桃屋の創作テキスト置き場
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■こんぺいとう 4 あくとあくたーず12■
楽屋を出て、歩き出した輝愛の足は、徐々に早くなっていた。
―――会わなきゃ。
何故そう思ったのかは分からないけど。
ただ、唐突に。
会いたいと思ったのだ。
毎日毎日、いつでも彼は隣に居たのに。
何故今、あの人の顔がこんなにも見たいんだろう。
もう幕が開く。
客入れはとっくに終わってる。
皆、開始のベル待つ様な状態の中。
ああ、間に合わない。
もう、緞帳が上がってしまう。
その前に、一瞬でいいのに。
歯噛みすらしながら、輝愛は走っていた。
あと少し。
あの人がスタンバイしている場所まで、あとほんの少し。
「!」
目線でその目的の人物をようやく捕らえた。
それでもまだ、二人の間には、結構な距離がある。
―――時間切れだ。
輝愛の出番より、千影の出番の方が早い。
こんな自分ごときのわがままで、まさか幕開けを遅らせる訳には行かない。
それに、自分も今回は袖から出る訳ではないし、もうそろそろ、さすがスタンバイに戻らないと間に合わない。
せっかく、こんな近くまで来てるのに。
眉尻を落とし、自分の位置に戻ろうとした時だった。
「・・・え?」
ふいに、呼ばれた気がして、振り向く。
囁かれたはずの声の主は、自分の周り近くにはどこにも見当たらなくて、
ただ、辿り着きたかったあの人の視線は、確かに輝愛を捕らえていた。
そして、いつもの様に、少し苦笑した様に、微笑んだ。
どくんと、血管が一気に太さを増したような気がした。
そのまま大急ぎで、自分のスタンバイ位置まで走る。
・・・・なにこれ、なにこれ・・・・
何もされたわけじゃない。
ただ、いつもみたく笑ってくれただけなのに。
・・・どうしよ・・・・・
輝愛は、混乱する自分の両の頬を、自らの平手でぱちんっ、と叩いた。
『大丈夫』
そう、言われた気がした。
瞬時にオレンジ色のまろやかな空気に包まれた気がして、今までの色んな、原因が分からない不安なんかが、すうっと、身体になじんだ気がした。
不思議と、落ち着いた。
つい今しがたまでの自分が、まるで遠い日の自分であるかの様に。
会場にいる観客の心音が聞こえそうな程、耳が澄んで。
アナウンスが入り、暗転、開演を知らせるブザーが鳴る。
緞帳が上がり、きっかけの音と共に、舞台上にライトがたかれる。
冒頭のシーン。
有住と橋本、呉に紅龍が出ている。
そこへ、千影が現れる。
もう、それこそ何度も稽古で見てきた風景。
だからだろうか、何故だか分からないけど、懐かしい様な感じがした。
オープニングから次のシーンへもうすぐ切り替わる。
自分の出番が近付く。
舞台の上では、音響のボリュームが上がっていく。
大きな音と共に、ガツンと衝撃を覚える様なタイミングで暗転し、場面が切り替わる。
板付きで大輔がいる。
すぐに、自分の出番になり、一回、ぽんとジャンプして出て行く。
あの、さっきの不思議な空気が、未だに自分に纏わりついている気がする。
自分自身を、俯瞰で見ている様な、何とも表現しがたい不思議な感覚だ。
舞台上には大輔と自分の二人きり。
それもすぐに、大掛かりな殺陣のシーンになっていく。
アクションチームの単独公演と名が付く以上、殺陣がメインになってくる。
普段の芝居の倍はある殺陣シーンの数に、最初は覚えきれるかどうか、本気で青くなったものだ。
――でも、大丈夫。今なら、多分、そう言える。
普段の輝愛では、見ることが出来ない瞳の色で、大きく、息を吸った。
◇
衣装替えが多いメンバーは、大変そうだと、心の中で合掌しながら。
何とか一幕の幕が下り、僅かばかりの休憩時間。
最も、休憩できるのは観客だけで、出演者は着替えやらに大慌てだが。
それでも皆慣れたもので、衣装のまま、必ず一本はタバコをふかしているが。
「高梨さん、お水」
「あ、ありがとうございます」
床山助手の若い女性スタッフが、ペットボトルを差し出してくれる。
そう言えば、まだ一回も水飲んでなかった。
ここはありがたく頂戴する事にして喉を鳴らすと、鏡の中の自分を見る。
普段のふにゃけた顔より、メイクも手伝ってか、鋭い顔な様な気がする。
周りで慌しく動くスタッフを眺める。
彼らの力で、舞台が動いている。
自分のせいで、無駄にする訳には行かない。
今回の公演は、普段メインを張ってる人間より、チーム内の若手を前面に押し出している。
座長の千影は別として、本来なら珠子や紅龍、勇也や、客演で主演を張るような俳優達がやる筈の役を、輝愛をはじめ、有住や大輔なんかが配役されている。
――失敗になんか、出来ない。
ぶるっと、身震いする。
今更ながら、すごく緊張してきてしまった。
「どうしよ・・」
二幕は、勿論クライマックスに向けての殺陣もさることながら、主軸は、やはり物語だ。
千影と、有住、大輔、そして自分が、動かす話だ。
いよいよその答えにぶつかって、ぞっとする。
「高梨さん、スタンバイお願いします」
「はい」
考えに浸る時間もないまま、再び、幕が開く。
どうしよう、頭が混乱してきた・・
喉を一回鳴らす。隣では、一緒に板付きで出る大輔が、既にスタンバイ位置にいた。
「・・・平気?」
小声で聞いてくる大輔に、無言で頷く。
・・・とにかく、今は自分を消そう。つばめだけに集中しよう。
自分の下手な頭で考えたって、どうせ短時間に答えなんか出ないんだから。
だったら、今はこの目の前の、素晴らしく現実からかけ離れた、世界に身を委ねよう。
「行くよ」
更に小声で手を出してきた大輔に、今度は輝愛は、ちゃんと、微笑んで頷いた。
◇
演出の笹林は、初日恒例の場所、普通に一般の客席で、舞台を見つめていた。
初日以降は、PAの横だったり、舞台袖だったりするが、まあ、よほどでない限りほぼ全ての舞台を見ている。
その上で、毎回駄目出しやら、演出変更が入ったりもする。
彼にとっても、今回の舞台は大きな賭けだ。
本来通りに、看板役者揃えてやる方が、どれだけ楽な事か。
自分で決めた癖に、自分で弱音吐いてやがると、舞台眺めながらにやりと笑った。
大輔は、やはりここ以外での舞台経験や、幼少からの舞の経験が生きている。
――コイツは、大当たり配役だな、田淵の。
隣の席の観客にバレないように、ほくそ笑む。
有住は、まだまだ伸びしろがある。若いだけに、吸収も早い。
最初は、本気で最初から最後まで女形、しかもかなり『女性らしい』役と言うので、不安がってたけども。
「大輔にやらせちゃ、面白くないもんな」
ふふん、と言う顔で、愛おしそうに舞台を見つめる。
その顔を、世の女性陣に見せてやれば、すぐにでも落ちる奴なんかかなり居そうなもんなのに。
以前から仲の良い俳優に言われた台詞だ。
最も、実際問題としてそうしてないから、未だに独身な訳だが。
さて、千影は、まあ、問題ない。
自分の演出意図を一番良く理解して、体現してくれる、貴重な役者の一人である。こいつがブレる様な時は、余程危険な状態だろうというのも、とっくに分かってる。
言い方悪いが、千影は放置で問題なし。
・・・さて
その横の、小娘を見る。
まあ、最初にこの小娘を見せられた時にゃ、正直どうしようかと思った。
殺陣やったこと無いとか、そんな可愛いレベルじゃなかったから。
養成所卒業させてから来いとも思ったが、考えてみりゃ、このチーム内で、実際そういう学校を出た人間なんか、居ただろうか。
せいぜい、芸大出がいるくらいで、最初は皆ずぶの素人だった。
どうにも最近この業界に漬かり切ってて、そんな事も忘れてた。
そう気づくと、目の前の小娘が、そりゃあ面白い素材に見えたもんだ。
こいつ、生かすも殺すも、うち次第か、腕が鳴るじゃねえか。
そう思った瞬間の身震いを、未だに鮮明に覚えてる。
もうすぐクライマックスのシーンだ。
前回の公演から、大きく変更を入れたのは、ココだけだ。
話の筋を、ココだけ、前回と正反対にした。
何故か?
今回の主役達には、こちらのエンディングが合ってるはずだから。
そう思うと、今は亡き前回のヒロインの女優が思い出される。
「勿体無い、ほんとに」
でも、いつまでもぶら下がってはいられない。
それを、打ち砕けるかは、あの小娘次第だ。
「期待してるぞー、お嬢さん」
いつも通り、愛おしそうな表情のまま舞台へ、呟いた。
クライマックスだ。
輝愛扮するつばめと、千影扮する月鬼が、怒涛の音響と風の渦の中にいる。
蒼志役の大輔は、二人とは若干離れた位置での芝居になる。
観客の視線は、舞台中央の二人へ向かう。
『俺が全部持って行く!お前如きに欠片も渡してたまるか』
『くそったれ!お前だけでいく気か!』
目を開けるのもキツイくらいの風を起こす中、二人の声が劇場中に響く。
『つばめ殿!』
『蒼志、巻き込まれる!お前は走れ!』
『何を無茶な!あなただけ置いていく訳には行かない!』
バックに流れる音が上がる。
照明が、まばゆく光る。
千影が、舞台のど真ん中で、悔しいくらいに小気味いい顔をする。
『全ては俺で始まり、故に俺で終わる。終わらせる』
『ふざけんな!』
輝愛の、一際大きな声が響く。
一瞬、世界が沈黙する。
笹林は、そこでぎょっとした。
笹林だけではないだろう。
恐らく、輝愛が見えている連中は、内心笹林と同じ心持ちだっただろう。
輝愛は、千影、要するに『月鬼』に、最高潮に怒鳴るはずのシーンで。
泣いていた。
『全て・・お前一人で・・終わると思うなよ、馬鹿が』
台詞は、そのままだ。
バックの音を落とす演出にしといて、本気でよかったと、笹林はぐったりする。
『お前が居なくなったら・・・あたしが、寂しいだろうが』
最初の演出で、泣け泣けいくら言っても泣かなかったから、変えてやったってのに。
本番にかますとは、まあ恐れ多い奴だ。
「説教決定」
言う笹林の顔は、言葉とは裏腹に、嬉しそうな表情だった。
『ならば、俺の全て、つばめ、お前に渡す、受け取れ』
『いやだっ!』
月鬼の言葉の意味を理解して、拒絶するつばめ。
その姿に、本当に、本当に幸せそうに、刹那的な微笑を浮かべると、
月鬼は、涙でぐちゃぐちゃになったつばめの頬を、傷で血まみれになった、ぼろぼろの手で触れると、
最初で最後、つばめの口を、静かに塞いだ。
轟音が鳴り響き、光が弾け飛ぶ。
思わず、観客が目を背ける程だ。
音と光が止み、エピローグになる。
生き残ったのは、蒼志と、つばめ、だけだった。
しかし、つばめにもう涙はない。
一人で、しんと、立っていた。
暗転する。
輝愛が、気付くと、世界は拍手の海だった。
楽屋を出て、歩き出した輝愛の足は、徐々に早くなっていた。
―――会わなきゃ。
何故そう思ったのかは分からないけど。
ただ、唐突に。
会いたいと思ったのだ。
毎日毎日、いつでも彼は隣に居たのに。
何故今、あの人の顔がこんなにも見たいんだろう。
もう幕が開く。
客入れはとっくに終わってる。
皆、開始のベル待つ様な状態の中。
ああ、間に合わない。
もう、緞帳が上がってしまう。
その前に、一瞬でいいのに。
歯噛みすらしながら、輝愛は走っていた。
あと少し。
あの人がスタンバイしている場所まで、あとほんの少し。
「!」
目線でその目的の人物をようやく捕らえた。
それでもまだ、二人の間には、結構な距離がある。
―――時間切れだ。
輝愛の出番より、千影の出番の方が早い。
こんな自分ごときのわがままで、まさか幕開けを遅らせる訳には行かない。
それに、自分も今回は袖から出る訳ではないし、もうそろそろ、さすがスタンバイに戻らないと間に合わない。
せっかく、こんな近くまで来てるのに。
眉尻を落とし、自分の位置に戻ろうとした時だった。
「・・・え?」
ふいに、呼ばれた気がして、振り向く。
囁かれたはずの声の主は、自分の周り近くにはどこにも見当たらなくて、
ただ、辿り着きたかったあの人の視線は、確かに輝愛を捕らえていた。
そして、いつもの様に、少し苦笑した様に、微笑んだ。
どくんと、血管が一気に太さを増したような気がした。
そのまま大急ぎで、自分のスタンバイ位置まで走る。
・・・・なにこれ、なにこれ・・・・
何もされたわけじゃない。
ただ、いつもみたく笑ってくれただけなのに。
・・・どうしよ・・・・・
輝愛は、混乱する自分の両の頬を、自らの平手でぱちんっ、と叩いた。
『大丈夫』
そう、言われた気がした。
瞬時にオレンジ色のまろやかな空気に包まれた気がして、今までの色んな、原因が分からない不安なんかが、すうっと、身体になじんだ気がした。
不思議と、落ち着いた。
つい今しがたまでの自分が、まるで遠い日の自分であるかの様に。
会場にいる観客の心音が聞こえそうな程、耳が澄んで。
アナウンスが入り、暗転、開演を知らせるブザーが鳴る。
緞帳が上がり、きっかけの音と共に、舞台上にライトがたかれる。
冒頭のシーン。
有住と橋本、呉に紅龍が出ている。
そこへ、千影が現れる。
もう、それこそ何度も稽古で見てきた風景。
だからだろうか、何故だか分からないけど、懐かしい様な感じがした。
オープニングから次のシーンへもうすぐ切り替わる。
自分の出番が近付く。
舞台の上では、音響のボリュームが上がっていく。
大きな音と共に、ガツンと衝撃を覚える様なタイミングで暗転し、場面が切り替わる。
板付きで大輔がいる。
すぐに、自分の出番になり、一回、ぽんとジャンプして出て行く。
あの、さっきの不思議な空気が、未だに自分に纏わりついている気がする。
自分自身を、俯瞰で見ている様な、何とも表現しがたい不思議な感覚だ。
舞台上には大輔と自分の二人きり。
それもすぐに、大掛かりな殺陣のシーンになっていく。
アクションチームの単独公演と名が付く以上、殺陣がメインになってくる。
普段の芝居の倍はある殺陣シーンの数に、最初は覚えきれるかどうか、本気で青くなったものだ。
――でも、大丈夫。今なら、多分、そう言える。
普段の輝愛では、見ることが出来ない瞳の色で、大きく、息を吸った。
◇
衣装替えが多いメンバーは、大変そうだと、心の中で合掌しながら。
何とか一幕の幕が下り、僅かばかりの休憩時間。
最も、休憩できるのは観客だけで、出演者は着替えやらに大慌てだが。
それでも皆慣れたもので、衣装のまま、必ず一本はタバコをふかしているが。
「高梨さん、お水」
「あ、ありがとうございます」
床山助手の若い女性スタッフが、ペットボトルを差し出してくれる。
そう言えば、まだ一回も水飲んでなかった。
ここはありがたく頂戴する事にして喉を鳴らすと、鏡の中の自分を見る。
普段のふにゃけた顔より、メイクも手伝ってか、鋭い顔な様な気がする。
周りで慌しく動くスタッフを眺める。
彼らの力で、舞台が動いている。
自分のせいで、無駄にする訳には行かない。
今回の公演は、普段メインを張ってる人間より、チーム内の若手を前面に押し出している。
座長の千影は別として、本来なら珠子や紅龍、勇也や、客演で主演を張るような俳優達がやる筈の役を、輝愛をはじめ、有住や大輔なんかが配役されている。
――失敗になんか、出来ない。
ぶるっと、身震いする。
今更ながら、すごく緊張してきてしまった。
「どうしよ・・」
二幕は、勿論クライマックスに向けての殺陣もさることながら、主軸は、やはり物語だ。
千影と、有住、大輔、そして自分が、動かす話だ。
いよいよその答えにぶつかって、ぞっとする。
「高梨さん、スタンバイお願いします」
「はい」
考えに浸る時間もないまま、再び、幕が開く。
どうしよう、頭が混乱してきた・・
喉を一回鳴らす。隣では、一緒に板付きで出る大輔が、既にスタンバイ位置にいた。
「・・・平気?」
小声で聞いてくる大輔に、無言で頷く。
・・・とにかく、今は自分を消そう。つばめだけに集中しよう。
自分の下手な頭で考えたって、どうせ短時間に答えなんか出ないんだから。
だったら、今はこの目の前の、素晴らしく現実からかけ離れた、世界に身を委ねよう。
「行くよ」
更に小声で手を出してきた大輔に、今度は輝愛は、ちゃんと、微笑んで頷いた。
◇
演出の笹林は、初日恒例の場所、普通に一般の客席で、舞台を見つめていた。
初日以降は、PAの横だったり、舞台袖だったりするが、まあ、よほどでない限りほぼ全ての舞台を見ている。
その上で、毎回駄目出しやら、演出変更が入ったりもする。
彼にとっても、今回の舞台は大きな賭けだ。
本来通りに、看板役者揃えてやる方が、どれだけ楽な事か。
自分で決めた癖に、自分で弱音吐いてやがると、舞台眺めながらにやりと笑った。
大輔は、やはりここ以外での舞台経験や、幼少からの舞の経験が生きている。
――コイツは、大当たり配役だな、田淵の。
隣の席の観客にバレないように、ほくそ笑む。
有住は、まだまだ伸びしろがある。若いだけに、吸収も早い。
最初は、本気で最初から最後まで女形、しかもかなり『女性らしい』役と言うので、不安がってたけども。
「大輔にやらせちゃ、面白くないもんな」
ふふん、と言う顔で、愛おしそうに舞台を見つめる。
その顔を、世の女性陣に見せてやれば、すぐにでも落ちる奴なんかかなり居そうなもんなのに。
以前から仲の良い俳優に言われた台詞だ。
最も、実際問題としてそうしてないから、未だに独身な訳だが。
さて、千影は、まあ、問題ない。
自分の演出意図を一番良く理解して、体現してくれる、貴重な役者の一人である。こいつがブレる様な時は、余程危険な状態だろうというのも、とっくに分かってる。
言い方悪いが、千影は放置で問題なし。
・・・さて
その横の、小娘を見る。
まあ、最初にこの小娘を見せられた時にゃ、正直どうしようかと思った。
殺陣やったこと無いとか、そんな可愛いレベルじゃなかったから。
養成所卒業させてから来いとも思ったが、考えてみりゃ、このチーム内で、実際そういう学校を出た人間なんか、居ただろうか。
せいぜい、芸大出がいるくらいで、最初は皆ずぶの素人だった。
どうにも最近この業界に漬かり切ってて、そんな事も忘れてた。
そう気づくと、目の前の小娘が、そりゃあ面白い素材に見えたもんだ。
こいつ、生かすも殺すも、うち次第か、腕が鳴るじゃねえか。
そう思った瞬間の身震いを、未だに鮮明に覚えてる。
もうすぐクライマックスのシーンだ。
前回の公演から、大きく変更を入れたのは、ココだけだ。
話の筋を、ココだけ、前回と正反対にした。
何故か?
今回の主役達には、こちらのエンディングが合ってるはずだから。
そう思うと、今は亡き前回のヒロインの女優が思い出される。
「勿体無い、ほんとに」
でも、いつまでもぶら下がってはいられない。
それを、打ち砕けるかは、あの小娘次第だ。
「期待してるぞー、お嬢さん」
いつも通り、愛おしそうな表情のまま舞台へ、呟いた。
クライマックスだ。
輝愛扮するつばめと、千影扮する月鬼が、怒涛の音響と風の渦の中にいる。
蒼志役の大輔は、二人とは若干離れた位置での芝居になる。
観客の視線は、舞台中央の二人へ向かう。
『俺が全部持って行く!お前如きに欠片も渡してたまるか』
『くそったれ!お前だけでいく気か!』
目を開けるのもキツイくらいの風を起こす中、二人の声が劇場中に響く。
『つばめ殿!』
『蒼志、巻き込まれる!お前は走れ!』
『何を無茶な!あなただけ置いていく訳には行かない!』
バックに流れる音が上がる。
照明が、まばゆく光る。
千影が、舞台のど真ん中で、悔しいくらいに小気味いい顔をする。
『全ては俺で始まり、故に俺で終わる。終わらせる』
『ふざけんな!』
輝愛の、一際大きな声が響く。
一瞬、世界が沈黙する。
笹林は、そこでぎょっとした。
笹林だけではないだろう。
恐らく、輝愛が見えている連中は、内心笹林と同じ心持ちだっただろう。
輝愛は、千影、要するに『月鬼』に、最高潮に怒鳴るはずのシーンで。
泣いていた。
『全て・・お前一人で・・終わると思うなよ、馬鹿が』
台詞は、そのままだ。
バックの音を落とす演出にしといて、本気でよかったと、笹林はぐったりする。
『お前が居なくなったら・・・あたしが、寂しいだろうが』
最初の演出で、泣け泣けいくら言っても泣かなかったから、変えてやったってのに。
本番にかますとは、まあ恐れ多い奴だ。
「説教決定」
言う笹林の顔は、言葉とは裏腹に、嬉しそうな表情だった。
『ならば、俺の全て、つばめ、お前に渡す、受け取れ』
『いやだっ!』
月鬼の言葉の意味を理解して、拒絶するつばめ。
その姿に、本当に、本当に幸せそうに、刹那的な微笑を浮かべると、
月鬼は、涙でぐちゃぐちゃになったつばめの頬を、傷で血まみれになった、ぼろぼろの手で触れると、
最初で最後、つばめの口を、静かに塞いだ。
轟音が鳴り響き、光が弾け飛ぶ。
思わず、観客が目を背ける程だ。
音と光が止み、エピローグになる。
生き残ったのは、蒼志と、つばめ、だけだった。
しかし、つばめにもう涙はない。
一人で、しんと、立っていた。
暗転する。
輝愛が、気付くと、世界は拍手の海だった。
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