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桃屋の創作テキスト置き場
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■髑髏城の七人-アオドクロ-  血潮の唄■





 ―――嗚呼、燃えて行く。


 轟轟と音を立てて、柱が、屋根が、全てが燃えて行く。
 私は、
 私達は、あの御方の寝室に入り、
 そして。

 其処で舞うあの御方を、
 地獄の業火の中、一振りの舞を、優雅に舞われるあの御方を見付ける。











 爆ぜる火の粉の中、静寂が、その場を支配して居た。
「光秀様に因る、御謀反(ごむほん)で御座います」
 蘭丸が、苦し気に、苦々しく告げた。
「此れが」


 ――嗚呼、あの御方の声が聞こえる――


「此れが、天を目指した者への最後の仕打ちか」

 雄雄(しく、凛凛しく。

 拡がった静寂の中、水面に一滴の雫が落とされる様に。


「光秀め」


そう言うと、口を結び、何処か不思議な表情に成る。
 自嘲的とか、そう言った類の物では、少なくとも、無い。と、思う。
 私には、其れが全く理解出来無かった。


「殿!」
 蘭丸の痛々しい叫び声が耳を突く。
「どうか、どうかこの蘭丸も共に!殿と共に!」
 泣き叫ぶ、未だ幼さの抜け切らぬ細い体躯の人斬りに、あの御方は静かに一喝する。
「成らぬ」
「何故です!?」
「分からぬか」
「分かりませぬ!」

 細い身体を震わせて、半狂乱の様に、子供の様に泣き叫ぶ。
 今にも、あの御方に飛び掛りそうな勢いで。
 其れを横に立つ“地”が、必死に抱えて止めて居る。

大粒の涙を止め処無く溢れさせて居る蘭丸に、あの御方は僅かに優しげに目を細め、


「蘭」


 と一度だけ名を呼び、其の紅潮した頬に微かに触れ、“地”に視線を移す。



「“地”よ、やれ」
「―――は」



 あの御方の言葉に、僅か一瞬躊躇(ためら)い、しかし直ぐに蘭丸の鳩尾に拳打を入れ、気絶させる。



 “地”――、私と同じ、あの御方の、“影”―――。



「俺にも解かりかねます。何故、殿も御寵愛深きこの蘭丸、殿の道行きにお連れに成りませぬ」
 “地”が、眉を顰めて。
 苦痛の表情で。


「痴れ者が」
 あの御方は、場にそぐわない様に、実に愉快そうに笑った。


「私を誰と心得る。私は織田信長ぞ」
「しかし!」
「地獄への」
 “地”の言葉を、あの御方が遮る。
「地獄へ道行きなぞ一人で事足りる。供の者等要らぬ。地獄の鬼共に哂われようぞ」
 そう言って、笑う。
 蘭丸をその腕に抱いた“地”の表情には、絶望の色が濃い。


「わたくしが参りましょうぞ、殿」


 初めて凍り付いて居た自らの四肢を解き放ち、唇に言葉を乗せる。
「わたくしが参りましょうぞ。その為の“影”で御座います」
 跪き、頭を垂れて。
「この“人”が、殿の代わりに地獄へ、一足先に参ります」

 “地”が、私を見る。
 あの御方が、私を見る。

「この“人”が」



 ――貴方が存在しない世等、意味が無いから――



「ふふふはははははは」
 あの御方が、“地”を、私を見遣って、矢張り愉快そうに笑う。
 そして、

「愚かな――」

 びくり、と身体が跳ねるのが、空気の振動で伝わって仕舞っただろうか。

「これが“時”なのだよ」
「―――は?」
「これが“時”と言うものなのだ」
「殿・・・?」
 あの御方の言葉の真意が理解出来ぬのに、あの御方は其れすら可笑しそうに笑って居る。




「“地”よ、“人”よ、主等は私では無い」
 慈愛に満ちた様な表情で。
 しかしその言葉は私に突き刺さる。
 あの御方の“影”である私に酷く突き刺さる。


「私は、織田信長は、私一人だ」


 “地”は唇を噛んで、あの御方を見詰めていた。
 私は、私はただ目を見開いて――



「見るが良い。織田信長最後の瞬間を。
 しっかとその眼に焼き付けるが良い。
 天は死なぬ。天は滅びぬ。我は天だ。
 再びこの地に舞い戻ろう」



 あの御方はそう言うと、
 自らの腹を自らで、
 天の字に、切り裂いた。



「殿!」
「殿!」



 私と、“地”の声が重なる。
 刹那――

 あの御方の首が、
 あの御方自らの手に縁って、


 飛んだ。




 轟轟と焔が勢いを増す。
 柱が、全てが崩れて行く音が聞こえる。
 燃えて居る。
 本能寺が燃えて居る。
 あの御方が
 あの御方が燃えて仕舞(しま)う。


「あ・・ああ・・」
 知らずに喉の奥から空気が漏れる。
 もう私は瞬きすら忘れて仕舞った。
「あああああああああああ!!」
 私は、天を突く様に絶叫した。
「殿!殿!嘘で御座いましょう殿!起きて下さいませ殿!殿!!」

 あの御方に縋り付き、あの御方の血を全身で吸い、あの御方を緊く緊く抱いて。

「殿!」


 轟轟と本能寺が燃えて行く。
 あの御方が燃えて行く。


「“人”!此処も崩れる!早く!」
 “地”が私の弛緩仕切った腕を掴む。
 私とあの御方が引き離されて仕舞う。
「離せ・・・離せええええ!」
「馬鹿野郎!殿の想いを無碍にする気か!」
 “地”が、私と蘭丸を抱えて、無理矢理に疾り出す。




 轟轟と燃える。燃える。
 燃え盛る焔の中、私は、確かにあの御方を見た気がした。
 殿だ。
 舞い戻って来て下さったのだ。
 殿の御言葉通り、この地に舞い戻って来て下さったのだ。


 其処で、私は意識を手放した――











 気付くと、其処は最早私の知る本能寺では無かった。
 上体を起こし視線を横に落とすと、“地”と蘭丸が折り重なる様にして気を失って居た。

「・・・生き延びて仕舞ったと言うのか・・おめおめと、この私だけ・・」



 ――貴方の存在しないこの世等、生きて居ても仕方が無いのに――



「“人”」
 何時の間に起き上がったのか、膝に蘭丸を抱えたまま、“地”が口を開く。


 私と同じ、あの御方の顔で、私に話し掛ける。


「殿は俺達に『生きろ』と言ったのだよ」
「――馬鹿馬鹿しい」




 同じ“影”で在りながら、“地”と相容れる事は無いのだろう、と思う。
 “地”は既に、生きる意志を持った瞳で私を見て居る。
 自らで自らを生きて行こうとして居る。
 私は、
 私は、“地”の様には成れぬ。成らぬ。
 そして其のまま、私は歩き出した。
 あの御方の血で深紅に染まった着物のまま、歩いた。
 本能寺を、
 殿を探して、歩いた。



「――殿――」



 貴方の存在しないこの世で、私が生きて行く事に、一体何の意味が在るのか。



「――殿――」



 貴方の其の雄雄しき声。



「――殿――」



 貴方の其の精悍な面差し。



「――殿――」



 貴方の其の気高き魄。




 貴方が存在しないのなら、この世に最早意味等無い。




「殿――っ」


 貴方以外に欲する物等、何一つ無いと言うのに。
 貴方を失ってすら生きる事こそが、地獄であると言う事もあると言うのに。

 どれ位、歩いたのだろうか。
 そう言えば、何時からかずっと裸足だった様だ。
 足は血みどろに成っている。
 だが、其れすらも如何でも良い事でしか無い。

 空に黒雲が拡がり、大粒の雫を落として泣き出す。
 あっと言う間に其処彼処に水が溜まる。
 ふっと其処に、殿の姿を見た気がした。



 ――嗚呼そうだ。殿はこの地におわせられるのだ――



 ふらふらと覚束無い足取りで進む。
 殿の元へ。
 泥濘に足を捕られ、其のまま転倒する。



 ――殿はこの地におわせられるのだ――



 そう想うだけで、頭の芯が蕩けて行く。
 雨はもう、止んでいた。
 倒れ伏して居たままであった私は、身を起こし、小さな水溜りを覗き込む。



 其の中に在るのは、焼かれた一つのされこうべ。

 見紛う筈が無い。あの御方の―――



 私は眼が落ちる程にも目を見開いたまま、視線を泳がせた。
 まさか。
 あの御方の筈が無い。
 あの御方はこの地に未だおわせられるのだ。


 ――では?


 頭の中だけで問い掛けられる疑問符。


 ――では、あの御方は何処に?


 震える手で土を掴む。
 されこうべの水溜りを再び覗き込む。

 水面に映し出されたのは、私の、


 あの御方の、顔。


「―――其方に―――」


 声が震え、手が震え、四肢が震える。
 一度も流した事の無い涙が頬を伝う。
 水面のあの御方の顔を見詰めて。


「其方におわせられましたか―――」


 私は両手であの御方のされこうべを抱き、
 両の眼で水面のあの御方の顔を見る。
 
 何と素晴らしい。
 今此処には確かにあの御方が居る――

 私はされこうべを抱き、水面に手を差し伸べて、



「其方におわせられましたか、殿―――」









  髑髏城の七人-アオドクロ-  血潮の唄  終わり

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