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桃屋の創作テキスト置き場
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■神と交わりし者■




 水の流れる音が、聞こえている。
 薪のくべられた炎は、より一層その激しさを増し、まだ微かに薄暗さの残る辺り一面を、金色の一枚の絵画の如く染め上げる。
 
 巫女は、いつもの様に水の流れの比較的緩やかな所で禊をしていた。
 その顔には、幾分の疲労が見て取れる。
 一昨日、祠の中央部ー水薙の神を祀る祭壇の前で、巫女の内に水薙の神が降り立ったのだ。
 その場に居合わせた姉巫女や長老の神官は、我が目を疑い、後にようやっと、微かな声を絞り出した。



 小さな村である。
 巫女が水薙の神と交わった、等と言う噂は、洩らさぬ様努めても、一刻の内には皆の知る所となった。
 皆は、巫女と水薙の神が交わった事を手放しに喜んだ。
 名も無き小さき村の一介の巫女が、大いなる神を内に宿したのである。
 これが騒がぬ筈もない。
 村は、歓喜の声に埋まった。
 
 人々は、口々に水薙の神と交わった巫女を誉め、崇め、奉った。
 しかし、当の巫女は自らの行った事の重大さを、よくは理解していなかった。
 それをするには、巫女はまだ幼く、世界に対して無知であった。
「姉様、私のした事が、何故こうも皆を騒がせるのですか」
 巫女は、まだ幼さの抜け切らぬあどけない顔で、姉巫女に尋ねた。
「・・・お前は、我らが崇めし水神、水薙の神を交わったのだよ。我らが村に神が降りた。皆は、その事を讃えておるのじゃ」
 巫女は、首をかしげ、それが一体如何程の事であろうか、と言った表情で立ち上がった。
「姉様、私禊に行って参ります」
 そう言って、一つ会釈して巫女は祠を出た。
 その小さき背には、姉巫女の視線が注がれていた。




 巫女は、透き通る冷水の中、静かに言霊を唱える。
 その腕、額に入れられた呪眼の入れ墨が、水飛沫と共に反射し、白い肌をより一層輝かせる。
 巫女は、小さな声で歌を歌いながらその長い髪を梳いた。
 若干十三歳の幼い娘である。
 巫女と言う立場とは言え、自らの身形が気にならぬ筈も無い。
 小さな紅の唇から零れ落ちる言の葉に、風が凪ぐ。
 刹那、一時前までは愉しげに口ずさんでいた歌が、止まった。
 今迄とは打って変わり、真剣な、巫女本来の表情で。
「・・・・・何かが・・・来る」
 そう呟き、空を見上げた。
 確実に藍から薄水に明けて行く空。いつも通りに透き通っている。
 しかし、何かがいつも異なっていた。
 「気」が、いつものそれと異なっていたのだ。
 刹那、背後で動く一つの、影ー
「何者!」
 巫女は凛とした声を張り上げ、辺りに気配を走らせる。
 ごく僅かな静寂が、その場を包み込む。
 巫女は、その視線を向けるべき場所へと移した。
 気配が、交錯する。
 瞳を、僅かに細め、巫女はそれと対峙する。
「・・・・何者だ」
 巫女は、微動だにせぬままに眼前に佇む男に問う。
 男は、答えぬままである。
「何者だ」
 巫女は、再び同じ問いを男に投げかけた。

「・・・・我が名は、蒼嶺」
 男は、ゆっくりと口を開いた。
「その蒼嶺が、一体何の用だ」
 巫女は一歩、後退した。
 男の放つ言い知れぬ重みを含んだ「気」に当てられたのだ。
 男は、抜き身の剣を右手にぶら下げたまま、じりじりと巫女に詰め寄って来る。
 そして、男は静かに吠えた。
「神をその身に宿らせし、水薙の巫女の御霊を頂きに、参上仕った」
 男は顔色一つ変える事無く、淡々と言葉を放った。
「言え!何故我が御霊を欲するか!」
 巫女の頬を、一筋の冷や汗が伝って行った。
 その間にも、男はゆっくりとではあるが着実に歩を進めている。
 そして、未だ魂の篭らぬ様な顔で言葉を紡ぐ。
「無論、その御霊持て、我が生国の巫女に、水薙の神、宿らせるまで」
 男は、哂った。
 その笑みに含まれていたのは、狂気ともう一つ、何がしかの感情。
 巫女には、そのもう一つの感情を読み取る事が出来なかった。
 故に、巫女の身体は冷たく緊張していた。
「・・・・覚悟」
 蒼嶺が静かな声音で吠える。
 巫女は弾かれた様に、咄嗟に言霊を唱え、印を結ぶ。
 呪眼の入れ墨が、微かに淡い光を放つ。
 巫女の能力である。本来その場に存在し得ないモノを、この地に呼び寄せ具現させる力。
 巫女は自らの腕に力を収束させる。
 刹那、二人の影が交差する。
「なっ・・!!」
 驚愕の声を上げたのは、男の方であった。
「眠れ」
 一言そう言い放つと、素手で受けた剣をひねって男から奪い、同時にみぞおちに手刀を放つ。
「・・・ぐっ」
 男は言葉無く崩れ落ちた。
 巫女は剣を投げ捨て、崩れて来た男の身体を両腕で支える。
 しかし、細い巫女の腕では支え切れず、そのままずるずると地面に座り込んだ。
 巫女は、男が正常に呼吸をしている事を確かめ、小さく呟く。
「何故・・・誰からの命でこの様な・・・」
 未だ険しい表情のまま、男に視線を落とす。
 その顔には、策に失敗した罪悪感、絶望感等は少なくとも見て取れなかった。
 むしろ、安堵の表情である。
 全てから開放された、母の腕で眠る様な安堵の。
「・・・・?」
 巫女は首を傾ぐ。
 安堵の表情を浮かべるべきは、この男ではなくむしろ自身なのでは無かろうか。
 巫女は汗で湿った男の額を撫で上げた。
「傷・・・」
 男の身体、その至る所に存在する古い傷跡に目を落として。
 長年、徐々に蓄積されて行った筈の、言葉無き傷跡である。
 これが、この男の叫びに聞こえた気がした。
 まだ若干幼さの残る端整な面差しである。
 或いは、十三の巫女と、然したる違いは無いかも知れない。
「・・・・死にに来たのか・・蒼嶺よ・・・?」
 そう言って、男の背を撫ぜる巫女の背後で、ようやっと昇り切った柔らかな朝の日差しが、二人を包んでいた。

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