奥に流し込んだ。
 果たしてアレで食べ物の味が分かるんだろうか?
 なんて変な考えが頭を過ぎったりもしたが。

 それ以上に、彼の言葉は輝愛を驚かせていた。


 ・・・・それって、別に怒ってないってこと?
 それとも、結構優しい人だったりするのかな・・


 一人思案する輝愛に、千影はやはり例の意地の悪い笑みで、
「病気だしな。仕方ないよな」
『病気』のところに、妙にアクセントを置いて嫌味を言う。


「それに――」
 千影はむくれている輝愛を見もせず、更に一言。


「お前みたいなクソガキ、横で寝てたって欲情のカケラもしないしな。変な心配する前に、色気出してからにしな」
 言いたいことを言うと、また食事の続きに戻った彼。



 ・・・・・やっぱり全然優しくない!!!


 心の中で輝愛が叫んだのは、まあ、仕方ないのかもしれない。
 そんな輝愛の様子を、横目で彼女に悟られぬ様に眺めながら、千影は小さく苦笑した。

 

 ―――ま、そーゆー事にしとけ、な。



 彼女を眺めながら、内心薄く微笑する。
 輝愛が彼のその笑みの意味を知るのは、もうしばらく先の事だ―――― 

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